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グロッタ

『ラ・イストリア』に登場。人類文明の遺産を保管・貯蔵するために、遺伝子管理局によって、中米のユカタン半島南東部(現グアテマラ領)に建設された地下施設。

 約200年間続いた「絶対平和」に於ける戦争は、奴隷種である亜人たちに殺し合いをさせるものであり、人間にとっては娯楽を兼ねた政治ゲームでしかなかった。
 しかし22世紀末、各地で発生した動植物の疫病によって世界情勢は不安定になり、戦争は真剣な様相を帯びるようになった。この時点ではまだ、損害は亜人兵士だけに留められるよう配慮がされていたのだが、各政府や団体は、遺伝子管理局の目を盗んで、強力な兵器の入手や製造に力を入れ始めていた。

 2202年、メキシコ政府と北米の南部諸州同盟との間で起きた戦争では、後者が禁制の生物兵器「生体甲冑」を持ち込み、使用した。生体甲冑は暴走し、遺伝子管理局が核兵器の投入を決意するまでの一ヵ月足らずの間に、チワワ市をはじめとするメキシコ北部の都市が幾つも破壊され、南部諸州軍自身も甚大な被害を受けた。これが、「人間」の犠牲者を出した最初の戦争となった。

 のちに「第一次南北アメリカ戦争」と呼ばれることになるこの戦争があった年に、グロッタの建設は始められた。遺伝子管理局のトップに立つ「管理者たち」直々の立案による計画であり、遺伝子管理局内部でも知っている者はごくわずかだった。世界は混乱状態にあり、また建設工事のための労働力は当然ながら亜人たちだから、隠匿はそれほど困難ではなかっただろう(亜人の記憶操作は容易で、絶対平和の時代には合法だった)。
 ユカタン半島の地盤は石灰岩質で、地下には大小の鍾乳洞があった。施設はこれらの洞窟を利用して建設された。完成は2年後の2204年である。この年、エウロパの大飢饉を逃れてきた難民の最初の一波が新大陸に到着している。情勢はいっそう混迷を深め、この極秘計画が漏洩することはなかった。

「洞窟(グロッタ grotta)」と名付けられたこの施設には、30人余りの科学者たちが残った。彼らは外部との接触は通信も含めて最小限に留め、あるものを開発製造する研究に従事した。それが、知性機械サンティアゴの「生体端末」である。
 15年後、30体の生体端末が完成し、稼動を開始した。同時に「グロッタ」は外界との接触を一切絶ち、完全封鎖された。空気すらも内部だけで循環させる閉鎖系で、唯一補給を必要とするのは水だけだったが、それも厳重な防疫システムによって管理されていた。水も空気も土壌も植物も食糧生産プラントも、人間も亜人も、そして人工子宮も、この防疫システムの管理下にあった。

 そこは、完全に安全で快適な環境のはずだった。「管理者たち」自身を除けば、外部から封鎖を解くのも通信を行うのも不可能だったが、内部の住人たちは知性機械サンティアゴの支配下にある夥しい数のコンピュータのほとんどすべてから、自由に、気づかれることなく情報を得ることができた。
 天然の洞窟をベースに造られた内部は、不規則に曲がりくねり枝分かれした構造で一見無駄が多かったが、実は閉塞感などのストレスを軽減する設計である。鍾乳石や石筍など天然の造形美を利用した内部装飾もふんだんに施され、照明も明度や色合い、配置を計算されていた。

 だが住人たち、「グロッタの番人(グアルディア)たち」とも名乗ることになる彼らは、すぐに退屈した。そして遺伝子管理局の治世では禁じられていた悪徳に手を染め始めた。麻薬の使用、亜人の虐待、自分自身や子供たちの遺伝子改造である。
 しかしその程度の「悪」など、地上で進行しつつあった地獄さながらの混沌に比べれば児戯でしかなく、番人たちもやがて飽きると、今度は派閥争いを始めた。
 争いのための争いであり、冷凍保存された配偶子と人工子宮で大量に生み出した子供たちをも駆け引きの材料にした。誰と誰の子供を作るか、どんな改造遺伝子を組み込むか、どの子供が誰に懐くかといったことまでが、ゲームの一部だった。

 完全封鎖から20年後の2239年、管理者たちが姿を消した。後に残されたのは、災厄は今後ますます悪化し、いつ果てるともなく続くであろうという予言と、人類から空と海を奪う「封じ込めプログラム」だった。
 外の世界の人々は、管理者たちが消えたことや災厄についての予言はそっちのけで、自分たちが陸地に閉じ込められたことに逆上した。グロッタの住人たち、その第一世代は、管理者たちの災厄の予言を正しく理解したが、パニックに陥ったのは地上の人々と変わらなかった。
 今までのお遊びとは違う、本物の対立が起きた。幾人かは地上へ帰ることを望み、他の者はグロッタの存在が地上の人々に知られることを恐れて反対した。帰還派と残留派の対立は激化し、話し合いでは埒が明かないと見た帰還派は脱出計画を練り始めた。それに気づいた残留派が帰還派を拘禁しようとすると、帰還派は密かに製造していた武器を用いて実力行使に出ようとした。

 この騒ぎを収拾したのは子供たちだった。グロッタで生まれ育った彼らは、すでに成人した者も未成年者も共通して、第一世代の動揺が理解できなかった。外の世界への郷愁など持ち合わせていなかったからである。
 幼少時から大人たちの身勝手さに振り回され、すっかり嫌気が差していた彼らは、この混乱の隙を突いて、第一世代を全員拘束した。狼狽し憤慨した大人たちは、解放してくれるなら「重大な秘密」を教えてやろう、と持ち掛けたが、子供たちは耳を貸さなかった。

 取調べも行わず、釈明も許さず、刑を執行した。騒ぎを起こした原因は帰還派にあり、より罪が重いとして、自死と廃人化の二択を迫った。自死を選んだのは一人だけで、残りの者(何人だったのかは不明)は大脳皮質を破壊されて眠りに就いた。いつか誰かが救い出して治療してくれることを期待したのだろう。しかし、その日が来ることはなかった。
 より多数の残留派は、グロッタの中枢部から遠い一画に隔離された。未成年者たち(第二世代および第三世代)の中で、第一世代の影響を受けて素行が悪い者も、離れと呼ばれることになったその区画に送られた。

 こうしてグロッタの秩序を取り戻した第二世代だったが、一年と経たないうちに親を真似るように派閥争いを始めた。結局、彼らも退屈だったのだ。あくまでも第一世代を反面教師とするため、麻薬の使用や亜人の虐待は行われなかったし、表面上は未成年者たちとともに規律を守っていた。
 第二世代は親たちを心底軽蔑していたため、彼らによって開発製造された生体端末たちにも関心を持たなかった。グロッタは生体端末を保管するための場所として造られた、という主張も信じなかった。
 三十体の生体端末は、半ば放置されることになった。それ(彼女)たちのメンテナンスをするのは、介護寝台と亜人たちだった。介護寝台は、身体の洗浄や排泄物の処理から、寝返りを打たせたり微弱電流で筋肉を刺激することまで、完全自動である。生体端末たちは食物の咀嚼と嚥下は反射で行えるので、食事だけは亜人による介助で行われた。

 離れに隔離された第一世代は、生体端末に対する第二世代の無関心を承知していたため、敢えて生体端末を取り戻そうとはしなかった。第二世代のうち、クラウディオだけは生体端末の重要性を理解していたが、彼もまたそのことには無関心だった。
 廃人化され、グロッタの最下層区画に放置された第一世代たちも、生体端末と同じく介護寝台によって生かされていた。彼らは栄養補給も点滴に頼っており、生体端末以上に「生ける屍」だった。

