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参考文献録

『中国の城郭都市――殷周から明清まで』 愛宕元 中公新書 1991
 タイトルには「殷周から」とあるけど、先史時代から。

 おたぎ松男先生のほうには西域史関係の著作で多少お世話になったが(多少なのは、私の専門と被ってる部分が少ないので)、直接お会いしたことはない(学会とかでお見掛けしたことはあるのかもしれないが、憶えてない)。元先生のほうとは全然専門が異なるのだが、院で講義を取っていたのであった。
 講義内容は本書と同じ、「中国の城郭都市」だった。あんまりまじめな院生じゃなかったので単位を落としまくっていたのだが、この講義は落としませんでしたよ。本書は当時、講義の際に提示されたわけじゃないが読んだ。それ以来の再読。つっても今回読んだのは念のためのおさらいのためなので、第六章の隋唐時代までだけど。

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『西域文書からみた中国史』 關尾史郎 山川出版社 1998
 世界史リブレット。
 さすがにこれだけ読んでくると、目新しい情報はないな。それはそれとして、この世界史リブレットシリーズは分量のわりに有益な情報が多く、それも簡潔な記述なので(その辺は分量の制約がプラスに働いている)、わりと重宝するのだが、内容と注のアンバランスが毎回気になるといえば気になる。

 有益で簡潔といっても、それなりに専門的な内容である。なのに、註(巻末や章末ではなく、同じ頁の欄外に付されている)がやたら初心者向け。
 例えば本書だったら、「タリム盆地:パミール高原・天山山脈・崑崙山脈によって囲まれた地域。中央部分はタクラマカン砂漠と呼ばれる乾燥地帯で、砂漠と山脈にはさまれた帯状の地帯にオアシスが形成され、それを結ぶ交通路が発達した。」とか、
「莫高窟千仏洞:四世紀後半に開鑿が始められた石窟寺院。敦煌の東南に位置する。開鑿は元代まで続けられ、五百近くにのぼる窟が現存している。」とか、
「安史の乱:(755~763) 北辺で多くの節度使を兼任していた安禄山が、史思明とともに起こした反乱。一時は洛陽や長安を攻め落とし、玄宗は蜀に避難した。乱後、唐朝の勢いは急速に低下していった。」とか。

 ほかにも、「西夏」「オーレル・スタイン(他にペリオとかヘディンとか)」「ゾロアスター教」「北朝」等々にいちいち註が付いて、上記のようなレベルの解説が付いている。こういう解説が必要な人はこういう本を読まんし、読んだとしても理解できんだろ、と毎回思う。どうでもいいんだけど。

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参考文献録

『アジヤデ』 ピエール・ロティ 工藤庸子・訳 新書館 2000(1879)
aziyade(発音記号はめんどうなので省略しました)
 オリエンタリズムに分類されるフィクションのコンプリートにはほど遠いが(する気もないが)、これはまさにオリエンタリズムの中のオリエンタリズムと呼べる作品だと思う。そしてまた、このオリエンタリズムっぷりも含めて、19世紀後半~20世紀初頭の通俗小説の典型ではなかろうか。

 オリエンタリズム的要素を除いても、書簡体だとか、ナルシシズム溢れるペシミズム気取りだとか。究め付けは本作が「ピエール・ロティ」という名の英国青年士官の一人称で語られていて、著者は匿名、以後はピエール・ロティ名義で作家活動を行っていることで、これって当時でさえ相当な厨房テンプレートという気がするんだが。

「西」から見たオリエント(広義の東洋)は二つに大別できる。一つはひたすら魅力的な幻想である(いかがわしさや危険も魅力たりうる)。もう一つは実際にオリエントを訪れた者が幻滅する「真実のオリエント」である。
 言うまでもなく、どちらも手前勝手なイメージの押し付けである。ついでに言えば、相手がどんな集団だろうと個人だろうと、「他者」像というものはなべて手前勝手なイメージの押し付けである。そしてもちろん、「自画像」もまた「真」ではない。

『倦怠の華』に見られるオリエント像は、「オリエントの真実」を熟知すると自認する著者たち(ロティとプラムケット)によって語られる、上辺のものでしかない魅力とその下の不潔と退屈、どうあっても魅力には変換できない種類のいかがわしさと危険である。
 一方、『アジヤデ』のオリエント像は、どこまでも美しく悲しく魅惑的な幻想である。『倦怠の華』の「幻滅」は、一部のペシミズム気取りには「これぞ真実」と好まれるだろうが、圧倒的多数に好まれるのは『アジヤデ』の口当たりのいい幻想だ。著者ロティは、「真実のオリエントの幻滅を体験」しているわけだから、『アジヤデ』は徹底した幻想の産物なのである。

