25世紀中央アジアの食糧事情
HISTORIAシリーズの大前提となっているのは、22世紀末に始まった「大災厄」である。『ミカイールの階梯』の舞台である中央アジアにもたらされた災厄のうち、とりわけ大規模なものの一つが、草食禽獣の激減だった。
これは、大災厄の比較的早い時期に起きた。最初期の災厄であるエウロパ(欧州)大飢饉によって大量の難民がエウロパの外へと溢れ出している最中である。原因は腸内微生物の変異で、特に馬および反芻動物(ウシ科、シカ科、ラクダ科)への被害は深刻だった。
発生源は、ユーラシア西部ということ以外は判っていない。エウロパ大飢饉の原因である土壌微生物の変異は、おそらく他地域に波及することはなかったが、草食禽獣の腸内微生物の変異は急速にユーラシア全土に広がり、食糧危機に拍車を掛けた。
この災厄に、キタイ(中国)人たちは犬を遺伝子改造することで対応しようとした。当時はまだ遺伝子工学が完全に衰退しきってはいなかったのでる。肉犬(小型の豚のような外見)、駄犬(運搬用の大型犬。農耕にも使用可能であろう)、緬犬(毛を採る)など、目的に応じた品種が開発された。
25世紀に残る伝説によると、キタイ人たちは遺伝子改造技術に長け、さまざまな改造生物を造り出したという。史実だとすれば、彼らがそうしたのは、遺伝子管理局の衰退によって遺伝子改造技術が民間に流出してから、文明がすっかり退行するまでの数十年間の時期であろう。
これらの犬たちは、テングリ大山系一帯にも普及した。また同地に於いてはイスラムの流れを汲む信仰が支配的だったが、豚肉に対する禁忌も失われていた。
しかし犬は雑食とはいえ一定割合以上の蛋白質性飼料が必要であり、豚も腸内微生物の増殖を抑えるため、穀類中心の飼料を与えねばならない。
犬や豚より安価に容易に生産できる「肉」が、旧時代の技術によって製造される「人造肉」であった。
この技術を、時の権力者に庇護と引き換えに提供していたのが、テングリ大山系中に隠棲するミカイリー一族である。
人造肉には組織培養と合成蛋白の二種類があり、脂肪その他の添加物を混ぜて「精肉」する。この二種類の人造肉は災厄が進行中の23世紀半ばにも広く普及していたようで、『ラ・イストリア』で言及されている。
食肉の組織培養は22世紀以前、遺伝子管理局の時代にも行われており、おそらく重要な産業だったと思われる。当時は人工子宮によって培養し、屠畜された本物の肉と遜色ない品質だった。
だが人工子宮が使用不可能になってからは、幹細胞を筋細胞に分化させて培養するのは相当困難になり、当然ながら品質も劣化した。それでもコストが掛かる分、培養肉は合成肉より「高級」とされる。合成蛋白質は、飼料にも利用される。
なおキタイ人たちは、「乳犬」は造らなかったようである。おそらく彼らはあまり乳製品を摂取しないので、開発しようとしなかったか、少なくとも熱心に取り組まなかったのだろう。『ミカイールの階梯』の25世紀半ばの時点、或いはそれ以前の時代に、犬の乳が食用とされていたかは不明である。
ちなみに、群れる習性の家畜を使った地雷除去は、アフガン戦争でゲリラが実際に行っている(この場合は羊。他の地域・時代でも行われているだろう)。
人類をはじめとする多くの種が疫病で絶滅しなかったのは、病原体が弱毒化したからだと推測される。ミルザ・ミカイリーの説によれば、変化したのは病原体だけでなく宿主も同様で、新たな共生関係が築かれたのだという。
25世紀半ばの中央アジアでも、草食禽獣の個体数は回復に向かいつつあったが、人造肉に頼るテングリ大山系一帯の住民は、もはや草食の家畜(遊牧民が「五畜」と呼ぶ、馬、牛、羊、山羊、駱駝)をほとんど飼わなくなっていたので、この事実に気づくのが遅れた。例外は、荒廃がひどいため中央アジア共和国からもマフディ教団からも見捨てられたイリ大渓谷だけだった。この地はかつて、名馬の産地として名高かった。
西北のカザフ・ステップでは、人造肉の技術などとうに失われていたため、五畜の増加に伴って人口も急速に増加した。腸内微生物の弱毒化、もしくは宿主との新たな共生が始まったのは、東よりも西のほうが早かったようであるが、しかしそれはせいぜい100年ほど前だったと思われる。
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