 第二世代は、第一世代と非行少年たちが離れで何をしようと好きにさせていた。彼らは麻薬を合成し、自分たちの肉体を弄り回して改造した。彼らを仕切っていたのが、グロッタの全住人の中でも最年長の男だった。グロッタの完成時には32歳、『ラ・イストリア』本編(2244年パート)では72歳になっていたが、若返り技術によって外見は十代前半の肉体を取り戻した。
 この若返りは一時的なもので、延命等の効果はないとされるが、第二世代の成年者たちは、自分たちが知りえない技術を第一世代が有していることに、少なからず衝撃を受けた。特に、ピラールという名の24歳の女性は、若返りの秘密を手に入れたいと願い、この「72歳の少年」の息子であるクラウディオに、父親から情報を引き出させようと画策を始めた。

 同じ頃、クラウディオは同じ第二世代の一人であるエクトルに懇願され、精子同士を接合して子供を作る計画に協力していた。接合は成功し、胎児は人工子宮内で無事育っているかに見えたが、25週目のある日、突如癌細胞が異常増殖し、わずか一日でで腫瘍の塊と化してしまう。
 原因はウイルスによる感染なのは明らかだった。また、この未知の病原体が人工子宮の内膜組織の生体防御機能を凌駕するほど強力であることも深刻な事実だった。それを理解していながら、第二世代たちはこの危機を派閥争いの材料としか見做していなかった。

 しかしその矢先、疫病の襲来を待つまでもなく、クラウディオとたった1体の生体端末を残して、グロッタの住人たちは亜人も含めて全滅する。この1体だけ残された生体端末は、後にブランカ(Blanca 「白」の意)、そしてビルヒニア(Virginia 「処女」の意)と呼ばれることになる。ブランカ/ビルヒニアのクローンたちが、『グアルディア』のアンヘルとアンジェリカたちである。

 グロッタで生体端末を製造する極秘計画は、遺伝子管理局のトップたる「管理者たち」の勅命、と先述した。しかしそれは、あくまでグロッタの第一世代たちの主張である。管理者たちはいつか戻ってくる、とも彼らは主張していた。だがそれがいつなのか、子供たちには決して告げなかった。
 第二世代の成人であるオスバルドは、管理者たちの実在そのものを疑っていた。『ラ・イストリア』では、その疑念に対する答えは明らかにされない。

 先述のとおり「グロッタ grotta」は「洞窟」を意味するイタリア語だが、この語から派生したのが「グロテスク」(grottesc、英語形はgrotesque)である。グロテスクのスペイン語形はgrotesquerieだが、「グロッタ」に対応するスペイン語はない。
 グロッタの全滅から5年後、行き倒れていたクラウディオはマリア・イサベル(マリベル)という女性に助けられる。グロッタでの退廃した半生を打ち明けられたマリベルは、(「グロッタ」という語を知らなかったこともあって)「グロテスクなグロッタ」と評する。

関連記事: 「大災厄」 「生体端末」 「封じ込めプログラム」

 以下、ネタバレ注意。

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椿事

 カテゴリー「お知らせ」に書くべきことが、こんなに頻繁にある(仁木稔基準で)、ということがですが。

 12月10日、『S‐Fマガジン』50周年記念企画として、『Sync Future』という書籍が刊行されます。「日本を代表するSF小説25作品」から、国内外で活躍するクリエーター25名が着想を得て描き下ろしたイラストを収録したアートブックです。
 その25作品の一つに、『グアルディア』を選んでいただきました。イラストを描いてくださるアーティストは、『アフロ・サムライ』の岡崎能士氏です。たいへん光栄なことです。

 他の作品、クリエーター各氏をざっと挙げると(敬称略)、磯光雄×飛浩隆(『グラン・ヴァカンス 廃園の天使』)、今井トゥーンズ×桜坂洋(『スラムオンライン』)、小原秀一×吉村萬壱(『バースト・ゾーン――爆裂地区――』)、菊地大輔×野尻抱介(『太陽の簒奪者』)、刑部一平×冲方丁(『マルドゥック・スクランブル』)……といった、錚々たるラインナップです。
 このうち、神林長平氏の「雪風」シリーズと森岡浩之氏の「星海」シリーズのイラストは、コンテストで選出された最優秀作品になります。

 またイラストだけでなく、各界著名人10名によるコラムやインタビューも収録され、読み応えのある内容になると思います。というわけで、私も楽しみにしています。

『Sync Future』紹介ホームページはこちら。

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イングロリアス・バスターズ

 朝一の上映に行ったらすごく混んでて、まさか『イングロリアス・バスターズ』じゃあるまい、じゃあなんだろうと思ったら、『マ○ロス』だった。

 それはともかく、久し振りに映画を観てハイになれた。「タランティーノ映画」として観た場合、150点をあげてもいい。が、これは『キル・ビル』でも『デス・プルーフ』でも奴を見捨てなかった忍耐の歳月、「あいつはやればできるはず」という、次第に絶望的になっていった期待がようやく報われた多幸感が含まれている。「タランティーノ映画」ってのを差し引いたら、まあ78点くらい?

 とにかく、手間暇掛けて丁寧に、わざと下手くそに作った映像は、一本くらいならまだ「馬鹿でえ」と笑えるが、三本ともなると(しかもどれも馬鹿長い)もう心底うんざりさせられたので、今回は見ていて終始幸せだった。まあ上記のとおり、あらゆる点に於いて「『キル・ビル』と『デス・プルーフ』よりずっとマシ」という解放感が含まれた至福ではあるんだけどね。

 だべりが長いとか、やたらと引っ張るといった、タランティーノの特徴(端的に短所ともいう)である冗長性は相変わらずだが、かろうじて「作家の個性」で済ませられるラインに留まっている。長々しいだべりも、一応は必要な情報を伝える役割は果たしているし。構成も巧くまとまっているし。どこまでも、『キル・ビル』と『デス・プルーフ』に比べれば、なんだが。

 タイトルは「イングロリアス・バスターズ」だが、一応主軸となるのは家族をナチに殺されたユダヤ人の少女ショシャナの復讐譚である。
 アメリカ軍傘下のナチ虐殺ユダヤ人部隊「バスターズ」とショシャナは、最後まで接点を持たないわけだが(これは欠陥と見るべきであって、「タランティーノらしい」と思ってはいけないんだろうな。私はもはや後者の境地だ)、唯一両者と接点を持つのが、「ユダヤ・ハンター」の異名を取るSS将校ハンス・ランダである。
 このランダ大佐を演じるクリストフ・ヴァルツが素晴らしい。目つきと下睫毛がピーター・オトゥールに似ている(顔は似ているわけではないが、同系統だとは言える)。つまり、変態ぽい。
 実際、ランダ大佐のキャラクターは語学に堪能で優雅な知的サディストで、ドイツ人にしては食道楽のようでいて実は食べ物を粗末にする。そして最終的にはへたれである。キャストが別の俳優だったら、『イングロリアス・バスターズ』の魅力は半減していただろう。
 1956年生まれで、役者としてのキャリアは30年近いという。ハリウッドには知られていない、すなわち日本でも知られていない優れた役者は、まだまだたくさんいるのだなあ。

 ほかのキャストたちも、全員いい仕事をしているのである。ブラッド・ピットはやはり、馬鹿というか頭が空っぽな役がとても巧い。『バーン・アフター・リーディング』に引き続き、ブラピ目当てのお嬢さん方にはお気の毒だが。ナチをバットで殴り殺すイーライ・ロスをはじめとするバスターズの隊員たちも揃ってアホ面下げていて、こんな連中に殺されるナチの兵隊さんたちはつくづく気の毒である。
 バスターズでは、イーライ・ロス、オマー・ドゥーム、マイケル・バコールが『デス・プルーフ』に出演していたそうで、確かに『デス・プルーフ』のパンフレットには名前が載ってるけど全然思い出せん。

