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参考文献録

『シルクロード 絲綢之路 第一巻 長安から河西回廊へ』 日本放送出版協会 1980
『シルクロード 絲綢之路 第五巻 天山南路の旅――トルファンからクチャへ』 日本放送出版協会 1981 (「中央アジア地誌・紀行」)

「絲綢之路」は、シルクロードとゆーかseidenstrassenの中国語訳。あくまで訳であって、古来中国にこの語があったのではない。どうでもいいが、「絲綢」の字をIMEパッドで引くのがめんどくせーよ。

 新旧のシルクロード・シリーズ(の本)では、旧版当時のほうが中国の道路事情が悪いし開発も進んでないので、往時を偲ぶことができたりする。ただし、旧版はまともな地図が載ってない。時代が時代なだけに、詳細な地図の作成は無理だったのかもしらんが。あと、参考文献も載っとらん。

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『シルクロード キジル大紀行』 日本放送出版協会 2000 (「中央アジア地誌・紀行」)
 再読。
 巻末の「キジル石窟の美術」で宮治昭氏が未だに20世紀初めのドイツ人研究者による不十分な調査と資料(剥ぎ取ってきた壁画)に基づいた石窟造営の編年を重視し、近年の中国人研究者による炭素14測定と詳細な調査に基づいた編年を軽視している。呆れた話だ。
 取材班による本文のほうは、中国人研究者の説に基づいてるんだけどね。取材で世話になってるんだから当然だわな。

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『イスラームにおける運命と啓示――クルアーン解釈書に見られる「天の書」概念をめぐって』 大川玲子 晃洋書房 2009 (「イスラム思想」)
 クルアーンには「キターブの母」「護られた書板」「明瞭なキターブ」といった語が見られる。これらが指し示すものについては、二つの概念がある。一つは万物の運命が書き込まれた「運命の書」、もう一つは神が所有する「クルアーンの原型」である。
 本書ではこれらの語が示す「書物」を「天の書」と呼び、それについて論じる。

 まあ、次作について直接参考になる情報はなかったんだけど、『ミカイールの階梯』の時、散々探して見つからなかった情報を見つけてしまって途轍もなくがっくりくる。ああああああああ……
 2009年3月刊行か……『ミカイール』のゲラに追われて死ぬ思いしてた頃だな……たとえこういう本が出たと知ったとしても、読んでる時間も加筆修正してる時間もなかったよ……ううううう。
 文庫版が出たら直したいなあ(文庫版が出ることがあれば)。

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参考文献録

『1冊でわかる コーラン』 マイケル・クック 大川玲子・訳 岩波書店 2005(2000) (「イスラム思想」)
A very short introduction the Koran
 本文は200頁足らずだが、「1冊でわかる」という謳い文句どおり、たいへん簡潔でわかりやすい内容。
 タイトルが「クルアーンqur’an」ではなく「コーランkoran」なのは、「英語の綴りに慣れた人間にとって発音しやすいからという理由」要するに一般読者により馴染みのある表記だからという理由だが、本文(原著でも邦訳でも)では「クルアーンqur’an」に統一されている。

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『砂糖のイスラーム生活史』 佐藤次高 岩波書店 2008 (「イスラム文化」)
 イスラームと砂糖のかかわりはすでにその初期から始まっているが、中心となるのは12~15世紀くらい。ムスリムの生活や経済に占める重要度や、まあ何より史料の多寡によるんだろう。一応全部目を通したが、ノートを取ったのは11世紀くらいまで。

「干し葡萄のジュース」って、なんかすごく濃そうだな。

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『ラクダの文化誌――アラブ家畜文化考』 堀内勝 リブロポート 1986 (「イスラム文化」)
『マカーマート』の邦訳者の人ね。

 ある異文化についての著述で、その文化や風土気候に対する「日本人」の無知や貧困な想像力をやたらと嘲笑する日本人著者に時々遭遇するが、ほなその異文化圏の人たちは日本や日本文化をどんだけ知ってんねん。
 それとも、著者は自分を双方の文化を超越した俺様だとでも思ってんのかいな。いや、別にこの人のことを言ってんじゃないですよ。

 アラブ文化圏に於ける駱駝つまりヒトコブラクダについて事細かに論じ、いかにヒトコブラクダはアラブ文化に密着したアラブ文化特有のものかを繰り返し繰り返し述べているんだが、せやったら比較対象としてフタコブラクダについて少しは紙幅を割いてほしかった。どう違うかわからん。