 本書の表紙には、アングルの「奴隷のいるオダリスク」が使われている。横たわるハーレムの女奴隷は、白人で金髪である。「イスラム教徒に奴隷とされた白人(金髪)女」というのは、オリエンタリズム絵画で好まれた題材だ。白人のそれも金髪の女がイスラム教徒に汚される、という図式は倒錯した性的妄想であり、現在までハーレクイン・ロマンに継承されている(いや、読んだことはないんだけど)。
 ヒロインのアジヤデは東洋人ではなく、栗色の髪と白い肌を持つチェルケス人である。オリエントとヨーロッパの中間からトルコのハーレムに売られてきた、というこの設定は、上記の「ハーレムの白人女」という妄想もいくらかは含んでいるが、それよりはむしろ、ヒロインをまったくの東洋人にしてしまうと、西洋人である読者との距離が離れすぎてしまうという計算によるものだろう。

 すなわち、アジヤデの外貌は適度なエキゾティシズムを備えつつ、白人の一般的な美的感覚に適合している。それでいて、その精神はまったく東洋的であり、怠惰かつ子供または動物のようだ。
 だから、読者は彼女の死に対して後味の悪さは感じず、甘い感傷に存分に浸ることができる。

 終盤、アジヤデは主人公に捨てられたと思い込み、絶望で死んでしまう。で、それを知った主人公もまた世をはかなみ、トルコ軍に身を投じ、トルコ人として死ぬ。
 この徹頭徹尾ぶりは、いっそ見事なほどである。ヒロインと主人公が共に死んでしまう作品というのは、きれいに完結した物語を望む読者を対象としている。そこまであられもない、もしくは繊細な読者が大半を占めるわけではないから(時代や社会によって比率は異なるだろうけど)、たいがいの作品では死ぬのはヒロインだけである。ヒロインが死ななくてはならないのは、当然ながら「死んだ女だけがいい女」だからであり、読者の多くは女が生き永らえて新たな物語を生み出していくことに耐えられないほど繊細だからである。

 ヒロインが東洋に属するオリエント作品では死亡率がより高くなるのは、「死んだ女だけがいい女」に加えて、「死んだ東洋人だけがいい東洋人」だからだ。

 先日読んだ同じ作者の『倦怠の華』の訳者の遠藤文彦氏による巻末解説は、その長さ(本編の半分にも及ぶ)もさることながら、内容がなんというか『倦怠の華』という作品の買い被りというか深読みのしすぎとしか思えなかったのであった。一方、この『アジヤデ』の訳者解説は「エキゾチズムをめぐる試論」というタイトルで、概ね首肯できる内容だ。
 それによれば、日本を舞台にしたロティ作品『お菊さん』では、ヒロインのお菊さんは死なないそうである。それどころか、ヨーロッパに戻る主人公が最後にもう一度、一目だけでも会いたくて、彼女の家にこっそり引き返してみると、彼女は悲しみに打ち沈むどころか、けろりとして手切れ金の銀貨を転がして遊んでいたという。

 主人公は、このまともな情緒を持たぬ「黄色い脳味噌」に甚く幻滅する。ロティの実体験により基づいているらしい『お菊さん』を私は未読なので推測でしかないが、まず間違いなく彼はオリエンタリズムの二番目の類型である「真実のオリエント」を、「オリエント体験者」としてペシミスティックに描いてみせたつもりであろう。しかしそこから見えてくるのは、「文明人」である男の幻想などものともしない、「現地人」の女の清々しい逞しさである。
 お菊さんのような、男が去った後でもけろりとして生きていく女という野蛮人に耐えられない文明人の男および女の繊細さに応えたのが『アジヤデ』であり、『お菊さん』を元ネタにした『蝶々夫人』である。

『倦怠の華』感想

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『沙蘭の迷路』 ロバート・ファン・ヒューリック 和邇桃子・訳 早川書房 2009(1951)
the chinese maze murders
 ディー判事シリーズ1作目。『紫雲の怪』と同じく、西北辺境の町を舞台としており、こちらのほうが「西北辺境」という立地が作品に活かされている(「唐代の」西北辺境らしさはないが)。1作目だからかもしれない。

 また1作目だからなのか、中国の法律や社会制度が以後の作品に比べて、より反映されてるように思う。どこまで唐代の状況を正確に写してるのかはよくわからんが。
 さらに、これも1作目だからなのか、元ネタとなった狄仁傑が主人公の公案小説やその他の白話小説の要素もより反映されてるように思う。事件がすべて解決した後、後日談的に犯人の処刑がかなり詳細に(かなりえぐく)述べられるとことか。読んだことないんだけど。

 このシリーズを読むのは、たぶんこれが最後。

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『遥かなる野望』 ジョゼ・フレーシュ 番由美子・訳 ランダムハウス講談社 2005(2003)
le toit du monde
 えーと、原題は「世界の屋根」か。ヒマラヤが主な舞台になってるようだから、まんまヒマラヤのことだな。
 ギメ美術館の中国セレクションの学芸員という経歴を持つ著者による、則天武后を主人公とした歴史小説『絹の女帝』(l’imperatrice de la soie 発音記号は面倒なので省略しました)三部作の第一部。

 参考資料として読んだものは、参考になろうとなるまいとすべて記録してるわけだけど、途中までしか読まなかったものは記録すべきか否か、迷うところだな。まあとりあえず、本文550頁の文庫本の半分までは読んだわけだし。