 ダイアン・クルーガーは、高慢なドイツ人女優、でもスパイとしては二流どころ、という役が大変嵌っていた。役柄のイメージとしては、もう少しごついほうがいいかもしれない気もするが、ここまで嵌っている役は初めてなんじゃないだろうか。全部の出演作を観たわけじゃないけど。年齢が上がったことで、却って味が出てきたのかもしれない。
 今回、ヒロインは金髪だが、フランス系なのでそれほど大柄ではなく、タランティーノの好み(金髪碧眼のでかい女)からは少々外れる。クルーガーはその条件を満たしており、だからなのか、今回タランティーノの脚フェチを担ったのは彼女でした。ギブスから覗くペティマニキュアね……

『キル・ビルvol1』で脚フェチを請け負ったジュリー・ドレフュスは、パンフレットを見るまで気が付かなかったのだが、ゲッペルスの通訳兼愛人の役で出ていた。『キル・ビル』の時は素人っぽかったのに、ずいぶん貫禄を増している。前回に引き続き今回も「同時通訳ネタ」をやっていた。ドイツ語→フランス語だったんで、日本人にはおもしろさが解らなかったわけだけど。

『キル・ビル』に於けるルーシー・リューとユマ・サーマンの日本語のレベルを、本人たちとタランティーノが果たして判っていたのかは不明だが、今回は「アメリカ人は外国語が苦手」という自虐ネタが物語の上で大きなポイントとなっていた。
 片言でも話せれば「外国語ができる」と思い込み、流暢に話せる必要が生じる可能性など想像もせず、いざそういう場面に追い込まれると為す術もないアメリカ人と、アメリカ人に比べればだいぶマシだが、そこそこ話せるだけで「ネイティブ並み」と思い込み、ネイティブにはバレバレなイギリス人、という対比もおもしろい。ただし、あのイギリス人将校を演じた役者は、アイルランド育ちのドイツ人だそうである。

 ヒロインのメラニー・ロランは、巧いけどそれほど突出もしてなかったな。まあ、ほかの役者が強烈すぎるせいだろうけど。

 以下、一応ネタばれ注意。

 結末は思い切り歴史改変になっているわけだが、映画業界全般に於いて時代考証が目を覆いたくなるほど蔑ろにされているにもかかわらず、こういう形の改変が存在しなかったのは、不思議といえば不思議である。チャップリンの『独裁者』は、戦争中に作られた作品だしな。
 それだけ史実が重すぎるということではあるんだけど、その重く悲惨な事実が、作品をエモーショナルなものにする材料にされてきた、と言えなくもないわけで、そういう意味ではタランティーノの選択は、誠意のあるものだと言える。

『キル・ビル』感想

『デス・プルーフinグラインドハウス』感想

『ジャンゴ 繋がれざる者』感想

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ホスローとシーリーン

 岡田恵美子・訳、平凡社東洋文庫、1977年刊。

 イルアース・ビン・ユースフ・ニザーミー(1140頃~1209)は、現在のアゼルバイジャン生まれの詩人。邦訳ではほかに『ライラとマジュヌーン』『七王妃物語』(ともに東洋文庫)が出ている。
 イスラム古典文学のうち、フィクションでこれまで読んだものは『王書』、『アラビアン・ナイト』(原典からの訳)、『ハーフィズ詩集』、『マナス』のみ(いや、『アラビアン・ナイト』は全18巻もあるんだが)。
『ハーフィズ詩集』以外の三点、『王書』はペルシアの王者や勇士たちの物語、『マナス』はキルギスの英雄叙事詩、『アラビアン・ナイト』は幾つかのタイプの話があるが、割合として一番多いのはやはり男たちの冒険物語である。これらすべてに共通しているのは、「男が女を助けるエピソードが一つもない」ことだ。
 助けるどころか、守ろうとさえしていない。そして女たちの多くは男装して馬を駆り、男顔負けの武勇を誇る。主人公たる英雄たちは、そんな女たちに打ち負かされそうになったり、実際に打ち負かされたりしている。キルギスの英雄マナスは、ある姫君に夜這いを掛けたはいいが反撃され、動顚のあまり相手に肋骨骨折の重傷を負わせて逃げ帰るという醜態を晒している。

『アラビアン・ナイト』では、女の自立性はより明確だ。男は皆考えなしで、状況にただ流されていくだけか、あるいは好奇心に突き動かされて後先考えずに行動し、いずれにせよのっぴきならない状況に陥る。それを女たちが、ちょっとした親切、或いはより積極的に深い知恵や魔法、或いは武勇で助けてくれるのである。
 まあいくらイスラムの権威が、女は弱くて劣っているから男がしっかりしろ、と説いたところで、男の本音としては苦労して女を御し続けるより、女に助けてもらって楽したい、ってことだよねえ。

 つまり『アラビアン・ナイト』に見られる女の自立性は、男の身勝手の表れ以外の何ものでもないわけだ。男があちこちふらふらしてるうちに、そこかしこで女といい仲になり、この始末をどうつけるつもりだと思ってたら、「みんなで仲良く妻になりました」……そう来たか。
 或いは、新婚夫婦が砂漠を旅していたら、夫のほうが珍しい鳥を見かけてふらふら後を付いていってそのまま行方不明になってしまう。妻は身を守るため男装し、いろいろ冒険をしているうちにある王女と結婚させられる。その王女に正体を打ち明けると、自分の夫がどんなに素晴らしい男かを説いて、「一緒に妻になりましょう」。
 そのまま王女の婿として王位に就くと、ほっつき歩いていた夫を探し出して宮殿に連れて来る。そして自分が対面しているのが妻だとはまったく気づかず異国の王(男)だと思い込んでいる夫に向かって、夜伽をせねば処刑する、と迫る。殺されるよりは……と夫が泣く泣く寝所に赴くと、そこで正体を明かし、めでたく夫は王に、妻とその妻だった王女は王妃に、とか……

 イスラム圏でも経済的事情で庶民のほとんどは実質一夫一妻を続けてきたというから、やっぱりハーレムって男の夢(妄想)なんだね、と呆れるのを通り越して感心させられたものだが、そんな妄想ばっかり見せ付けられてもなあ。

 で、ようやく『ホスローとシーリーン』に戻る。ホスローは、ササン朝ペルシアのホスロー2世(在位590-628)で、シーリーンはアルメニア王家の架空の女性である。一説によると彼女は実在し、ササン朝最後の皇帝ヤスデギルド3世はこの二人の孫だそうだが(青木健『ゾロアスター教史』刀水書房、2008)、作中では子を残さず死んでいる。
 フェルドゥスィーのとにかく長大な『王書』(邦訳はその一部)や説話集『アラビアン・ナイト』、口承文学の『マナス』に比べて、ホスローとシーリーンの恋愛だけにテーマを絞った本作品は読みやすい。岡田氏の訳文は、岩波文庫版の『王書』では特に読みやすくもなかったので、やはり原文の構成がしっかりしているのだろう。
 読みやすさの一つとして、表現の多彩さが挙げられる。これまで読んだイスラム古典文学では、特に美女の描写が紋切り型、しかも頻出するので辟易させられたが、『ホスローとシーリーン』では紋切り型から離れていないとはいえ、毎回手を変え品を変えて表現にヴァリエーションを持たせているので、なかなかにおもしろい。

