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お茶は甘いかしょっぱいか

 時代設定が8世紀半ばの小説(一応非SF)を書いていて、起承転結の「起」のパートの舞台は中国である。後は西へ行く。
 当時、長安では喫茶が一般化しつつあったわけだが、その飲み方というのが、抹茶に薬味(葱、生姜、薄荷、陳皮等)と塩を入れてたんだよな。あと、棗とかグミとか。

 陸羽(?-804)は『茶経』で、茶の味だけを楽しむべし、として茶に入れるのは塩だけにしろと述べてるそうな。薬味と塩の入ったお茶だと、「御飯抜きのお茶漬け」っぽい(梅茶漬けがイメージ的に一番近いか?)。雲南では、漢族が飲料として茶を利用し始める以前から、粥に入れて「食べて」たそうだし。だけど、薬味なしの「塩味の抹茶」ってちょっときついなあ。抹茶だろうと煎茶だろうと、塩入れた緑茶は飲んだことないんだけどねー。

 さて、私は長野県諏訪地方の出身だが、両親とも新潟出身である。諏訪の人は、わりと何にでも砂糖を入れて食す。で、小学校の遠足等で、同級生が持ってくる麦茶には、砂糖が入っていたのであった。
 母は子供に甘いものを食べさせてくれなかったので(「子供には毒だからね」と言って、自分だけ甘いものを食べていた。素直な子供だったので騙されていた)、当時の私は常に甘いものに飢えていた。しかも母校の遠足というのが、文字通りの「遠足」で、小学校低学年でも十数キロ歩かされるふざけた行事だったので、甘い麦茶はとても美味しかった。
 そこで、二年生になってからだったと思うが、遠足の麦茶に砂糖を入れてほしいと母に頼んだ。母は最初渋っていたが、何度もせがむと承知してくれた。
 遠足当日、最初の休憩で、とっても楽しみにしていた麦茶を一口飲んだら……塩味だった。

 長野の「砂糖文化圏」と新潟の「塩文化圏」との、不幸な衝突でした。母は減塩にも気を使う人だったので、普段は麦茶には何も入れないのだが、敢えて入れるなら「塩」派だったのである。
 以来、私は塩味の茶は、麦茶だろうと緑茶だろうと、想像しただけで怖気が走る。いや、味覚というのは習慣に依存するところが大きいから、「不味い」と「馴染みがない」を混同して、食べ慣れてないだけの物を安易に拒絶する気はない。「甘い」と思って飲んだものがしょっぱかった衝撃の後遺症である。

「予想外の味」という衝撃を舐めてはいけない。以下は友人の中学時代の話である。
 その中学は給食がなかったのだが、ある日、同じクラスの男子Aが、紙パックのコーヒー牛乳を持ってきて飲んでいた。ところが実は、空いたパックにインスタント・ラーメンのスープを入れて飲んでいたのであった。
 パックを開かずにストロー穴から注入したわけで、どういう方法を取ったにせよ、それなりの手間が掛かったはずである。どうして男子中学生って、意味不明なことを一生懸命やるんだろうね。
 そんなこととは知らない男子Bが、「一口飲ませて」とねだった。Aは何も言わずにパックを渡した。
 コーヒー牛乳だと信じてラーメンスープを飲んだBはショック症状を呈し、救急車で運ばれる騒ぎになったそうである。

 甘い麦茶だと信じてしょっぱい麦茶を飲まされた私も、ひきつけこそ起こさんかったが、相当な衝撃を被った。小説家は想像力が命だというのに、「塩味の抹茶」を想像しようとすると脳が拒絶する……
 まあ、甘い麦茶も今では飲みたいとは思わんけどね。

 ところで、宋代の茶もやはり抹茶だったが、白色だったそうである。現在の「白茶」は、茶葉が白っぽく見えるからその名があるのだが、宋代は淹れた茶の色が白かった。だから、白色が映える黒釉の天目茶碗が好まれたのである。
 私が読んだ概説書では、ただ「白かった」とあるだけで具体的なことは何も書いてなかったんだが、大学時代、同じゼミで中国茶の研究をしてた子から聞いた話では、なんらかの方法で茶葉の葉緑素を除去して脱色してたらしい。
 確かに、天目茶碗の黒に映えるくらい白くするには、脱色するしかなかっただろうという気がするが、味も香も台無しになりそうだなあ。泡立てれば泡立てるほどよいとされてたそうだから、見た目はカプチーノみたいだったのか? 泡で字を書く達人がいたとかいう話も聞いた覚えが……

「塩+薬味入りの抹茶」以上に想像がつかん。宋代の話を書くわけじゃなから別にいいんだけどね。

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