 太宗の後宮にいたヒロインが、太宗の死により尼寺へ送られたことで熱心な仏教徒となり、さらに不本意ながら高宗の後宮に召され、仏教を中国の国教とするのが仏から与えられた使命だと信じるに至る。そこに仏教、マニ教、ネストリウス派キリスト教、ゾロアスター教の各教団の思惑が入り乱れ……と、粗筋だけ聞くとおもしろそうなんだけどね。
 文章も構成も、全体から細部に至るまで、いちいちことごとく凡庸かつ拙劣で、しかもまわりくどく要領を得ない。
 いやー、私は趣味で読む小説に関しては好き嫌いがかなり激しいんだが、資料として読む小説に関してはあまり選り好みをしないというか、いろいろ耐性が高いんだけどねえ……これは耐えられんかった。物事には限度というものがあります。

 専門家だけあって知識がないことはないんだが、その薀蓄というか解説というかが、いちいち引っ掛かってなあ。当時の中国は人口が世界最多の国だってことを、なんで則天武后が知ってんだとか(そうだと「思っている、信じている」のと「知っている」のは違うだろ)。「小乗仏教」という呼称が、侮蔑を含んだ他称だと解説するんだったら、その信徒たち(最高位の僧まで含む)に「小乗仏教」と自称させんのはどうよ、とか。

 街並の描写が碌に行われてないのは知識の欠如の現れだろうし、盗賊が出没するような地を最高位の聖職者がたった一人で、しかもその宗教集団の存亡に関わるような重要な宝物やら文書やらを携えて旅するってのは、知識というより思考力の欠如だな。
 乾燥地帯で葡萄酒が壺じゃなくて樽に入れられてるのは、知識と思考力の双方の欠如。たとえ知識がなかったとしても、ちょっと考えればわかるだろう。

 歴史は必然よりも偶然に負っている割合が大きいから、必然の部分さえ無視しなきゃ、フィクションでいくらでも改変すればよろしい。木の少ない土地では樽が大量に作られることはない、というのは「必然」である(別に歴史に限定されないが)。

 他山の石にせんとなあ、と思わされたという点では、「参考」になったのか?

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『白い城』 オルハン・パムク 宮下遼/宮下士朗・訳 藤原書店 2009(1979)
 叙述トリックって、地の文が三人称より一人称のほうがやりやすいよね。それが、私が一人称の小説を書きたくない理由の一つ(あくまで一つ)なんだが、それはともかく。

 本書は、「わたし」が書いた「物語」である。出版社によるあらすじに沿って紹介すると、17世紀、イタリア人の「わたし」はオスマン・トルコの捕虜になる。医学の知識を有することをやや誇大に主張したため優遇され、やがて「師」と呼ばれるトルコ人学者に引き取られる。「師」は「わたし」とそっくりな容姿の持ち主だった。「師」と「わたし」は互いに知識を吸収しあう。それは学問だけでなく互いの記憶や思考にまで及んでいった。

 二人の人物が知識や体験を共有するうちに次第に同化していき、ついには両者の区別がつかなくなってしまう、というプロットは、決して独創的なものではない。明確に別個の存在であるはずの二人の人間が実は不可分である、という事象が、「東と西」のメタファーであることを含めてもだ。
 最後から二番目の章の終わりで、「わたし」と「師」は入れ替わる。そして最終章では、老人となった「わたし」が「師」が去った後のことを回想するのだが、二人は「本当は」入れ替わっていないのではないか、とも読めるのである。何しろ、読者が読んできたのは「わたし」が書いた「物語」なのだ。
 果たして、第一章の「わたし」と「師」は、最終章の「わたし」と「師」と同じ人物なのか? 作中、彼らが「名前」で呼ばれることはなく、またイタリア人の「わたし」が、トルコ人の「師」にとって師であったのも間違いないのである(トルコ人の「師」が「師」と呼ばれていたのは、学者であり、また自分の本名が気に入らないから他人にそう呼ばせていたに過ぎない)。

 これもまた、それほど意外な展開ではない。ただし、相当に高い技巧を要するのは確かで、端正な訳文で読めたのは非常にありがたいことである。トルコ古典文学研究者の息子とフランス文学者の父親との家内手工業だそうな。
 題材の独創性と展開の意外性では『わたしの名は紅』のほうが遥かに上だったが、あれは訳文があれだからなあ。全体の半分くらいがねじれ文という恐るべき日本語……一人称だったから「こういう文体なんだ」と思い込むことで、どうにか乗り切れたが。

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『ルバイヤート』 オマル・ハイヤーム 小川亮作・訳 岩波書店 1983
 ハイヤームの生没年は1040?-1123?。酒と恋の快楽を詠った詩が多いので、自ずとハーフィズ(1320?-1390)と比較した鑑賞になる。まあ類似よりは相違のほうが目に付くが。

