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参考文献録

『中央アジアの生活環境――ユーラシア=新世紀の自然の宝庫』 都留信也 東洋書店 2003 (「中央アジア地誌・紀行」)
 本文60頁のブックレット。
 誰を対象にしてるんだか不明な本。内容は旧ソ連中央アジアの生態環境そのもの、及びその保護に分かれてるんだが、どっちについての解説も大雑把で中途半端。地名(河川、山、谷、草原、砂漠その他および自然保護地区など)が大量に出てくるのだが、地図は一点だけ、国境線(国名)と首都、カスピ海とアラル海とアム河・シル河が記入されてるだけのいい加減な、というかふざけてんのかと言いたくなる代物のみである。

 羅列された地名すべてを位置とともに諳んじてる読者だったら、本書の内容程度の情報はすでに知っているだろう。動植物の名前も同様で、名前だけからどんな生物なのか判らないものが多く、説明はほとんどない。
 とりあえず土壌や気候についてだけメモを取ってみたが、とにかく地名と位置が一致しないので、情報のほとんどが役に立たない。

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『ゾロアスター教――神々への讃歌』 岡田明憲 平河出版社 1982 (「ペルシア」)
『ゾロアスター教の悪魔払い』 岡田明憲 平河出版社 1984

 前者は本文360余頁のうち、40頁がゾロアスター教の成立と教義の概説、残りが『アヴァスタ』から「ヤシュト書」(神々への讃歌)の抄訳。
 後者は本文300余頁のうち、120余頁がゾロアスター教の教義と儀式についてより詳しい解説、残りが『アヴェスタ』から祈祷および除魔に関する規定を述べた部分の抄訳。
 
 前者の概説は「ヤシュト書」の訳のおまけみたいなものだが、後者の解説はかなり詳しいし解り易い。ただし、あくまで『アヴェスタ』に記されている規定であって、実際にどのように日常や祭事の儀礼が執り行われていたのかについては言及されていない。
 まあ立派な仕事だとは思いますが、両書とも「アフナ・ワルヤ」「アルヤーマー・イシュヨー」「イェンヘー・ハーターム」といった名称の呪文に頻繁に言及するのだが、それらについての具体的な説明はほぼ無かったりとか、そういう感じ。

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「テリアカ考――文化交流史上から見た一薬品の伝播について」 前嶋信次 1966 (『東西物産の交流――東西文化交流の諸相』 誠文堂新光社 1982) (「前近代科学・錬金術」)
 ガレノスが調合したとされる解毒薬「テリアカ」が中東を通じて東西に伝播した過程を論じた、かなり長い論文。
 どうも要点がはっきりしない。中心となるのは(当然ながら)アラビア医学のはずなのだが、イスラム世界にテリアカがいつ頃どのようにして伝わったかについて、まったく言及していない。まあ翻訳を通じてギリシア諸学(医学を含む)が伝わったということなんだろうけど、本論文ではイスラム世界に医学その他のギリシア文化がどのように伝わったかについても述べられていないので、その辺のことを知らない読者にはまったく判らないということになる。
 イスラム圏に於けるテリアカの伝播だけじゃなく、受容がどのようであったかについてもまったく述べられていないのであった。

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参考文献録

『ペガーナの神々』 ロード・ダンセイニ 荒俣宏・訳 早川書房 1979(1905/1906)
The gods of pegana(長音記号は省略しました)
Time & the gods
 訳者の荒俣氏はアイルランド神話からの影響を、ロバート・アーウィン(『必携アラビアン・ナイト』)は『アラビアンナイト』からの影響をそれぞれ指摘しているが、一読した感触は、まあ両方から? アイルランド神というよりは北欧系神話全般、アラビアンナイトというよりは中東(オリエント)神話という感じ。

 古典はヴァリエーションが出尽くしているから古典なんだが、それゆえ陳腐になってしまっているものと、それにもかかわらず陳腐になっていないものとがある。『ペガーナの神々』は後者。こういう「機械論的」世界観のファンタジーは、私が読んだだけでもかなりの数があるが、それらより『ペガーナ』のほうがおもしろかった。
 固有名詞の造語が優れていることも重要である。既存の固有名詞に拠っておらず、かつ統一性が取れている。まあ実際にダンセイニや英語圏の読者がどう発音してんのかは知らんが、アルファベットのスペリングをカタカナで写した荒俣氏のセンスも良かったと言える。

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参考文献録

『シルクロード ローマへの道 第十巻 アジア最深部 ソビエト(2)』 NHK取材班 日本放送出版協会 1984 (「中央アジア地誌・紀行」)
 スイアーブからペンジケント、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ、メルヴ。これまで読んできたNHKシルクロードシリーズの中では、一番使える情報が多かった。
 しかし古い本だからなのか、地図が悪い。不完全だったり(本文にある地名が載ってなかったり)、判りにくかったり。

『西トルキスタンへの旅』 ランスデル 大場正史・訳 白水社 1967(1887)
Though central asia
 イギリス人牧師の著者が布教と人権活動のために中央アジア(主に西トルキスタン)を巡った記録である。1840年代までは同地をイギリス人が訪れると、盗賊や暴徒に襲われたり虐殺されたり、専制君主に監禁されたり処刑されたりするのがオチだったのだが、本書の旅行の頃には不便だとはいえ随分安全になっていたようだ。

 上下巻のうち、とりあえず上巻に目を通してみたのだが、探検家でも考古学者でもないただの牧師だからなのか、都市の描写はまだしも、風土気候や旅程についての記述が碌にない。しかも、これは邦訳版の責任なのだろうけど、地図が付いてない。地名が当時のロシア名もしくは現地名で記されていて注もないので、ほとんどお手上げである。使えない。

