4ヶ月、3週と2日
いやな映画(褒めてます)。ネタバレが問題になるような作品じゃないが、一応ネタバレ注意。
1987年、チャウシェスク政権下のルーマニアが舞台なんだが、「馴染みがない」と敬遠することはない。これは立派なディストピアものである。
優れたディストピア作品は、ただ圧制に対する批判ではなく、どんなに「豊かで自由な」社会にも潜む抑圧(体制によって為されるとは限らない。「善良な多数派」も抑圧者となり得る)を炙り出す普遍性を持っている。
当時のルーマニアでは人口増加政策によって堕胎が禁じられる一方、社会は出産や子育てにまったく適していない。違いは刑罰があるかないかだけで、現在の日本にも通じる状況だ。男が無責任なのは、どこでも一緒である。
……とか言いつつ、なんでもかんでも「現代の我々」に引き付けるってのは、現代の我々に「馴染みがないから」と敬遠するのと大して変わらん貧しい見方だと、実は思ってるんだけどね。
監督の目的は、もちろん当時の批判とか反省とかそういうのんもあるんだろうけど、むしろヒロインをどん詰まりの状況に置くことにあったのではないか、と思う。極限状態とまではいかない、日常と数歩隔てただけの異常状態だ。
そうであればこの作品は、そんな状況に於けるヒロインの心理を描くサイコ・スリラーである。
ヒロインとルームメイトの関係が、めちゃきっつい。依存心が強い女と、文句を言いつつ面倒を見てしまう「親友」。よくある関係だが、閉塞した状況に置かれると、歪みが突出することになる。
冒頭から、二人の関係は明らかだ。何もかも任せきりのガビツァと、文句を言いつつてきぱきと動く(でもかなり大雑把)なオティリア。
ガビツァが闇医者に堕胎をしてもらおうとしているのだと判明するのは中盤になってからなのだが、それまでにこの女は必要な金をオティリアに工面させ、ホテルの予約こそ自分でしたが、遣り方がいい加減だったので予約が取れておらず代わりのホテルをオティリアに探させ、医者との待ち合わせにも体調不良を理由にオティリアを行かせ、感謝や謝罪は口先だけである。
ホテルで医者と落ち合うと(この医者もオティリアが探したのである)、それまでガビツァがその場しのぎの嘘ばかりついていたことが明らかになる。面倒を先延ばしにすることで解決したと思い込むタイプだ。ああ、いるいるこういう女……別に女だけとは限らんが。
堕胎するのは自分が望んだからなのに、まったく真剣みが欠けている。医者に用意しろと言われたビニールシート(ベッドが血だらけになったら、堕胎したことがばれる)まで忘れてくる始末である。ばれたら一番罪が重くなる(懲役4、5年)医者は当然怒るが、ガビツァはぽかんとしているだけだ。
そんなガビツァに呆れつつも、よほど自分のことのように真剣だったオティリアだが、やはり彼女も認識が甘かった。かなり低く見積もった金額しか用意していなかったのである。
ここに至ってもガビツァは困惑して口籠るだけで、「次の土曜までに必ず用意します」と断言するのはオティリアである。医者は鼻で笑い、彼女たちのどちらかの身体を要求する。嫌なら帰る、と言い捨ててドアに向かう医者を、初めてガビツァが必死になって止める。条件を飲むから堕ろしてくれ、と。
もちろんガビツァは、オティリアが助けてくれると思っているのである。そしてオティリアは、そのとおりにする。
いくらルームメイトで、この先もしばらくは付き合っていかなきゃならないとはいえ、なぜこんな馬鹿女にそこまでするのか理解できない。と言ってしまうのは簡単だが、おそらくガビツァは依存することでオティリアを支配しているが、オティリアも依存されることでガビツァを支配しているのだ。
それは終盤、無事堕胎したガビツァが、「どこかに埋めてね。投げ捨てたりしないでね」とオティリアに胎児を託した後で明らかになる。オティリアは、一応埋められそうな場所を探しはするが、最終的に胎児をどこかのビルのダストシュートに投げ込むのである。たぶん最初から、そうなるだろうと自分でも予想していたのだと思う。ガビツァの胎児を投げ捨てることができるのは、オティリアしかいないからだ。
そしてガビツァも、「埋めてね」とお願いしたのは、オティリアに本当にそうしたほしかったのではなく、ただお願いしたかっただけだろう。そして、もしかして埋めないで捨てたんじゃないかと思いつつ、それほど気にせずにこれからもオティリアに依存していくのだろう。
『4ヶ月、3週と2日』という意味ありげなタイトルがガビツァの妊娠期間を指しているのは明らかだが、「4ヶ月」は作中で述べられるが、「3週と2日」はどっから出てきたんだ。相手の男が一切登場せず、言及もされないのは悪くない演出だが、いつやったのが当たりだったのか、ガビツァ(とオティリア)が認識していた様子はない。「その日」を特定する演出がない以上、「3週と2日」という意味ありげな数字は宙に浮く。
エンドクレジットに流れる、87年当時にルーマニアで流行ったと思しき明るくダサいポップスが、いやな感じを高めていてよろしい。
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