 しかし本作品の魅力は、その大半を占めるホスローとシーリーンの駆け引きに尽きる。本文約340頁中、最初の数頁でホスローがシーリーンの存在を知ってから、実際に二人が結ばれるまで、実に300頁近く掛かっている。そこまで紆余曲折あったのは、ほとんどホスローが原因なんだが。
 ペルシアの若き王子ホスローは、優れた絵師シャープールからアルメニアの女王の姪シーリーンの話を聞き、是非ものにしたいと思う。そこでシャープールはアルメニアに赴き、シーリーンにホスローの肖像を見せる。ホスローに恋した彼女は、男装して王宮を脱け出し、ペルシアへ向かう。ところがホスローはシーリーンを待ちきれずにアルメニアに向かうので二人は行き違いになる。

 いろいろあってようやく二人は巡り合うのだが、その間にホスローの父ホルミズド4世はクーデターで殺され、王位はバフラームという男に奪われる(これは史実)。それにもかかわらず、ホスローはシーリーンにうつつを抜かし、「とにかくやらせろ」と迫るので、彼女は「王位を取り戻すのが先でしょう」と叱咤する。
 ホスローは「そっちから誘ったくせに説教するとは何事か」と激昂してシーリーンの許を去り、その勢いで簒奪者バフラームを倒し、王位に就く。そしてビザンティン皇帝と同盟を結び、その皇女マルヤムを妃に迎える(これも史実)。しかし怒りが冷めると、シーリーンが恋しくなる。

 シーリーンは伯母の跡を継いでアルメニアの女王になったが、ホスローへの想いを絶ち難く、やがて他人に王位を譲ってペルシアへ行く。しかし皇后マルヤムは愛人の存在を絶対許認めず、またシーリーンも自分を唯一の正式な妃にしない限り身を許す気はないので、ホスローは彼女を都から遠く離れた山城に住まわせる。
 やがてマルヤムが死んだので障害がなくなったと思いきや、ホスローは今度はシャキャルという名の美女(シーリーンが「甘美」という意味なのに対し、「砂糖」の意)に心を移す。シーリーンは自分を正式な妃にし、自分だけを愛さない限り、絶対にホスローを許さない。ホスローはなんとか彼女を誤魔化そうとし、散々に甘言を弄するが、ついに折れて彼女を妃に迎える。

 おもしろいのは、ホスローが女たちに不実でいることについて罪悪感を抱くことである。だったら最初から一人に絞っとけよ、とも思うが。また、ペルシア皇帝の地位を笠に着て女たちに対して強く出ることもない。マルヤムに対しては、簒奪者を倒せたのは彼女の父親の協力のお蔭という遠慮もあったんだろうけど、シーリーンに対しも、ひたすら弱腰である。手厳しく跳ね除けられては、側近に向かって、或いは独白で彼女の頑固さを罵るのだが、本人を前にしては下手にしか出られない。
 さらに、マルヤムとシーリーンが正式な妃の座を要求し、ほかの女の存在を認めなかったのに対し、そうした要求をしなかったシャキャルは、すぐにホスローに飽きられてしまう。

 ホスローは晩年、息子のシールゥエ(史実ではカワード)によって幽閉され、忠実に侍るのはシーリーンだけとなる。そしてついに就寝中、息子が差し向けた刺客によって暗殺されるのだが、目覚めて己が死に瀕していることに気づいた王は、傍らで眠るシーリーンを呼ぼうとするが、彼女に自分が苦しむ姿を見せてはいけないと思い直し、一人で死んでいく。
 この場面は感動的ですらある。まあこれも男の身勝手といえばそうなんだけどね。

 時代設定がイスラム以前とはいえ、イスラムに於ける男女観、恋愛観へのイメージが変わる作品である。
 また、これより二百年ほど前に書かれた『王書』では、登場人物たちがムスリムでないことがぼかして書かれているのに対し、本作品ではその旨明記され、「拝火教徒でさえこれだけ立派な行いができるのだから、イスラム教徒と自称するだけで行動が伴わないくせに拝火教徒を蔑んでいる輩は恥じ入るがいい」といったことが述べられている。非アラブ圏に於ける復古主義の発展が見て取れておもしろい。

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知性機械

 08年8月の記事に加筆修正

 シリーズの基本設定の一つ。衛星軌道上に浮かぶ、十二基の巨大コンピュータ。これらが地上を監視し、膨大な情報を処理することによって、遺伝子管理局の支配体制を支えている。十二基にはそれぞれ管轄地域があり、複数の監視衛星およびその地域で稼動するすべてのコンピュータを管理する。本体は直径300mの球体外殻に納められている。

 21世紀初頭に地上で建設された後、打ち上げられた。地上に戻ってくることも可能だが、着陸できるのはそれぞれ元あった場所(建設場所)に限られる。動力源となる核融合炉などの設備(地中にある)との連結が必要なため。衛星軌道上では別の動力源を用いているわけである。

 現段階で判明している各国語での呼び名は、英語ではinteligence。スペイン語ではインテリヘンシアinteligencia(より正確には定冠詞がついてla ingeligencia)、ロシア語ではインテレクトинтеллект。これだけだと実際には、単に「知性」って意味なんだが、そこはそれ。
 ペルシア語(作中では「タジク語」)ではマーシーネ・フーシュ(ラテン文字表記:mashine hush。mashine ~の機械、hush 知性)で「知性機械」。

『グアルディア』と『ラ・イストリア』に於いて、ラテンアメリカ(中南米)地域を管轄する知性機械は「サンティアゴ(聖ヤコブ)」と呼ばれる。これは通称(俗称)である。正式名称については、今のところ言及されていない。ほかに言及された知性機械は、ヨーロッパ地域とアングロアメリカ(北米)の二基。通称はそれぞれ「聖ヤコブ(ヨーロッパ)と聖ヨハネもしくは聖アンドレアス(北米)。
 要するに十二使徒の名で呼ばれていたわけだが、これはキリスト教圏内に限られる。北米出身のカロリーヌ・ティシエによると、定着していたのはラテンアメリカの聖ヤコブとヨーロッパの聖ペテロくらいだった(そもそも十二使徒の成員からして諸説ある)。文化、地域、時流などによって、十二基の通称はさまざまだったと思われる。

 ヨーロッパが「聖ペテロ」だったのは、彼が最初の弟子であり、また初代ローマ教皇と見做されているからであろう。また、ラテンアメリカが「聖ヤコブ」なのは、彼がスペインの守護聖人だからスペイン系の多いラテンアメリカで好まれたためであろう。さらには、アステカの主神ウィチロポチトリは聖ヤコブに習合されていることも無関係ではあるまい(ウィチロポチトリは軍神であり、聖ヤコブも異教徒を撃退した軍神的性格を持つ)。
 なお、知性機械サンティアゴの帰還場所(建設場所)は、ベネスエラのギアナ高地(スペイン語ではグヤナGuyana)にあり、スペインの聖地コンポステーラ(Conmpostela「星の野」の意。聖ヤコブの遺骸が祀られているとされる)の名を付けられている。誰の命名かというと、遺伝子管理局だろうな。

 北米の知性機械の通称は、22世紀以前は聖ヤコブの弟、聖ヨハネ(セイント・ジョンSaint John)が一般的だった。しかし23世紀半ばには、それまで幾つもあった少数派の一つでしかなかった聖アンドレアス(セイント・アンリュー Saint Andrew)が主流となる。
 聖アンドレアスは、聖ペテロの弟である。通称の変化の要因は、大災厄に伴うさまざまな情勢の変化である。1.中南米との関係悪化、2.ヨーロッパからの大量難民、の二つによって、中南米(聖ヤコブ)よりヨーロッパ(聖ペテロ)寄りになり、3.さらにヨーロッパ難民の中でもアングロサクソン系が台頭したため(聖アンドレアスはスコットランドの守護聖人)、などが挙げられる。
 なお、サンティアゴ(聖ヤコブSantiago)の英語形はセイント・ジェイコブSaint Jacob。