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参考文献録

『沙漠のバラの戀物語』 モンテルラン 堀口大學・訳 新潮社 1955(1953)
L’histoire d’amour de[la rose de sable]
 アンリ・ミロン・ド・モンテルランという1896年生まれの作家については全然知らなかったんだが、邦訳者が堀口大學である。昔の海外文学って、意外な人が邦訳してんなあ。『赤い星』の大宅荘一とか、『ドリトル先生』の井伏鱒二とか。

 1932年に脱稿し、そのままお蔵入りにしていた長編『沙漠のバラ』la rose de sableから恋愛的要素だけを取り出し、加筆修正したのが本作品らしい。『沙漠のバラ』が出版されなかったのは自主的に断念したためで、その理由はフランスの植民地政策に対しあまりに批判的すぎる、というものだったそうな。
 ちなみに著者まえがきによると本篇『沙漠のバラ』は『戀物語』の二倍強だそうで、邦訳版『戀物語』は二段組み170頁余り。それほど長くないはずだが、たいそう退屈でございました。
 新潮社は1940年代末からこの作者の作品を何冊も刊行してるので、その流れで原著刊行から2年しか経ってない本作品も邦訳されたらしい。しかしフランス国内での評価はどうだったんだろうね。

 モロッコの奥地に赴任した若い将校が、駐屯地のアラブ人慰安婦を甚く嫌悪し、無垢な少女を愛人にすることを思いつく。ラーマという十五歳にもなっていない少女はあっさり彼のものになったので、そのことでまた彼は失望するが、やがて彼女を愛するようになる。しかし彼女とはまったく心を通い合わせることができない。通い合わせることができたと思ったのも幻想に過ぎず……

 という話で、これから察するに、元の長編『沙漠のバラ』が「フランスの植民地政策に対する批判」として「土民(原文ママ)の利益のために」書かれたというのは、つまり「アラブ人(をはじめとするすべての有色人種)というのは愚鈍で怠惰で動物同然で啓蒙は不可能。そしてフランス人のほうも彼らに対する優越感を捨てられないのだから、相互理解なぞあり得ない。だから自国民の犠牲を払って植民地を維持するのは『悪』である」ということらしい。やれやれ。

 1930年代初頭当時でも相当陳腐だったと思うんだが、「凡庸な善人」として描かれる主人公の造詣はそこそこおもしろい。
 またオリエンタリズム小説というのは、ほかにどんな問題があろうと情景描写が巧みなのんが多いように思うのだが、本作もその裏付けとなると言える。ただし本作の場合、印象に残ったのは美しい情景ではなく、夏のモロッコの過酷な暑熱の描写、特に夜になると部屋の壁一面に止まって眠る蠅の群れを主人公が焼き殺す場面である。ちなみに作者自身も、北アフリカで軍隊勤務の経験がある。

『沙漠のバラ』から『戀物語』を抽出した際、主人公の友人で画家であるギスカールについて二つの章が加筆されているのだが、これが輪を掛けて陳腐で退屈なのであった。「自由かつ退廃的な画家」の描写が斯くも凄まじく陳腐で退屈なのは、作者の絵画に対する無知と無関心が原因だと思われる。
 主人公は愛人となった少女をこの友人と共有したいと思い付くのだが、当時はそういう申し出をあからさまに口にすることはできなかったらしい。それで表面的な理由として彼女を絵のモデルにしてもらおう、ということになったのであった。
 つまり、ギスカールが画家である必然性はそのためだけだったので、作者は彼を画家として書くことに関心がなかったのだろう。それにしたって1930年代初頭といえばモダニズムは百花繚乱の状況で、画家ギスカールがどれほど「でたらめ」な人間かを述べるのに、モダニズムほど適した材料はないだろうに、彼の画風には一言も言及していない。やる気がなさすぎ。

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参考文献録

『アラビアの医術』 前嶋信次 中公新書 1965 (「前近代科学・錬金術」)
 クルアーンやハディースにある病気や医療に関する記事から始まって、アッバース朝を中心に15世紀くらいまでの概説。10世紀くらいまでをノートに取る。

『ペルシアの伝統技術――風土・歴史・職人』 ハンス・E・ヴルフ 原隆一/禿仁志/山内和也/深見和子・訳 平凡社 2001(1966) (「前近代科学・錬金術」)
The traditional crafts of Persia: their development, technology, and influence on eastern and western civilizations
 著者がイランで調査を始めたのは1930年代後半。第二次大戦によって41年にいったん中断、15年後に調査を再開し、1966年に出版された。
 第一章「金属工芸技術」、第二章「木工技術」、第三章「建築技術と製陶技術」、第四章「織物技術と皮革技術」、第五章「農業と食糧加工技術」

 こういう本の邦訳が出ているのは、たいへんありがたいことである。「風土・歴史・職人」という副題どおり、各技術について、気候条件から歴史、調査当時の状況までが述べられている。
 専門的過ぎて参考にならない情報も多いが、染料とか木材の種類の一覧、陶器、タイル、装飾積み煉瓦など、イスラム工芸(建築)でお馴染みの技術がサーサーン朝時代には発達していなかった、等の記事は役に立つ。
 ただし、アッバース朝カリフを「イラン系」と平気で書いていたり(政権獲得以前のアッバース家はシーア派だったので、シーア派=イラン系と思い込んだのかもしれない)、タラス河畔の戦いの原因についても間違ってる上に、「アラブの年代記で立証されうるし、中国の年代記でも裏づけられる」と自信を持って断言してたりするので、いやはや他の内容についても果たしてどこまで信用したものか。

