イングロリアス・バスターズ
朝一の上映に行ったらすごく混んでて、まさか『イングロリアス・バスターズ』じゃあるまい、じゃあなんだろうと思ったら、『マ○ロス』だった。
それはともかく、久し振りに映画を観てハイになれた。「タランティーノ映画」として観た場合、150点をあげてもいい。が、これは『キル・ビル』でも『デス・プルーフ』でも奴を見捨てなかった忍耐の歳月、「あいつはやればできるはず」という、次第に絶望的になっていった期待がようやく報われた多幸感が含まれている。「タランティーノ映画」ってのを差し引いたら、まあ78点くらい?
とにかく、手間暇掛けて丁寧に、わざと下手くそに作った映像は、一本くらいならまだ「馬鹿でえ」と笑えるが、三本ともなると(しかもどれも馬鹿長い)もう心底うんざりさせられたので、今回は見ていて終始幸せだった。まあ上記のとおり、あらゆる点に於いて「『キル・ビル』と『デス・プルーフ』よりずっとマシ」という解放感が含まれた至福ではあるんだけどね。
だべりが長いとか、やたらと引っ張るといった、タランティーノの特徴(端的に短所ともいう)である冗長性は相変わらずだが、かろうじて「作家の個性」で済ませられるラインに留まっている。長々しいだべりも、一応は必要な情報を伝える役割は果たしているし。構成も巧くまとまっているし。どこまでも、『キル・ビル』と『デス・プルーフ』に比べれば、なんだが。
タイトルは「イングロリアス・バスターズ」だが、一応主軸となるのは家族をナチに殺されたユダヤ人の少女ショシャナの復讐譚である。
アメリカ軍傘下のナチ虐殺ユダヤ人部隊「バスターズ」とショシャナは、最後まで接点を持たないわけだが(これは欠陥と見るべきであって、「タランティーノらしい」と思ってはいけないんだろうな。私はもはや後者の境地だ)、唯一両者と接点を持つのが、「ユダヤ・ハンター」の異名を取るSS将校ハンス・ランダである。
このランダ大佐を演じるクリストフ・ヴァルツが素晴らしい。目つきと下睫毛がピーター・オトゥールに似ている(顔は似ているわけではないが、同系統だとは言える)。つまり、変態ぽい。
実際、ランダ大佐のキャラクターは語学に堪能で優雅な知的サディストで、ドイツ人にしては食道楽のようでいて実は食べ物を粗末にする。そして最終的にはへたれである。キャストが別の俳優だったら、『イングロリアス・バスターズ』の魅力は半減していただろう。
1956年生まれで、役者としてのキャリアは30年近いという。ハリウッドには知られていない、すなわち日本でも知られていない優れた役者は、まだまだたくさんいるのだなあ。
ほかのキャストたちも、全員いい仕事をしているのである。ブラッド・ピットはやはり、馬鹿というか頭が空っぽな役がとても巧い。『バーン・アフター・リーディング』に引き続き、ブラピ目当てのお嬢さん方にはお気の毒だが。ナチをバットで殴り殺すイーライ・ロスをはじめとするバスターズの隊員たちも揃ってアホ面下げていて、こんな連中に殺されるナチの兵隊さんたちはつくづく気の毒である。
バスターズでは、イーライ・ロス、オマー・ドゥーム、マイケル・バコールが『デス・プルーフ』に出演していたそうで、確かに『デス・プルーフ』のパンフレットには名前が載ってるけど全然思い出せん。
ダイアン・クルーガーは、高慢なドイツ人女優、でもスパイとしては二流どころ、という役が大変嵌っていた。役柄のイメージとしては、もう少しごついほうがいいかもしれない気もするが、ここまで嵌っている役は初めてなんじゃないだろうか。全部の出演作を観たわけじゃないけど。年齢が上がったことで、却って味が出てきたのかもしれない。
今回、ヒロインは金髪だが、フランス系なのでそれほど大柄ではなく、タランティーノの好み(金髪碧眼のでかい女)からは少々外れる。クルーガーはその条件を満たしており、だからなのか、今回タランティーノの脚フェチを担ったのは彼女でした。ギブスから覗くペティマニキュアね……
『キル・ビルvol1』で脚フェチを請け負ったジュリー・ドレフュスは、パンフレットを見るまで気が付かなかったのだが、ゲッペルスの通訳兼愛人の役で出ていた。『キル・ビル』の時は素人っぽかったのに、ずいぶん貫禄を増している。前回に引き続き今回も「同時通訳ネタ」をやっていた。ドイツ語→フランス語だったんで、日本人にはおもしろさが解らなかったわけだけど。
『キル・ビル』に於けるルーシー・リューとユマ・サーマンの日本語のレベルを、本人たちとタランティーノが果たして判っていたのかは不明だが、今回は「アメリカ人は外国語が苦手」という自虐ネタが物語の上で大きなポイントとなっていた。
片言でも話せれば「外国語ができる」と思い込み、流暢に話せる必要が生じる可能性など想像もせず、いざそういう場面に追い込まれると為す術もないアメリカ人と、アメリカ人に比べればだいぶマシだが、そこそこ話せるだけで「ネイティブ並み」と思い込み、ネイティブにはバレバレなイギリス人、という対比もおもしろい。ただし、あのイギリス人将校を演じた役者は、アイルランド育ちのドイツ人だそうである。
ヒロインのメラニー・ロランは、巧いけどそれほど突出もしてなかったな。まあ、ほかの役者が強烈すぎるせいだろうけど。
以下、一応ネタばれ注意。
結末は思い切り歴史改変になっているわけだが、映画業界全般に於いて時代考証が目を覆いたくなるほど蔑ろにされているにもかかわらず、こういう形の改変が存在しなかったのは、不思議といえば不思議である。チャップリンの『独裁者』は、戦争中に作られた作品だしな。
それだけ史実が重すぎるということではあるんだけど、その重く悲惨な事実が、作品をエモーショナルなものにする材料にされてきた、と言えなくもないわけで、そういう意味ではタランティーノの選択は、誠意のあるものだと言える。
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