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「ペルシア語文化圏におけるスーフィー文献著述言語の変遷とその意義」 矢島洋 (『ペルシア語が結んだ世界――もうひとつのユーラシア史』 北海道大学出版会 2009) (「イスラム思想」)
 ネットで存在を知った本なのだが、情報はごくごく簡単な内容紹介と各章タイトルだけである。

 第1章「ペルシア語詩人伝の系譜」、第3章「イスラーム法とペルシア語」、第5章「18世紀クリミアのオスマン語史書『諸情報の要諦』における歴史叙述」といったタイトルから、ペルシア語といってもイスラム化以降、それも近世中心というのは判ったが、ひょっとしたら序章の「ものを書くことから見たペルシア語文化圏」に、サーサーン朝時代の国際語としての中世ペルシア語についてとか、アラビア語へのペルシア語の影響とか、ペルシア語筆記のパフラヴィー文字からアラビア文字への転換についてとか、ソグディアナに於けるソグド語からペルシア語への転換についてとか言及しててくんないかなあと期待したんだが、全然そんなことはありませんでしたね。

 主にペルシア語スーフィー詩(スーフィズムの詩)についてノートを取る。スーフィー詩は恋人への愛を神への愛の隠喩とするので、一見してただの恋愛詩と変わらない。この手法はスーフィーではない詩人にも好まれ、ハーフィズもその一人である。
 中にはユダヤ人がヘブライ文字で書いたペルシア語スーフィー詩というのんもあるそうだ。具体的な説明はなかったんだが、ある意味カオスだな。

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『聖なる家族――ムハンマド一族』 森本一夫 山川出版社 2010 (「シーア派」)
 本文約100頁の冊子。
『シーア派の自画像』という本を邦訳してる人なので、てっきりシーア派関係の本かと思ったのであった。68頁目の記述によると、「ムハンマド一族」の特別視はシーア派特有の傾向とする考え方は、学界ではすでに古いんだそうである。
「そして、ムハンマド一族のことを専門的に研究するようになった私のような者が、多分に思い込みに基づくそうした考えを改めるべく努力しているというのが、目下の状況である。」
 ……ってそういうことは最初に書いといてくれよ。

 しかも、「ただし、スンナ派におけるムハンマド一族寄りの言説には、シーア派の影響を受けていると考えられものが少なくないのも、これまた動かしがたい事実である。」と言いつつ、その具体例にはほとんど言及してないし。

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「天山の岩と泉と聖者の墓と」 濱田正美 (『ユーラシア草原からのメッセージ――遊牧研究の最前線』 平凡社 2005) (「中央アジア地誌・紀行」)
 キリスト教徒と同じく、ムスリムもイスラム化以前の聖地(本稿では自然崇拝)がイスラムの聖人崇拝に偽装されている、という話。

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『新考 玄奘三蔵の旅』 長澤和俊 佼成出版社 1987 (「中央アジア地誌・紀行」)
 次作では舞台が長安~クチャ~天山越え~スイアーブ~ソグディアナと移動する。このルートは玄奘のルートと同じなのであった。
 玄奘三蔵のルートを辿る的な本は何冊も出てるんだが、どれもソグディアナ~インドについては詳しいが、長安~タリム盆地についてははしょってるんだよね(タリム盆地でも、帰路の西域南道についてだけ詳しかったり)。
 そんな中で、本書が一番長安~タリム盆地については詳しかった。詳しかったっつっても概説レベルだけど。そんで、天山~ソグディアナについてはおざなり。インドのとこは関係ないから読んでない。

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参考文献録

『イスラームの生活と技術』 佐藤次高 山川出版社 1999 (「イスラム文化史」)
 世界史リブレット。
「生活と技術」といっても、紙と砂糖についてだけで、しかも砂糖についての記述は紙の倍はある。同じ著者による『砂糖のイスラーム生活史』のほうが詳しかろうから、そっちを読むことにする。15頁ほどの紙とインクについての章からノート。
 私は下で述べるように、タラス河畔の戦い以前から、紙はある程度イスラム圏に伝わっていたと考えているが、本書はタラス戦以前の伝播を否定している。

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「製紙法の西伝」 藤本勝次 (『シルクロードの文化交流――その虚像と実像』 同朋舎 1981) (「イスラム文化」)
 西アジアへの伝播についてのみノート。
 タラス河畔の戦いの武将ズィヤード・ビン・サーリフが紙漉き工を捕虜にしたことから、製紙法が伝わった、という記録は、サアリービー(961-1038)によるものが最も早い。しかしイブン・アンアディーム(935頃-990)は、中国からホラーサーンに紙が伝わったのはウマイヤ朝時代(661-750)とアッバース朝時代(750-1258)の新旧両説がある、としている。