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2010年度佐藤亜紀明治大学特別講義 第2回

何かが起こった瞬間、複数の人間が現場に居合わせたとして、同時にtwitをしたとする。他人がそれをリアルタイムで読んだとしても、出来事そのものを認識することはできない。
 その場に居合わせた人々自身であっても、出来事そのものを認識できはしない。観察者の数だけ情報の断片がある。出来事が丸のまま観察され、報告されることはない。

 だから、出来事そのものという「実体」はないのか? ……というのが、前回のお話。

 事件の総体を知っている、と人が錯覚している状態というのは、(事件を取り巻く)言説のネットワークがどのような形であるのかを知っている、ということである。ネット(網目)の形によって、中身を認識しているのである。

 そうした言説の網目の有効性が問われる時が来る。その瞬間に生まれるものがある。

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Isdr

 ゴヤの「サン・イシドロの草原」(上)と「サン・イシドロの巡礼」(下)。
 伝統的技法で描かれた「草原」の背景の群集は巡礼の人々である。つまり、二枚への絵は同じ主題を描いている。しかし「黒い絵」の「サン・イシドロの巡礼」のほうは、物事をありのままに写そう(無論、美化して)、という西洋絵画の伝統に関心がない。

 この二枚は描かれた時期が若い頃と晩年だが、次の二枚は同時期にセットで描かれたものである。

Goya_lucha00 「5月2日」

Goya_fusilamientos00 「5月3日」

「3日」や「黒い絵」では、人物はルーベンス的な立体的な肉体を持っていない。平面化され、記号化(キャラ化)されている。

 表現というものはどう変わり得るのか。表現が変化するということは、その表現によって包み込まれていた(あるいは包み込もうとしていた)実体が変化するということ。

 同時代の美術・文学・音楽は同じ傾向を持っている、と言えないことはない。ただし、どのように同じなのかという証明は非常に難しい。
 例えば、ゾラはセザンヌと親しかったが、画家を主人公にした小説を書いたら、「おまえは何も解っていない」と絶交された。画家が絵を描いている時、何を考えているかなど、小説家には解らないし、画家自身も解ってはいない。

 しかし彼らの間で共通するものはある。世界を把握する方法が似ているのである。それを鑑賞者は「同じ傾向」として感知しているのだろう。

「5月2日」と「3日」のテーマは一続きである。重要なのは、このような描き方の違いが起きた理由である。
 ゴヤ以前、ヴォルテールはポルトガル地震の惨禍に衝撃を受けて書いた『カンディード』で人物を機械人形のように平面化して描いている。これはゴヤの平面化された人物の描き方に通じる。

 表現は表現から作られる。表現は表現の網目からできていて、その網目が世界を包んでいる。網目が無効になった瞬間、表現は自ずと変わる。

 ゴヤのあの描き方をストレートに継承した者はいない。(ただし、皆無とは言えないかもしれない。いかにもゴヤらしいゴヤ作品だと思われていた「巨人」が、弟子の作品だと昨年判明した。それはともかく)スタイルだけ継承したのがマネである。

Mane07 「マクシミリアン皇帝の銃殺」

 人間が平面化され、「リアリティ」がない。写実性や固有色を否定した近代ヨーロッパ絵画は、ヨーロッパ絵画におけるミメーシス(模倣)の崩壊である。その原点はゴヤだと言える。彼自身にそんなつもりはなかったのだが。

 ゴヤにとってスペイン内戦は、表現を変えざるを得ない体験だった。見えている世界が変わってしまったので、表現も変えざるを得なかったのである。表現は必然性があって壊れるものである(だから「表現を壊そう」という意気込みで作られたものは碌でもない)。
世界が変容してしまえば、そこで表現された対象は、元の形をしていない(以前の方法で表現された形はしていない)。
 しかし世界は変容していくが、いったん確立された表現(様式)は、世界の変容よりも寿命が長い。刷新された表現を批評するには、その言葉もまた新たに作り出されなくてはならない。
 19世紀後半から20世紀初頭に新しく生まれた表現を、批評家たちは美しいとは思わなかった。彼らが美しいと思うのは、前時代以来のアカデミズム絵画だった。しかし彼らが新しい表現を評した言葉は的確だった。それが「印象派」であり「フォーヴィズム」である。何をもって美しいとするかという判断基準とは別の次元で、見る目は確かだったのである。

 大野晋が晩年に語った言葉:「最近の人はものをきちんと見ていないから、文章をきちんと書けない」
 これも、(皮肉抜きで)的確な評である。「きちんとした見方」すなわちそれまでの見方ではものをきちんと見ていない、つまりものの見方が違う。ものの見方が違う(=「きちんと見ていない」)から、表現もまた違ってくる(=「きちんとした文章が書けない」)のである。

 ……以上、前年までのまとめ。いよいよここから今年の本題「笙野頼子」である。

『母の発達』(1996)は、書き手(「=笙野頼子」とは限らない)が認識している世界と、一般的な世界の概念とのズレを描いている。世界を、書き手にとって見えているように書いている。
 世界(もしくは、少なくとも「母」の概念)の語り直し、書き換えである(ただし、この作品の段階では、まだ言語遊戯に留まっているきらいがある)。
母親を、言葉によって解体しているのである。語り手にとってだけでなく、母親自体も解体されていく。
 佐藤氏は初めてこの作品を読んだ時、書き手は悪意によって母親を解体しているのだと解釈した。しかし数年後再読して、母は意に反して解体されているのではないのだと気づいた。母の概念を解体することによって、母娘ともども解体され、浄化されるのである。

