« 参考文献禄 | トップページ | 参考文献録 »

参考文献録

『オリエンタリズム』 E・W・サイード 板垣雄三/杉田英明・監修 今沢紀子・訳 平凡社 1986(1978)
orientalism
 文庫版(1993)のほう。再読。
 前回読んでから7、8年は経っている。当時よりいろいろ知識が増えたのは客観的事実だが、それ相応に理解力も増加していてほしいものである。
 この本の以前と以後では、「オリエンタリズム」の意味がまったく変わってしまったのだよなあ。そう考えると、邦訳が原著刊行から8年も経ってからというのは遅すぎやしないか。

 巻末に付された1985年の論文「オリエンタリズム再考」に、サイードの批判者たちについて述べた、こんな一文があった。

 こうした考え方は、「西洋的」オリエンタリズムに異議申し立てを行うイスラム教徒、ないしはアラブの議論の内部に潜むとされる、一種のルイセンコ学説を攻撃する上で好都合であった。

 こんなところで「ルイセンコ学説」の名に遭遇するとは思ってなかったんで、ちょっとびっくりした。
 えーと、この「サイードによるオリエンタリズム批判=ルイセンコ学説」という比喩は、「サイードによるオリエンタリズム批判=お粗末な獲得形質進化説」じゃなくて、「サイードの批判=欧米の正しい科学に対抗する目的だけで持ち出されたお粗末な疑似科学」って意味だよな?

『安禄山と楊貴妃――安史の乱始末記』 藤善真澄 清水書院 1984 (「唐代」)
 新書。日本人が書く一般向けの歴史書の中には、文体が妙に主観的というか感情的というか講談調(?)なのんが多い。読み易さを狙ってるんだろうけど、私には読みにくいよ。
 論考まで講談調なのんは話にならんが、本書は論考自体はそれほど問題はないようではある。が、推測で書いてるところが大きい上に、どこまで史料で確認できることなのか、著者の推測に過ぎないのかがはっきりしない。これもよくあることなんだけどさ。
 まあ客観的にみえる文体を選択するというのも、論考を客観的に見せかける作為だと言えんこともないけど。

 ノートを取ったのは安禄山が挙兵するとこまで(全6章中4章まで)だが、一応全部目を通す。安史の乱の情報は758年には日本にも伝えられ、万が一安禄山が日本まで侵攻してきた場合に備えて大宰府の守りを固めた、というのは初めて知った。
 いや、ねーよ、と思うのは後知恵であって、考えてみれば白村江の敗戦(663)から100年と経ってないわけだから、「中国が攻めてくるかも」という危惧は、たぶん元寇直前とかよりもずっと切実だったんだろうなあ。

|

« 参考文献禄 | トップページ | 参考文献録 »

参考文献録」カテゴリの記事