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参考文献録

『サーデグ・ヘダーヤト短篇集』 石井啓一郎・訳 慧文社 2007
 カヴァー折り返しにヘダーヤト(1903-1951)の二枚の肖像写真が掲載されている。一枚目は、レンズの分厚そうな丸眼鏡を掛けた、いかにも近代アジアの凡庸な官吏といった印象の写真(実際には凡庸どころか役人としてはまったく無能)、もう一枚はひどく気取ったポーズを取った(眼鏡なし)、戦前のヨーロッパ映画スターのブロマイドもどきといったところだ。
 本人が望む肖像は明らかに後者だが、そんなふうにも、そしてまた前者(凡庸な官吏)のようにも生きられなかったのが彼の不幸である。

 10の短篇および3つの詩からなるこの作品集のうち最も多数を占めるのが、著者の最も顕著な特徴といえる厭世的な作品で、そのほとんどが主人公もしくはそれに準ずる人物の死で終わっている。
 訳者の解説では、虚無的・不条理的といった形容も使われていたが、そう呼ぶにはいささか単純だという気がする。まあ言葉の厳密なイメージというのは人それぞれだが。ヘダーヤトがカフカに傾倒していたから、そういう形容を選んだのかもしれないが、カフカが「虚無的・不条理的」だというなら、死をある種の決着としているヘダーヤトは、なおさら違うんじゃないかと。

 ともかく暗澹として絶望的な話ばかりなのは確かで、そういうのんは山と積み上げられると一山幾らという感じで安っぽくなるよなと私は思うのである。このタイプの7つの短篇のうち、唯一誰も死んでない(少なくとも作中では)「慕情の幻影」は、なかなか皮肉の効いた展開で、こういうのなら虚無的と呼んでもいいんじゃないかと思う。ただ、終盤で視点がぐらつくのは、技巧の未熟によるものだろうか。

 第二のタイプは、寓話的な短篇1つと3つの諧謔的な詩で、いずれもシニカルな内容だが「キングコングの物語」は『キングコング』の筋がほとんどそのまま述べられているだけ(のように見える)にもかかわらず、奇妙にもアラビアンナイト風に装われている。

「拝火教徒」と「最後の微笑」は、アラブ・イスラムに対抗するものとしてイラン文化を打ち出したナショナリズムを反映したもので、訳者解説にもあるとおり、ある種の単純さは否めない。しかしそれとは別に、「最後の微笑」でのアッバース朝初期の大宰相の一門が「隠れ仏教徒」だった、という発想や、イスラム的世界観に反発を抱くムスリムの仏教観はおもしろかった。

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