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参考文献録

『シェヘラザードの憂愁――アラビアン・ナイト後日譚』 ナギーブ・マフマーズ 塙治夫・訳 河出書房新社 2009(1982)
 2006年に没したエジプトのノーベル賞作家の異色作。原題はlaylali alf layla(千夜の夜々)。邦題の副題どおり、アラビアンナイトの後日談で、シェヘラザードが物語を終えた千夜一夜の翌朝から始まる。
 訳者の塙氏はあとがきで、次のようにあらすじを述べている。

 軸となる人物はスルタンのシャハリヤールであるが、彼は罪のない処女や信心深い臣民を数多く血祭りに上げた、前科を悩む不幸な男として描かれている。彼の妃となったシェヘラザードは、夫に血の匂いをかぎ、体を許しても心を開きかねている。そして、シャハリヤールはもはや君主の座に安住できなくなり、苦悩からの脱出を求めてもがく行動が、大枠の物語となっている。
 彼のほかに、アラディンやシンドバードのようなおなじみの人物たちが数多く登場し、『アラビアン・ナイト』にはない役割が与えられ、諸々のエピソード風の物語を通じて縦横に活躍する。

 シャハリヤールとシェヘラザードについては、まあそのとおりなのだが、「彼のほかに、アラディンやシンドバードのようなおなじみの人物が数多く登場し、『アラビアン・ナイト』にはない役割が与えられ」というのは、まったくの間違いである。

 千夜一夜が明け、シャハリヤール王の都の住民たち、すなわちシェヘラザードが語った物語の登場人物ではない、「現実の」人物たちは恐怖から解放されたことを知って安堵する。彼らの中にはシンドバード、アラディンといった千夜一夜物語の登場人物と同じ名の者もいるが、まったく無関係の別人である。
 そしてその日から、彼らに千夜一夜物語のような出来事が降り掛かり始める。

 私が読んだ千夜一夜(アラビアンナイト)は原典からの邦訳版(平凡社東洋文庫)だが、現在手許にないので、wikiにあるマルドリュス版の要約(の一部)を参考に、『シェヘラザードの憂愁』のエピソードの幾つかを『千夜一夜』を比較してみる。
 なお、『シェヘラザードの憂愁』の各章には番号がないが、便宜上番号を付す。

「呪われた警察長官――ジャマサ・アルブルティー」(第6章) 警察長官ジャマサが趣味の釣りをしていると、網に金属の球が掛かる。それはイフリートを封じたものだった。解放されたイフリートはジャマサを殺そうとするが、別のイフリートが現れて制止する。
「漁師と鬼神の物語」(第3夜) とある漁師が引き上げた網に入っていた壺は、スライマーン王がジンニーを封じたものだった。解放されたジンニーは漁師を殺そうとするが、漁師は策略を用いて再びジンニーを壺に閉じ込める。

「夢の中の愛――ヌールッディンとドゥンヤザード」(第8章) 女の鬼神(イフリート)と男の鬼神が、それぞれ見つけた美男ヌールッディン(しがない香水屋)と美女ドゥンヤザード(シェヘラザードの妹)のどちらが美しいかで張り合う。
「大臣ヌーレディンとその兄大臣ジャムセディンとハサン・パドレディンの物語」(第18夜) 大臣ヌーレディン(ヌールッディン)と上記の香水屋とは、無論まったくの別人。女の鬼神と男の鬼神が、それぞれが見つけた美男ハサン・パドレディンと美女セット・エル・ホスンのどちらが美しいかで張り合う。

「強欲な床屋ウジュルの野心」(第9章) 都の名士たちが宴席で、ふとしたはずみから王のお気に入りのせむし男シャムルールを殺してしまう。居合わせた床屋のウジュルは、死体の始末を請け負い、加害者たちから金をせしめる。
「せむし男および仕立て屋とキリスト教徒の仲買人と御用係とユダヤ人の医者との物語」(第24夜) 仕立て屋の家に招かれた貧しいせむし男が、魚の骨を喉に詰まらせて死んでしまう。その死体の始末を巡る騒動。

