« 参考文献録 | トップページ | 参考文献録 »

参考文献録

『唐シルクロード十話』 スーザン・ウィットフィールド 山口静一・訳 白水社 2001(1999) (「中央アジア地誌・紀行」)
life along the silk road
 著者は英国の敦煌研究者だが、本書は歴史書ではなく歴史小説。8世紀半ばから10世紀後半に至る時代のシルクロードを舞台に、「この地に生きた十人の人々の生活を、資料に基づいて再構成した物語」(訳者あとがきより)。

「資料に基づいた」とあるとおり、細かいエピソードやネタ(薀蓄)は記憶にあるものが多く、つまり文献資料や発掘調査報告、論文等のつぎはぎである。例えばサマルカンドとパンジケントの街の様子はエルミタージュ美術館の発掘調査隊の報告そのまんまとか。
 まあ巧いこと構成してるとは思うし、それだけ大量の資料を使ってるということなんだけど、細かい間違いが多い。私の中国~西域についての知識は8世紀半ばがピークで、そこからは時代が下がるにつれて先細りになっていくんだが(あー、あと大学のゼミはなぜか古代・中世じゃなくて近代・現代に入れられてたのと、『ミカイールの階梯』の時だいぶ勉強したのとで、近現代史については一応……)、目に付いただけでもかなりの量である。

 アッバース朝のバグダード遷都が750年だとか(正しくは762年)、「一頭のラクダの背中に大きな木製の鞍を置き、その中に八人の楽隊員が乗った」とか。
 後者はこの唐三彩を写実だと思ったんだろうな……いや、駱駝はこんなにでかくないから。積載量も最大で300キロ足らずだから。

Abc2007032309

 ほかにも、長安には「王宮から500フィート幅で南に延びる大通りに沿って建ち並んだレストラン」があるとか(この時代の長安に、「大通り(大街)に沿って」入り口のある店は存在しない)。なお、朱雀大街の道幅の数値は正しい。
 「ヌードル」とあるのは漢字の「麺」の直訳だろう。中国の「麺」は日本のいわゆる麺類ではなく、小麦粉食品全般を指す(唐代では主食を「餅」といい、こちらのほうがよく使われた)。唐代にはまだ日本でいう麺類はないだろう。英語のnoodleがpastaと同じ意味だったら訳として適切だが、日本と同じ意味しかなかったら間違い。
 いちいち挙げないが、この長安の「レストラン」の下りはわずか1頁程度にミスが盛りだくさんである。中国の公娼制度とか女性の化粧や服飾についての記述なんかを見る限りでは、唐代文化について決して無知ではないんだけどね。

 ホータンの玉については「ジェードすなわちネフライトはきわめて硬質であるため、造形には細かい砂と水とダイアモンド・ドリルで長時間研磨しなければならない」とある。エドマンド・H・シェーファーの『サマルカンドの金の桃――唐代の異国文物の研究』(1963年刊。邦訳は2007年)によれば、「玉」(ぎょく、yu)の英訳は jadeだそうである。
 中国では玉とは翡翠に限らず美しい石全般を指すが、欧米では半透明の緑~白の宝石jadeと呼ばれるのは硬玉(ジェイダイト)だけで、中国産のよく似ているが硬さのやや劣る玉(翡翠)は軟玉(ネフライト)として価値が劣るとされる。中国でも日本でも硬玉と軟玉の区別には無頓着だけど、欧米ではかなり厳密なはずである。
 ウィットフィールドによる上記の説明からすると、彼女は中国の玉についても、硬玉・軟玉の区別にも無知なようだ。彼女が参考文献の一つとして挙げる『サマルカンドの金の桃』では正確な説明がされている。ちゃんと読んでないってことだな。

 訳文が「ジェード」「ネフライト」とカタカナ語になってるところを見ると、訳者の山口氏も解ってないのかもしらん。
 巻末プロフィールを見ると、訳書の一つにオーレル・スタインの『砂に埋もれたホータンの廃墟』があるので、シルクロードについての知識はあるようだが、小説の翻訳経験はないようである。
 そのせいか、一応は中国~西域が舞台の歴史小説だというのに、やたらとカタカナ語が多い。スカートとかジュースとかテーブルくらいはまあいいとして、「マーケット」「ノンストップ」「スキャンダル」「ポリッジ」「マトン」「ビーフ」「グレープ」……「ウイグル人はヌードル類や干したフルーツを携行していたが、主食はミートだった」とか、あんまりだよな。
「ドウ・ストリング」とか、なんだか判らないからそのまんまカタカナにしてると思われるものもある。「マウス・オルガン」(笙)や「ダブルシックス・ゲーム」(双六)とかも、もしかしたらそうなのかもしらん。
 あと、パジャマとかファスナーとか、英語では広い意味を持つけど日本語では限定した意味しか持たないんだから、適切な語に訳すべきだろう。ソグド人の衣装を表現するのに、「マンダリン・カラー(前開きの詰め襟)、正面中央にファスナー」ってのも酷いが、「マンダリン・カラー」は原文をカタカナにしただけだろう(()内の註釈も原文にあると思われる)。

 日本人作家の小説だと、舞台となる時代や場所によって語彙の使い分けがかなり厳密である。もちろん、語源にこだわりすぎてたら日本を舞台にした小説しか書けなくなってしまうが(それさえも時代を遡るほど制約が大きくなる)、なんとなくのラインというものは存在する。
 その上で、敢えてそぐわない語を使うことで独自の雰囲気を作るということも行われる。前近代の欧米(もしくはそれ風の異世界)を舞台に、「唐変木」とか「お陀仏」といった言葉を使うことで「翻訳小説風」にするのも、その一つだ。

 英語の小説は数を読んでないので確かなことは言えんが(それ以外の外国語の小説は読んだことないし)、もしかしたら、あちらの作家は「舞台設定に相応しい語かどうか」に無頓着なのかもしれない。異世界ファンタジーで、turquoise blueというのんにお目に掛かった覚えがある(ナルニアの「ターキッシュディライト」はいいんです。あれはああいう世界なんだから)。

 以上のことに加えて本書の著者は小説家じゃないことを踏まえても、「マンダリン・カラー」は酷いわ。「アラブの軍勢はソグディアナの地を『オクサスの対岸』すなわちトランスオクサニアと呼んだ」ってのもな。「トランスオクサニア transoxiana」はアラビア語じゃねー(該当するアラビア語は「マー・ワラー・アンナフル」だ)。

 とか散々言いつつ、ノートは取った。

|

« 参考文献録 | トップページ | 参考文献録 »

参考文献録」カテゴリの記事