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グロッタ

『ラ・イストリア』に登場。人類文明の遺産を保管・貯蔵するために、遺伝子管理局によって、中米のユカタン半島南東部(現グアテマラ領)に建設された地下施設。

 約200年間続いた「絶対平和」に於ける戦争は、奴隷種である亜人たちに殺し合いをさせるものであり、人間にとっては娯楽を兼ねた政治ゲームでしかなかった。
 しかし22世紀末、各地で発生した動植物の疫病によって世界情勢は不安定になり、戦争は真剣な様相を帯びるようになった。この時点ではまだ、損害は亜人兵士だけに留められるよう配慮がされていたのだが、各政府や団体は、遺伝子管理局の目を盗んで、強力な兵器の入手や製造に力を入れ始めていた。

 2202年、メキシコ政府と北米の南部諸州同盟との間で起きた戦争では、後者が禁制の生物兵器「生体甲冑」を持ち込み、使用した。生体甲冑は暴走し、遺伝子管理局が核兵器の投入を決意するまでの一ヵ月足らずの間に、チワワ市をはじめとするメキシコ北部の都市が幾つも破壊され、南部諸州軍自身も甚大な被害を受けた。これが、「人間」の犠牲者を出した最初の戦争となった。

 のちに「第一次南北アメリカ戦争」と呼ばれることになるこの戦争があった年に、グロッタの建設は始められた。遺伝子管理局のトップに立つ「管理者たち」直々の立案による計画であり、遺伝子管理局内部でも知っている者はごくわずかだった。世界は混乱状態にあり、また建設工事のための労働力は当然ながら亜人たちだから、隠匿はそれほど困難ではなかっただろう(亜人の記憶操作は容易で、絶対平和の時代には合法だった)。
 ユカタン半島の地盤は石灰岩質で、地下には大小の鍾乳洞があった。施設はこれらの洞窟を利用して建設された。完成は2年後の2204年である。この年、エウロパの大飢饉を逃れてきた難民の最初の一波が新大陸に到着している。情勢はいっそう混迷を深め、この極秘計画が漏洩することはなかった。

「洞窟(グロッタ grotta)」と名付けられたこの施設には、30人余りの科学者たちが残った。彼らは外部との接触は通信も含めて最小限に留め、あるものを開発製造する研究に従事した。それが、知性機械サンティアゴの「生体端末」である。
 15年後、30体の生体端末が完成し、稼動を開始した。同時に「グロッタ」は外界との接触を一切絶ち、完全封鎖された。空気すらも内部だけで循環させる閉鎖系で、唯一補給を必要とするのは水だけだったが、それも厳重な防疫システムによって管理されていた。水も空気も土壌も植物も食糧生産プラントも、人間も亜人も、そして人工子宮も、この防疫システムの管理下にあった。

 そこは、完全に安全で快適な環境のはずだった。「管理者たち」自身を除けば、外部から封鎖を解くのも通信を行うのも不可能だったが、内部の住人たちは知性機械サンティアゴの支配下にある夥しい数のコンピュータのほとんどすべてから、自由に、気づかれることなく情報を得ることができた。
 天然の洞窟をベースに造られた内部は、不規則に曲がりくねり枝分かれした構造で一見無駄が多かったが、実は閉塞感などのストレスを軽減する設計である。鍾乳石や石筍など天然の造形美を利用した内部装飾もふんだんに施され、照明も明度や色合い、配置を計算されていた。

 だが住人たち、「グロッタの番人(グアルディア)たち」とも名乗ることになる彼らは、すぐに退屈した。そして遺伝子管理局の治世では禁じられていた悪徳に手を染め始めた。麻薬の使用、亜人の虐待、自分自身や子供たちの遺伝子改造である。
 しかしその程度の「悪」など、地上で進行しつつあった地獄さながらの混沌に比べれば児戯でしかなく、番人たちもやがて飽きると、今度は派閥争いを始めた。
 争いのための争いであり、冷凍保存された配偶子と人工子宮で大量に生み出した子供たちをも駆け引きの材料にした。誰と誰の子供を作るか、どんな改造遺伝子を組み込むか、どの子供が誰に懐くかといったことまでが、ゲームの一部だった。

 完全封鎖から20年後の2239年、管理者たちが姿を消した。後に残されたのは、災厄は今後ますます悪化し、いつ果てるともなく続くであろうという予言と、人類から空と海を奪う「封じ込めプログラム」だった。
 外の世界の人々は、管理者たちが消えたことや災厄についての予言はそっちのけで、自分たちが陸地に閉じ込められたことに逆上した。グロッタの住人たち、その第一世代は、管理者たちの災厄の予言を正しく理解したが、パニックに陥ったのは地上の人々と変わらなかった。
 今までのお遊びとは違う、本物の対立が起きた。幾人かは地上へ帰ることを望み、他の者はグロッタの存在が地上の人々に知られることを恐れて反対した。帰還派と残留派の対立は激化し、話し合いでは埒が明かないと見た帰還派は脱出計画を練り始めた。それに気づいた残留派が帰還派を拘禁しようとすると、帰還派は密かに製造していた武器を用いて実力行使に出ようとした。

