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第九地区

 エビ映画。

 昨秋くらいから映画(DVD含む)鑑賞の量がめっきり減っていたとはいえ、本当に久し振りに、「映画を観た」という充実感を得ることのできた作品。でもエビ。

 南アフリカ共和国ヨハネスブルクの上空に、巨大宇宙船(『インディペンデンス・デイ』のんよりは小さい)が出現する。よりにもよってヨハネスブルクではならなかった必然性は、使徒や怪獣が日本を襲撃しなければならない必然性よりも遥かに高い。巨大宇宙船に乗っていたのは、難民化した宇宙人だったのである。しかもエビそっくりで醜く、不潔で、宇宙船を建造し操縦できるだけの知性が到底あるとも思えない連中だ。

『エイリアン・ネイション』(1988.『第九地区』で宇宙人が出現したとされるのと概ね同時期)も、難民として地球にやってきた宇宙人の話だった。宇宙人の造形の工夫の無さに加えて、あまりに綺麗事ばかり並べたその物語に、腹立ちすら覚えたものである。
『第九地区』はその点、非常にリアルである。たちどころにスラム化する難民キャンプとか、それに対する政府と委託企業の対応とか。

 ニュースやドキュメンタリー形式の映像が大量に挟み込まれている。ニュース映像とか「識者」へのインタビューとか、それらしくて笑えるのだが、「ヨハネスブルクに住み着いたエイリアンについての街頭インタビュー」は際立ってリアルだった。
 人々は口を揃えて「エイリアン」への嫌悪を語るのだが、実は彼らは役者でもエキストラでもなく、一般のヨハネスブルク市民であり、スタッフは映画撮影だとは告げずに、「ヨハネスブルクに住み着いたエイリアン=宇宙人」ではなく、「=外国人」について語らせたのだという。

 南アフリカ出身の監督(18歳からはカナダ在住)だからこそ撮れた映画ではあるが、単なるアパルトヘイトのメタファーではなく、どんな社会でも、いつの時代でも起こり得る事態のメタファーである。ナイジェリア人の扱いがあんまりにもあんまりなのも、メタファーというかネタとして見るべきなんだろう。

 そういう「リアルさ」は作り込まれているのに、エビ宇宙人たちがあんなすごい武器を作る原材料や工具をどうやって調達できたんだとか(ナイジェリア人ギャングがやってくれたとは思えない)、クリストファー・ロビンソンに協力者がほとんどいないのはどうしてだとか、人間とエイリアンがコミュニケーション可能なのはどうしてだとか、そういう設定がおざなりなのが非常に惜しまれる。プロットやアイロニーを犠牲にしなくても、そうした設定を詰める力量はあったはずである。
 最も根本的な疑問である「なぜ彼らは難民化したのか」がスルーされているのは良い。

 すっきりと解決する話ではないが、武器兵器が実在のものから架空のものまでバンバン登場してぶっ放されるので、それなりに爽快感はあります。

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