 これを、「お母さん、あなたは母である前に一人の人間なのです。自由になりましょう」という、いわゆるフェミニズム的な言葉に言い換えても、何一つ解体されない。言葉に魔術性がないからである。言葉の魔術性は、世界を変容させることが可能である。

第1回講義
 

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参考文献録

『中国の錬金術と医術』 N・セビン 中山茂/牛山輝代・訳 思索社 1985 (「前近代科学・錬金術」)
 1975~78年に発表された論文4篇を日本で編集した本。
 第一章「中国の錬金術と時間の操作」が1976年発表の Chinese alchemy and the manipulation of time
 第二章「旧中国に於ける医療と社会序説」が1977年発表の social relations of curing in traditional china: preliminary considerations (ちなみにこれは『日本医史学雑誌』に発表)
 第三章「混乱の源としての「道教徒」という語について――旧中国に於ける科学と宗教の関係について」が1978年発表の on the word ‘taoism’ as a source of perplexity. With special reference to the relations of science and religion in traditional china
 第四章「沈括」が1975年発表の “shen kua” in dictionary of scientific biography

 ある錬金術の資料(タイトル忘れた)に参考文献として挙げられていて、「西側の人間から見た中国の錬金術」について知りたかったから読んでみたわけだが、使えるのは第一章だけだな。第二章は「中国とその他の国に於ける病気の概念の違い」みたいなことの論考というよりはエッセイ。第三章はタイトルどおりで、しかも欧米人向けの解説。第四章は11世紀の北宋の沈括が記した科学エッセイ『夢渓筆談』その他の著書(および北宋以降の前近代中国の科学)の解説。

 それにしても誤字が多い。

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参考文献録

『隊商――キヤラバン』 ヴィルヘルム・ハウフ 高橋健二・訳 岩波書店 1977(1826)
Die karawane
 ハウフ(1802-1827)は戦前の日本ではグリム、アンデルセンと並べられる西洋童話作家だったそうで、この邦訳も初版は1940年である。短編集なのだが、最初の作品「コウノトリになったカリフの話」は、私も子供のころ「世界名作童話集」か何かで読んだことがある。確かタイトルは「こうのとりになった王さま」で、訳ももう少し低年齢向けだったと思う。もちろん作者の名前なんか完全に忘却していた。

 砂漠を行く隊商の人々が、夜の徒然を紛らわすために一人ずつ物語をしていくという構成で、ほかに「幽霊船の話」「切り取られた手の話」「ファトメの救い出し」「小さいムクの話」「偽りの王子のおとぎ話」。
 概ね千夜一夜風のメルヒェンだが、ギリシア人医師によって語られる「切り取られた手の話」はイタリアを舞台にしたまるっきりのゴシック・ホラーになっており、「幽霊船の話」もタイトルどおりシンドバッド風ゴシック・ホラーといったところで、ヨーロッパでは千夜一夜の受容とゴシック小説の隆盛が連動していたことを改めて確認させられる。いや、私はゴシックもホラーも好きじゃないってゆうかむしろ嫌いなんですが。

 で、「切り取られた手の話」だけは未解決で、最後に枠物語の外枠の隊商のメンバーたちの話として落ちが付けられてるんだけどいまいち。まあ作者が若いんだから仕方ないか。
「コウノトリになったカリフの話」が一番よくできている。プロットも簡潔なので、小学校低学年向けの童話集に入れるのにはちょうどいいんじゃないでしょうか。
 ほかの作品も(「切り取られた手の話」以外)、まあそれなりによくできているし、何より千夜一夜風の雰囲気を巧く取り込んでいるのが評価できる。しかし、中東風人名のストックがあんまりなかったのか(特に女性名)、ファトメとかムクラーとかゼリムとかそれっぽい名前のほかに、アハヴツィとかツォライデとかアドルツァイデとか微妙にドイツっぽい響きの名前が交じってるのは御愛嬌。

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参考文献録

『大草原をゆく ソビエト(1) シルクロード ローマへの道 第九巻』 NHK取材班 日本放送協会出版会 1983 (「中央アジア地誌・紀行」)
 天山西端のアルマ・アタ、イシククル湖~タラス河~ホレズム~フェルガナ~テルメズ。

『熱砂の中央アジア』 加藤九祚(共著) 日本放送テレビ網株式会社 1981 (「中央アジア地誌・紀行」)
 アルマ・アタ~ホレズムまでは上と同じ。ほかはタシケント、サマルカンド、ペンジケント、ブハラ。
 日本テレビの『ズームイン!! 朝!』の中の企画だが、結構大掛かりな取材が行われたようで、解説もしっかりしたものである(加藤九祚氏だから当然だが)。なぜか奥付けに刊行年月日が書いてないんだけど。

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『図説 科学で読むイスラム文化』 ハワード・R・ターナー 久保儀明・訳 青土社 2001(1997) (「前近代科学・錬金術」)
Science in medieval islam an illustrated introduction
 扱っている科学の分野は宇宙論、数学、天文学、占星術、地理学、医学、自然科学、錬金術、光学。技術(開発や伝播)や文献などの時代が、判っているものは明記され、判らないものは判らないとしてある点で、『イスラム技術の歴史』よりも使える。
 ただし肝心の数字が間違ってたり(9世紀を8世紀としてたり。まあ単なる誤植かもしらんが)、ジャービルのことをシリア出身の異教徒とか書いたりしてるのでいまいち信用できん。
 ジャービル・ブン・ハイヤーンは8世紀の錬金術師で、西洋でも「ゲーベル」のラテン語名で知られている。「エリクサル」を作った超有名な人。半ば伝説に包まれているとはいえ、ホラーサーン出身のシーア派なのは多くの史料で一致するところである。