 8世紀初めにソグド地方で紙文書が発見されてることにも言及してるのに、タラス戦以前に紙が伝わっていたことは疑問視している。製紙が蔡倫以前にさかのぼることも疑問視してるんだよね、この藤本氏は。

 前嶋信次氏の「タラス戦考」は、アリー・ビン・ムハンマドという人物が、サマルカンドに製紙法が伝わったのは650年頃で、706年にはメッカでも紙が製造されていたと伝えている、と述べる。このアリー・ビン・ムハンマドなる人物が何者なのか、まったく触れられていない。この伝承はギボンの『ローマ帝国衰亡史』からの引用で、さらにその原典は前嶋氏も発見できなかったようだ。
 藤本氏も、アリー・ビン・ムハンマドが何者か調べがつかなかったそうで、いったい何者なんでしょうね。

 私見では、中国本土~タリム盆地では、紙の原料はいろいろあったが樹皮中心、ソグディアナ以西は亜麻布のみだから、樹皮→亜麻への切り替えにはそれなりの時間が必要だったと考える。で、すでに8世紀以前にソグディアナ~ホラーサーンで亜麻紙製造技術がある程度確立しており、アラブ人たちも紙の存在をある程度は知っていたからこそ、捕虜になった紙漉き工の技術が活用されたんじゃないかと。

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『鎮魂歌 レクイエム』 グレアム・ジョイス 浅倉久志・訳 早川書房 2004(1995)
requiem
 次作の参考文献としての小説を選択する基準は、まず「6~10世紀の中国西部~中央アジア~西アジアを舞台にした広義の長篇歴史小説、著者は東アジア人(日本人含む)以外」であった。「広義の歴史小説」とは、史実にあまり忠実でないのんも含む、という意味。
 が、こういう小説が邦訳されることはほとんどないであろうとは予想できたので(そもそも未邦訳のものだって少数だろう)、範囲を前近代まで、トルコや北アフリカまで広げる。
 それでも見つからない。というか、こんな限定された条件では、有効に探す方法すらない。

 そういうわけで、「中世~前近代の中国西部~中央アジア~広義の中東を舞台にした広義の長篇歴史小説、著者は東アジア人(日本人含む)以外」もしくは「そのような異世界を舞台にしたファンタジー小説、著者は東アジア人(日本人含む)以外」を御存知ではありませんか、と尋ねて回った結果、教えてくださる親切な方々がいらっしゃったのだが、何しろ絶対数が少ないので、だぶってたり、すでに既読だったりする作品が多かった。
 しかたないから範囲をさらに広げて、「中国西部~中央アジア~広義の中東を舞台にした、幻想的要素を含む現代小説、著者は東アジア人(日本人含む)以外」まで含めて探すことにした。

 どうやったかというと、まずサイードの著作ほかオリエンタリズム関係の研究書や『アラビアン・ナイト必携』等の書籍に挙げられてる、それっぽい作品を拾い出した。それでもその数は情けないほど少ない。
 そこで、①「西域」「シルクロード」「中央アジア」「ペルシア」「アラブ」「アラビア」「アラビアンナイト」「千夜一夜」「千一夜」「オリエント」「オリエンタル」「砂漠」といったキーワード群と、②「小説」「ファンタジー 小説」「SF 小説」「幻想文学」といったキーワード群を、適宜組み合わせてグーグルとヤフーで検索しまくったのであった……これ以上有効な方法が思い付けなかったんだよ……

 お蔭で相当な数を探し出すことができたが、条件に当て嵌まってなかったり、あまりにも駄作だったりして参考にならず、途中で放った作品も少なくなかった。この『鎮魂歌』は、結論から言うと条件にはあんまり当て嵌まらなかったし、おもしろくもなかったのだが、英国幻想文学賞を受賞しているだけあって、読むに耐えないというほどではなかったので、ともかく最後まで読みましたよ。

 英国人教師トム・ウェブスターは、事故で死んだ妻が参詣を切望していたエルサレムを訪れる。喪失感に苦しむ彼はエルサレムの亡霊が付きまとわれ、しかも老いたユダヤ人からは死海文書の断片を託される。