「インテリヘンシアinteligencia」には、「知性」のほか、「天使/神/霊魂」の意味がある。そのため『グアルディア』では、民衆は「知性機械inteligencia聖ヤコブ(サンティアゴ)」を「サンティアゴの霊魂」すなわち聖人自身だと見做した。
 ちなみにSantiagoの一般的なカタカナ表記には「サンティアゴ」と「サンチャゴ」の二つがあるが、スペイン語圏での発音もこの二つである。きちんと発音すると「サンティアゴ」で、簡略化というか音便化すると「サンチャゴ」になるのだろう。

 各知性機械の管轄する領域の境界は、おそらく明確に線引きされているわけではなく、少なくとも幅数百キロにわたって領域が重なり合う境界地帯があると思われる。
『ミカイールの階梯』にも知性機械が登場する。その管轄範囲、マルヤム・ミカイリーによると「ファールス(ペルシア)湾からアルタイ山脈まで」。推定される地域はイラン、アフガニスタン、旧ソ連中央アジア、新疆ウイグル自治区など。境界地帯として、バルカン、アナトリア、カフカス、パキスタン、中国の甘粛、青海、内蒙古なども含まれるであろう。つまり、ユーラシアのイスラム圏(ムスリムが一定以上の人口を占める地域)からアラブ世界および南アジア、東南アジアを除いた範囲。

 最もよく使われていた通称は、「ミカイール Mikail」だった。当然ながらムスリムたちによる呼び名で、ユダヤ/キリスト教の大天使ミカエルに当たる、イスラムの偉大な天使である(アラビア語でもペルシア語でも発音は「ミカイール」)。
 ほかに明らかにされている通称は、「聖シモン」と「馬(天馬)」。前者はキリスト教徒によるもので、ロシア語(作中では「ルース語」)では「セミョーン Сеmён」。後者はキタイ(中国)人およびモンゴル人による。
「聖シモン」は、彼がペルシアで殉教したという伝説に因むのだろう。どの程度使われていた通称なのかは不明。ヨーロッパや南北アメリカなど他地域のキリスト教徒たちはこの名で呼んでいても、現地のキリスト教徒たちはミカイール(ミカエル)の名で呼んでいた可能性もある。なお、ロシア語でミカエルは「ミハイル Михаил」。

「馬」は十二支に因む(モンゴルでも干支は使用される)。かつて西域と呼ばれたペルシア、中央アジアは名馬の産地であり、テングリ大山系(天山)中の大草原で産する馬は、その見事さから「天馬」と呼ばれた。また、玄奘三蔵も『大唐西域記』に於いて、この地を「馬主の国」と呼んでいる。「馬」はこの地域を管轄する知性機械の通称として、相応しいものと言えるだろう。

 イスラムに於いては、ミカイールはジブリール(ユダヤ/キリスト教のガブリエル)と並んで重要な天使ではあるが、より重要なのはムハンマドに啓示を与えたり、彼を階梯(ミィラージュ/メァラージュ)で天へと導いたジブリールのほうである。
 このことから推測されるのは、「ジブリール」と呼ばれた知性機械があるということである。その管轄地域はおそらく、ペルシア湾より西のアラブ世界 (アラビア半島および北アフリカ)であろう。
 また、中国人とモンゴル人が十二支を知性機械の通称に当てていたということは、中国文化圏およびモンゴル文化圏は一基の知性機械の管轄地域であると推測される。その知性機械の通称は、まず間違いなく「龍」であろう。

これまでに登場もしくは言及の知性機械とその通称

 ・ 中南米(ラテンアメリカ): 「サンティアゴ(聖ヤコブ Santiago)
 ・ 北米(アングロアメリカ): 「セイント・ジョン(聖ヨハネ Saint John)」
                「セイント・アンドリュー(聖アンドレアス Saint Andrew)」
 ・ ヨーロッパ: 「聖ペテロ」
 ・ イラン・トルコ・中央アジア: 「ミカイール(Mikail)」
                  「聖シモン」/「馬(天馬)」

存在が推測される知性機械とその通称

 ・ アラブ世界(アラビア半島・北アフリカ): 「ジブリール(Jibril)」
 ・ 東アジア・北アジア: 「龍」

 昔のSFでは、巨大コンピュータはなぜか自爆装置が付いているのがお約束だったが(「敵に渡すくらいならいっそのこと……」だからなのか、「男のロマン」だからなのか)、知性機械には自爆装置はありません。
 レーザー照射衛星が打ち上げられた本来の目的は不明だが、知性機械が万が一落下した場合、破壊して地表への被害を少なくすることも想定されていたと思われる。

関連記事: 「遺伝子管理局」 「絶対平和」 「封じ込めプログラム」

 以下、ネタばれ注意。

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25世紀中央アジアの食糧事情

 HISTORIAシリーズの大前提となっているのは、22世紀末に始まった「大災厄」である。『ミカイールの階梯』の舞台である中央アジアにもたらされた災厄のうち、とりわけ大規模なものの一つが、草食禽獣の激減だった。
 これは、大災厄の比較的早い時期に起きた。最初期の災厄であるエウロパ(欧州)大飢饉によって大量の難民がエウロパの外へと溢れ出している最中である。原因は腸内微生物の変異で、特に馬および反芻動物(ウシ科、シカ科、ラクダ科)への被害は深刻だった。
 発生源は、ユーラシア西部ということ以外は判っていない。エウロパ大飢饉の原因である土壌微生物の変異は、おそらく他地域に波及することはなかったが、草食禽獣の腸内微生物の変異は急速にユーラシア全土に広がり、食糧危機に拍車を掛けた。

 この災厄に、キタイ(中国)人たちは犬を遺伝子改造することで対応しようとした。当時はまだ遺伝子工学が完全に衰退しきってはいなかったのでる。肉犬(小型の豚のような外見)、駄犬(運搬用の大型犬。農耕にも使用可能であろう)、緬犬(毛を採る)など、目的に応じた品種が開発された。
 25世紀に残る伝説によると、キタイ人たちは遺伝子改造技術に長け、さまざまな改造生物を造り出したという。史実だとすれば、彼らがそうしたのは、遺伝子管理局の衰退によって遺伝子改造技術が民間に流出してから、文明がすっかり退行するまでの数十年間の時期であろう。

 これらの犬たちは、テングリ大山系一帯にも普及した。また同地に於いてはイスラムの流れを汲む信仰が支配的だったが、豚肉に対する禁忌も失われていた。
 しかし犬は雑食とはいえ一定割合以上の蛋白質性飼料が必要であり、豚も腸内微生物の増殖を抑えるため、穀類中心の飼料を与えねばならない。
 犬や豚より安価に容易に生産できる「肉」が、旧時代の技術によって製造される「人造肉」であった。
 この技術を、時の権力者に庇護と引き換えに提供していたのが、テングリ大山系中に隠棲するミカイリー一族である。

 人造肉には組織培養と合成蛋白の二種類があり、脂肪その他の添加物を混ぜて「精肉」する。この二種類の人造肉は災厄が進行中の23世紀半ばにも広く普及していたようで、『ラ・イストリア』で言及されている。
 食肉の組織培養は22世紀以前、遺伝子管理局の時代にも行われており、おそらく重要な産業だったと思われる。当時は人工子宮によって培養し、屠畜された本物の肉と遜色ない品質だった。
 だが人工子宮が使用不可能になってからは、幹細胞を筋細胞に分化させて培養するのは相当困難になり、当然ながら品質も劣化した。それでもコストが掛かる分、培養肉は合成肉より「高級」とされる。合成蛋白質は、飼料にも利用される。