 まず表面的なとこからいくと、ハーフィズが酒と恋(というか、もっと直截に「性の愉しみ」)を同等に挙げているのに対し、ハイヤームは酒が主で、恋(性)はついでという感じ。
 それゆえか、ハーフィズによる恋人の描写は表現が多様で、言葉が尽くされている(とはいえ、いずれも紋切り型で、個々人の区別がつけられていないばかりか美女なのか美少年なのかすら判然としない)。一方、ハイヤームの描写は簡単で工夫は感じられず、「チューリップの美女」という表現が何度も繰り返されている。

「酒と恋の愉しみ」の位置付けも異なる。どちらも、現世を虚しいものとし、酒と恋の快楽をある種の逃避手段としている点は共通している。しかしハーフィズが酒と恋をあの世の快楽の代替物とし、ひたすらあの世への憧憬を詠っているのに対し、ハイヤームは「この世は虚しいが、約束された死後の世界の幸福もまた虚しい」という来世否定を一貫して詠い、酒と恋の快楽自体については、「どうせ虚しいなら、せいぜい楽しもう」というスタンスで言及されているに過ぎない。

  天国にはそんなに美しい天女がいるのか?
  酒の泉や蜜の池があふれてるというのか?
  この世の恋と美酒を選んだわれらに
  天国もやっぱりそんなものにすぎないのか?(第88歌)

  なにびとも楽土や煉獄を見ていない
  あの世から帰って来たという人はない
  われらのねがいやおそれもそれではなく
  ただこの命――消えて名前しかとどめない!(第91歌)

  九重の空のひろがりは虚無だ!
  地の上の形もすべて虚無だ!
  たのしもうよ、生滅の宿にいる身だ
  ああ、一瞬のこの命とて虚無だ!(第101歌)

 20世紀前半のイラン人作家サーデク・ヘダーヤトは死への強い憧憬を作品の主題としており、「ルバイヤート」をその憧憬を詠ったものとしている(『生埋め』所収「S.G.L.L」)。
 しかし実際に読んでみると、ルバイヤートは確かに無常観が基調となっているが、詩または死後への憧れを読み取ることはできない(むしろそうしたものを否定している)。まあ少なくとも、この邦訳を読んだ限りはね。

 死後の世界の否定ということは、すなわち神の否定であり、こういう反イスラム的な側面が、ルバイヤートが非イスラム圏で人気のある大きな理由なのだろう。しかし、訳者による解説は、反イスラム的要素を強調しすぎている。しかもイスラムを貶める方向でだよ。
 別にイスラムを擁護する気はないが、こういう偏向を見せられると、邦訳まで意訳とまでは言わないが恣意的な言葉の選択が行われてるんじゃないかと疑ってまうよ。

サーデク・ヘダーヤト『盲目の梟』感想

『ハーフィズ詩集』感想

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参考文献録

『シルクロード・キャラバン』 アンヌ・フィリップ 吉田花子/朝倉剛・訳 晶文社 1988(1955)
carabanes d’asie
 こういうタイトルだし、ネット上で見る内容紹介では、「1948年、中国からインドのカシミールまで、シルクロードを馬に乗って旅した」とかあるんで、西安からとまでは言わんでも、河西とかウルムチあたりからの全行程を騎馬で踏破したかと期待したのである。

 ……飛行機とバス使ってるやん。
 正確には、南京~ウルムチが飛行機、ウルムチ~カシュガルがバス、カシュガル~カシミールが馬。
 知りたかったのは、西域北道の騎馬行程である。

 フランス人の著者は、中華人民共和国成立前夜のどさくさで緊急帰国しなければならず、つまり物見遊山じゃないので、飛行機や自動車を使うのは構わないんだけどね。訳者による解説と、それに準じた出版社による内容紹介は、明らかに誇大広告だろ。ムキーッ。

 何か得るところはあるかもしれんと、ともかく通読するが、少なくとも次作に関連して得るところはなし。この「参考文献録」には、「資料として読んだ」文献は、資料として得るところがなくても記録していきます。

 まず目に付いたのは、近現代の新疆史にまったく言及されていないことである。冒頭の「新疆省について」では、この地の歴史についても概説されているが、「18世紀に入り、イスラム教徒の叛乱があったが、これも殲滅された。」で終わっている。
 つまり、19世紀~20世紀半ばの三つの大乱、ヤブク・ベクの叛乱、馬仲英の叛乱、東トルキスタン共和国が完全に無視されている。著者は新疆の住民とはほとんど接触していないし、まあ無視ではなく無知だろう(中華民国政府による隠蔽ってことはないと思う)。
 しかし、それにしたって東トルキスタン共和国軍が新疆省都ウルムチの間近まで迫ったのは、著者の新疆通過のほんの一年前である。1930年代の馬仲英の乱だって、スヴェン・ヘディンの著書(確か英語で書かれてたと思う)があるのにな。

 もう一つ目に付いたのは、「イスラム的狂信」に対する恐怖と嫌悪である。これは明らかに歴史に無知であることと結び付いている。

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参考文献録

『唐両京城坊攷――長安と洛陽』 徐松・撰 愛宕元・訳注 平凡社東洋文庫 1994 (「唐代」)
 徐松(「撰」となっているが著者)は1781生―1848没の学者。唐代の「両京」すなわち長安と洛陽について、宮城、官署、宗教施設、市場、著名人の宅、運河など、文献を基に考証したもの。5分の4を長安についての記述が占める。