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参考文献録

『シーア派の自画像――歴史・思想・教義』 モハンマド=ホセイン・タバータバーイー 森本一夫・著 慶應義塾大学出版会 2007(1969) (「シーア派」)
 著者紹介によれば、タバータバーイー(1904-1981)はイランの哲学者で、他国の研究者とも広く交流があった。原著は、英語に訳されることを前提にしたものであり、イラン革命の十年も前に書かれたこともあって、ゾロアスター教徒をも含む「啓典の民」のみならず「偶像教徒」にまで一定の配慮を示したリベラルな内容である。
シーア派について、あくまでシーア派の視点から、外国人向けに解りやすく書かれてはいる。解りやすいとはいえ、まあシーア派について(イスラム全般については言うまでもない)、ある程度の知識は要するだろう。とりあえず「お家の人々」がなんのことだか解る程度は。

「リベラルな(この場合のリベラルとは字義どおりの意味である)ムスリム」の言説というのは、いろんな意味でおもしろい。ましてそれがリベラルなシーア派ならば尚更である。今、こういう人はどれだけいるのかな。

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参考文献録

『コーラン』 藤本勝次/伴康哉/池田修・訳 中央公論社新社 2002
 全二巻。新訳のほうを読むのは初めて。まあとりあえず、作中でのクルアーンの引用は旧訳のほうから行うことにする。

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「アラブ・ムスリムの東方進出」 稲葉穣 (『世界に広がるイスラーム』 文化研究所 1995) (「中央アジア中世」)
 もういい加減、日本語文献は最新のん以外はチェックし尽くした(読み尽くすにはもうしばらくかかるが)つもりでいたんだが、この文献はわりと最近見つけたものだし、読んだら新たに二点拾ってしまった。
 論考自体にも目新しい情報はそれなりにあった、というか、「アラブ・ムスリムの東方進出」それもウマイヤ朝以前についての文献(日本語)ではこれまで読んだ中で一番詳しい。ただし、典拠が一切示されていない(参考文献は挙げられてるが注はなし)。
 もちろん私は原典史料に当たろうってわけじゃないが、その史料がどういった性質のものなのかという判断材料は欲しいのである。

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2010年度佐藤亜紀明治大学特別講義 第1回 ①

 5月29日。
 時間的にも気力的にもまとめるのがしんどいのだが、まとめておかないと後でノートを見返しても何が何だかわからないのは必至なので頑張る。

 まず、「これまでのお話」。

『トゥモロー・ワールド』や『宇宙戦争』といった、これまでになかった表現の映画が作られるようになった。
 どの辺が「これまでになかった表現」なのかというと、暴力の表現である。暴力が、人間に対して大々的な規模で振るわれるようになる。
『トゥモロー・ワールド』では、テロはなんの前触れもなく起こる。「爆発が起きるぞ」というサスペンスは一切無い。また、レンズに血痕が付着するといった、ドキュメンタリー手法で撮られているのだが、それはプロのカメラマンによって撮影されたのではない、偶々その場に居合せた人間が撮影したかのような映像である。こうした手法は娯楽映画にすっかり定着した。

 その下地は、ベルリンの壁崩壊以降の各地の紛争に於いて生まれていた。特に顕著なのがボスニア紛争である。
 それまで「難民」というのは我々とは違う「第三世界」の「可哀想な人たち」だった。「彼らも私たちと同じ人間なんだ」という想像力を働かせる必要があった。
 ボスニア紛争以降、難民とはベンツに乗ってipodを聴いているような、つまり「私たちと同じ」人々となった。「私たち」は、いつでも難民になり得る人々となったのである。

 1998年制作の『マーシャル・ロー』(エドワード・ズウィック監督)では、ニューヨークで大規模テロが起きるという設定の下、多数のイスラム系住民が軍隊によってスタジアムに収容される。「軍が市民をスタジアムに収容」というのは1973年のチリ・クーデターでやってることで、いやでもその後で行われた大虐殺を連想させる。
「米軍が自国民に対してそういうことをやりかねない」というのは、それまでに存在しなかった想像力である。こうした、アメリカの想像力の変化が顕在化するのは、言うまでもなく9.11以降である。

 ちなみに私はズウィック監督作品は『戦火の勇気』『グローリー』『ラスト・サムライ』『ブラッド・ダイヤモンド』しか観たことがないので、講義後、佐藤哲也氏に「ズウィックって才能があるんですかないんですか」と尋ねたら、「『レジェンド・オブ・フォール』は傑作だから観なさい」と叱られた。『グローリー』が駄目なのは、まだ若かったからだそうです。

 映画に於ける殴り合いの「型」の変遷。
 1948年ジョン・ヒューストン監督『黄金』ではボクシング。1963年の007シリーズの『ロシアより愛をこめて』ではプロレス(「型」は前者ほど明確ではないが、列車内での格闘シーンで網棚をリングのロープのように使うところなど)。
 どちらも男の筋力と体格にものを言わせた格闘なので、女が出る幕はない。それを変えたのはブルース・リーの登場である。服を着てれば全然強そうに見えず、脱いだら脱いだで、その肉体は持って生まれたのではなく鍛錬によって造り上げられたものである。
 つまり、恵まれた体格でない男および女も、技量を高めることによって強くなれる、という認識が生まれたのである。