 エルサレムという土地のエキゾティシズムは前面に押し出されているが、主人公がかかわる現地住民はユダヤ人が中心で、アラブ/イスラム的要素は、少なくとも表面的には目立たない。ただし、欧米のキリスト教徒は、ユダヤ人、特に「中東に在るユダヤ人」にはアラブ人のイメージを重ねがちなのだそうである。
 何はともあれ、主人公が託された「死海文書の断片」は「マグダラのマリアによる福音書」だったのだが、現実に「マグダラのマリアによる福音書」とされてるものについては一切言及がない。内容も、彼女がイエスの妻だったとか、女嫌いの使徒たちに排斥されたとか、すっげーありきたりなんですけど(原著の刊行が『ダ・ヴィンチ・コード』の十年前だというのんを措いても)。

 こういう「聖書(特に新約)の真実」ものって、欧米キリスト教徒にとってはそんなに衝撃的なんだろうか。それとも、日本人作家が記紀神話をネタにする程度でしかないの?
 いずれにせよ、仰々しくちょっぴりずつ読み解かれていく、マグダラのマリアによって書かれた書簡の「衝撃的な内容」は、主人公と女性たち(中心に在るのは亡き妻)との関係性つーか、彼女たちに対する主人公の手前勝手なウダウダへと収束するのであった。

 何これ、セカイ系?(しかも「死海文書」ものだし……)

 巻末解説の東雅夫氏は、原著刊行から十年近くも経って邦訳が出たのは、2001年の『アラビアの夜の種族』が追い風になった可能性を指摘した上で、同じ英国人作家であるロバート・アーウィンの『アラビアン・ナイトメア』(1983)とのより高い相似を主張している。
 日本人全般にとってもユダヤとアラブは一緒くたなんかね、というんはともかく、ヨーロッパ人(イギリス人)が中東の町で迷子になる、という点は確かに類似していると言える。まあいわば、『鎮魂歌』は軽くて薄い『アラビアン・ナイトメア』だな。いや、分量だけだったら文庫で460頁以上あるけど、内容薄いから。
 あるいは、『鎮魂歌』は小市民的『アラビアン・ナイトメア』、とも言える。

『アラビアン・ナイトメア』の時代設定は15世紀、『鎮魂歌』は20世紀末だが、この違いは表面的なものに留まらない。15世紀当時は、まだ西洋の東洋(中東)に対する優越は顕著にはなっておらず、西洋のキリスト教徒がムスリムに優越感を抱くとしたら、宗教以外に根拠になるものはない。著者のアーウィンは専門家だけあってそのことを承知しており、敬虔なキリスト教徒でない主人公は、カイロという町やムスリムに対して別段優越感は抱かない。
 一方、『鎮魂歌』には、著者自身のオリエンタリズムが駄々漏れである。昔ながらのオリエンタリズムと、「政治的な正しさ」というかたちのオリエンタリズムである。

 その一環として、主人公の「義憤」が目に付く。彼がエルサレムの俗悪さに幻滅するあたりは、まだそれなりに客観性が保たれている。が、聖なる遺跡のほとんどが「偽物」であること、そしてそれらを今も敬虔な人々がありがたがっていることに対する主人公やほかの登場人物の憤りには、明らかに客観性が欠けている。
 そして主人公は、偽の遺跡に感動して涙している年老いたギリシア正教徒の寡婦を思って胸を痛めたりするのである。「年老いたギリシア正教徒の寡婦」にしてみれば、大きなお世話以外のなにものでもない。

 作品としての小説を読んでいるというよりは、このアングロサクソン的繊細さをニヤニヤしながらヲチしてるうちに、上述のセカイ系的収束に行き着いたのでした。

「死海文書」を翻訳するアフマドは、主要登場人物たちのうち唯一のアラブ人で、大して見返りもないのに西洋人の主人公に協力してくれる(身の危険まで冒して)、典型的な都合のいい「現地人」である。
 そういう役回りにもかかわらず、なかなか興味深いキャラクター造形だったのは評価できる。

ロバート・アーウィン『アラビアン・ナイトメア』感想

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『イスラーム世界の創造』 羽田正 東京大学出版会 2005 (「イスラム文化」)
 9.11以降、すっかり一般的な用語・概念として定着した「イスラーム(イスラム)世界」について、これが前近代のムスリムの間でもヨーロッパ・キリスト教徒の間でもまったく一般的でなかったことを解き明かし、現代に於けるこの用語の使われ方に異議を唱える。

