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メヒコ旅行記2

 旅行記続き。
 メキシコ到着の翌日、グアダルーペ寺院とテオティワカン遺跡に行った。案内してくれたのは、メヒコ市在住の日本人ガイドのSさん。元バックパッカーだそうで、非常によく日焼けしていて年齢がよく判らないが、まだ三十代だろう。
 職業と旅の目的を訊かれ、珍しく正直に「小説家」「取材兼観光」と答える。そう名乗ったほうが、メキシコについて何かいろいろおもしろい話を聞かせてくれるのではないかと期待したのである。ライターと答えようかとも思ったのだが、「小説家」のほうが広く浅く話を聞けるであろう。「どんな小説を書くんですか」と、当然ながらSさんは社交辞令で尋ねる。

 私は、仁木稔の小説を読んだことのない人に仁木稔の小説の説明をするのが、非常に苦手で嫌いだ。できることなら一生せずに済ませたい。
「SFです」 「はあ」Sさんの反応は鈍い。SFに無関心なのが明らかだ。ますます説明しづらくなる。「……二十三世紀のメキシコの話です」これが限界である。当然ながらSさんの反応は「はあ……?」というものであった。それきり、この話題はお終い。しかしこれ以上、詳しく説明したところで事態が好転するとも思えない。やっぱりライターって言っときゃよかったか、と後悔する。

 『ラ・イストリア』でネタにしているが、グアダルーペ寺院には、聖母マリア自身が奇跡の御技で描いたという「褐色の聖母」の絵が奉られている。「グアダルーペの聖母」だ。西洋画の画法で描かれていて、一説によると16世紀の先住民出身の無名画家の手になるものだそうである。
 実物を前にしながら、Sさんが説明してくれる。「使用されている顔料をNASAが分析したところ、地球上には存在しない物質が見つかったそうです。また、聖母の瞳を顕微鏡で覗くと、奇跡に立ち会った農夫と司祭の姿が映っているそうです」 今度は私が、「はあ……?」と言う番だ。

 続いてテオティワカン遺跡に行ったが、これについては次回。どちらもメヒコ市郊外にあり、車で移動した時間は計2時間ほど。郊外の平野や丘陵地には、同じ規格の小さな家が並ぶ住宅区が幾つもあった。
 Sさんによると、低所得層のために建てた公団なのだそうだ。地方から都市部への人口流入が激しく、政府はそういう人たちに格安で家を提供している。アパートではなく、小さいながらも庭付き一戸建てである。そうすると、住人となった人々は故郷から親戚一同を呼び寄せてしまう。しかもメキシコの法律では増改築中の家には税金が掛からないので、多くの人が常に自宅のどこかを改築中にしておくのだそうである。確かにそういう公団では、ほとんどの家がブロックを積んで新しい部屋や階を増築しつつあった。

 そういった興味深い話題の合間に、Sさんは妙な話を挟むのである。例のマヤの石棺の横向きにすると「宇宙船の操縦者」に見える浮き彫りだとか、メヒコのピラミッド周辺はUFO目撃スポットだとか、あとマヤ・カレンダーの2012年世界終末説にも触れてたな。
 すべて「はあ、そうですか」と流しつつ、私は内心「変な人だなあ」と引いていた。

 それから半年以上経ったある日、私はハタと思い当たった。「もしやあれは、『SF作家に対する気遣い』だったのではあるまいか」 
 早速、最も身近な非SFファンの代表である妹たちに電話し、この件を話してみる。すると奴らは申し合わせたようにこう言った。「うん、気を遣ったんだと思うよ。私も、もしSF作家だっていう人に会ったら、そういう話をするよ」

 頼むからやめてくれ。でも、やっぱりそうなのか。そうだったんだろうな。ああ、それにしても、なんという好意の空回り。
「そういうのが好きなんですか」とか不用意なことを言わなくて本当によかったとは思うが、その場で気づいていたら残りのスケジュールに支障を来すくらい脱力していたと思うので、やはり気づかなくてよかったとも思うのである。……違う、違うんだよ。SFってのはそういうのじゃないんだよ。確かに私はSさんが出したネタを大概知ってたし(グアダルーペのネタは、さすがに初耳だった)、そういうのんがSFに使われることもある。でも、それは「敢えて」使うんであってね……。やっぱり小説家だって名乗るんじゃなかった。

 次からは、もう少し旅行記らしいことを書きますよ。

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