 以降の映画に於ける格闘場面は、技をきれいに見せるものになる。その傾向は未だに続いているが、それとは異なる「型」が2002年の『ボーン・アイデンティティ』に始まるジェイソン・ボーン・シリーズである。
 このシリーズの格闘には「型」がない。二人の男が揉み合ってると思ったら、どっちかがダメージを喰らって倒れているのである。観客には何がどうなったのかは判らない。どのような攻撃をしたのか、という一打一打を撮っていないからである。

 攻撃側が「どのようにダメージを与えたのか」ではなく、攻撃された側が「どれだけのダメージを受けたか」だけを描く、というのは、『トゥモロー・ワールド』や『宇宙戦争』に於ける大々的な暴力の描き方に通じる。我々は何が何だかわからないうちに、大打撃を蒙るのである。

2010年度第1回講義②

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2010年度佐藤亜紀明治大学特別講義 第1回 ②

「語った数だけ歴史があり、“事実”は存在しない」という言説への疑問。

 村上春樹の『アンダー・グラウンド』。
 インタビュー集とはいうものの、誰の発言であろうとことごとく「春樹語」に翻訳されており、村上春樹作品になってしまっている。しかし、それでも判る「事実」はある。
 それは、地下鉄サリン事件そのものというよりも、事件が切り取った「その日」の首都圏の断面図である。例えば地下鉄の線によって現れる、「階級」の違いとか(当時日本には存在しないとされていた)。
 例えば、永田町へ向かう線で被害に遭った人々のほとんどがインタビューを拒否した中、唯一答えたのが防衛庁の人たちだった、とか。
 例えば、印刷所に勤める中年男性は、サリンのビニール袋が下に置かれた、まさにその座席に座り、異臭に気づいていながら立たなかった。せっかく座れた席から、絶対に立ちたくなかったのである。そして、そのせっかく座れた席で深く眠っていたため、そんな位置にもかかわらずそれほど被害を受けなかったのである、とか。
 例えば、ある男性は衣服に染み込んだサリンを振り撒きながらタクシーに乗ったが途中で力尽きた(そして、タクシーの運転手が二次被害を受けた)。すでにホームに降りた時点で気分が悪くなり始めていたであろうに、そうまでして彼は出勤しなければならなかった、とか。

 こうした「現場の語り」は信用できないと言えるのだろうか。

 あるいは、史料は信用できない、という意見がある。古い時代であれば識字階級は社会の上層のほんの一握りだから、特に下層階級についての記録など偏見に満ちていて信用できたものではない、参照するだけ無駄だ、等々。
 しかし、例えばヨーロッパであれば、貴族の子供は乳母をはじめ下層階級の人間に囲まれて育った。彼らが下層民を知らない、と言えるだろうか。
 文化がある一線できれいに分けられるということはあり得ない。一人の人間の中でさえ、複数の文化が入り混じっている。

 駅の売店で売っているゆで卵はネットに入っている。ある一つの出来事、それ自体は、あのゆで卵のようなものかもしれない。我々が歴史と呼んでいるものは、その出来事=ゆで卵を包む言説のネットであり、中身である出来事そのものを我々が認識(あるいは解明)できることは永遠にない。
 もしかしたら、中身は空白かもしれない。しかしそうだとしても、それを包む言説が恣意的なものとは限らない。
 ゆで卵=出来事を包む言説一つ一つにも、それが出てくる状況(背景)がある。「南京大虐殺はなかった」という言説にも、それが生じた背景は存在する。

 出来事そのものという中身が認識できないからといって、なかったことにしようとする人々もいる。例には事欠かないが、その中身にこだわらざるを得ない人々もいる。
 例えば、海外で知人一家とTVを見ていると、登場した一人の政治家の顔を見て、それまでの和やかな空気が凍り付く。後で聞いたところによると、一家の祖母は戦時中、目の前で父親を殺されている(パルチザン同士の抗争だった)。その殺人者がTVで演説していた政治家だった、という。
 そういう人たちに向かって、当事者の記憶、語りはあてにならないから、そんな出来事など存在しなかったのだ、と言えるのか。

 歴史の捉え方の一つに、歴史=事件史というものがある。このやり方だと、事件一つ一つを個別に把握することになる。例えば「本能寺の変:1582年に明智光秀が京都の本能寺で織田信長を殺した」という具合に、出来事はすべて「○○○○年にA(人物)がB(場所)で××をした」というだけの個別の項目となり、それぞれの背景も互いの繋がりもまったく無視されることになる。だから歴史=暗記科目ということになる。

 出来事一つ一つが単独で存在するなどあり得ない。それを示したのが、ブローデルの『地中海』である。この大著は、まず地中海とその沿岸地域の地質学的解説から始まる。
地中海という構造(地形)によって気候風土が決定され、そこに住む人々の社会も決定される。そしてその気候が変動することによって社会も変動する。
 すなわち、ある「政治的決断」が成されるのは、無数の条件が重なった上に於いてであり、それらの条件を作ったのは、究極的には、気候であり、地形であり、地質学的変動ということになる。
 そんな巨大な構造の中で、人間が意思によって取り得る選択肢はせいぜい2つか3つである。
 人間の思考は社会階層に規定される、という立場を取れば、選択の幅はさらに狭まることになる。