『千夜一夜』の幾つかの物語では、実在のカリフ、ハールーン・アッラシードがお忍びでバグダードを歩き回っては、さまざまな事件に遭遇するのだが、『シェヘラザードの憂愁』でもスルタン、シャハリヤールはお忍びで街歩きを始め、さまざまな事件に遭遇する。

『千夜一夜』で語られた物語(枠内の物語)が、外枠であるシェヘラザードたちの世界を侵蝕していく構造、ではあるのだが、著者はそれを強調していない。
 序盤で船乗りとなったシンドバードが終盤、航海から戻ってきて、シャハリヤールに航海譚を語り聞かせる。このシンドバードは、『千夜一夜』のシンドバードとは同名異人であるが、その航海譚は『千夜一夜』のそれとまったく同一である。
 シャハリヤールはここで初めてシェヘラザードに向かって、「シンドバードの《物語》は、おまえの《物語》に実によく似ている」と言うのだが、それ以前にお忍び中に遭遇した事件とシェヘラザードの《物語》との類似に気が付いていないのは妙である。

 おそらく著者は、このメタフィクショナルな構造を作品の主眼にするつもりではなかったのだろう。だからって、邦訳者が誤読するのはどうかと思うよ。少なくとも、『千夜一夜』の内容をきちんと把握していれば、『シェヘラザードの憂愁』の登場人物たちと『千夜一夜』の登場人物が別個の存在であることに気づけたはずだ。
 最終章で、シャハリヤールは国とシェヘラザードを捨て、放浪の旅に出る。魔法の国に迷い込み、その国の女王と結婚して幸福な日々を過ごすが、禁じられた扉を好奇心に負けて開けてしまう。たちまち彼は老人の姿に変わり、見知らぬ街に放り出される。

『日本人の中東発見』(杉田正明)によると、エジプトでは浦島太郎伝説がかなり知られており、絵本も出ている(キャラクターが中国風だ)。ちなみにサーデグ・ヘダーヤトも、イランで浦島太郎を翻訳している。
 明らかに『シェヘラザードの憂愁』の結末は、浦島伝説を下敷きにしている。さらに、登場人物の一人に、水辺の椰子の下に座る老人がいるのだが、彼が何者なのかは明かされず仕舞いである。どうやら、老人の姿に化したシャハリヤールが、その「椰子の下に座る老人」になるらしい。それでもまだ謎は残っているのだが、まあすっきり解決してしまったら、小さくまとまってしまいかねないし。
 てゆうのも訳者は気がついてないんだろうな。いやはや。

 カヴァーに使われている絵は、ロバート・スマークという画家の『アラビアンナイト』の挿絵である。第24夜の「せむし男および仕立て屋と(中略)の物語」の中の枠物語、「御用係の物語」で、ジールバージャ(鶏の煮込み料理)を食べた後、手を洗わずに床入りしようとした花婿が、不潔だということで花嫁に手足の親指を全部切り落とされてしまう、というエピソードの、花嫁が花婿を詰っている場面である。
 誰がどういう理由でこの挿絵を選んだのか不明だが、たぶん特に何も考えてなかったのだろう。

 コミカルだったりロマンティックだったりするエピソードもあるが、全体としては暗い色調である。どうも邦訳されるイスラム圏の現代文学は、陰鬱で厭世的な作品が多いような気がする。が、それがイスラム現代文学全体の傾向ではあるまい。サーデグ・ヘダーヤトは歴史小説やコミカルな作品(かなり黒いが)も書いているのに、邦訳作品は明らかに殊更陰鬱なものが選ばれている。
 邦訳されるということは、9割9分欧米でそれなりに評価されているということで、欧米および日本に於いて、「イスラム現代文学からは陰鬱で厭世的なものを」という選択が、意識的にせよ無意識的にせよ働いているとしたら、それは一種のオリエンタリズムである。

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