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参考文献録

『ゴシック名訳集成 暴夜アラビア幻想譚』 東雅夫・篇 学習研究社 2005
 文庫本700頁弱。大分を占めるのが「ヴァテック」が註も入れて140頁余り、「シャグパットの毛剃り」が400頁余り。どちらも初訳版(というか「シャグパット」の邦訳は一つしかないが)。
 ほかはアラビアンナイトの初期の邦訳、『開巻驚奇 暴夜物語』(永峰秀樹 1875)と『壱陌壱夜譚』(日夏耿之助 1923-1927)からそれぞれ抜粋した「黒島王の伝」と「黄銅の都城の譚」、小泉八雲による「シャグパットの剃髪」(「シャグパットの毛剃り」の評というか紹介。田部隆次・訳 1931)、その小泉の死に寄せた「シャグパットの毛剃り」邦訳者の皆川正禧の「蓬莱」、さらに古川日出男の『アラビアの夜の種族』外伝「サイプレス」。
 以下、「ヴァテック」と「シャグパットの毛剃り」のみ感想。

「ヴァテック」 ウィリアム・ベックフォード 矢野目源一・訳 1932(1782)
vathek
 ロバート・アーウィンは『必携アラビアン・ナイト』でこの「ヴァテック」を傑作と呼んでいる。当時すでにアラビアンナイトに影響を受けた東方物語が英仏両国で数多く出版されていたが、いずれも「長たらしいお説教」付きで、現代の感覚では退屈極まりない代物だそうである。
 それら有象無象に比べると、「ヴァテック」は「群を抜いて豊かな写実性にあふれ、イスラム世界の生活を最も正確に描写した作品だった。」
 枠物語の構造を取らせるつもりだったようだが、枠内の物語となるはずだった3つの物語はベックフォードの生前には発表されず(しかもうち1つは未完成)、20世紀に入ってようやく日の目を見たそうである。

「シャグバットの毛剃り」 ジョージ・メレディス 皆川正禧・訳 1927(1855)
shaving of shagpat: an arabian entertainment
『必携アラビアン・ナイト』に於ける評価は、「今となっては『シャグバットの毛剃り』は、流行遅れの作家の手になる忘れられた小説だ。いくつかの点について言えば、無視されても致し方ない。アラビアン・ナイトのパスティッシュもしくはパロディーとして捉えたとしても、大していい出来ばえではない。冒険物語として見ても、こんがらがっていて長すぎる。」

「ヴァテック」を、条件付きとはいえ絶賛していたのとは、随分な差がある。もっとも、この評価には、「ヴァテック」が画期的・先駆的な作品で後進に与えた影響がかなり大きかったのに対し、「シャグバット」のほうは刊行当時、アラビアンナイト風物語が時代遅れになっており、当時から現在に至るまで評価が高くないという差にも因っているようだ。
 ただし、ロバート・ルイス・スティーヴンソンは「シャグバット」の影響の下、『新アラビア夜話』『続・新アラビア夜話』を書いたそうである。

 日本でも、小泉八雲と夏目漱石が本作を高く評価しているほかはあまり注目されず、小泉の教え子だった皆川の邦訳も、出版に漕ぎ付けるまで十数年掛かり、しかも他の著者の本(ウォルター・ペイター『享楽主義者メイリアス』の下巻に付録という形でだった。「ヴァテック」の邦訳が何種類も出ているのとは、これまた対照的である。

 で、私の感想はといえば、「シャグパット」のほうが「ヴァテック」よりおもしろかった。

 訳文に拠るところもかなり大きいんだろう。刊行時期だけとっても「シャグパット」の邦訳のほうが先行してるわけだが、訳文はこちらのほうが読みやすい。講談調だが、それがどこまでふざけてるのか真面目なのかわからない、人を食った展開に似合っている。
 英米での「シャグパット」の評価の低さの一因に、「読みにくさ」があるようだが、もしかしたら邦訳はこの文体のお蔭で原典よりもおもしろくなってるのかもしれない。
 あと、これは『アラビアンナイト』のパロディなので、詩が多量に挿入されているのだが、地の文(詩以外の部分)が講談調なので詩と違和感がない。この文体でなかったら、どうしても物語の流れが中断されてしまっただろう。

 物語自体も、ロバート・アーウィンの評価がなぜここまで低いのかわからない。アラビアンナイトのパロディとしても、冒険ファンタジーとしてもよくできている。主人公の青年がへたれで、女に助けてもらってばかりいるとか、苦難を乗り越えてもあんまり成長しないとか、話がどんどん明後日の方角に転がっていくとか。
 それでいて構成はきちんとしているし、枠物語として挟み込まれる小編も、本家アラビアンナイトのように全然関連のない話の寄せ集めではなく、ちゃんと関連があってしかもおもしろいし。

「ヴァテック」について言うと、どうも私はゴシック小説が苦手かもしれない。あと耽美とか悪への憧憬とか。主人公のカリフ・ヴァセックの母親カラチスの悪女振りは気に入ったけど。

 以前『アラビアの夜の種族』を読んで、どうしてもアラビアンナイト的だとは思えなかったのだが、「ヴァテック」を読んで、ああこっちの系統だったんだなと腑に落ちる。
 ゴシック的というか耽美的というか、昔の(本来の)ヒロイック・ファンタジーにあるような暗黒神話的要素というか、そういうのんは、実は『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』にはない。少なくとも原典から訳した『アラビアンナイト』には。錯綜している上に相当いかがわしくはあるけど、そういう要素は一切ない。翻訳者の創作が少なからず加わっているというヨーロッパ版は、バートン版を子供の頃に途中まで読んだきりなんで、どうなんか知らんけど。

「シャグパット」は挿入された小編の一つ、「美人ヴァナバー」はそれなりにゴシック的だが(蛇属の女王となった美少女ヴァナバーが蛇の群を呼び出しては戯れ、「さうして起き上れば彼女の腕も頸も毒蛇の粘液で、ぎらゞ光る。」といった描写がある)、全体としては捻くれてはいるが健全で、そういう意味でもアラビアンナイトらしい。

 所収作品はいずれも(「サイプレス」は除く)旧仮名遣いのままだが、漢字は新字に改められている。不徹底だなあ。いや、読みやすいのんは確かだけどね。
「黒島王の伝」(アラビアンナイトの初邦訳)で、シェヘラザードにあてた漢字が「助辺良是土」でルビが「スケベラゼード」だったので軽く唖然とする。シェヘラザードの「シェ」の部分のスペリングがsche-とでもなってたのかね。ルビがスケ「ベ」ラゼードなのは、たぶん誤字だろう。ルビの誤字が幾つか目に付いた。

 ところで巻末、東氏による解説にボルヘスの「『千夜一夜』の翻訳者たち」が引用されている。そこではアントワーヌ・ガランに「アラジン」などの物語を提供した人物について、次のように述べている。

 ……シャーラザードにも劣らぬ神来の記憶力をもった、ひとりのマロン教徒の女助手であった。この素性のいかがわしい補佐役――その名をわたしは忘れたくない、それはハンナであると言われている――

 西尾哲夫氏の『図説 アラビアンナイト』によると、このハンナ・ディヤーブなる人物は、シリアのマロン派の男性修道僧だそうである。性別を取り違えたのは、「ハンナ」という名前に引き摺られたのもあるんだろうけど、それ以上に、「謎の語り部」は女であってほしい、という願望からだろうね。

ロバート・アーウィン『必携アラビアン・ナイト』感想

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