 なおキタイ人たちは、「乳犬」は造らなかったようである。おそらく彼らはあまり乳製品を摂取しないので、開発しようとしなかったか、少なくとも熱心に取り組まなかったのだろう。『ミカイールの階梯』の25世紀半ばの時点、或いはそれ以前の時代に、犬の乳が食用とされていたかは不明である。

 ちなみに、群れる習性の家畜を使った地雷除去は、アフガン戦争でゲリラが実際に行っている(この場合は羊。他の地域・時代でも行われているだろう)。

 人類をはじめとする多くの種が疫病で絶滅しなかったのは、病原体が弱毒化したからだと推測される。ミルザ・ミカイリーの説によれば、変化したのは病原体だけでなく宿主も同様で、新たな共生関係が築かれたのだという。
 25世紀半ばの中央アジアでも、草食禽獣の個体数は回復に向かいつつあったが、人造肉に頼るテングリ大山系一帯の住民は、もはや草食の家畜(遊牧民が「五畜」と呼ぶ、馬、牛、羊、山羊、駱駝)をほとんど飼わなくなっていたので、この事実に気づくのが遅れた。例外は、荒廃がひどいため中央アジア共和国からもマフディ教団からも見捨てられたイリ大渓谷だけだった。この地はかつて、名馬の産地として名高かった。

 西北のカザフ・ステップでは、人造肉の技術などとうに失われていたため、五畜の増加に伴って人口も急速に増加した。腸内微生物の弱毒化、もしくは宿主との新たな共生が始まったのは、東よりも西のほうが早かったようであるが、しかしそれはせいぜい100年ほど前だったと思われる。

関連記事: 「テングリ大山系一帯」 「マフディ教団と中央アジア共和国」 「ミカイリー一族」

       「大災厄」 「コンセプシオン」 

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ミカイリー一族

初出は09年5月。同8月に加筆修正したものを再度加筆修正。

『ミカイールの階梯』に登場。テングリ大山系(天山山脈)東南部に隠棲する一族。日常的に使用する言語はタジク語(と呼ばれるイラン語の一種を指す)だが、ルーツがどの地、どの民族であるかは不明。
「ミカイリー Mikaily」は「ミカイール Mikail(ミカエルのアラビア語/ペルシア語形)の眷属」の意。ミカイリー一族の存在はテングリ大山系一帯では半ば伝説として広く知られており、かつてこの地を治めた天使ミカイールから、いにしえの知識を与えられた一族、と伝えられている。
 彼ら自身は、旧時代の遺産を守護するという使命を「創造者たち」から与えられた、と称する。

 2447年の時点で、一族の総勢は千人ほど。おそらく元はラテンアメリカ地域の「グロッタ」の住人たち(『ラ・イストリア』)のように少数(せいぜい数十人)の集団であったが、徐々に外部の人間を仲間に加えていったと思われる。
 しかし災厄の中に在って遺産を守るという使命のため、閉鎖的にならざるを得ず、近親交配の率は高い。有害な変異が表に出ることがないよう可能な限りの操作が行われており、グワルディア(精鋭部隊)や殺戮機械パリーサといった遺伝子改造体の家系とは違って、一見障害は現れていない。
 だが250年以上の永きにわたって保持されてきた科学技術はもはや完全ではなく、対処しきれない微細な変異が蓄積している。子供の死亡率の高さは、その一例であろう。

「遺産を守る」という使命の象徴とされるのが、「ハーフェズ」(守護者/保管者の意)と呼ばれる者たちである。ハーフェズを、ハーフェズ以外の者と区別するのは、X染色体上に特別な遺伝子(「ハーフェズ遺伝子」と呼ばれる)である。ただし彼らはなんら特別な形質は持たず、「象徴」として他者と区別を付ける必要から、遺伝子組み換えによって虹彩の色を明るい黄色に変えられている。
 ミカイリー一族の当主は、必ずハーフェズの中から選ばれることになっている。したがってハーフェズとその家族が一族の支配層ということになるが、婚姻関係が錯綜しているため、一族内の身分の序列は曖昧で流動的である。
 外部の者を一族に迎え入れる際には、「刷り込み」という技術で旧時代の知識を一通り授け、一族の者たちとの知的レベルのギャップを軽減する処置が取られる。

 しかし半世紀余り前にテングリ大山系南麓一帯がマフディ教団に掌握されて以来、新たに一族に加わった者はほとんどいないと思われる。教団の偏狭な教えは、旧時代の知識とはあまりに相容れないからである。
 一族を出奔したソルーシュ(レズヴァーンの父)が連れて戻った信徒の娘と、その甥のアリアンは、数少ない例外ということになる。

 一族の領地は、テングリ大山系南斜面のクズル川流域一帯。当主の屋敷や研究施設など、幾つかの建造物は一族の創生期から在ったものである。
 また、クズル川が注ぐムザルト川北岸にある巨大な石窟寺院も、ミカイリーの領地に含まれる。この石窟寺院は、新疆ウイグル自治区最大の石窟寺院、キジル(クズル)・ミンウイに該当する。なお、「ミンウイ」はウイグル語で「千仏」の意。
 タリム盆地には幾つかの仏教石窟寺院がある。『ミカイールの階梯』に於いては、これらの遺跡は21、22世紀に遺伝子管理局によって修復・補強を受け、23、24世紀の戦乱と混乱をも潜り抜けたが、25世紀に入ると、ミカイリーの保護下にあったクズル・ミンウイを除き、すべてマフディ教団によって破壊されてしまっている。
 どーでもいいことだが、第七章で描写される窟室は、第38窟、通称「楽天窟」である。また青色顔料の原料であり宝石でもある瑠璃は、アフガニスタン産のラピスラズリ(ペルシア語名:ラズヴァルド)のこと。

 製肉技術をはじめとした旧時代の科学技術の数々を有力者たちに提供することで、結果的にミカイリー一族はテングリ大山系一帯の人々を生き延びさせてきた。また彼らは常に複数の有力者と関係を結ぶことで自らの安泰を図るとともに、テングリ大山系一帯の勢力均衡に寄与してきた。
 割拠する有力者たちがどれほどの非道を行おうと、一族の安寧を乱さない限り一切干渉しないことが、ミカイリーたちが培った処世術だったが、2442年(『ミカイールの階梯』本編の5年前)に若くして当主の座に就いた女性ティラーは、マフディ教団の腐敗を正し、苦しむ信徒たちを救おうとした。
 教団は彼女を暗殺し、ミカイリー一族を支配下に置こうと、露骨に干渉してきた。ハーフェズしか当主になれないという一族の慣習を無視して、ハーフェズでないミルザを当主に推した。
 この人選は、ミルザの血統(妹は暗殺された先代当主ティラー、父は先々代当主)に加えて、彼の人柄をよく知らない者には世俗のことに無関心なぼんやりした人物に見える(アリアンは「ぼんくら野郎」と呼んだし、レズヴァーンも一方的に嫌っていた)ため、御し易いと見做したのだろう。
 しかしミルザは、ハーフェズであるマルヤムとフェレシュテ母娘を伴い、中央アジア共和国へと亡命する。

 テングリ大山系の勢力均衡は崩れ、物語が始まる。

関連記事: 「テングリ大山系一帯」 「マフディ教団と中央アジア共和国」 

        「大災厄」 「絶対平和」 「殺戮機械」 「25世紀中央アジアの食糧事情」  
       
 以下、ネタバレ注意。

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4ヶ月、3週と2日

 いやな映画(褒めてます)。ネタバレが問題になるような作品じゃないが、一応ネタバレ注意。

 1987年、チャウシェスク政権下のルーマニアが舞台なんだが、「馴染みがない」と敬遠することはない。これは立派なディストピアものである。
 優れたディストピア作品は、ただ圧制に対する批判ではなく、どんなに「豊かで自由な」社会にも潜む抑圧(体制によって為されるとは限らない。「善良な多数派」も抑圧者となり得る)を炙り出す普遍性を持っている。