 考証といっても、唐代の小説の登場人物(李娃など)を「(実在の)著名人」として扱っているあたり、まあ19世紀前半の中国人の歴史認識ってのはそんなものだったんだろうな。
 とりあえず、8世紀半ばの実在の人物(李林甫とか)の屋敷の位置等は、本書に従うつもり。

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『教坊記・北里志』 斉藤茂・訳注 平凡社東洋文庫 1992
「唐代の妓女をテーマとし、その活動の代表的な場所となった、教坊と北里について記す作品によって構成した」とのことで、崔令欽(8世紀)の『教坊記』と孫棨(9世紀後半)の『北里志』、および白居易(772-846)の長律一篇(「話長安旧遊戯贈」詩)を収める。

『教坊記』と『北里志』は、これまで読んだ唐代関係の資料で紹介された内容ばかりだということが判明。分量少ないしな。
 カテゴリー「参考文献録」に記録しているのは、あくまで「参考文献として読んだ」書籍・論文なので、「読んだけど参考にはならなかった/なりそうもない」ものも含んでおります。

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近頃のワタクシ

 脳の容量が少ないので、1度にたくさんのことができない。特に小説に取り掛かってる時は、作業が進行すればするほど、ほかのことができなくなる。

 ほかのことができなくなってきたので、ブログに上げるのも、必要あって付けてる参考文献録だけになってしまっていたのだが、さらに進行すると、参考文献録に割く余裕すらなくなってしまったのであった。まあそれだけ熱心に執筆してるのだということにしてください。

 あと何日か書き続けたら、いったん中断して、またひとしきり資料を読まんなならなくなるはずなので、溜まってる分の記録はその時付けよう。

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参考文献録

『紫雲の怪』 ロバート・ファン・ヒューリック 和邇桃子・訳 早川書房 2008(1966)
 ディー判事シリーズ。
「唐代中国を舞台にしたオランダ人中国学者によるミステリ」と紹介されてるから読み始めたこのシリーズだが、実際のところ著者の意図としても、7世紀半ば(則天武后の時代)に実在した政治家狄仁傑を直接のモデルにしているのではなく、明清代の大衆文学に題材を採っている。だから舞台も考証した7世紀半ばの中国ではなく、あんまり教養のない近世中国人がイメージする「昔の中国」を西洋人中国学者のフィルターを通した世界である。

「あんまり教養のない近世中国人が(以下略)」の世界としてはよくできてると思うが、次作の参考にはならん。西域の町を舞台にした本作ならちょっとは参考になるところがあるかな、と読んでみた。
 やっぱりというべきか、7世紀半ば当時の情勢はまったく反映されていない。ミステリとしてはそこそこおもしろかったが、そもそもミステリにそんなに興味ないしな。それにしてもこのシリーズは毎回、女が意味もなく脱ぐなあ。ああ、読者サービスという意味はあるのか。

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参考文献録

『ハジババの冒険』 J・モーリア 岡崎正孝/江浦光治/高橋和夫・訳 平凡社東洋文庫 1984(1824)
the adventures of hajji baba of isphan
 全2巻。

 この参考文献録は、ブログを書いてる時間がない・書くことがないが、それでは侘しいという理由で、もともと付けてた読書録から資料として読んだものだけ公開することにしたものであり、決してひと様に本をお勧めするためのものではないんだが(それでもなるべく内容には言及するよう努めているが)、今回の本は力強くお勧めさせていただきますよ。
 いや、これまで読んだ東洋文庫の文芸本って、たいがいググると幾つかは感想が見つかるものなんだが、この『ハジババの冒険』は100件目まで遡ったうち感想はたった1件。なんで? 普通におもしろいのに。というわけ。

 作者のジェイムズ・モーリアは父方はフランス系、母方はオランダ系で1780年ごろトルコで生まれ、少年時代にイギリスに帰化。成人後、再び中東に赴く。1816年まで東インド会社に勤務し、イランには計6年間滞在した。
『ハジババの冒険』は、中東での体験を基に書かれた、イラン人ハジババの一人称による半生記を著者が訳した体裁の小説である。エスファハンで床屋の息子に生まれた主人公が、ちょっとした冒険心からイスタンブル行きの隊商に加わるが、あっという間に盗賊に捕らわれ、以後、紆余曲折の人生を辿る。

 主人公ハジババは暴力こそあまり好まないが、人を騙すことをなんとも思っていない舌先三寸の青年である。ただし、遭遇する人々の半数くらいは彼を上回る詐欺師や悪徳官僚・聖職者なので、始終痛い目を見ることになる。
 著者はフランスの作家ルサージュのピカレスク小説『ジル・ブラース物語』(1724年。岩波から邦訳が出ている)を参考にしたそうだが、イスラム圏には『マカーマート』や『千夜一夜』の「女ペテン師ダリラとその娘の女いかさま師ザイナブとが、 蛾のアフマードやペストのハサンや水銀のアリとだましあいをした物語」など、西洋に先んじてピカレスクものが存在する(というか、イスラム圏のものがスペインのピカレスク小説の原型だという説も)こともあってか、19世紀初頭当時のイラン人の一人称小説として不自然さは感じられない。