 この騒ぎを収拾したのは子供たちだった。グロッタで生まれ育った彼らは、すでに成人した者も未成年者も共通して、第一世代の動揺が理解できなかった。外の世界への郷愁など持ち合わせていなかったからである。
 幼少時から大人たちの身勝手さに振り回され、すっかり嫌気が差していた彼らは、この混乱の隙を突いて、第一世代を全員拘束した。狼狽し憤慨した大人たちは、解放してくれるなら「重大な秘密」を教えてやろう、と持ち掛けたが、子供たちは耳を貸さなかった。

 取調べも行わず、釈明も許さず、刑を執行した。騒ぎを起こした原因は帰還派にあり、より罪が重いとして、自死と廃人化の二択を迫った。自死を選んだのは一人だけで、残りの者(何人だったのかは不明)は大脳皮質を破壊されて眠りに就いた。いつか誰かが救い出して治療してくれることを期待したのだろう。しかし、その日が来ることはなかった。
 より多数の残留派は、グロッタの中枢部から遠い一画に隔離された。未成年者たち(第二世代および第三世代)の中で、第一世代の影響を受けて素行が悪い者も、離れと呼ばれることになったその区画に送られた。

 こうしてグロッタの秩序を取り戻した第二世代だったが、一年と経たないうちに親を真似るように派閥争いを始めた。結局、彼らも退屈だったのだ。あくまでも第一世代を反面教師とするため、麻薬の使用や亜人の虐待は行われなかったし、表面上は未成年者たちとともに規律を守っていた。
 第二世代は親たちを心底軽蔑していたため、彼らによって開発製造された生体端末たちにも関心を持たなかった。グロッタは生体端末を保管するための場所として造られた、という主張も信じなかった。
 三十体の生体端末は、半ば放置されることになった。それ(彼女)たちのメンテナンスをするのは、介護寝台と亜人たちだった。介護寝台は、身体の洗浄や排泄物の処理から、寝返りを打たせたり微弱電流で筋肉を刺激することまで、完全自動である。生体端末たちは食物の咀嚼と嚥下は反射で行えるので、食事だけは亜人による介助で行われた。

 離れに隔離された第一世代は、生体端末に対する第二世代の無関心を承知していたため、敢えて生体端末を取り戻そうとはしなかった。第二世代のうち、クラウディオだけは生体端末の重要性を理解していたが、彼もまたそのことには無関心だった。
 廃人化され、グロッタの最下層区画に放置された第一世代たちも、生体端末と同じく介護寝台によって生かされていた。彼らは栄養補給も点滴に頼っており、生体端末以上に「生ける屍」だった。

 第二世代は、第一世代と非行少年たちが離れで何をしようと好きにさせていた。彼らは麻薬を合成し、自分たちの肉体を弄り回して改造した。彼らを仕切っていたのが、グロッタの全住人の中でも最年長の男だった。グロッタの完成時には32歳、『ラ・イストリア』本編(2244年パート)では72歳になっていたが、若返り技術によって外見は十代前半の肉体を取り戻した。
 この若返りは一時的なもので、延命等の効果はないとされるが、第二世代の成年者たちは、自分たちが知りえない技術を第一世代が有していることに、少なからず衝撃を受けた。特に、ピラールという名の24歳の女性は、若返りの秘密を手に入れたいと願い、この「72歳の少年」の息子であるクラウディオに、父親から情報を引き出させようと画策を始めた。

 同じ頃、クラウディオは同じ第二世代の一人であるエクトルに懇願され、精子同士を接合して子供を作る計画に協力していた。接合は成功し、胎児は人工子宮内で無事育っているかに見えたが、25週目のある日、突如癌細胞が異常増殖し、わずか一日でで腫瘍の塊と化してしまう。
 原因はウイルスによる感染なのは明らかだった。また、この未知の病原体が人工子宮の内膜組織の生体防御機能を凌駕するほど強力であることも深刻な事実だった。それを理解していながら、第二世代たちはこの危機を派閥争いの材料としか見做していなかった。

 しかしその矢先、疫病の襲来を待つまでもなく、クラウディオとたった1体の生体端末を残して、グロッタの住人たちは亜人も含めて全滅する。この1体だけ残された生体端末は、後にブランカ(Blanca 「白」の意)、そしてビルヒニア(Virginia 「処女」の意)と呼ばれることになる。ブランカ/ビルヒニアのクローンたちが、『グアルディア』のアンヘルとアンジェリカたちである。

 グロッタで生体端末を製造する極秘計画は、遺伝子管理局のトップたる「管理者たち」の勅命、と先述した。しかしそれは、あくまでグロッタの第一世代たちの主張である。管理者たちはいつか戻ってくる、とも彼らは主張していた。だがそれがいつなのか、子供たちには決して告げなかった。
 第二世代の成人であるオスバルドは、管理者たちの実在そのものを疑っていた。『ラ・イストリア』では、その疑念に対する答えは明らかにされない。

