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参考文献録

『マカーマート』 アル・ハリーリー 堀内勝・訳注 平凡社東洋文庫 2008-2009
全3巻。
 バスラ(イラク南部)のアル・ハリーリー(1054-1122)が1110年頃完成させた、50篇からなる物語集。アブー・ザイドという老人が他人を騙して金品を巻き上げる、という筋だが、その手口の大部分は、

  1. 禁欲や敬虔さを説いて人々を感動させ、お布施をせしめる。
  2. 貧者や身体障害者に身をやつして人々の同情や侮蔑を誘った上で、見事な詩や弁舌を披露して驚嘆させ、施しをせしめる。
  3. 妻や息子と組んで互いを訴え、それぞれの機知と教養で法官を感嘆させ、褒美をせしめる。

 のいずれかである。2の偽装はもちろん、1は他人に無欲を説いておいて自分は貰った金で大いに飲み食いし、3は偽りの訴訟だから、紛れもなく詐欺ではあるのだが、肝要なのは詩作や弁舌の巧みさなので、お堅い知識人たちにも人気があったのだそうである。
 ここでの「巧みな詩や弁舌」はほとんどの場合、内容そのものよりも押韻や語呂合わせ、掛詞が重視される。つまり、わずかな例外を除いて、翻訳は非常に困難である。

 訳者の堀内氏が取った手段は、押韻/語呂合わせ/掛詞の箇所には原音を付すというものなのだが、冒頭の訳者序言は、これをラテン文字表記にすることを宣言している。アラビア語には日本語にない子音が幾つもあるので、カタカナ表記だとそれらの音の区別が付かないから、というのがその理由である。
 が、要は「ムフタッフーナ」と「ムルタッフーナ」、「リサーニ」と「ジャナーニ」のように、語呂が合っていることが判ればいいのであって、子音の細かい区別を示す必要などどこにもない。   
実際、1巻所収の話はラテン文字ではなくカタカナで原音を表記してある。
 どうも翻訳が長期間にわたり、その間に方針が変わったらしい。で、いかなる理由によるものか、最初に訳した分はラテン文字表記に直すことなくカタカナ表記のままである。

 序言の宣言の大上段振りとこの不徹底のギャップが気持ち悪いなあと思いつつも、お蔭で1巻は読みやすかった。2巻以降は序言の宣言どおり、原音はラテン文字で表記されており、これがやたらと読みにくい。
 この作品は「耳で聞く文学」なので日本語表記にしてしまったら意味がない、というのが著者の主張で、つまりラテン文字表記の部分は声を出して読め、ということらしく、序言ではアラビア語の発音の解説も行っている。
 しかしアラビア語の知識のない読者が、摩擦音だの強勢子音だの咽頭奥音だの言われて、果たしてどれだけ理解できるものだろうか。sの強勢をS、tの強勢をT、普通のhと咽頭奥音のHといった具合に大文字小文字で表すのはまあいいとしてだ(著者の独自の表記法?)、xが小文字になったり大文字になったりしてるのは、なんの区別だ。

 アラビア語の知識がない読者を置いてけぼりにするつもりがないならカタカナで表記すべきだろうし、置いてけぼりにしてまうというならいっそ原語(アラビア文字)を表記してくれたほうがよっぽど判り易い。とにかく読みづらかったんだよ、このラテン文字表記が。

「原音に近い表記」へのこだわりというと、以前観たオペラの字幕の人を思い出してまうなー。もちろん、あれほどひどくはないけど。
 この原音表記問題も含めて、注や解説など全体に微かに(「微か」程度だが)漂う独り善がり臭がなんとも。

 まあしかし、これだけ訳すのは想像を絶する労苦があっただろうし、「邦訳困難」な作品の訳文というのは得てして日本語として残念なことになりがちなものだが、この堀内氏の訳文は(日本語の部分だけなら)なかなかに軽快で読みやすく、おもしろかった。詩も流麗だし。

 マカーマートは一種のジャンル文学であって、アル・ハリーリーの本作はその最高傑作とされているそうだが、こうした各種の「マカーマートもの」がスペインのユダヤ人によって翻訳・翻案され、16世紀スペインのピカレスク文学の源流となったそうである。

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