 第Ⅱ部 第一章「マホメット教とサラセン人(18世紀以前)」より

 サザーンの『ヨーロッパとイスラーム世界』、樺山紘一の『異境の発見』などの著作を読めば、私たちは中世のラテン・キリスト教世界の人々が、自らが発想し生み出した世界像を前提にして、その枠組みの中でイスラームという異教のイメージをどのように造形していったのか、といいう点について多くの知見を得ることができる。
 ただし、注意すべきはこれらの論者が「イスラーム」ないし「イスラーム世界」という言葉を既知の超時代的な概念として使用しているという点である。これらはあくまでも現代に於ける用語や概念であり、18世紀以前の人々が、私たちと同じようにこれらの言葉を用いて人間の居住区地域全体を認識し、記録を残していたと考えてはならない。
 近代以前の「ヨーロッパ」に於けるイスラーム認識を論じる現代の研究者は、自らの頭にある「イスラーム」や「イスラーム世界」という概念を過去に投影し、過去の文献のうちからそれに相当すると思われる部分を「イスラーム」ないし「イスラーム世界」として切り取ったり継ぎ合わせたりして、当時の人々のそれらに対する態度や言説を「イスラーム」ないし「イスラーム世界」認識として語るのである。このように、ある時代にはまだ存在しなかった概念に対する当時の人々の認識の是非を現代の時点から論じることは、はたしてどれだけ学問的に意味があるのだろうか。

 この誤謬にはサイードも陥っている、というかこの誤謬はむしろ彼によって広められたと言える。

 イスラームの特殊性として、「識者」が必ず挙げるのは、「イスラーム法の存在」である。この法ゆえにイスラームは狭い意味での信徒の振興面だけではなく、その政治・経済・社会・文化のすべてに関わり、それらを規定する、とされる。これはイスラームに否定的な人々と肯定的な人々(イスラーム主義者も含む)の両方が唱える言説である。
 結論「「イスラーム世界」史との訣別」では、次のように異議を唱える。

 あらめて人類の歴史を振り返ってみると、宗教が人間の生活全般に影響を及ぼさなかった社会が、果たして18世紀以前に存在しただろうか。18世紀以前のキリスト教は、人々の日常生活を細かく規定した教会法を持ち、イスラーム以上に人々の生活の隅々にまでにその影響を及ぼしていたのではないか。
(中略)また、今日も根強い南アジア社会におけるいわゆるカースト制度は、宗教とは関係ないと言えるだろうか。(中略)儒教を宗教だとするなら、中国、韓国や日本社会は人々の行動規範の多くをなおそれに拠っているのではないか。

 まったくもって同感です。
 あと、著者は「イスラム」ではなく「イスラーム」という表記を用いているが、これは表記は統一したほうがいいから『岩波イスラーム辞典』の表記に従っただけで、著者個人としては、アラビア語原音では確かに「イスラーム」だけどトルコ語は「イスラム」、ペルシア語では「エスラーム」だし、しかも日本語に於ける綴り方の問題でしかないのだから、「原音」にそれほどこだわることはない、と考えているそうである。これもまったく仰るとおり。

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『〈悪しき〉文化について――ヨーロッパとその他者』 足立信彦 東京大学出版会 2006
 次作と直接には関連しないんだが、ちょっと自分の考えを整理しようと思って読んでみた。
「はじめに」にはこう書かれている。

 最近ドイツで起きた事件を例として挙げよう。
 ある町の路上で、若いトルコ人女性が、頭部に三発の銃弾を撃ち込まれて死んだ。手を下したのは彼女の弟である。姉が夫と別居し、ヨーロッパ的な生き方を求めたがゆえに、家族の「名誉を守るため」殺さねばならなかったのだ、と彼は言う。彼は、ドイツの法によって裁かれるだろう。しかし、その行為の背景にある「家父長的」な家族観に対して、われわれはどのように向き合うべきか。

 この問いこそ、私がよく考えてみたかったことである。が、残念ながら、本書はこの問いそのものを論じてはいない。ヨーロッパ的価値観からすると「悪しき」ものとされる異国の文化・風習について、ヨーロッパ人がどう向き合ってきたか(または向き合ってこなかったか)、ということが論じられており、上記の例やインドの「サティー」(寡婦の焼身)のような、現在進行形の「犠牲者を出す文化」について、我々はどう向き合うべきか、についてはまったく触れられていない。

 著者の専門なのか、ドイツの民族/国民観がどのように形成されたかに多くの紙幅を割いており、それに関連して現代ドイツの移民問題に一章を宛てていた。しかしそこでも、上記のトルコ人女性殺害事件については言及無し。
「サティー」については、80年代までの欧米識者の見解は取り上げてるんだが、インド人からの意見はあたかも存在しないかのごとくだ(当時ならすでに充分記録されていただろうに)。なんだかなあ。

