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バジリスクの魔法の歌

パトリシア・A・マキリップ 原島文世・訳 創元推理文庫 2009(1998)

 バジリスクを家紋とするペリオール家の当主アリオッソは、グリフィンを家紋とするトルマリン家を滅ぼす。トルマリン家で生き残ったのは、ただ一人の幼い少年(音楽学院に入学していたことが後述されるので、7、8歳にはなってるか?)。記憶を失い、カラドリウスと名付けられたその少年が、辺境の吟遊詩人学校に預けられるところから物語は幕を開ける。
 が、実際に話が動き始めるのは、その37年後である。というわけで主人公はおっさんとなったカラドリウス。マキリップの長篇で、おっさん主人公って初めてだな。結構渋く、しかしマキリップの男性キャラクターに多い、ちょっとぼんやり系。復讐のためにアリオッソ・ペリオールの膝元に潜入するが、アリオッソの次女に惚れられても気がつかない。

 マキリップの作品世界は、重厚というよりは質実剛健で、かつ淡々としているわけですが、今回は何かえらく重厚で濃密でした。濃厚。分量としては本文約370頁と、ここ数年に邦訳された長篇とそれほど変わんないわけだが、えらく密度が濃いんだ。
 たぶん『影のオンブリア』『オドの魔法学校』『茨文字の魔法』の三作で、あまり煮詰められてなかった題材――都市、宮殿、権力者たちの陰謀、特殊な能力のための学校や機関、舞台芸術――が全部盛り込まれた上に、かなり煮詰めて濃縮されてるからだろう。

 その上、マキリップ作品にしては随分と血みどろなのである。「すごく残忍な人間」って、これまで邦訳されたマキリップ作品には出てこなかったキャラクターである。すごく残忍な人外なら毎回のように登場するが、何しろ人外であって人間とは価値観が違うから、残忍さはそれほど際立たないんだよな。

 仇敵アリオッソの誕生日に披露されるオペラをクライマックスとして、暗く華麗に、かつスラップスティックな様相まで帯びて展開していくわけだけど、終盤が駆け足であっさり片付いてしまうのは、まあいつもどおりのマキリップの長篇だなあ。
 いやー、こんなことじゃ感情的に収まらん人はようけおるでしょう、というのが、すべてあっさり片付けられてしまうのは、全三巻の『イルスの竪琴』シリーズにさえ言えることだ。特に今回は、直前までが相当緊迫した状況だっただけにな。

「こんなことじゃ感情的に収まらん人」たちには、アリオッソ・ペリオールの長男と次女も含まれる。二人とも徹底的に愚鈍な人物として描かれているんだが、マキリップ作品の愚鈍な人物は、どこか憎めなかったり何かしらの救いが用意されてたりするんだけど、今回は放置かい。カラドリウスの妻も放置だし、回収されてんだかされてないんだかよくわからん伏線もあるし。
 まあ、ばたばたした収拾にもかかわらず締めの場面が良いのは、これもまたいつもどおりのマキリップの長篇なんだけどね。

 しかしやっぱりファンタジーでもSFでも長篇より短篇のほうがいいや。マキリップの短篇集、また出ないかな。

 原題はsong for basiliskで、内容も「バジリスク歌」ではなく「バジリスクへの歌」である。「魔法の」とか付けるより、「バジリスクに捧ぐ歌」とかじゃ駄目だったのか?
 それと、ジュリア・ダルセットというキャラの呼び名が、地の文や友人からはジュリアだが公の場では「ダルセット教授」となるんだが、アリオッソ・ペリオールの次女「ダミエット姫」と混同されてる誤記(「ダルセット姫」等)が2、3箇所。こんな基本的な誤記がチェック漏れになってるとは思わなかったんで、最初は誤記と気づかず混乱させられた。いやはや。

 何はともあれ、クライマックスまでの濃密さは充分堪能いたしました。
 濃いい小説を読むと内容に微妙に関連したえぐい夢を見て体調を崩すことがよくあるんだが、まさかマキリップ作品でそうなるとは予想外だったなあ。まあ今回は濃さそのものより、クライマックスまでとその後の落差が原因だと思うけど。それにしてもえぐい夢だった。まだ胃の調子がおかしい。

『イルスの竪琴』感想

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