 それでもなお、「歴史とは言説に過ぎない」と言えるのか。言説=ネットのみを語るのであれば、その表現はたかが知れている。

2010年度講義第1回①
2010年度講義第2回

2007年度講義 (第4回のみ出席)
2008年度講義第1回
2009年度講義第1回

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参考文献録

『忌わしき者の城』 グレン・クック 船木裕・訳 早川書房 1992(1989)
 凡庸な異世界ファンタジー。読むに堪えないほどではなかったので、最後まで読み通す。
 解説の中村融氏は、世界観は舞台となる都市カシュマラーがアルジェリア辺り、侵略側のヘロデ人がオスマントルコがモデルだと推測していたが、舞台がマグリブなのはともかく、侵略者のヘロデ人はむしろ、名前が示すようにキリスト教化したローマ帝国、もしくはローマ帝国化したイスラエルを想定していると思われる。

 異世界のモデルとしては珍しい文化圏をわざわざ選択しているにもかかわらず、それほどエキゾティシズムを描き出せているとは言い難い。敢えて挙げるなら、「砂漠の剽悍な遊牧民ダルタル人」くらいなものか。ちなみに邦訳者の船木氏は、同じく中東風ファンタジーの『妖霊ハーリド』も訳しておられる。
 アーロン、ラエラ、アリフ、スタファ、ハンノ、ヨゼーといった中東風(もしくはセム系風)固有名詞には、うっすらと笑いが込み上げるが(「ダルタル人」て……)、語感が統一されているのは良いことである。一部の異世界ファンタジーにはその点、耐え難いものがあるからな。
 しかし、異世界ファンタジーに平気で「スパルタ風」とか書いてまうあたり(原文の忠実な訳であって、邦訳者の意訳ではあるまい)、感覚の違いなのかね。まあ日本語だって、語源を突き詰めていったら切りがないんだけど。

 読むに堪えないほどではないが凡庸、と述べたが、より具体的に欠点を挙げるなら、とにかくゴチャゴチャしすぎ、の一言に尽きる。普通の厚さの文庫本上下巻、400字詰め換算にして800枚程度と思われるが、登場人物表に載っている(つまりある程度出番のある)キャラクターだけで46名に上るのだ。さらにここに、数柱の神々が加わる(この世界では神々に実体はないが)。
 文章も構成もゴチャゴチャしていて、何がどうなってるのかよくわからない。プロットそのものは、そう複雑でもないんだけどねえ(複雑だったら、本当に収集がつかなくなっていたはずだ)。終盤も近くなって、ようやくいくらかおもしろくなってくる程度。

 なぜこの本を読んだのかといえば、「中東風」異世界がどのように描かれているのかに興味があったからである。異世界ファンタジーだろうと「現実」の世界が舞台だろうと、フィクションが特定の文化圏を舞台(モデル)にするのは、その文化圏と結び付いた題材を扱うのでなければ、単にエキゾティシズムを利用したいからである。
 で、本作品が中東風世界設定を選択したのは、単に他との差異化を図りたかった、すなわち中東のエキゾティシズムに期待したとしか思えないのだが、上記のとおり、それは成功しているとは言い難い。

 1989年に書かれた本作に、「我々(欧米人)」と「彼ら」という対立、すなわちオリエンタリズムは見られない。これは、中東は欧米(特にアメリカ)にとっては前時代と変わらず遠いままだが、情報だけは容易に入手できるようになった80年代の特徴なのかもしれない、となんとなく思ったりする。中東は当時、欧米人にとって「我ら」と「彼ら」という関係性を投影する必要もない遠い世界となっていたのではあるまいか。
 作者も読者も異世界ファンタジーにすっかり馴染んでいることも、一役買っているかもしれない。異世界ファンタジーの住人たちに感情移入するのと同じ感覚で、異世界同然の遠い中東世界の住人たちに感情移入できたわけだ。
 湾岸戦争、カフカスやバルカンの紛争、そして9.11を通じて、中東の人々は欧米人にとって再び「我ら」に対する「彼ら」となり、そして容易に感情移入のできない異質な集団となったのではあるまいか。日本人にとっては、さあどうだろうね。

 最大の収穫は、中村融氏による巻末解説で、中東を舞台にした小説を幾つか拾えたこと。これは探す方法がないに等しいんで、大変ありがたかった。しかし、ポール・ボウルズ(『シェルダリング・スカイ』の人)はやっぱり読むべきなのか。

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参考文献録

『サラゴサ手稿』 J・ポトツキ 工藤幸雄・訳 国書刊行会 1980(1805)
『必携アラビアン・ナイト』で、アラビアンナイトの翻案もの(もしくはアラビアンナイトを強く意識して書かれた作品)の中では数少ない傑作の一つとして紹介されていた作品。

 ポーランドの貴族にして学者、ヤン・ポトツキ(1761-1815)が手すさびで書いた小説の、途中までの邦訳である。
 邦訳者解説にはアラビアンナイトとの関係については、ポトツキ自身が語っていた「長患いの妻のために『アラビアンナイト』を読み聞かせていたが、最後まで読み切ってしまった。妻から、もっとこういう話が聞きたい、とせがまれたため、創作することにした」という動機が言及されているだけである。しかし章立てが「第一日」「第二日」「第三日」……と続いていくことや、「枠物語」の構成になっていること、濃厚な東洋趣味など、アラビアンナイトの影響は瞭然だ。

 原文はフランス語で書かれている。主人公にして語り手の青年貴族アルフォンス・ヴァン・ヴォルデンの冒険が、第六十六日まで語られるのだそうだが、フランス語の原文は一部が失われ、現在完全な形に残っているのは、ポーランド語訳だけなんだそうな。邦訳はフランス語版から、第十四日まで。