 まあとりあえず参考文献を一点拾う。

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『ハルーンとお話の海』 サルマン・ラシュディ 青山南・訳 国書刊行会 2002(1990)
haroun and the sea of stories
 初ラシュディ。
「アラビアンナイト風」だという触れ込み(『アラビアン・ナイト必携』その他)だったが、主人公ほか数人のキャラクターの名がイスラム的だったりインド的だったりするほかは、アラビアンナイト風もしくはオリエント風の要素はほとんど感じられなかった。
 普通の欧米のよくできた児童文学というか、欧米の普段は児童文学を書かない作家(SF作家とか)によるよくできた児童文学という感じ。別に無理やりエキゾティシズムを見出さなくてもいいんじゃないの、と思う。まあそれだけ欧米文学にアラビアンナイト的要素、オリエンタリズム要素が溶け込んでる、という言い方もできるかもしらんが。

 しかし私が現在求めているのは、「欧米人がオリエントに注ぐ視線=エキゾティシズム」および「オリエントの著者が描くオリエント=ヨーロッパ人のオリエント観を意識せざるを得ない、捩れたエキゾティシズム」なわけで、やっぱ『悪魔の詩』も読もうかな。

 もう一つの月であり「お話の海」がある「オハナシー」とか、そのお話の海を死滅させようと目論む「シタキリ団」の教祖「イッカンノオワリ」とか、原著ではヒンドゥスターニー語になっている固有名詞(巻末に註が付けられているそうだ)を、日本語の語呂合わせに置き換えてるのは、児童文学的に正しいと思う。

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『レオ・アフリカヌスの生涯――地中海世界の偉大な旅人』 アミン・マアルーフ 服部伸六・訳 リブロポート 1989(1986)
leon l’africain(発音記号は面倒なので省略しました)
 レオ・アフリカヌスはグラナダ生まれのムスリムで、本名はハッサン・アル・ワッザン。1492年のグラナダ陥落で、まだ幼かった彼は家族とともにモロッコに移住する。長じてからは二度西アフリカに赴くが、シチリアの海賊に捕らえられ、法王レオ10世に仕えることになる。キリスト教に改宗し、ヨハネ・レオ・ド・メディチの名を賜った。彼の著作『アフリカ記』は、貴重なアフリカ資料としてその後4世紀にわたってヨーロッパで読まれ続けた。

 本書の存在はだいぶ前から知ってたんだが、これまで読まなかったのは、16世紀の人だし、イスラム世界でも西側の人だし、アフリカやヨーロッパと関わりが深いしで、資料としては直接参考にならないだろうと予想されたのと、同じ著者の『サマルカンド年代記』があんまおもんなかったからである(書かれたのは本書のほうが先)。

 幸い、『サマルカンド年代記』よりはずっとおもしろかった。15世紀末~16世紀前半は、ヨーロッパだけでなくイスラム圏にとっても激動の時代であり、しかも両者の関係がかつてなく密接になった時代でもある。
 レオ・アフリカヌス本人による自伝という体裁を取って、彼の人生に当時の国際的事件をこれでもかというほど絡ませている。それらの中には、少々やりすぎのエピソードもある。父親が、フェルディナンド王とイザベル王妃に会おうと懸命に画策中の「クリストバル・コロン」に偶々行き会うとか。が、全体として概ねよくできていると思う。

 ただし、彼の経歴の中でも最も重要であるはずのグラナダ陥落、アフリカ旅行、レオ10世の許での生活の三つのうち、詳細に書き込まれているのはグラナダ陥落だけで、後の二つはかなり駆け足である。グラナダ陥落も含めて、少年時代のエピソードが詳細なわりに、より波乱万丈だったはずの成人以降はあっさり片付けられてしまっている。
 しかし国境も宗教も易々と越えて活動する主人公は、まさしくルネサンス人であり、そのような人物をレバノン出身のフランスのジャーナリストが描いた本書(原著はフランス語)は、なかなか興味深い作品だった

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参考文献録

「唐帝国とソグド人の交易活動」 荒川正晴 (『東洋史研究』56-3 1999)
 この人は論文をすごくたくさん書いているので、内容に重複が多い。という言い方に語弊があるなら、古い論文の要約が新しい論文に含まれてることが多い。
 なので、この論文は参考にならんかったけど、目は通したので「参考文献録」に入れとく。

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『ゾロアスター教――三五〇〇年の歴史』 メアリー・ボイス 山本由美子・訳 講談社 1983/2010(1979/2001) (「ペルシア」)
 原著初版(1979)の邦訳(1983)に、原著新版(2001)の改訂を反映させたもの。
 もとは英国の放送大学の講座用テキストとして執筆されたものだそうで、「やや専門的な概説書」として悪くはないが、索引が付いてないのが不便。巻末に「用語略解」はあるが、50語くらいしかないんで、あんま役に立たん。
 
