« 参考文献録 | トップページ | 参考文献録 »

参考文献録

『鎮魂歌 レクイエム』 グレアム・ジョイス 浅倉久志・訳 早川書房 2004(1995)
requiem
 次作の参考文献としての小説を選択する基準は、まず「6~10世紀の中国西部~中央アジア~西アジアを舞台にした広義の長篇歴史小説、著者は東アジア人(日本人含む)以外」であった。「広義の歴史小説」とは、史実にあまり忠実でないのんも含む、という意味。
 が、こういう小説が邦訳されることはほとんどないであろうとは予想できたので(そもそも未邦訳のものだって少数だろう)、範囲を前近代まで、トルコや北アフリカまで広げる。
 それでも見つからない。というか、こんな限定された条件では、有効に探す方法すらない。

 そういうわけで、「中世~前近代の中国西部~中央アジア~広義の中東を舞台にした広義の長篇歴史小説、著者は東アジア人(日本人含む)以外」もしくは「そのような異世界を舞台にしたファンタジー小説、著者は東アジア人(日本人含む)以外」を御存知ではありませんか、と尋ねて回った結果、教えてくださる親切な方々がいらっしゃったのだが、何しろ絶対数が少ないので、だぶってたり、すでに既読だったりする作品が多かった。
 しかたないから範囲をさらに広げて、「中国西部~中央アジア~広義の中東を舞台にした、幻想的要素を含む現代小説、著者は東アジア人(日本人含む)以外」まで含めて探すことにした。

 どうやったかというと、まずサイードの著作ほかオリエンタリズム関係の研究書や『アラビアン・ナイト必携』等の書籍に挙げられてる、それっぽい作品を拾い出した。それでもその数は情けないほど少ない。
 そこで、①「西域」「シルクロード」「中央アジア」「ペルシア」「アラブ」「アラビア」「アラビアンナイト」「千夜一夜」「千一夜」「オリエント」「オリエンタル」「砂漠」といったキーワード群と、②「小説」「ファンタジー 小説」「SF 小説」「幻想文学」といったキーワード群を、適宜組み合わせてグーグルとヤフーで検索しまくったのであった……これ以上有効な方法が思い付けなかったんだよ……

 お蔭で相当な数を探し出すことができたが、条件に当て嵌まってなかったり、あまりにも駄作だったりして参考にならず、途中で放った作品も少なくなかった。この『鎮魂歌』は、結論から言うと条件にはあんまり当て嵌まらなかったし、おもしろくもなかったのだが、英国幻想文学賞を受賞しているだけあって、読むに耐えないというほどではなかったので、ともかく最後まで読みましたよ。

 英国人教師トム・ウェブスターは、事故で死んだ妻が参詣を切望していたエルサレムを訪れる。喪失感に苦しむ彼はエルサレムの亡霊が付きまとわれ、しかも老いたユダヤ人からは死海文書の断片を託される。

 エルサレムという土地のエキゾティシズムは前面に押し出されているが、主人公がかかわる現地住民はユダヤ人が中心で、アラブ/イスラム的要素は、少なくとも表面的には目立たない。ただし、欧米のキリスト教徒は、ユダヤ人、特に「中東に在るユダヤ人」にはアラブ人のイメージを重ねがちなのだそうである。
 何はともあれ、主人公が託された「死海文書の断片」は「マグダラのマリアによる福音書」だったのだが、現実に「マグダラのマリアによる福音書」とされてるものについては一切言及がない。内容も、彼女がイエスの妻だったとか、女嫌いの使徒たちに排斥されたとか、すっげーありきたりなんですけど(原著の刊行が『ダ・ヴィンチ・コード』の十年前だというのんを措いても)。

 こういう「聖書(特に新約)の真実」ものって、欧米キリスト教徒にとってはそんなに衝撃的なんだろうか。それとも、日本人作家が記紀神話をネタにする程度でしかないの?
 いずれにせよ、仰々しくちょっぴりずつ読み解かれていく、マグダラのマリアによって書かれた書簡の「衝撃的な内容」は、主人公と女性たち(中心に在るのは亡き妻)との関係性つーか、彼女たちに対する主人公の手前勝手なウダウダへと収束するのであった。

 何これ、セカイ系?(しかも「死海文書」ものだし……)

 巻末解説の東雅夫氏は、原著刊行から十年近くも経って邦訳が出たのは、2001年の『アラビアの夜の種族』が追い風になった可能性を指摘した上で、同じ英国人作家であるロバート・アーウィンの『アラビアン・ナイトメア』(1983)とのより高い相似を主張している。
 日本人全般にとってもユダヤとアラブは一緒くたなんかね、というんはともかく、ヨーロッパ人(イギリス人)が中東の町で迷子になる、という点は確かに類似していると言える。まあいわば、『鎮魂歌』は軽くて薄い『アラビアン・ナイトメア』だな。いや、分量だけだったら文庫で460頁以上あるけど、内容薄いから。
 あるいは、『鎮魂歌』は小市民的『アラビアン・ナイトメア』、とも言える。

『アラビアン・ナイトメア』の時代設定は15世紀、『鎮魂歌』は20世紀末だが、この違いは表面的なものに留まらない。15世紀当時は、まだ西洋の東洋(中東)に対する優越は顕著にはなっておらず、西洋のキリスト教徒がムスリムに優越感を抱くとしたら、宗教以外に根拠になるものはない。著者のアーウィンは専門家だけあってそのことを承知しており、敬虔なキリスト教徒でない主人公は、カイロという町やムスリムに対して別段優越感は抱かない。
 一方、『鎮魂歌』には、著者自身のオリエンタリズムが駄々漏れである。昔ながらのオリエンタリズムと、「政治的な正しさ」というかたちのオリエンタリズムである。

 その一環として、主人公の「義憤」が目に付く。彼がエルサレムの俗悪さに幻滅するあたりは、まだそれなりに客観性が保たれている。が、聖なる遺跡のほとんどが「偽物」であること、そしてそれらを今も敬虔な人々がありがたがっていることに対する主人公やほかの登場人物の憤りには、明らかに客観性が欠けている。
 そして主人公は、偽の遺跡に感動して涙している年老いたギリシア正教徒の寡婦を思って胸を痛めたりするのである。「年老いたギリシア正教徒の寡婦」にしてみれば、大きなお世話以外のなにものでもない。

 作品としての小説を読んでいるというよりは、このアングロサクソン的繊細さをニヤニヤしながらヲチしてるうちに、上述のセカイ系的収束に行き着いたのでした。

「死海文書」を翻訳するアフマドは、主要登場人物たちのうち唯一のアラブ人で、大して見返りもないのに西洋人の主人公に協力してくれる(身の危険まで冒して)、典型的な都合のいい「現地人」である。
 そういう役回りにもかかわらず、なかなか興味深いキャラクター造形だったのは評価できる。

ロバート・アーウィン『アラビアン・ナイトメア』感想

|

« 参考文献録 | トップページ | 参考文献録 »

参考文献録」カテゴリの記事