 各章のタイトルは「第1話 ハジババの生い立ちと教育」、「第2話 ハジババ、旅に出たが、トルコマン族に襲われ、捕まる」、「第3話 ハジババ、剃刀で幸運を拾う」、「第4話 ハジババ、前の主人の金を取り戻し、わがものとする」、「第5話 ハジババ、盗賊に加わり、故郷を襲う」、「第6話 三人の捕虜と分捕り品のこと」……といった具合で、転がるように話が進んでいく(1話1話も短い)。
「現地民」の一人称小説だろうと、欧米人の著者の偏見が滲み出ていたり溢れ出ていることは往々にしてあるが、『ハジババの冒険』の身も蓋もない騙し合いに、特にそうした偏見は感じ取れない。これもピカレスク小説であるのが理由の一部ではあるだろう。そもそもピカレスクものやノワールって、舞台や主人公の人種(民族)にかかわらず、「読者が属さない文化圏」へのエキゾティシズムの側面があるからな。
 それに、本作は半世紀余り後の19世紀後半に、改革派イラン人が当時のイラン社会を批判する目的でペルシア語訳してるくらいだから、描写されてるイラン社会の腐敗振りはそれなりにリアルなものらしい。

 そういうわけで、19世紀初めのイラン~トルコを舞台にした軽いピカレスク小説として普通におもしろいんで、興味を持たれた方は是非読んでみてください。

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参考文献録

「ソグド語資料から見たソグド人の活動」 吉田豊 (『岩波講座世界歴史11 中央ユーラシアの統合』1997) (「中央アジア中世」)
 9-16世紀をカバーする本の中で、なぜかこの論文だけは8世紀以前のソグド語文書(それより後代のものも含むが)を扱っている。
 ソグド語文書についての論考は多いが、本稿は他とは異なる観点、特に人名について紙幅を割いているので大変ありがたい。

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「古代ピャンジケント」 A・Y・ヤクボーフスキー (『西域の秘宝を求めて――埋もれていたシルクロード』 加藤九祚・訳 新時代社 1969) (「中央アジア中世」)
 本書所収の他の論文は以下のとおり。「バジリク古墳の秘宝」(S・J・ルデンコ)、「スキタイのネアポリ」(P・N・シュリツ、A・V・ゴロフキ)、「古代ホレズム」(S・P・トルストーフ)、「古代文化の宝蔵――アフラシアブ」(V・A・シシュキン)、「ソグディアナからの手紙」(I・Y・クラチコフスキー)
 すべて旧ソ連での刊行。「古代文化の宝蔵」の原著はСокровищница Древней культуры(「古代文化の宝蔵」)、1966年刊。「ソグディアナからの手紙」は著者クラチコフスキーの回想録『アラビア写本とともに』(原題、刊行年の記載なし。1951年?)中の一章。他の四編(「古代ピャンジケント」含む)はすべてПо Следам Древних культур(『古代文化の跡を求めて』1951年刊)所収。 

 本書全体に共通していることだが、「ブルジョワ史学」批判とか、封建制批判とか、外国(ペルシアとか中国とか)からの影響の否定とか(外国の影響を主張するのは「ブルジョワ史学」である。ソ連の歴史学者は、ソ連邦内の文化が外部に影響を与えたと主張するのである)、微妙に痛痒いネタがちりばめられている。
 この「古代ピャンジケント」が一番分量が多くて約100頁。ところどころに挟み込まれる上記の痛痒いお題目を除けば有益な情報が多いが、特に発掘調査で得られた情報など、込み入った記述になると意味が取りにくい。翻訳の問題だが。

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参考文献録

『アラビア科学の歴史』 ダニエル・ジャカール 遠藤ゆかり・訳 創元社 2006(2005)
l’epopee de la scinece arabe(発音記号は面倒なので省略しました)
 コンパクトな本だが、「絵で読む世界文化史」シリーズということで、カラー図版が非常に多いのは良い(しかも巻末に図版の出典が記載されている)。
 内容については、特にノートを取るほどのことはなし。

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『錬金術の歴史――近代化学の起源』 E・J・ホームヤード 大沼正則・監訳 朝倉書店 1996(1957) (「前近代科学・錬金術」)
alchemy
 第3章「中国の錬金術」と第5章「イスラムの錬金術」のみノートを取る。監訳者まえがきによると、著者ホームヤードはアラビア語をマスターしており、イスラム錬金術の歴史に詳しいのだそうである。
 てことは、本文中の人名の後ろに()で人名のラテン文字スペリングと生没年(または在位期間等)を付したのは著者じゃなくて監訳者なんだな。アッバース朝創始者アブー・アル・アッバースの父親ムハンマド・ブン・アリー(743年没)をシーア派の初代イマーム、アリー(イブン・アビー・ターリブ。在位656-661)と混同して「在位656-661」とか書いてもうてるのは。

