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参考文献録

『幻想の東洋――オリエンタリズムの系譜』 彌永信美 青土社 1987 (「オリエンタリズム」)
 史学畑出身の人らしいけど、文章や論調が歴史系でもどっちかってーと哲学史とか神秘思想史とか美学史とかそういう系統の感じで、最初はやや読み難かった。著者自身、あとがきで「劇的な文体」で書いてしまったのではないか、と「反省」しているが、この「劇的」というのと私が感じた文体の違和感は同じものだろうと思う。読んでくうちに慣れたけど。

 それ自体、亀裂や異質性を抱えた「ヨーロッパ」がいつから、どのようにして自己を「西洋(オクシデント)」と位置づけるようになったのか、という疑問をまず提起し、「ヨーロッパ=西」という概念が確定した時点でヨーロッパの外、ヨーロッパにとって異質な事物はすべて(現実の地理でそれがヨーロッパの東であろう西であろうとお構いなしに)「東洋」に分類される、とする。だから、アメリカもアフリカも「インド」なのである。
 つまり、日本人が自らを「東洋」だと認識するのは、自らを「西洋」だとするヨーロッパ人の概念に従っているのだ、ということになる。そのヨーロッパ中心主義に「東洋人」が気づかないのは、「西/東」という分類が一見相対主義的だからである。もしその相対主義的な装いを剥ぎ取って、わかりやすく「ヨーロッパ=中心=文明/非ヨーロッパ=周縁=野蛮」という分類だったら、それを甘受する「非ヨーロッパ」人はいないだろう。

 サイードの『オリエンタリズム』は、「オリエント=ヨーロッパ(オクシデント)にとって他者すべて」とはせず、オリエント=アラブ・イスラムと限定することで、その内容を限定されたものにしてしまった上に、問題の所在を曖昧にしてしまった。
 アラブ・イスラム以外のオリエント(ヨーロッパにとっての他者)のうち、ペルシャ以東、サハラ以南のアフリカ、アメリカ、オセアニアなどはヨーロッパとの接触が遅かったので、少なくとも『オリエンタリズム』に於いては、除外してもそれほど問題はなかっただろう。しかしユダヤ人というヨーロッパの「内なる他者/オリエント」問題を無視したのでは、やはり一面的にしかならない。東洋学という意味でのオリエンタリズムが、ヘブライ語の研究から始まったことには言及してるのに。

 本書はサイードに無視されたこの二つの問題(「オリエント=ヨーロッパにとっての他者すべて」と「内なる他者/オリエントとしてのユダヤ人」)について、アラブ・イスラムおよびユダヤ以外のオリエント(サハラ以南のアフリカ、アメリカ、インド以東)との接触が堅固なものになる16世紀までを扱う(もちろん、アラブ・イスラムについても扱う)。『オリエンタリズム』では取り上げられなかった「オリエンタリズムの系譜」として、なかなかに読み応えのある本だった(ただし、本書の内容は85-86年に『現代思想』に連載されたものであり、1986年の『オリエンタリズム』邦訳版よりも早い)。

 本書の出発点は、16世紀のキリスト教カバリスト、ギヨーム・ポステル(1510-1581)がなぜ「仏陀はキリストである」と言い出したか、という疑問である。全16章(+序とエピローグ)は古代ローマから始まって16世紀のポステルの時代に至る「オリエンタリズムの系譜」が順序よく論じられていく。
 ヨーロッパの精神史(思想史、宗教史)については全然疎いので、いずれ詳しく調べたい。というわけで巻末参考文献録から、20冊余りを拾う。まあ読むのは当分先だが。

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