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参考文献録

『安禄山――皇帝の座をうかがった男』 藤善真澄 中央公論新社 2000 (「唐代」)
 人物往来社から1966年に刊行されたもの。先日読んだ『安禄山と楊貴妃』と同じ著者による。安禄山を主題にした本(日本語の)がほかにないから仕方ない。内容も『安禄山と楊貴妃』と被ってる部分もあるんだけど、まあ被ってない部分もあるのでノートを取る。

 日本では天平宝宇2年(758)、従来「アメノシタシラススメラミコト」に当ててきた「天皇」を「皇帝」に改めることにし、その第一号が「聖武皇帝」(諡号)だった。その2年後、帰国した遣渤海使から、安禄山が謀反し「大燕聖武皇帝」と自称している、という情報がもたらされた。朝廷は驚愕し、しかし諡を変えるわけにはいかないから、とにもかくにも「皇帝」だけ「天皇」に戻した。
 そして、そのまま皇帝号の使用は頓挫してしまったという。へー。

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『文化と帝国主義』 E.W.サイード 大橋洋一・訳 みすず書房 1998-2001(1993)
culture and imperialism
 原題(表記できるもの)も記録するつもりでいるんだが、時々忘れる。全2巻。
 イギリスとフランスとアメリカの帝国主義について。アメリカについては、やはり湾岸戦争が中心になっているのだが、10年後の状況にもそのまま(というかさらに悪化して)当て嵌まるのがなんとも。
 本書で除外されてるロシア(帝政)・ソ連の帝国主義については、カルパナ・サーヘニーの『ロシアのオリエンタリズム』がある。

 エドマンド・ウィルソン(1895-1972)については佐藤亜紀氏による紹介でしか知らないので、それはもう明らかにフィルターが掛かっているのだが(馬鹿な批評家・馬鹿なアメリカ人)、本書でそのフィルターに上塗り。
 ウィルソンによるキプリング批判が引用されている。キプリングの『キム』が駄目なのは、キムが「自分が行っているのは、常に仲間であると見做してきた人々を、侵略者のイギリス人の奴隷にする手助けであるということ」を悟らないから(読者はそれを期待しているのに)、だそうである。キプリングは、故郷インドに対する母国英国の政策は悪しき帝国主義だという「葛藤に向き直ろうとしないから」駄目なのでそうである。

 サイードに言わせれば、この「葛藤」は、「キプリングがそれに向き直ろうとしないから解決できないのではなく、キプリングにとって、そのような葛藤などはなから存在しないがゆえに、解決のしようがなかったのである」。
 ウィルソン(のような批評家)は小説に対し、まず「こうでならなければならない」型を想定し(彼の場合は、作品内で何か問題が提示され、結末までにそれが解決または克服されなければならない)、その型に当て嵌まれば良い小説、型から外れれば駄目な小説、というわけだ。自分が想定した型に嵌ってるか嵌ってないか、それ以外のものは一切目に入らない。

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