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メヒコ旅行記3

 テオティワカン遺跡に行く。「死者の道」に沿って太陽と月のピラミッドのほか、小型のピラミッドもたくさん並んでいる。いずれも半ば崩れていたのを、1960年代に復元したものである。テオティワカンの文化では「四」が聖なる数とされていた。それに基づき、ピラミッドも四段構造で復元された。ところが、太陽のピラミッドだけは、微妙に五段になっている。「間違えた」んだそうである。間違えるなよ、そんな重要なこと。しかも間違えたままにしておくなよ。

 付属の博物館にも行く。生贄の人骨が、出土したままの状態で展示されている。これだけ多いと、さすがに薄気味悪い。子供の骨もある。一番引いたのが、人骨で作られた「オブジェ」。地面の上に置かれた頭蓋骨を半円状に数個の下顎骨が取り巻いて並べられている。そういうオブジェが何組もある。下顎骨で「首飾り」を模しているという説明を聞いて、一層気分が悪くなる。
 死とユーモアを結び付けるのはメスティソ(混血)の文化であって、先スペイン文化にそういう感性はなかったそうだが、大真面目でこんなオブジェを作ったのかと思うと、却って怖い。

 先史時代からアステカに至るまで、メキシコ先住民は赤を好んだ。これはもちろん血の色だが、それ以前にメキシコには赤い色の火成岩が多い。まず身近に赤が多くあり、そこから流血を好む文化が生まれたのかもしれない。この火成岩は鮮やかな赤ではないが、くすんだピンクから臙脂色、赤褐色までさまざまな色合いがある(赤褐色が一番多い)。先スペインから近代に至るまで建築物に多用された。
 そして現代のメキシコ人も赤が好きである。飛行機から見下ろしたメヒコ市の建物の大半は、屋根が赤褐色に塗られていた。ビルの屋上まで赤く塗ってある。先住民は征服によって人口が激減したし、その文化も決して連綿と伝えられてきたわけではないのに、その嗜好が現代のメキシコ人にこうして受け継がれているのを目の当たりにして、奇妙な感慨を覚える。

 目当てのバロック教会だが、メヒコ市でもグアナファトでも、残念ながら小野一郎氏が紹介していたような途轍もないバロック(まさしく「ウルトラバロック」)は見ることができなかった。そういうものは、もっと地方へ行かないとないようだ。もちろん私が見たものだけでも、ヨーロッパの教会の基準からすれば途轍もないのだろうけれど、小野氏の著作を繰り返し繰り返し眺め、目に焼き付けていた者としては、少々肩透かしを食った感である。所詮、観光客の身勝手な言い分ではあるが。

 そうした中、最も期待どおりにウルトラバロックだったのは、メヒコ市のソカロ(中央広場)に近いサン・フランシスコ寺院。ガイドブックには載っておらず、偶然見付けた。どの教会にも、像というよりは人形みたいなけばけばしい聖像がたくさん安置してあるわけだが、この教会が一番数が多く、色やポーズが派手だった。メキシコの伝統的な聖像はトウモロコシを芯にした塑像に着色してニスを塗ったものだが、私が見たものはどれもそういう素朴なものではなくて、もっと怪しい素材で作られているように思える。

 グアナファトでは、もう1月も末だというのにどの教会も未だにクリスマスの飾り付けだった。普段はキリストや聖母子といった御本尊が祀られているであろう祭壇は、飼い葉桶に立つ嬰児キリスト、聖母、東方の三博士というクリスマスセットになっている。じきにカルナバルだってのに。グアナファトの教会ではほかに、木製の門扉の浮き彫りに先住民の顔を見付ける。

 メヒコ旅行記、とりあえず後もう2回の予定です。

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