 ノートは主に第10章「カリフの時代」から、アラブによる征服。この時代のイランについて扱ってる日本語文献って本書しかないんだよねー。ないよりマシだが。

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参考文献録

『砂漠の宝――あるいはサイードの物語』 ジクリト・ホイク 酒寄進一・訳 福武書店 1990(1987)
saids geschichte oder der schatz in der wuste(ウムラウトは面倒なので省略しました)
 原題は「サイードの物語 あるいは砂漠の宝」。

 西アフリカのトゥアレグ族の少年アブリは初めて参加したキャラヴァンの旅で、語り部スレイマンと出会う。スレイマンは少年サイードの物語を始めるが、それは聞き手たちが出したアイディアを取り入れ、自由に成長していく。

 児童文学(中学生以上向け)だが、なかなか凝ったプロットでおもしろかった。「現実」のアブリの旅は西アフリカの砂漠に限定されるが、「物語」のサイードの旅は西アフリカから北アフリカを経由し、アラビア半島にまで至る。
 お伽話的要素も多分に含むが、現代の物語でもある。サイードが持つ「動物の言葉の解るガラス玉」といういかにもアラビアンナイト的なガジェットが、外国人と会話するのに役立ったりもする(それで欧米人観光客相手に商売したりするのである)。
 それぞれの土地の文化や風土などの違いも書き分けられ、特に、北アフリカとは明確に異なる西アフリカの文化や信仰の描写が興味深かった。

 しかしそれにもかかわらず、作者にとっては全部一絡げに「アラビアンナイトの世界」なってしまうらしい。枠物語という構造自体も、「アラビアンナイトの世界」だからこそだし。仏教という共通項だけでチベットから中国、朝鮮半島、日本まで一絡げにされてるようなもので、微妙。

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「魏晋南北朝隋唐期の通過公證制度と商人の移動」 荒川正晴 2002(『中国の歴史世界――統合のシステムと多元的発展』 東京都立大学出版会) (「東西交渉」)
 読んだのは何ヶ月も前だったんだけど、今頃ノートを取る。全3章中、最後の「唐前半期の官物輸送と客商・百姓」(3頁弱)からのみ。

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「唐代前半の胡漢商人と帛練の流通」 荒川正晴 2004(『唐代史研究』7号) (「東西交渉」)
 上と同じく読んだのは数ヶ月前。こちらは全体からノートを取る。

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『ヴィースとラーミーン――ペルシアの恋の物語』 グルガーニー 岡田恵美子・訳 平凡社 1990
 カスピ海南東岸のグルガーン出身のグルガーニーによって1040~50年頃書かれた長篇叙事詩。
 訳者解説では、「ここで扱われる時代は「イスラム以前」のパルティア期(前3世紀~後4世紀)」としか述べられていない。『ゾロアスター教――三五〇〇年の歴史』(メアリー・ボイス)によると、パルティア期のいつ頃かに成立した「原典」がグルガーニーの時代までは存在し、彼はそれをペルシア語訳したのだという。
 原典そのままの「翻訳」と見るのは甚だ疑わしいが、確かにグルガーニーの『ヴィースとラーミーン』は、ゾロアスター教の祭祀や習慣をかなり反映していると思われる記述が多い(王による拝火教神殿への寄進、兄妹婚など)。ボイスはそれらをパルティア時代に実際に行われた信仰の反映とし、資料として用いている。

 内容はというと、モーバド王の妃ヴィースと王の甥ラーミーンの不倫物語という、甚だ非イスラム的なものである。しかも、二人が結ばれるハッピーエンドである。
 イスラムで不倫とされるのは、夫のある女が別の男と、というパターンだけである。これは文字通りの不倫(イスラム法の刑罰対象)なので、『ヴィースとラーミーン』は後世、大いに批判されることになった。しかし一方で人気もあったので、こうして残っているわけである。
 イスラム古典文学の中には、イスラム以前が舞台なのに登場人物がムハンマドを讃えたり、そこまでひどくなくても時代考証を完全に無視した比喩がなされていたりというのんが偶にある(そういうことはイスラム古典文学に限らないが)。しかしグルガーニーは『ヴィースとラーミーン』にイスラム以後の要素を持ち込まないよう注意しているようである。まったく持ち込まれてないわけでもないけど。
 それだけパルティア期の「原典」に忠実だということであり、またイスラムの道徳を基準に非難されたら、「だってイスラム以前の話だから」って言い逃れするつもりだったんだろうなあ。

