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参考文献録

 ブログを更新してる余裕がなくなってきました。まあ以前から、このブログに書くことといったら、映画の感想と著作の設定集くらいしかなかったわけですが、

  映画: 観てる時間がなくなってきた
  設定集: 書くことはあるけど書いてる時間がなくなってきた

 それ以外のカテゴリーでも、

  お知らせ: しばらくなんの予定もない
  日常: 毎日、調べ物と勉強(英語とアラビア語)しかしてないので、書くことがない

 という有様です。しかし『ミカイールの階梯』の時みたいに、また脱稿まで何ヶ月も更新が滞るのも何か侘しいので、読んだ資料の記録を掲載することにしました。
 去年から、mixiで読書録を公開しています。何を読んだか忘れないために記録する必要があるのですが、生来不精なため、人に見せる前提(実際、どれだけの人が見てくれるかは別問題として)でないと、まともに記録もつけられないからです。
 今後しばらく、読了本のうち資料として読んだものはこちらで公開することにします。マニアックな上にマニアックな内容になるかと思いますが、枯れ木も山の賑わいということで。

 読んだだけでは内容を憶えられないので、必要な情報はノートしています。一冊あたり、メモ程度のこともあれば、数十枚分にもなることも。(「」)内は、ノートの分類名です。ちなみに、次作はSFではありません。

「裏切るクーファ市民――ウマイヤ朝アリー家反乱者のリーダーシップと民衆の政治意識」 清水和裕(『軍事奴隷・官僚・民衆 アッバース朝解体期のイラク社会』  山川出版社 2005) (「シーア派」)
 アッバース朝解体期についての資料は全然必要ないので(必要なのはアッバース朝創立以前)、20頁しかないこの附論のみノートを取る。

「ウマイヤ朝アリー家反乱者」つっても、ウマイヤ朝期に山ほど起きたシーア派の叛乱の中で主に取り上げているのはザイドの乱のみ。どの資料も「蜂起した。失敗した」と言及するだけでスルーしているザイドの乱そのものと、当時のシーア派の動向についての詳しい論述は貴重だし、論旨もわかりやすい。
 しかし、論拠とする史料がどういう性質のものか明確にしていない。でもって、どうやらそのほとんどは伝承らしいんだが、その伝承がどういった背景で成立したのかもあんまり考慮していない気がする。ほかの研究者については、「依拠した史料がアッバース朝寄りのものだから、あまり信用できない」というようなことを述べているのに、自分が依拠する史料の性質については評価基準がいまいち曖昧。

『雷鳴の夜』 ロバート・ファン・ヒューリック 和邇桃子・訳 早川書房 2003(1961)
the haunted monastery
 ディー判事シリーズ。なんでか知らんが、原書と翻訳の刊行順番が違うようである。

 7世紀後半に実在した狄仁傑を主人公にした明代以降の一種の探偵ものを下敷きにした推理小説。オリジナルの古典小説は、唐代の考証などせずに当時(明代以降)にとっての漠然とした「昔」という設定になっているに違いない思われる。で、ファン・ヒューリックもそれを踏まえて舞台設定を行っているようで、そこに描かれた社会はまったく唐代ではない。
 そういう近世中国にとっての漠然とした「昔の中国」としては、かなりそれらしいのではないだろうか。
 いや、「唐代を舞台にした」ミステリ、とか「古代中国」とか紹介されてるのを、どうこう言うつもりはないんだけどね。

 原題のmonasteryは修道院。道観て修道院か。儒教の徒であるディー判事の、道教や仏教に対する嫌悪は、なかなか巧く描けてるんじゃないかと思うが、蝙蝠が「おぞましい生き物」扱いされてるのには首を傾げた。中国では蝙蝠は縁起物なんだが。
 このシリーズを読むのは、あくまで「欧米人の描く過去の中国」に興味があるからだし、そもそも謎解きに興味ないんで、ミステリ全般を読んでる最中も犯人とかトリックとかほとんど気に掛けてないんだが、そんな私にすら早々に犯人が判ってしまうのは、いかがなものかと。あと、ディー判事に風邪を引かせて判断力を低下させ、それによって謎解きを遅らせたり、或いは道に迷ったことで解決の糸口の一つに辿り着けてしまうというのんは、少しくらいならともかく、頼りすぎるのは問題だろう。

 

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