 第十四日まででも、結構な長さ(日本語で300頁弱)がある。大変おもしろかったし、原文が失われてしまったのは大変惜しいことだとは思うが、まあ最後まで読まなくてもいいやという気がする。枠物語なんで、入れ子になってる話一つ一つがかなり独立性が高いのと、単純計算でこの五倍もの話を読むのは、途中で飽きそうなんで。
 まああと二倍か三倍くらいなら読みたいかも。特に、枠物語の悪党の身の上話はかなり身も蓋もなくておもしろかった。

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参考文献録

『三蔵法師のシルクロード』 高橋徹(共著) 朝日新聞社 1999 (「中央アジア地誌・紀行」)
「三蔵法師の道研究会」という学術団体と朝日新聞社が合同で行った調査(1997-99)の報告書。
 章末のコラムを除く本文を書いている高橋氏は著者紹介によると朝日新聞の元編集委員で、古代日本史関係の本を数多く出しているが、なんか本書は文章そのものも全体の構成も、やたらと錯綜していて解りづらい上にノートを取りにくい。何これ。
 タラス河畔の戦いについて、「西域の関ヶ原」だの「この敗戦も大きな原因のひとつとなり、755年に唐本土では安史の乱が勃発する」とか書いてある。へー。

 まあ調査結果については、ありがたく参考にさせてもらう(前半の天山越え~ソグディアナまで)。

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『玄奘三蔵のシルクロード 中央アジア編』 安田暎胤 東方出版 1999 (「中央アジア地誌・紀行」)
 上と似たようなタイトルだが、実際の玄奘のルートにより忠実なのは上のほう。
「中央アジア編」とあるからには、「中国編」とか「インド編」とかもあるんだろうけど必要ないので未読。何かの調査旅行だったらしいが、どういう団体がどういう目的で行ったものなのか、本書だけ読んでもまったく不明である。
 なんてーか物見遊山気分という印象で、大した情報もないが、ちょこっとだけメモを取る。

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参考文献録

『イスラム技術の歴史』 アフマド・Y・アルハサン/ドナルド・R・ヒル 大東文化大学現代アジア研究所・監修 多田博一/原隆一/斉藤美津子・訳 平凡社 1999(1992) (「前近代科学・錬金術」)
Islamic technology: an illustrated history
 原題の副題どおり、図版がかなり多い。
 序章(第1章)でイスラム科学史概説、第2章「機械工学」、第3章「建築と土木技術」、第4章「軍事技術」、第5章「船舶と航海術」、第6章「化学技術」、第7章「織物、紙、皮革」、第8章「農業と食品技術」、第9章「採鉱と冶金」、第10章「技術者と職人」+エピローグと、実に多岐にわたる内容である。

 なもんで、本文350頁弱と決して少なくない分量であるにもかかわらず、序で著者が述べているように、「本書はこの主題に関する簡潔な入門書に過ぎない」。
 問題は、内容が簡潔というよりは「はしょりすぎ」で、特にその技術がいつの時代のものなのかが不明瞭であることだ。時代の明記が困難だというのは判る。原典史料からして真贋がはっきりしない(特に錬金術書)上に後世の加筆も多いから。でも、それ以前に書き方からして問題だよ。判らないなら判らないと書いてあるんじゃなくて、7、8世紀の技術についての記述が、いつの間にか近世以降の技術についての記述になってたりするし。

 アラビア語原典に多く拠っているのは結構なことだが、こんな曖昧な記述じゃあな。同じく序に「本書が科学・技術史の研究者、とくに技術進歩の面でのイスラム世界の貢献を研究することに関心を抱いている者に役立つことを切に願うものである」とあるんだが、そう願うんならもう少し内容に工夫はできひんかったんかいな。いくら紙幅に制限があるとはいえ。
 それとも、科学・技術史の研究者、とくに技術進歩の面でのイスラム世界の貢献を研究することに関心を抱いている者はアラビア語原典を読めるようになれ、ってことか?

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参考文献録

『イスラームの都市――アラブのまちつくりの原理』 ベシーム・S・ハキーム 佐藤次高・監訳 第三書館 1990(1988) (「イスラム文化」)
Arabic-islamic cities
 再読。二年ぶりくらいか? 今回ノートを取ったのはちょびっとだけ。
「アラブ・イスラーム都市」ということだけど、マグリブ(現在では北アフリカのこと)の諸都市が、その地域の伝統的な都市づくりの影響が最も少ない、すなわち「最も純粋な」アラブ・イスラーム都市として扱われている(ちなみに著者は両親ともイラク人なので、偏狭な郷土愛とかではない)。

 都市とその生活について、実際に施行された法律や参照された法学者の意見、ハディースなどを挙げながら論述する。

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『イスラーム世界の都市空間』 陣内秀信(共著) 法政大学出版局 2002 (「イスラム文化」)
 再読。
 まずイスラム圏(広義の中東)の都市全般の概論。続いて各国の各都市について、全体像とバザール(スーク)や個人宅などの具体例を図版を示して解説。

 複数の著者による各論が収録されていて、それらの中には雑誌掲載されたものも初出のものもある。で、ほとんどの論文で、「イスラーム都市は一見、迷路状の複雑な構造を云々、しかしそこにはある種の計画性が云々」という主張が行われてるんで、読み進むうちに、もう解ったっちゅーねん、という気分になってくる。再読だから余計にそう思うのかもしらんが。

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『イスラームの都市世界』 三浦徹 山川出版社 1997
 世界史リブレットのシリーズは、頁数の割には分量が多く、しかも意外に有用な情報があったりするんだが、今回は特になし(この「参考文献録」は、あくまで参考として読んだ(通読した)文献の記録なので、読んだけど参考にならなかったものも含まれています)。

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