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参考文献録

『ジャーヒリーヤ詩の世界――イスラーム以前のアラビア』小笠原良治 至文堂 1983 (「イスラム文化」)
 ジャーヒリーヤ(無知)と呼ぶくらいだから、ムスリムはイスラム以前の文化全般に否定的だという印象があったんだが、少なくとも詩については長く口承され、8世紀には文字による記録もなされ、研究や批評も盛んに行われたという。まあ長く口承といっても、古い作品でもイスラム勃興から2世紀は遡らないらしいが。
 また、『アラブ飲酒詩選』(塙治夫)によれば、8世紀後半から9世紀にかけて活躍した詩人アブー・ヌワースの時代まで、アラブ詩はジャーヒリーヤ時代の伝統に支配されており、都市の住民である詩人たちは体験したこともない砂漠の遊牧生活を詠っていた。

 日本語で読めるイスラム古典文学は、ペルシア語で書かれたものが大分を占める。中世以前だったら九割を越えるよな。『カリーラとディムナ』はペルシア語からの翻訳だし、『千夜一夜』もペルシア的要素が強い。
 それらに共通するのは、とにかくヴァリエーションは豊富だが類型的な美女の形容(「美女」とされる女の形容は皆同じ)だ。これら後世の文芸作品では遊牧生活や沙漠の情景はもちろん、狩猟や戦闘も主要なテーマではないので、ジャーヒリーヤ詩との違いは、「美女の形容」が最もわかりやすかった。

 一番の違いは体型の好みだなー。後世の作品では「糸杉」と形容されるのが、ジャーヒリーヤ詩では、襞をなす腹や砂丘のような尻、閉じると隙間ができない両腿、骨がないかのように柔らかい(脂肪が付いて)腕とかが好まれる。でも胴は手綱のようにくびれてて、脚(膝から下)はパピルスのように細いのがいいそうな。
 
 比喩について言うと、やはり後世に比べて素朴というか洗練されていない。本書に収録されてる詩は、恋愛詩だけとっても多いとはいえないのが残念だが、それらを見る限り、比喩の種類もあまり豊富ではないようだ。
 一人の美女を形容するのにも統一感がないしな。後世の作品だと、身体を糸杉、顔を月に喩えて「糸杉の上に懸かる月」だとか、黒い巻き毛と白い顔を「黒雲の間から覗く月」だとか、唇がルビーで歯が真珠だとか、それなりの統一感があるんだが、ジャーヒリーヤ詩にはそれがないようだ。
 あと、後世の形容もたいがい大袈裟だが、胴が手綱とか脚がパピルスとか(しかも尻と腿は豊満)、なんぼなんでも、という無理な形容も多い。

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