 こんなひどい間違いをする著者が「科学者であると同時に歴史家」で「イスラム化学に対する強い関心によって」「アラビア語をマスターし、原典を読み解くまでになった」とか言われても、全然信用する気になれん。間違えたのが監訳者だとしてもアレだ。
 この間違いが著者自身のものじゃないとしても、アッバース朝革命についての説明とかも、いまいち微妙。これは原著刊行が50年代だということを差し引く必要があるのかもしらんが。
 しかし、半ば伝説的な錬金術師ジャービル・ブン・ハイヤームについての記述は、これまで読んだ資料の中では最も詳しいんだよな……さて、どうしたものか。

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特に理由もなく

 今週は特に理由もなく停滞していたのですが週末の今日に至って特に理由もなく復活。
 どうやら停滞しているのに飽きたらしい。たぶん突如停滞したのも、ひたすら資料を読んではプロットを弄る作業に突如飽きたのだと思う。落ち込んだり体調を崩したりで停滞するのはよくあることだけど、特に理由がないというのは初めてかもしれない。

 映画感想INDEXのリンクに幾つかミスがあるのに気づきました。気づいた分は直しましたが、ほかにもミスがあるかもしれないので追々確認していきます。すみませんでした。

 

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参考文献録

『西突厥史の研究』 内藤みどり 早稲田大学出版部 1988
 西突厥ではなく、西突厥滅亡(衰退)後に台頭した突騎施について知りたくて読む。確かに突騎施について論じてる箇所もあったが、「タラス戦考」(前嶋信次)以上に詳しい情報もなく、特にノートを取るほどのことはなし。

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「古典的スーフィズム――神秘思想とその象徴的表現」 アンネマリー・シンメル 小田淑子・訳 (『イスラム思想2』岩波講座・東洋思想第4巻 1988) (「イスラム思想」)
 原著のタイトルおよび発表年不明。タイトルでは「古典的スーフィズム」となっているが、本文では8世紀半ば~12世紀までのスーフィズムを「初期スーフィズム」と規定して論じる。
 本書収録の他の論文(井筒俊彦「言語現象としての「啓示」」、W・C・チティック「非現象から現象世界へ」など7編)が高度に専門的というか狭い対象を扱っているのに対し、本稿は概説であり、わかりやすい。9世紀頃までについてノートを取る。

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参考文献録

『シェヘラザードの憂愁――アラビアン・ナイト後日譚』 ナギーブ・マフマーズ 塙治夫・訳 河出書房新社 2009(1982)
 2006年に没したエジプトのノーベル賞作家の異色作。原題はlaylali alf layla(千夜の夜々)。邦題の副題どおり、アラビアンナイトの後日談で、シェヘラザードが物語を終えた千夜一夜の翌朝から始まる。
 訳者の塙氏はあとがきで、次のようにあらすじを述べている。

 軸となる人物はスルタンのシャハリヤールであるが、彼は罪のない処女や信心深い臣民を数多く血祭りに上げた、前科を悩む不幸な男として描かれている。彼の妃となったシェヘラザードは、夫に血の匂いをかぎ、体を許しても心を開きかねている。そして、シャハリヤールはもはや君主の座に安住できなくなり、苦悩からの脱出を求めてもがく行動が、大枠の物語となっている。
 彼のほかに、アラディンやシンドバードのようなおなじみの人物たちが数多く登場し、『アラビアン・ナイト』にはない役割が与えられ、諸々のエピソード風の物語を通じて縦横に活躍する。

 シャハリヤールとシェヘラザードについては、まあそのとおりなのだが、「彼のほかに、アラディンやシンドバードのようなおなじみの人物が数多く登場し、『アラビアン・ナイト』にはない役割が与えられ」というのは、まったくの間違いである。

 千夜一夜が明け、シャハリヤール王の都の住民たち、すなわちシェヘラザードが語った物語の登場人物ではない、「現実の」人物たちは恐怖から解放されたことを知って安堵する。彼らの中にはシンドバード、アラディンといった千夜一夜物語の登場人物と同じ名の者もいるが、まったく無関係の別人である。
 そしてその日から、彼らに千夜一夜物語のような出来事が降り掛かり始める。

 私が読んだ千夜一夜(アラビアンナイト)は原典からの邦訳版(平凡社東洋文庫)だが、現在手許にないので、wikiにあるマルドリュス版の要約(の一部)を参考に、『シェヘラザードの憂愁』のエピソードの幾つかを『千夜一夜』を比較してみる。
 なお、『シェヘラザードの憂愁』の各章には番号がないが、便宜上番号を付す。

「呪われた警察長官――ジャマサ・アルブルティー」(第6章) 警察長官ジャマサが趣味の釣りをしていると、網に金属の球が掛かる。それはイフリートを封じたものだった。解放されたイフリートはジャマサを殺そうとするが、別のイフリートが現れて制止する。
「漁師と鬼神の物語」(第3夜) とある漁師が引き上げた網に入っていた壺は、スライマーン王がジンニーを封じたものだった。解放されたジンニーは漁師を殺そうとするが、漁師は策略を用いて再びジンニーを壺に閉じ込める。

