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参考文献録

『白い城』 オルハン・パムク 宮下遼/宮下士朗・訳 藤原書店 2009(1979)
 叙述トリックって、地の文が三人称より一人称のほうがやりやすいよね。それが、私が一人称の小説を書きたくない理由の一つ(あくまで一つ)なんだが、それはともかく。

 本書は、「わたし」が書いた「物語」である。出版社によるあらすじに沿って紹介すると、17世紀、イタリア人の「わたし」はオスマン・トルコの捕虜になる。医学の知識を有することをやや誇大に主張したため優遇され、やがて「師」と呼ばれるトルコ人学者に引き取られる。「師」は「わたし」とそっくりな容姿の持ち主だった。「師」と「わたし」は互いに知識を吸収しあう。それは学問だけでなく互いの記憶や思考にまで及んでいった。

 二人の人物が知識や体験を共有するうちに次第に同化していき、ついには両者の区別がつかなくなってしまう、というプロットは、決して独創的なものではない。明確に別個の存在であるはずの二人の人間が実は不可分である、という事象が、「東と西」のメタファーであることを含めてもだ。
 最後から二番目の章の終わりで、「わたし」と「師」は入れ替わる。そして最終章では、老人となった「わたし」が「師」が去った後のことを回想するのだが、二人は「本当は」入れ替わっていないのではないか、とも読めるのである。何しろ、読者が読んできたのは「わたし」が書いた「物語」なのだ。
 果たして、第一章の「わたし」と「師」は、最終章の「わたし」と「師」と同じ人物なのか? 作中、彼らが「名前」で呼ばれることはなく、またイタリア人の「わたし」が、トルコ人の「師」にとって師であったのも間違いないのである(トルコ人の「師」が「師」と呼ばれていたのは、学者であり、また自分の本名が気に入らないから他人にそう呼ばせていたに過ぎない)。

 これもまた、それほど意外な展開ではない。ただし、相当に高い技巧を要するのは確かで、端正な訳文で読めたのは非常にありがたいことである。トルコ古典文学研究者の息子とフランス文学者の父親との家内手工業だそうな。
 題材の独創性と展開の意外性では『わたしの名は紅』のほうが遥かに上だったが、あれは訳文があれだからなあ。全体の半分くらいがねじれ文という恐るべき日本語……一人称だったから「こういう文体なんだ」と思い込むことで、どうにか乗り切れたが。

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