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参考文献録

「飲茶の世界――茶以前から煎茶・点茶へ」 筒井紘一 (『長安――絢爛たる唐の都』 角川書店 1996) (「唐代」)
 94年の「大唐長安展」記念講演会の講義録。ほかに7名の講義録を所収。遣唐使や平安京とは関係のない内容の「権力と宗教の都――宮殿・仏寺・苑囿」(田中淡)、「黄泉の地下宮殿――壁画に彩られた陵墓群」(田辺昭三)、「唐代長安の石刻――その社会的・政治的背景」(礪波護)の三篇も読んだが、ノートを取ったのは筒井氏の講義録のみ。

 講義内容をあまり推敲せずに掲載したようで、話がとっちらかっててまとめにくかった。「飲茶の創生について述べてみる」とか言いつつ、述べてないし。参考文献や註もない。お茶については背景程度に知っておけばいいから、この程度で構わないんだけど。

 唐宋代のお茶といえば、学部時代のゼミで専門に研究してる子がいたなあ。以下、余談。
 私が史学科東洋史専攻を選択したのは、まあ歴史が好きだったというのは確かにあるんだが、それ以上に、「将来なんの役にも立たなさそう」な分野だったからである。いや、「役に立つ=価値がある」という価値観が嫌いな高校生だったんですよ。禄でもない餓鬼だな。
 ともあれ、「将来なんの役にも立たなそう」という見込みは大当たりで、私が直接知る東洋史専攻卒業生のうち学んだことが就職に直接役立った人は、大学院卒業後に講師になった先輩を除けば(それも一人だけだ)、上述のお茶専門の子だけである。
 東洋史専攻の同輩の中では抜きん出て優秀な学生だったので、院に進むものと誰もが予想していたのだが、そうせずに誰もが知るお茶の会社に就職した。今頃どうしてるかなあ。

 私はといえば、当時から小説家志望だったが、東洋史で学んだことが役に立つような小説を書く気など毛頭なかった……今現在いろいろと役に立ってるよなあ。
 学んだことが役に立つような小説にするつもりでネタを考えてるわけじゃないし、そもそも書いてる小説からして一部の人たちの楽しみ以外なんの役にも立たないわけだから、まあ初志貫徹できてるとはいえるけど。

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『人間と音楽の歴史 イスラム』 ヘンリー・ジョージ・ファーマー 音楽之友社 1986 (「音楽 中世アジア」)
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 原書の刊行年不明(1976という数字があるんだが、ドイツ語はまったくわからんので刊行年なのか不明)。邦訳者の記載なし。「日本語版制作協力者」として、内藤正典、黒田多美子、内藤直子、玉川裕子の名が記載されている。
 主に図版とその解説で構成されている。概ね年代順だが、目次がないので不便。ウード、スルナーなどの楽器名をリュート、オーボエなどヨーロッパの楽器名に置き換えてあるのでややこしい(邦訳者によるフォローはあるが)。絵画や浮彫などで表現された楽器は当然ながら細部の様子は不明なので、余計に解説がわかりにくい。復元図とか、現代の同類のイスラム楽器の写真とかも付けてくれればいいのに。

 扱ってる時代はサーサーン朝の600年頃から16世紀まで。16世紀を下限とした理由を、この時代に「イスラム世界の音楽生活の発展が終焉」した、としている。後に続く文章からすると、どうも著者は「イスラム世界の音楽」を「アラブ世界の音楽」とほぼ同義としているようである。
 イスラム音楽を、ペルシャや中央アジア、ビザンティンなどから多大な影響を受けつつもあくまでアラブ音楽を基盤とするものであると定義し、イスラム世界が分裂し、それぞれの地域固有の文化が発達し始めた9、10世紀にはすでにアラブ諸国の文化的後退が始まり、その後もモンゴルの侵入、トルコの台頭、イベリアからの撤退など、「政治的・文化的後退」は続き、16世紀以降、「イスラム音楽」はもはや発展を止めた、ということらしい。
 というわけで、トルコ音楽等は当然扱われていない。どっちみちノートを取ったのは10世紀頃までだけど。

 最近の研究によると、従来、サーサーン朝ペルシアで製作されたと思われていた銀製品のうち、中央アジアや中国、ロシアとかで出土した物のほとんどは、実は中央アジアのソグド人によって作られた物だと判明したという。だから、本書で扱われてる「サーサーン朝銀器」も、イラン出土以外の物はそうなんだろうな。

 著者について、経歴等一切解説はないのだが、後日、岸部成雄の1936年の論文「琵琶の淵源」(『唐代音楽の歴史的研究 続巻』所収)で、「アラビアの豊富な文献を利用してアラビア音楽を徹底的に研究している」と紹介されてるのを偶々見つけた。

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