ミカイリー一族
初出は09年5月。同8月に加筆修正したものを再度加筆修正。
『ミカイールの階梯』に登場。テングリ大山系(天山山脈)東南部に隠棲する一族。日常的に使用する言語はタジク語(と呼ばれるイラン語の一種を指す)だが、ルーツがどの地、どの民族であるかは不明。
「ミカイリー Mikaily」は「ミカイール Mikail(ミカエルのアラビア語/ペルシア語形)の眷属」の意。ミカイリー一族の存在はテングリ大山系一帯では半ば伝説として広く知られており、かつてこの地を治めた天使ミカイールから、いにしえの知識を与えられた一族、と伝えられている。
彼ら自身は、旧時代の遺産を守護するという使命を「創造者たち」から与えられた、と称する。
2447年の時点で、一族の総勢は千人ほど。おそらく元はラテンアメリカ地域の「グロッタ」の住人たち(『ラ・イストリア』)のように少数(せいぜい数十人)の集団であったが、徐々に外部の人間を仲間に加えていったと思われる。
しかし災厄の中に在って遺産を守るという使命のため、閉鎖的にならざるを得ず、近親交配の率は高い。有害な変異が表に出ることがないよう可能な限りの操作が行われており、グワルディア(精鋭部隊)や殺戮機械パリーサといった遺伝子改造体の家系とは違って、一見障害は現れていない。
だが250年以上の永きにわたって保持されてきた科学技術はもはや完全ではなく、対処しきれない微細な変異が蓄積している。子供の死亡率の高さは、その一例であろう。
「遺産を守る」という使命の象徴とされるのが、「ハーフェズ」(守護者/保管者の意)と呼ばれる者たちである。ハーフェズを、ハーフェズ以外の者と区別するのは、X染色体上に特別な遺伝子(「ハーフェズ遺伝子」と呼ばれる)である。ただし彼らはなんら特別な形質は持たず、「象徴」として他者と区別を付ける必要から、遺伝子組み換えによって虹彩の色を明るい黄色に変えられている。
ミカイリー一族の当主は、必ずハーフェズの中から選ばれることになっている。したがってハーフェズとその家族が一族の支配層ということになるが、婚姻関係が錯綜しているため、一族内の身分の序列は曖昧で流動的である。
外部の者を一族に迎え入れる際には、「刷り込み」という技術で旧時代の知識を一通り授け、一族の者たちとの知的レベルのギャップを軽減する処置が取られる。
しかし半世紀余り前にテングリ大山系南麓一帯がマフディ教団に掌握されて以来、新たに一族に加わった者はほとんどいないと思われる。教団の偏狭な教えは、旧時代の知識とはあまりに相容れないからである。
一族を出奔したソルーシュ(レズヴァーンの父)が連れて戻った信徒の娘と、その甥のアリアンは、数少ない例外ということになる。
一族の領地は、テングリ大山系南斜面のクズル川流域一帯。当主の屋敷や研究施設など、幾つかの建造物は一族の創生期から在ったものである。
また、クズル川が注ぐムザルト川北岸にある巨大な石窟寺院も、ミカイリーの領地に含まれる。この石窟寺院は、新疆ウイグル自治区最大の石窟寺院、キジル(クズル)・ミンウイに該当する。なお、「ミンウイ」はウイグル語で「千仏」の意。
タリム盆地には幾つかの仏教石窟寺院がある。『ミカイールの階梯』に於いては、これらの遺跡は21、22世紀に遺伝子管理局によって修復・補強を受け、23、24世紀の戦乱と混乱をも潜り抜けたが、25世紀に入ると、ミカイリーの保護下にあったクズル・ミンウイを除き、すべてマフディ教団によって破壊されてしまっている。
どーでもいいことだが、第七章で描写される窟室は、第38窟、通称「楽天窟」である。また青色顔料の原料であり宝石でもある瑠璃は、アフガニスタン産のラピスラズリ(ペルシア語名:ラズヴァルド)のこと。
製肉技術をはじめとした旧時代の科学技術の数々を有力者たちに提供することで、結果的にミカイリー一族はテングリ大山系一帯の人々を生き延びさせてきた。また彼らは常に複数の有力者と関係を結ぶことで自らの安泰を図るとともに、テングリ大山系一帯の勢力均衡に寄与してきた。
割拠する有力者たちがどれほどの非道を行おうと、一族の安寧を乱さない限り一切干渉しないことが、ミカイリーたちが培った処世術だったが、2442年(『ミカイールの階梯』本編の5年前)に若くして当主の座に就いた女性ティラーは、マフディ教団の腐敗を正し、苦しむ信徒たちを救おうとした。
教団は彼女を暗殺し、ミカイリー一族を支配下に置こうと、露骨に干渉してきた。ハーフェズしか当主になれないという一族の慣習を無視して、ハーフェズでないミルザを当主に推した。
この人選は、ミルザの血統(妹は暗殺された先代当主ティラー、父は先々代当主)に加えて、彼の人柄をよく知らない者には世俗のことに無関心なぼんやりした人物に見える(アリアンは「ぼんくら野郎」と呼んだし、レズヴァーンも一方的に嫌っていた)ため、御し易いと見做したのだろう。
しかしミルザは、ハーフェズであるマルヤムとフェレシュテ母娘を伴い、中央アジア共和国へと亡命する。
テングリ大山系の勢力均衡は崩れ、物語が始まる。
関連記事: 「テングリ大山系一帯」 「マフディ教団と中央アジア共和国」
「大災厄」 「絶対平和」 「殺戮機械」 「25世紀中央アジアの食糧事情」
以下、ネタバレ注意。
なんら特別な形質を持たない、ただの象徴とされるハーフェズだが、ミカイリー一族が保管してきた古い記録によれば、彼らは一生の間、見聞きした情報を一族の「創造者たち」に伝えているのだという。
「創造者たち」とは、大災厄より前、世界を支配した「管理者たち」であった、というのがミカイリーたちの解釈であり、それを疑う者はいない。しかし、創造者たち=管理者たちに自らの知覚情報を伝える、というハーフェズの能力については、それに該当する形質が発見されていないことから、ただの伝説と見做す傾向が強かった。
同様に、知性機械ミカイールに一度だけアクセスできるという階梯の能力についても、ただの伝説と片付けられこそしないものの、半信半疑といったところだった。階梯一人につき一度ではなく、階梯が何人いようとアクセスはただの一度きりとされる上に、アクセスすれば階梯は死に、ミカイリー一族も滅亡する、という予言まで伝えられているため、階梯の能力は決して使ってはいけない禁忌とされていた。
結局、階梯の能力が使われても、ミカイリー一族に滅びはもたらされなかった。だがそれは、直接的な形では、ということだ。階梯という求心力を失った一族は、徐々に離散し、技術や知識も失われていくだろう。それは滅びであるとともに、人類の遺産を守るという重責からの「解放」でもある。
| 固定リンク