 先述のとおり「グロッタ grotta」は「洞窟」を意味するイタリア語だが、この語から派生したのが「グロテスク」(grottesc、英語形はgrotesque)である。グロテスクのスペイン語形はgrotesquerieだが、「グロッタ」に対応するスペイン語はない。
 グロッタの全滅から5年後、行き倒れていたクラウディオはマリア・イサベル(マリベル)という女性に助けられる。グロッタでの退廃した半生を打ち明けられたマリベルは、(「グロッタ」という語を知らなかったこともあって)「グロテスクなグロッタ」と評する。

関連記事: 「大災厄」 「生体端末」 「封じ込めプログラム」

 以下、ネタバレ注意。

『ミカイールの階梯』では、管理者たちはどうやら実在し、文明崩壊後の世界の情報を収集し続けているらしいことが示される。情報収集の道具となるのは、各地に残された、同調因子を持つ改造体の末裔たちである。知性機械ミカイールの管轄地域では、彼らは「ハーフェズ(守護者)」と呼ばれる。
 知性機械サンティアゴの管轄地域ラテンアメリカでは、他地域とは異なり、生体端末が情報収集の役割を果たしたと思われる(他地域では生体端末は造られなかった)。すなわち、グロッタでの生体端末製造計画を命じたのは、やはり管理者たちだったということになる。

 グロッタの全滅から約300年後の2540年の時点では、グロッタは人工衛星から地中レーダを使った調査でも確認することができなくなっていた。ユカタン半島の地盤は石灰岩質で脆いため、過去に起きた地震に伴う沈降によって破壊されてしまったと思われる。
 管理者たちがこのことを予測していなかったはずはない。もちろん相当な耐久性は備えていたはずだが、決して恒久的と呼べるものではなかったことは、当時のグロッタの住人たちでさえ承知していた。

 つまり最初から、グロッタは一時的なシェルターとして想定されていたのである。生体端末の機能の一つが世界の情報収集にある以上、災厄がある程度沈静化すれば、シェルターを出るべきである。
 しかし生体端末を製造し、守り続けることを命じられた研究者たち(第一世代)は、管理者たちのその意図を理解していなかったのか、或いは故意に無視した。
 結局、閉じた世界としてのグロッタは、住人の一人であるクラウディオによって破壊された。すなわち自滅したのである。

 自滅の最大の原因は、閉塞感だったと言えるだろう。一方、管理者たちから同様の使命を与えられたミカイリー一族は、少なくとも25世紀までは存続した。大災厄初期、グロッタの番人(グアルディア)たちと同じく、ミカイリーたちも外部と接触を絶った閉鎖的な環境に閉じ籠ったはずだが、そこは地下ではなく、険しい山中とはいえ地上だった。閉塞感は遥かに少なかっただろう。
 こうした環境を選択したのが、管理者たちだったのかミカイリー一族(の祖となる小集団)だったのかは不明だが、いずれにせよミカイリーたちは比較的早い段階から外部の武力集団と接触し、その庇護を利用して生き延びてきた。無論、グロッタの住人たちがミカイリー一族より必ずしも愚かだったというのではなく、そうした選択ができる状況に恵まれなかったのである。

 また、守るべき情報伝達用の改造体が、一方は生ける屍同然の生体端末であるのに対し、他方は常人と変わるところのないハーフェズ(保管者/守護者)で、しかも一族の血筋に組み込まれていた点に拠るところも大きかったかもしれない。守っていこうという意欲が、自ずから違ってくるだろう。
 なお、『ミカイールの階梯』では、彼らの居住地は峡谷の小さな村だが、大災厄初期に建造されたのは2、3の建物だけである。本来はなんらかの隠蔽機能を有していた可能性が高いが、『ミカイールの階梯』の時点ではすでに失われている。

 グロッタが保有していた30体の生体端末のうち、29体は廃棄されてしまったが、1体だけは保持されたので、情報収集という管理者たちの目的はとりあえず継続された。その最後の1体も『グアルディア』に於いて破壊されたことで、管理者たちがどう動くかは、今後の展開で明らかになるであろう。

 クラウディオは、まさしく「グロテスクなグロッタ(洞窟/子宮)」から産み出された子供である。彼が行動原理とするのは「愛」である。愛は「物語」に於いて、しばしば美化の対象とされる。ごく解り易い例を挙げるなら、ストーカー行為は前世紀に於いては「純愛」という物語として美化されていたものである。現代でも本人の脳内では美しい物語のはずだ。
 しかし『ラ・イストリア(物語)』では一切の美化を行わない。美化されないクラウディオの行為と精神は、斯くも醜悪である。
 ただし、一点だけ彼が凡百の「狂気の愛」の体現者たちと異なるのは、己の愛のエゴイズムをよく自覚していることである。それがなんの免罪にもならないのは言うまでもないが、少なくともこの自覚によって、彼は生き延びることができたのだろう。

関連記事: 「遺伝子管理局」 「管理者たち」 「ミカイリー一族」

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