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参考文献録

『大英帝国のオリエンタリズム――歴史・理論・諸芸術』 ジョン・M・マッケンジー 平田雅博・訳 ミネルヴァ書房 2001(1995)
orientalism: history, theory and the arts
 これはひどい。

 イギリスの歴史家によるサイード批判。本文(+注)340頁と、あまり厚い本ではない(全8章+序章・結論)。うち3分の1弱にあたる80頁(序~第2章)が、サイードおよびその「追随者」たちの批判に充てられている。
 主に槍玉に挙げられているサイードの著書は、『オリエンタリズム』(1978)と『文化と帝国主義』(1993)。いわゆる「オリエンタリズム論争」についてはほとんど何も知らんので、このパートはよくわからんかった。

 が、要するに著者が言いたいのは、サイードと「追随者」たちは「文芸理論家」「言説理論家」なので、歴史をまともに解釈することができない。まともな歴史家なら回避するよう常に注意する「過去の時代に現在の価値観を読み込むこと、過去の世代の人々の判断にそのまま基づいた上滑りの判断をすること、意図と結果を区別しないこと、著者の意図と読者の期待との軋轢から由来する読み方の多様性を見落とすこと、など」を平気でやらかす。
 それに対し、「真摯な歴史家たちは、党派的で物語的な伝統を長いこと棄却しており、近年の帝国史研究の確固とした分析的・自己批判的傾向を選択している。」
 だから「真摯な歴史家たち」はオリエンタリズム論争に加わったりしない。そして著者もその一人であるが、もはやサイードと追随者たちの跋扈が目に余るので、というわけだ。

 覚えがないこともない価値観だな……「歴史家=正しい歴史認識ができる=正しい」「門外漢=正しい歴史認識ができない=駄目」

 第3章からは、19世紀~20世紀初頭のイギリス(および他のヨーロッパ諸国)の諸芸術の「(本来の意味に於ける)オリエンタリズム(すなわち東洋趣味)」の具体例を列挙している。第3章:絵画、第4章:建築、第5章:デザイン、第6章:音楽、第7章:演劇(なぜ文芸を除外しているかは不明)。
 そうして、イギリス(とその周縁である欧米)はこんなにも東洋を賞賛し、影響を受けてるじゃないか、侮蔑や政治的意図なんかないじゃないか、と主張しているのである。

 サイードは、広義のオリエンタリズムの「東洋趣味」「異国情緒」の面を完全に無視しネガティヴな面ばかり取り上げている、というのがマッケンジーによる批判の第一義である。
 確かに『オリエンタリズム』では、サイードは欧米人の「東洋への賞賛・憧れ」をほぼ無視している。しかし『文化と帝国主義』では、一応それなりに取り上げている(特に『キム』で描かれるインドの魅力について)。
 その上でサイードが問題としているのは、賞賛しようが貶めようが、ヨーロッパ人は東洋について語る時、その言説は当の東洋人たちが自身について語る言説よりも断然正しいと思っている。否、それどころか東洋人たちが自身について語る能力があるとすら思っていない、ということだ。

 マッケンジーは、サイードのこの苛立ちをまったく理解していない。それはもう、見事なまでに。「我々は東洋をこんなに賞賛し、影響を受け、愛している。なぜそれが解らないんだ。確かに細かい考証は間違ってるかもしれないが、東洋への愛があるんだからいいじゃないか。なぜそれが解らないんだ」と驚き、不快を露わにしているだけである。
 無神経な人間を無神経だと非難しても徒労に終わるだけ、という見本だな。

 オリエントを題材とした芸術作品に、(ありもしない)政治性を見出している、というのがマッケンジーのサイード批判の第二義だが、どうも彼は「政治」を「国の政策」と極めて狭く定義しているようで、あたかもサイードを暗に陰謀論者と誹謗しているかのようである。
 マッケンジーはまた、サイードの主張を「比類なき西洋の植民地の文化衝突におけるマニ教的二項対立」とし、「マニ教的二項対立」または「二項対立」という語は、この大して厚くない本の中に繰り返し登場する。
 サイードはそんな見方はしてないし、「マニ教的」って修飾もなあ。マニ教の神話では、少なくとも地上に於いては光の元素と闇の元素は交じり合った状態とされていて、つまりは「二項対立」にはなってないんだが。まあ慣用句っちゃそうなんだが、慣用句を何度も何度も何度も繰り返すというのもアレだな。

 サイードが『文化と帝国主義』で取り上げている芸術作品がサンプルとして充分な数とはいえないのに対し、マッケンジーは膨大な数の芸術作品を列挙している。しかし上記のように、「我々は東洋をこんなにも賞賛してきたんだ。イデオロギーなんかない」という主張を繰り返しているだけなので、作品タイトルの列挙というかほとんど羅列で終わってしまっている。
 また列挙・羅列された作品の選択にしても、例えば第三章の絵画で浮世絵の影響を無視してるのが理解できん。

 あと、細かいことだが「1851年」の万博に「日本からの出品」があった、てのは何? 独自の区画ではなく中国の区画に展示されたそうだが、私が知らないだけで史実なのか? それとも誤字? 誤認? マッケンジーのミスだったら、訳注等でフォローすべきだろう。ミスじゃなくて史実だとしても、フォローは欲しいよな。
 Eugèneの読みが「アージェン」ってのもないだろ(英語読みだったらユージーンだ)。アージェン・ドラクロワて、同姓の知らない人だと5秒くらい思ってしまいましたよ。

 ……といろいろ不満はあるが、まあ「彼ら」の考え方はよくわかったし、実は作品タイトルの羅列・列挙だけでも結構おもしろかった。例えば1828~1916年にロンドンで上演されたオリエンタル劇タイトル:「地震、ナイルの亡霊」「バヤデレス」「砂漠、イマームの娘」「ムガール皇帝」「芸者」「アマシス、エジプトの王子たち」「提灯」「チュー・チン・チョー」etc

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