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参考文献録

『生埋め――ある狂人の手記より』 サーデグ・ヘダーヤト 石井啓一郎・訳 国書刊行会 2000
 こないだ読んだ『サーデク・ヘダーヤト短篇集』よりもおもしろかった。『短篇集』は、所収作品の大半が主人公もしくはそれに次ぐ主要人物の自殺(もしくは自殺の可能性のある死)で終わってるんで、安っぽい印象なんだよな。

 この『生埋め』もペシミズムは一貫してるんだけど、作品そのものはヴァラエティに富んでいる。
また所収作品すべてに共通した感想は、ヘダーヤトが西洋の小説を非常に読み込んでいること、そこから得たものを当時のイランに於ける事象(伝統的なものも新しいものも)とよく融合させていることだ。この印象は、『短篇集』所収作品よりも強い。

「幕屋の人形」:人形愛が主題。パリに留学したイラン人の青年は、一体のマネキンに恋をする。
「この娘は彼に何を語りかけることもない。偽りの愛を語って彼を欺く怖れもない。彼を振り回すこともしなければ、嫉妬に狂うこともない。いつも黙っていて、いつも同じように美しい。彼の究極の思いと願望を具現してくれるのだ。(中略)何よりこの娘は何も話さず、意思を表すこともない。」
 故郷に帰ってもマネキンを愛し続ける主人公に、婚約者である従妹はなんとか彼に振り向いてもらおうと、髪型から体型までマネキンに似せようと涙ぐましい努力をする。主人公もそれに気づき、罪悪感に苛まれる。

 所収7作品のうち6作品は1930年代初めのものだが、「タフテ・アブーナスル」だけは1942年の作。
 イランでアケメネス朝の遺跡を発掘していたアメリカ人たちが、石棺に納められていたミイラを発見する。一緒に納められていた古文書によると、それはアケメネス朝の帝王であり、なぜペルシアでミイラかというと、呪術によって仮死状態にされたからであった。
 考古学者たちが興味本位で、古文書どおりに復活の儀式を行うと……という、まるっきりのホラー小説、というより1932年の『ミイラ再生』(元祖ミイラ映画)か。映画好きだったそうだからな(『短篇集』にはキングコングを詠った詩がある)。
 しかし、映画でミイラが(ミイラの姿のまま)人間を襲うのは『ミイラ再生』続編の『ミイラの復活』が最初だそうだ。僅差でヘダーヤトが先行してたかもしれない(とすれば、ヘダーヤトは「人間を襲うミイラ」のプロットの元祖なのかもしれない。まあそうだとしても、後世への影響という点からすると元祖とは言えないが)。

「捨てられた妻」:イランの地方を舞台にした、タイトルどおりの話。救いのない話だが、結末は奇妙な解放感がある。

「深淵」:親友の突然の自殺によって主人公の人生が狂う、という筋で、ヘダーヤトが好む「自殺もの」に分類できるといえばできるが、『短篇集』所収の「自殺もの」よりは展開や心理描写が巧い。

「ヴァラーミーンの夜」:これまで読んだヘダーヤト作品で、ヨーロッパで教育を受けたエリートのイラン人が母国に感じる齟齬、疎外感といったものを扱ったり、または間接的に感じ取れるものはなかったが、これはそうした齟齬をテーマにしている。
 なかなかおもしろかったが、オチ(主人公の末路)は当時(の欧米文学)でも少々陳腐だったんじゃないか?

「生埋め」:自殺もの。パリに留学しているイラン人青年が、人生に嫌気がさして自殺を試みる、その手記である。
 この作品の2年前に、ヘダーヤトはパリで入水自殺未遂をしている。間違いなくその体験がベースになっており、まあつまり、かなり「痛い」作品なわけだが、世間体を気にする主人公が、あの手この手で体裁の悪くない死を迎えようと苦闘するさまは、むしろブラックユーモアの様相を呈している。

「S.G.L.L」:意外にもSFである。もっともディストピアものなので、らしいといえばらしいが(スペースオペラだったりしたら、びっくりだ)。
 ディストピアものが興隆したのは1920年代だそうである。1930年代以前のSFは、あんまり読んだことがないんだけど、紀元4000年紀(オマル・ハイヤームの時代から3000年後という設定である)の文化や社会の描写は、明らかに欧米のSFをかなり読み込んでいると思わせる。
 それらの描写のうち、言及される科学技術だけ取っても、かなり洗練されたものだろう。まあ訳文に拠るところも大きいかもしれないが。古いSFが古臭く感じられるのは訳文も一因ではあるから。
 真に独創性があるのは、この未来の社会が「真に幸福な社会」であることだ。全体主義だったり、極端な階級社会だったりはしない。老いも病も貧困も労働も不平等も抑圧も、すべて克服されている。
 その結果、「目的のない人生」は人々を苦しめ、「自殺は多くの人々の心を捉えるように」なった。「科学も、イデオロギーも種々の哲学論も、人間の魂の痛みを鎮めることはでき」ない。人類の選択は「生存の必要という軛からの解放、即ち己の種の地上からの絶滅破壊」というものだった。
 とはいえ、人類の一斉自殺となると、どんな方法を取ろうと「野蛮で惨たらしい」ものになってしまう。科学者たちの選んだ手段は、20年かけて開発した「特別の血清」によって人類の生殖能力を性欲ごと取り去ってしまうことだった。

 性欲がなくなった人間は、「不思議な安堵と平和」を手に入れ、死への渇望もなくしてしまう。そのまま、一人残らず寿命を迎えるまで静かに穏やかに余生を過ごせばいい、というわけである。その施術の後でも、なおも死を望む者がいるとすれば、彼らは「適者生存survival of fittest」ならぬ「suicide of fittest」(この句は原文でも英語で表記されている)を行う者、つまり自分の意志によって死を選ぶことのできる「適者」ということになる。
 この「特別な血清」の名はゼールム・ゲーゲン・リーベス・ライデンシャフトSerum Gegen Liebes Leidenschaft(抗発情性血清)、すなわちS.G.L.Lである。

 主な登場人物の名は、スーサンにテッド、ラーク博士でありイラン色は薄いが、オマル・ハイヤームの詩にヘダーヤトが見出した死への憧れが通奏低音となっている。破滅への予兆として、ダマーヴァント山(世の終わりに蘇るという蛇王ザッハークが封印された山)の噴火が挙げられてるのは御愛嬌か。

 スーサンを愛するテッドは、人間は本当は死を望んでいない、と主張する。そんな彼の「生への憧れ」を彼女は否定するが、しかしS.G.L.Lによる穏やかな滅亡にも懐疑的で、人間は「生存闘争struggle for exitence」ならぬ「struggle for deth」、死ぬための闘争を行うべきだと述べる。
 彼らがそれぞれの主張に従って、S.G.L.Lの投与に逆らうという展開にはならず、全人類への投与は実施される。しかしその結果は……
 結末は破滅ものになっていると言えるが、破滅ではないという解釈も可能である。

 古典ホラー、古典SFのアンソロジーを新しく編集することがあるなら、それぞれ「タフテ・アブーナスル」と「S.G.L.L」を入れてもらいたいなあ、とか思ったり。

オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』感想

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