 当時のルーマニアでは人口増加政策によって堕胎が禁じられる一方、社会は出産や子育てにまったく適していない。違いは刑罰があるかないかだけで、現在の日本にも通じる状況だ。男が無責任なのは、どこでも一緒である。

 ……とか言いつつ、なんでもかんでも「現代の我々」に引き付けるってのは、現代の我々に「馴染みがないから」と敬遠するのと大して変わらん貧しい見方だと、実は思ってるんだけどね。

 監督の目的は、もちろん当時の批判とか反省とかそういうのんもあるんだろうけど、むしろヒロインをどん詰まりの状況に置くことにあったのではないか、と思う。極限状態とまではいかない、日常と数歩隔てただけの異常状態だ。
 そうであればこの作品は、そんな状況に於けるヒロインの心理を描くサイコ・スリラーである。

 ヒロインとルームメイトの関係が、めちゃきっつい。依存心が強い女と、文句を言いつつ面倒を見てしまう「親友」。よくある関係だが、閉塞した状況に置かれると、歪みが突出することになる。
 冒頭から、二人の関係は明らかだ。何もかも任せきりのガビツァと、文句を言いつつてきぱきと動く(でもかなり大雑把)なオティリア。
 ガビツァが闇医者に堕胎をしてもらおうとしているのだと判明するのは中盤になってからなのだが、それまでにこの女は必要な金をオティリアに工面させ、ホテルの予約こそ自分でしたが、遣り方がいい加減だったので予約が取れておらず代わりのホテルをオティリアに探させ、医者との待ち合わせにも体調不良を理由にオティリアを行かせ、感謝や謝罪は口先だけである。

 ホテルで医者と落ち合うと(この医者もオティリアが探したのである)、それまでガビツァがその場しのぎの嘘ばかりついていたことが明らかになる。面倒を先延ばしにすることで解決したと思い込むタイプだ。ああ、いるいるこういう女……別に女だけとは限らんが。

 堕胎するのは自分が望んだからなのに、まったく真剣みが欠けている。医者に用意しろと言われたビニールシート(ベッドが血だらけになったら、堕胎したことがばれる)まで忘れてくる始末である。ばれたら一番罪が重くなる(懲役4、5年)医者は当然怒るが、ガビツァはぽかんとしているだけだ。
 そんなガビツァに呆れつつも、よほど自分のことのように真剣だったオティリアだが、やはり彼女も認識が甘かった。かなり低く見積もった金額しか用意していなかったのである。

 ここに至ってもガビツァは困惑して口籠るだけで、「次の土曜までに必ず用意します」と断言するのはオティリアである。医者は鼻で笑い、彼女たちのどちらかの身体を要求する。嫌なら帰る、と言い捨ててドアに向かう医者を、初めてガビツァが必死になって止める。条件を飲むから堕ろしてくれ、と。

 もちろんガビツァは、オティリアが助けてくれると思っているのである。そしてオティリアは、そのとおりにする。

 いくらルームメイトで、この先もしばらくは付き合っていかなきゃならないとはいえ、なぜこんな馬鹿女にそこまでするのか理解できない。と言ってしまうのは簡単だが、おそらくガビツァは依存することでオティリアを支配しているが、オティリアも依存されることでガビツァを支配しているのだ。
 それは終盤、無事堕胎したガビツァが、「どこかに埋めてね。投げ捨てたりしないでね」とオティリアに胎児を託した後で明らかになる。オティリアは、一応埋められそうな場所を探しはするが、最終的に胎児をどこかのビルのダストシュートに投げ込むのである。たぶん最初から、そうなるだろうと自分でも予想していたのだと思う。ガビツァの胎児を投げ捨てることができるのは、オティリアしかいないからだ。
 そしてガビツァも、「埋めてね」とお願いしたのは、オティリアに本当にそうしたほしかったのではなく、ただお願いしたかっただけだろう。そして、もしかして埋めないで捨てたんじゃないかと思いつつ、それほど気にせずにこれからもオティリアに依存していくのだろう。

『4ヶ月、3週と2日』という意味ありげなタイトルがガビツァの妊娠期間を指しているのは明らかだが、「4ヶ月」は作中で述べられるが、「3週と2日」はどっから出てきたんだ。相手の男が一切登場せず、言及もされないのは悪くない演出だが、いつやったのが当たりだったのか、ガビツァ(とオティリア)が認識していた様子はない。「その日」を特定する演出がない以上、「3週と2日」という意味ありげな数字は宙に浮く。

 エンドクレジットに流れる、87年当時にルーマニアで流行ったと思しき明るくダサいポップスが、いやな感じを高めていてよろしい。

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トリビュート発売

 10日(火)発売ですが、一部の書店にはすでに並んでいるようなので。

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早川書房

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 参加する作家とトリビュートした作品は以下のとおり(50音順)。

  • 海猫沢めろん 『言葉使い師』
  • 虚淵 玄    『敵は海賊』
  • 円城 塔    『死して咲く花、実のある夢』
  • 桜坂 洋    『狐と踊れ』
  • 辻村深月    『七胴落とし』
  • 仁木 稔    『完璧な涙』
  • 元長柾木    『我語りて世界あり』
  • 森 深紅    『魂の駆動体』

 序文は神林氏が書かれています。

 私も含めて八人全員の作品が、神林氏のオリジナルを未読でも問題なく読めると思います。神林氏の八作品を全部は読んでいない、もしくは一作も読んでいない方でもどうぞ。氏の作品を一度も読んだことのない方も、神林ワールドへの入門書、もしくは案内書として本書を読んでみてはいかがでしょうか。

 以下、『完璧な涙』のことなど。

 4篇の短編から成る連作集です。表題作「完璧な涙」に出会ったのは中学生の頃でした。『S‐Fマガジン・セレクション』1985年版掲載。連作だと知ったのは少々遅くて、大学生になってからでしたが。
 デビューが決まった2004年春、「好きなSFは?」という塩澤編集長(当時)の質問に、『完璧な涙』と答えたのを憶えていただいていて、今回の参加となりました。

 73年生まれなので、80年代(+バブル期)はある意味「人生最悪の時期」とほぼ重なり、当時の文物は見るのも思い出すのもおぞましいのですが、唯一と言っていい例外が、80年代前半のSFです。
 子供向けでないSFを読み始めたのが84年頃。魅了されたのは、その近寄り難さゆえでした。12、3の子供には少々(~かなり)難解なのを背伸びして読んでいたというだけでなく、その硬質さがとてもかっこよかったのでした。特に日本SFは硬質さに加えて、ある種の澄明さがありました。

 今回の『完璧な涙』トリビュートは、神林作品も含めて80年代前半の日本SF、その硬質さと澄明さへのオマージュとして書きました。なので、文体もこれまでの仁木のものとは変えてあります(文体模写ではありませんが。そんな畏れ多いことはできない)。そんなわけで、よろしくお願いいたします。

追記:

「棠」の中国語の発音をラテン文字表記にすると「tang」になりますが、この「ng」は鼻音なので「ング」とは読みません。作中では敢えて「tongue」と掛けてあります。
 あと、「砂棠」という名の果物(の木)はほんとにあります。

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階梯

『ミカイールの階梯』のタイトルロール。ペルシア語の読みは「メァラージュ」。ラテン文字表記はme’raj。
 ちなみに「ァ」「’」と表記された文字の発音は、日本語にも英語にもない(喉の奥で「ア」と発音)。

