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参考文献録

「杜環とアル・クーファ――中国古文献に現れた西アジア事情の研究」(『シルクロード史上の群像』 前嶋信次 誠文堂新光社 1982) (「イスラム通史7、8世紀」)
 所収論文のうち、ノートを取ったのはこの一篇(初出1942年)のみ。
 タラス河畔の戦いでアラブ軍に捕虜にされ、イラクに連行された杜環について。戦時中にこういう研究が続けられてたのはすごいかも。たぶん東洋史の研究は日本のアジア支配のための道具になると見做されてたからなんだろうけど。

 なお「泉州の波斯人と蒲寿庚」(初出1952年)は、桑原隲蔵の『蒲寿庚の事跡』で、南宋末のイスラム商人蒲寿庚をアラブ人としているのに異論を唱え、ペルシア人であったとする。イスラム圏にあってはアラブ系とペルシア系ははっきり区別されており(そして中国では区別されていなかった)、唐宋代のペルシア湾-広東の南海貿易に於いて強勢を誇っていたのはペルシア系商人であったことがその根拠である。

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『蒲寿康の事蹟』 桑原隲蔵 平凡社東洋文庫 1989
 1914年および15年の講演を基に『史学雑誌』に発表された論文を、さらに加筆修正して1923年に刊行したもの、の復刊。

 蒲寿康は12世紀末頃、広東にいたイスラム系の富豪(本書ではアラブ人とされる)。「蒲」という姓は、ムスリムの多くが個人名の後に付ける「アブー・○○○」(「○○○の父」の意)の「アブー」の音写だという。
 海賊掃蕩で功績を上げたことで南宋朝廷によって取り立てられる。しかし朝廷が対元戦のために蒲寿庚の船舶を徴発したことで、すでに南宋を見限っていた彼は元に投降する。元来、海戦に弱い元が南宋海軍を破れたのは、蒲寿庚の力によるところが大きかったという。
その功績によって蒲一族は元朝廷に重用され、大いに栄えたが、明が元に取って代わると排斥され、没落した。

 いわゆる南海貿易に関する本では、ほぼ必ず参考文献として挙げられてるので読んでみた。
 さすがにこれだけ古いと、参考にはならんな……でもとりあえず「参考文献」に数えておく。

 当時から現在まで、いかにこの分野での研究が進んだかを知る指標にはなった。あと、巻末解説(宮崎市定)によると、従来「支那史」と呼ばれていた学問を「東洋史」の名称に変え、扱う範囲を大きく拡げたのはこの人によるところが大きいそうだ。まあ「東洋史」って中国では「日本史」のことになっちゃうんだけどね。

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