 ヒロインの夫であるモーバド王(「モーバド」とはゾロアスター教の高位神官の称号)が、高潔で偉大な人物として描かれてる一方で、話の展開上ヴィースのラーミーンの恋路の障害になってくると、途端に邪悪で愚かな卑劣漢扱いされるのがなんとも。障害にならない展開になると、また高潔で偉大な王として描かれるのである。で、終いには狩の最中の事故で都合よく死んでくれる。

 作品が書かれたのは、オマル・ハイヤームが生まれたのと同時代なわけだけど、『ルバイヤート』よりも遥かに比喩の種類が豊富だ。その比喩も、訳者解説にもあるとおり100年以上後のニザーミー(生没年1141-1209)よりは単純であるが、ニザーミーのほうは第2作の『ホスローとシーリーン』ですでに技巧が頂点に達してしまい、3作目の『ライラとマジュヌーン』では早くも類型化・形骸化の兆候が見え、4作目の『七王妃物語』ではすっかりつまんなくなっている。
 一方、『ヴィースとラーミーン』は、先人たちによって技巧が究められていない分、作者グルガーニーの独創性が発揮されており、活き活きとした描写が展開されている。それに、戦闘や狩の場面はグルガーニーのほうが読み応えがあるよ。ニザーミーのんは描写がほんまにおざなりやからな。

 分量はかなり多いが、後半のかなりの部分をヴィースとラーミーンの手紙の遣り取りが占める。登場人物たちの手紙を収録する「書簡形式」はニザーミーも採用しているが、いつ誰が始めた形式なんだろうなあ。

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第九地区

 エビ映画。

 昨秋くらいから映画(DVD含む)鑑賞の量がめっきり減っていたとはいえ、本当に久し振りに、「映画を観た」という充実感を得ることのできた作品。でもエビ。

 南アフリカ共和国ヨハネスブルクの上空に、巨大宇宙船(『インディペンデンス・デイ』のんよりは小さい)が出現する。よりにもよってヨハネスブルクではならなかった必然性は、使徒や怪獣が日本を襲撃しなければならない必然性よりも遥かに高い。巨大宇宙船に乗っていたのは、難民化した宇宙人だったのである。しかもエビそっくりで醜く、不潔で、宇宙船を建造し操縦できるだけの知性が到底あるとも思えない連中だ。

『エイリアン・ネイション』(1988.『第九地区』で宇宙人が出現したとされるのと概ね同時期)も、難民として地球にやってきた宇宙人の話だった。宇宙人の造形の工夫の無さに加えて、あまりに綺麗事ばかり並べたその物語に、腹立ちすら覚えたものである。
『第九地区』はその点、非常にリアルである。たちどころにスラム化する難民キャンプとか、それに対する政府と委託企業の対応とか。

 ニュースやドキュメンタリー形式の映像が大量に挟み込まれている。ニュース映像とか「識者」へのインタビューとか、それらしくて笑えるのだが、「ヨハネスブルクに住み着いたエイリアンについての街頭インタビュー」は際立ってリアルだった。
 人々は口を揃えて「エイリアン」への嫌悪を語るのだが、実は彼らは役者でもエキストラでもなく、一般のヨハネスブルク市民であり、スタッフは映画撮影だとは告げずに、「ヨハネスブルクに住み着いたエイリアン=宇宙人」ではなく、「=外国人」について語らせたのだという。

 南アフリカ出身の監督(18歳からはカナダ在住)だからこそ撮れた映画ではあるが、単なるアパルトヘイトのメタファーではなく、どんな社会でも、いつの時代でも起こり得る事態のメタファーである。ナイジェリア人の扱いがあんまりにもあんまりなのも、メタファーというかネタとして見るべきなんだろう。

 そういう「リアルさ」は作り込まれているのに、エビ宇宙人たちがあんなすごい武器を作る原材料や工具をどうやって調達できたんだとか(ナイジェリア人ギャングがやってくれたとは思えない)、クリストファー・ロビンソンに協力者がほとんどいないのはどうしてだとか、人間とエイリアンがコミュニケーション可能なのはどうしてだとか、そういう設定がおざなりなのが非常に惜しまれる。プロットやアイロニーを犠牲にしなくても、そうした設定を詰める力量はあったはずである。
 最も根本的な疑問である「なぜ彼らは難民化したのか」がスルーされているのは良い。

 すっきりと解決する話ではないが、武器兵器が実在のものから架空のものまでバンバン登場してぶっ放されるので、それなりに爽快感はあります。

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