「夢の中の愛――ヌールッディンとドゥンヤザード」(第8章) 女の鬼神(イフリート)と男の鬼神が、それぞれ見つけた美男ヌールッディン(しがない香水屋)と美女ドゥンヤザード(シェヘラザードの妹)のどちらが美しいかで張り合う。
「大臣ヌーレディンとその兄大臣ジャムセディンとハサン・パドレディンの物語」(第18夜) 大臣ヌーレディン(ヌールッディン)と上記の香水屋とは、無論まったくの別人。女の鬼神と男の鬼神が、それぞれが見つけた美男ハサン・パドレディンと美女セット・エル・ホスンのどちらが美しいかで張り合う。

「強欲な床屋ウジュルの野心」(第9章) 都の名士たちが宴席で、ふとしたはずみから王のお気に入りのせむし男シャムルールを殺してしまう。居合わせた床屋のウジュルは、死体の始末を請け負い、加害者たちから金をせしめる。
「せむし男および仕立て屋とキリスト教徒の仲買人と御用係とユダヤ人の医者との物語」(第24夜) 仕立て屋の家に招かれた貧しいせむし男が、魚の骨を喉に詰まらせて死んでしまう。その死体の始末を巡る騒動。

『千夜一夜』の幾つかの物語では、実在のカリフ、ハールーン・アッラシードがお忍びでバグダードを歩き回っては、さまざまな事件に遭遇するのだが、『シェヘラザードの憂愁』でもスルタン、シャハリヤールはお忍びで街歩きを始め、さまざまな事件に遭遇する。

『千夜一夜』で語られた物語(枠内の物語)が、外枠であるシェヘラザードたちの世界を侵蝕していく構造、ではあるのだが、著者はそれを強調していない。
 序盤で船乗りとなったシンドバードが終盤、航海から戻ってきて、シャハリヤールに航海譚を語り聞かせる。このシンドバードは、『千夜一夜』のシンドバードとは同名異人であるが、その航海譚は『千夜一夜』のそれとまったく同一である。
 シャハリヤールはここで初めてシェヘラザードに向かって、「シンドバードの《物語》は、おまえの《物語》に実によく似ている」と言うのだが、それ以前にお忍び中に遭遇した事件とシェヘラザードの《物語》との類似に気が付いていないのは妙である。

 おそらく著者は、このメタフィクショナルな構造を作品の主眼にするつもりではなかったのだろう。だからって、邦訳者が誤読するのはどうかと思うよ。少なくとも、『千夜一夜』の内容をきちんと把握していれば、『シェヘラザードの憂愁』の登場人物たちと『千夜一夜』の登場人物が別個の存在であることに気づけたはずだ。
 最終章で、シャハリヤールは国とシェヘラザードを捨て、放浪の旅に出る。魔法の国に迷い込み、その国の女王と結婚して幸福な日々を過ごすが、禁じられた扉を好奇心に負けて開けてしまう。たちまち彼は老人の姿に変わり、見知らぬ街に放り出される。

『日本人の中東発見』(杉田正明)によると、エジプトでは浦島太郎伝説がかなり知られており、絵本も出ている(キャラクターが中国風だ)。ちなみにサーデグ・ヘダーヤトも、イランで浦島太郎を翻訳している。
 明らかに『シェヘラザードの憂愁』の結末は、浦島伝説を下敷きにしている。さらに、登場人物の一人に、水辺の椰子の下に座る老人がいるのだが、彼が何者なのかは明かされず仕舞いである。どうやら、老人の姿に化したシャハリヤールが、その「椰子の下に座る老人」になるらしい。それでもまだ謎は残っているのだが、まあすっきり解決してしまったら、小さくまとまってしまいかねないし。
 てゆうのも訳者は気がついてないんだろうな。いやはや。

 カヴァーに使われている絵は、ロバート・スマークという画家の『アラビアンナイト』の挿絵である。第24夜の「せむし男および仕立て屋と(中略)の物語」の中の枠物語、「御用係の物語」で、ジールバージャ(鶏の煮込み料理)を食べた後、手を洗わずに床入りしようとした花婿が、不潔だということで花嫁に手足の親指を全部切り落とされてしまう、というエピソードの、花嫁が花婿を詰っている場面である。
 誰がどういう理由でこの挿絵を選んだのか不明だが、たぶん特に何も考えてなかったのだろう。

 コミカルだったりロマンティックだったりするエピソードもあるが、全体としては暗い色調である。どうも邦訳されるイスラム圏の現代文学は、陰鬱で厭世的な作品が多いような気がする。が、それがイスラム現代文学全体の傾向ではあるまい。サーデグ・ヘダーヤトは歴史小説やコミカルな作品(かなり黒いが)も書いているのに、邦訳作品は明らかに殊更陰鬱なものが選ばれている。
 邦訳されるということは、9割9分欧米でそれなりに評価されているということで、欧米および日本に於いて、「イスラム現代文学からは陰鬱で厭世的なものを」という選択が、意識的にせよ無意識的にせよ働いているとしたら、それは一種のオリエンタリズムである。

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