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参考文献録

『倦怠の華』 ピエール・ロチ 遠藤文彦・訳 水声社 2009
fleurs d’ennui
 1882刊行の同名の作品集から。
 サイードの『オリエンタリズム』で「二流作家」呼ばわりされてた二人のオリエンタリズム作家のうち一人が、このピエール・ロティである。もう一人の作家はどうやら邦訳がなく、ロティのほうは存命中から邦訳が複数出ており、本作を初めとして近年も新たな訳や復刊が出ているのは、偏に彼が『お菊さん』『秋の日本』といったジャポニスム小説を書いてるからだろう。
 なんにせよ、その時代のポピュラーな嗜好を知るには、「一流」の作品よりも「二流」作品のほうが適しているので、手軽に読めるのはありがたいことである。

 ロティ(本書でLotiがロチとなってるのは、戦前の慣行に合わせていると思われる)名義になってるが、実際には友人のH・プラムケットとの共著で、二人の対話という形を取り、間にそれぞれの比較的長い(掌編~短篇程度)語りが挟み込まれている。
 で、その対話というのが、

ロチ プラムケット君、僕の夢についての君の説明はナンセンスだ。僕が四分の三はイスラム教徒だってことは君もよく知っているはずだ。それに僕が酔っ払ったのは生涯たったの一度きりだということも。あれはニューヨークでのこと、ある禁酒会の宴席に招かれたときだった。あのときは警官が僕を艦まで連れて帰ってくれたのだった。
プラムケット 愚にもつかないこと言って話の腰を折らないでくれ、ロチ、たまさか僕がまじめな話をしているというのに。たしかに、不幸にも僕は君が持たない唯一の欠点に陥ってしまった。しかし僕は、君の好きな東洋人たちのように喩えで話をしているんだ。酒に酔うことよりよほど危険な酩酊がほかにもたくさんある。そういった酩酊のことは、ロチ、君も知っているじゃないか……

 といった具合で終始する。なんというか、揃って大して才能もなければ頭もよくない者同士の、ナルシシズム溢れる交換日記? しかも、他人に見せることを前提とした交換日記だ。

 ロチ君、僕らはいたるところで退屈するのだから、よその場所しか居心地がよくない。だから時折、僕らが今いるあらゆる場所を離れてよそに行くのも悪くはない。普遍的意識不明状態と絶対的無我の境地からなるある種のどこにもない場所、そういうものがあったらどんなに素晴らしいだろう! そのような虚無――夢を見ることのない永遠の眠り、あらゆる夢よりも甘美な眠り――、それが存在しようとしまいと、僕はそれを愛する……

 かなり、アホっぽい。というかアホ。
 作品として読むのは痛痒くて耐えられそうにないが、資料として読むなら生温い笑いとともに許容できる。いや、当時はこういうのがかっこよかったんだね。

 間に挟みこまれたそれぞれの語りのうち、最も長いのは中国紀行(プラムケット)とオリエンタリズム小説風「カスバの三人の女」(ロティ)である。実に似た者同士、似合いの二人だったのはここに於いても如実で、彼らの異人種・異文化観は区別が付かないほど似通っている。

「カスバの三人の女」についてだけ述べると、これはロティいわく「アラビアが舞台で、『千一夜物語』の続きとでもいった話」で、アルジェリアのカスバに住む寡婦と二人の娘がひねもす退屈しているところから始まる。彼女たちの生活は、東洋そのもののように困窮し停滞し、倦怠にどっぷり浸かっている。
 そこへ、六人の西洋人の水夫が現れる。酔っ払って偶々彼女たちの家の近くに迷い込んでしまった彼らは、三人のバスク人と三人のブルターニュ人という構成である。
 三人の女たちと六人の水夫たちが遭遇する。ここで初めて、彼女たちが西洋人相手の売春で生計を立てていることが明らかになる。ブルターニュ人たちは尻込みするが、バスク人たちは家に乗り込んでいく。
 翌朝、太陽の光の下で、バスク人たちは女たちが厚化粧をし、もはや若くない(母親のみならず娘たちまで)ことに気づき、そそくさと港まで逃げ帰る。しかしもはや彼らの「血の中に忌まわしい死の種(すなわち梅毒)を持ち帰って」いたのだ。そして一人は間もなく死に、あとの二人はどうやら症状は出なかったが、「しかしこの毒の芽は彼らの血の中にとどまった。(中略)翌年彼らは、彼らが海を渡っているあいだ故郷の村で待っていた娘たちと結婚した。それまでは健やかでたくましかった漁師の家系に、彼らはそのアラビア産の伝染病を持ち込んでしまった。生まれてきた二人の初子は、ともに、見るも恥ずかしい傷に被われていたのである。」

 何もかも、実にわかりやすい構図だ。東洋は停滞し、貧窮し、かつての偉大さの残滓を魅力として留めてはいるものの、一皮剥けば「不浄の塊」で、隙あらば健やかな西洋人を汚染しようと狙っている。そしてブルターニュ人(著者の同胞)は本能的な賢明さから難を逃れるが、バスク人たちは愚かなのでこの罠に引っ掛かる。東洋の「穢れ」は、遺伝という科学的(当時に於ける)な裏付けも与えられている。

 訳者の遠藤氏は、この作品を「反植民地主義的」とし、その根拠の一つとして、三人の女たちに梅毒をうつしたのが異教徒(西洋人)だったことに言及する一節を挙げてるんだが、上記のようにロティにとって西洋人は一枚岩ではないのだから、この一節に遠藤氏が言うほどの意味があるとは思えない。
 本書巻末には、遠藤氏の長文注意!な解説が付いており(本文160頁強に対し、80頁強)、「倦怠の華」の解読が行われているのだが、どうにも買い被り、深読みのしすぎに思えてならない。
 しかしその熱意のお蔭で、貴重な資料である「二流作家」の作品が日本語で読めるのだから、本当にありがたいことである。

ピエール・ロティ『アジヤデ』感想 (『日本人の中東発見』(杉田英明)は、日本人のオリエンタリズム形成に多大な影響を与えた作品の一つとして、『アジヤデ』を挙げている)

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