『ミカイールの階梯』各巻表紙には、ペルシア語タイトルがアラビア文字で表記されている(意味はそのまま「ミカイールの階梯」)。そして目次の前頁に記載されたラテン文字タイトルは、ペルシア語タイトルのラテン文字表記ME’RAJE MIKAIL(読みは「メァラージェ・ミカイール」。メァラージェ:~の階梯)とその英語訳MICHAEL’S LADDERが併記される。
 このことから判るように、「階梯」とは天使が天地を往復するのに用いるangel’s ladderのことである。創世記に登場するこのイメージは、イスラムにも受け継がれた。
 クルアーンにはムハンマドがある夜、天使ジブリール(アラビア語名。ペルシア語名は「ジェブリール」。ユダヤ/キリスト教のガブリエルに当たる)に導かれ、天上へと旅したという神秘体験が記されているが、この天上への旅はその手段である「梯子」(アラビア語の読みはミィラージュmi’raj)の名で呼ばれる。なお、日本語のイスラム研究文献などではこの天上への旅を「昇天」と訳すが、日本語が持つ「人の死」の意味はないので注意。

『ミカイールの階梯』に於ける「階梯」は、知性機械ミカイールに一度だけアクセスし操作することができる力を持つとされる異能者の名称。ミカイールとはユダヤ/キリスト教のミカエルに当たり、イスラムではジブリールに次ぐ偉大な天使。21-22世紀に於いては、「ファールス(ペルシア)湾からアルタイ山脈まで」の地域を管轄する知性機械の通称だった。
 ミカイリー(「ミカイールの眷属」の意)一族は、「ハーフェズ遺伝子」と呼ばれる改造遺伝子をX染色体上に持つ「ハーフェズ(守護者/保管者)」を擁する。ハーフェズ遺伝子を一つ持っていればハーフェズで、二つ持つ者は階梯(メァラージュ)となる。つまり階梯になるには、両親からハーフェズ遺伝子を受け継ぐXXである必要がある。

 ハーフェズの能力は、分身(影)であるジン(妖魔)を持ち、そのジンを介してミカイリー一族の「創造者たち」すなわち遺伝子管理局の「管理者たち」に地上の情報を送る、と伝えられる。これについては、裏付けとなる資料等は存在せず、またハーフェズ遺伝子の機能も発見されていないことから、単なる伝説と見做されてきた。
 一方、階梯の能力については半信半疑といったところだが、伝承はさらに言う――ミカイールに階梯が架けられれた時(すなわちミカイールにアクセスした時)、階梯も一族も滅びると。
 つまり、階梯の能力が真実であろうとなかろうと、その力は使ってはならないものなのである。

 かくてミカイリー一族は、ハーフェズと階梯を、一族の結束を固めるための象徴的存在として扱ってきた。
 象徴に過ぎないとはいえ、ハーフェズと階梯はミカイリー一族にとって崇敬の対象である。一族の当主は必ずハーフェズから選ばれる。しかしその立場を利用して専横を為したりしないよう、その権限はかなり抑制されている。また、より特別な存在である階梯が当主となるのは禁じられている。

 後継者として当主以外にも一定数以上のハーフェズがいることが必要だが、あまり多すぎても継承を巡って混乱が起きかねないので、ハーフェズの生殖は避妊と人工授精によってコントロールされている。
 階梯はより特別であるがゆえに、人数は常に一人に抑えられている。階梯の両親が権力を拡大したりしないよう、母親となる女性もまた当主となることを禁じられ、故人の冷凍保存精子の人工授精によって次代の階梯を産む。

 階梯が高齢になると、次代の階梯を産むべく定められたハーフェズの女児が生殖操作で生み出される。彼女は「マルヤムMaryam」、すなわちマリアと名付けられる。預言者イーサー(イエス)を処女生殖で産んだ母親の名である(アラビア語形はミリアム)。母(次代の階梯にとっては祖母)の胎内に宿った時から、「男を知ることなしに」子を産むことを定められている、という図式は、カトリックの無原罪懐胎(インマクラーダ・コンセプシオン)を想起させる(もちろんイスラムに無原罪懐胎の観念はないが)。

『ミカイールの階梯』に登場するマルヤムは「マルヤム」として生まれてきたが、階梯が予定よりも早く死亡する場合もある。次代の「マルヤム」がまだいない、もしくは充分な年齢に達していなければ、その時いるハーフェズの女性たちの中から一人が選ばれることになる。そして、その女性は「マルヤム」と改名されることになるであろう。
「マルヤム」を例外として、ハーフェズたちの名は、レズヴァーン、ソルーシュ、ティラーなど、天使の名から取られる(ミカイール、ジェブリールなど「大物」天使の名は使われないようだ)。「天使」そのものの意味を持つ「フェレシュテ」の名を与えられるのは、階梯だけである。

 なおフェレシュテはペルシア語で、ラテン文字表記はFereshte(ペルシア語の綴りに即せばFereshtehだが、語末のhは発音しない)。映画『クラッシュ』(バラードじゃないほう)の終盤でイラン人店主(演じるのはペルシア系英国人ラヒム・ハーン)が「天使だ……」と呟く場面、「フェレシュテ」とはっきり聞き取れる。ペルシア語は発音が日本語に近い(母音はほぼ「アイウエオ」、子音も日本語にない音は少ない)ので、日本人には聞き取りやすく、かつカタカナ表記も容易である。
「フェレシュテ」は女性名としてイランでは普通に使われてきた。アラビア語の「天使Malakマラク」もアラブ圏では人名に用いられ(男女両用)、トルコでは女性名「メレクMelek」となるが、イランではMalakに由来する名前は使われないようである。

 代々の階梯はすべて「フェレシュテ」と名付けられる。フェレシュテ(天使)はメァラージュ(天使の梯子)の別名とも言え、個人名というより称号に近い。「マルヤム」も同様。
 ミカイリー一族が遺伝子管理局、そして知性機械ミカイールと繋がりを持っていることは厳重に秘匿されてきたはずであるが、テングリ大山系一帯には「天使ミカイールに梯子を架ける金の瞳の異能者ミカイリーたち」の伝説は広く浸透していた。無神論の中央アジア共和国、そして神と宗祖マフディ以外の神性を認めないマフディ教団が政権を握ったことで、こうした伝説は語ることを禁じられ、作中の時点ではもはや忘れられかけている。

『ミカイールの階梯』の登場人物である「フェレシュテ」は、14歳の少女である。階梯ではない他のハーフェズたちと同様、虹彩の色を金色に変えられているほかは、外見にも能力にもなんら特別なものは持たない。
 本編の四年前に死亡している養父(マルヤムの夫)は、マルヤムとの間に設けた子供(男児二人と女児一人。いずれもハーフェズ)を次々と亡くしたこともあってか、マルヤムとフェレシュテから次第に距離を置くようになっていた。またマルヤムは、フェレシュテのことを娘であるよりまず「階梯」として見ていたことを、セルゲイに打ち明けている。

 フェレシュテは幼少時から 自分が階梯であることを知らされていた(養父とは血が繋がっていないことを知らされたのは7歳頃。一族のほかの子供たちに比べて特別扱いをされたわけではないが、「重責を負わされた気の毒な子」という目が向けられていることを、薄々察していた。
 こうした憐憫も含めて、一族の大半の者もマルヤムと同様にフェレシュテを何よりもまず「階梯」として見ていた。それは「十代前半の女の子は半年も経てば身体が成長して靴もきつくなる」という当たり前のことに、いろいろ気が回らない性格のミルザはまだしも、身近に仕える侍女たちでさえ思い至らなかったことからも窺える。

設定集コンテンツ

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