« 2009年度佐藤亜紀明治大学特別講義第4回 | トップページ | メヒコ旅行記4 »

メヒコ旅行記最終回

 この旅行ではプランを立てるに当たり、砂漠とバロック教会のどちらを取るか迷った結果、自分の体力が信用できないので砂漠は諦めることにした、と最初に書いた。その判断は間違っていなかった。都市部にしか行かなかったのに、しっかり体調崩しましたよ。到着の翌日、朝食を食べてから5分と経たないうちに、胃がキリキリと痛み始めた。持参の胃薬を飲んでもまったく効かない。どうも、オレンジを食べたのが拙かったようだ。ガイドブックには「生野菜は絶対食べるな」と書いてあったのに、生野菜も生の果物も一緒やという頭がなかった私の不注意である。

 胃痛は丸二日続き、三日めから腸に移動。症状は薬で抑えられたが、じわじわと体力が削られていく。なんていうか、ステータス異常で常時「毒」状態って感じ。後半のグアナファトは山間の町で、とにかく坂ばかりで歩き回るだけでも非常にしんどかった。ディエゴ・リベラの生家も、大きな市場も素通りしてきてしまいました。別にやばい病気とかじゃなくて、帰国してから内科で抗生物質を処方してもらったら、あっさり治りましたけどね。

 さて、ベニート・フアレス空港に到着直後、取り調べとも言えない取り調べを受けた理由は結局謎のままなんだが、帰路、乗り継ぎのヒューストンで推測の手掛かり(のようなもの)を得ることはできた。
 出国手続きの際、偶々同じ列に並んでいたアジア系は、私のほか六十代の日本人女性と私と同年代の中国系女性だけだったんだが、六十代の女性が他の乗客同様、あっさり通過できたのに対して、私と中国系女性だけは非常に念入りにボディチェックを受けた。そこから推測するに、当時、麻薬密輸か何かに関わっていた三十歳前後のアジア系の女がいたのではなかろうか。一人旅で多額の現金(って言ったって、TCと併せても十万円足らずだが)を持ってたってことで、麻薬の買い付けにでも来たと疑われたんじゃなかろうか。
 その割りにあっさり解放されたのは、たぶん全然犯罪者っぽく見えなかったからだろうなあ。

 というわけで大変楽しい旅行でしたが、その成果が『ラ・イストリア』に反映されているかというと、まあそれなりに、いろいろと。

|

« 2009年度佐藤亜紀明治大学特別講義第4回 | トップページ | メヒコ旅行記4 »

メヒコ旅行記」カテゴリの記事