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参考文献録

『イスラーム世界の創造』 羽田正 東京大学出版会 2005 (「イスラム文化」)
 9.11以降、すっかり一般的な用語・概念として定着した「イスラーム(イスラム)世界」について、これが前近代のムスリムの間でもヨーロッパ・キリスト教徒の間でもまったく一般的でなかったことを解き明かし、現代に於けるこの用語の使われ方に異議を唱える。

 第Ⅱ部 第一章「マホメット教とサラセン人(18世紀以前)」より

 サザーンの『ヨーロッパとイスラーム世界』、樺山紘一の『異境の発見』などの著作を読めば、私たちは中世のラテン・キリスト教世界の人々が、自らが発想し生み出した世界像を前提にして、その枠組みの中でイスラームという異教のイメージをどのように造形していったのか、といいう点について多くの知見を得ることができる。
 ただし、注意すべきはこれらの論者が「イスラーム」ないし「イスラーム世界」という言葉を既知の超時代的な概念として使用しているという点である。これらはあくまでも現代に於ける用語や概念であり、18世紀以前の人々が、私たちと同じようにこれらの言葉を用いて人間の居住区地域全体を認識し、記録を残していたと考えてはならない。
 近代以前の「ヨーロッパ」に於けるイスラーム認識を論じる現代の研究者は、自らの頭にある「イスラーム」や「イスラーム世界」という概念を過去に投影し、過去の文献のうちからそれに相当すると思われる部分を「イスラーム」ないし「イスラーム世界」として切り取ったり継ぎ合わせたりして、当時の人々のそれらに対する態度や言説を「イスラーム」ないし「イスラーム世界」認識として語るのである。このように、ある時代にはまだ存在しなかった概念に対する当時の人々の認識の是非を現代の時点から論じることは、はたしてどれだけ学問的に意味があるのだろうか。

 この誤謬にはサイードも陥っている、というかこの誤謬はむしろ彼によって広められたと言える。

 イスラームの特殊性として、「識者」が必ず挙げるのは、「イスラーム法の存在」である。この法ゆえにイスラームは狭い意味での信徒の振興面だけではなく、その政治・経済・社会・文化のすべてに関わり、それらを規定する、とされる。これはイスラームに否定的な人々と肯定的な人々(イスラーム主義者も含む)の両方が唱える言説である。
 結論「「イスラーム世界」史との訣別」では、次のように異議を唱える。

 あらめて人類の歴史を振り返ってみると、宗教が人間の生活全般に影響を及ぼさなかった社会が、果たして18世紀以前に存在しただろうか。18世紀以前のキリスト教は、人々の日常生活を細かく規定した教会法を持ち、イスラーム以上に人々の生活の隅々にまでにその影響を及ぼしていたのではないか。
(中略)また、今日も根強い南アジア社会におけるいわゆるカースト制度は、宗教とは関係ないと言えるだろうか。(中略)儒教を宗教だとするなら、中国、韓国や日本社会は人々の行動規範の多くをなおそれに拠っているのではないか。

 まったくもって同感です。
 あと、著者は「イスラム」ではなく「イスラーム」という表記を用いているが、これは表記は統一したほうがいいから『岩波イスラーム辞典』の表記に従っただけで、著者個人としては、アラビア語原音では確かに「イスラーム」だけどトルコ語は「イスラム」、ペルシア語では「エスラーム」だし、しかも日本語に於ける綴り方の問題でしかないのだから、「原音」にそれほどこだわることはない、と考えているそうである。これもまったく仰るとおり。

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