« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

参考文献録

『真夜中のミサ』 ポール・ボウルズ 越川芳明・訳 白水社 1994
 1939-1988年に書かれた19作品を日本で独自に編纂した短編集。いずれもごく短い。

 邦訳者の越川氏は、巻末解説で「ポウルズはどちらかの立場に立ったり、一方を弁護することはない。西欧人であれ、非西欧人であれ、キリスト教とであれ、イスラム教徒であれ、白人であれアラブ人であれインディオであれアジア人であれ、主人であれ使用人であれ、すべて社会の規範や常識や習慣にとらわれた人間をセンチメンタルな私情を交えず書き留めるだけである。」と述べている。
 ポール・ボウルズはまだ三冊目なわけだけど、そういう態度が貫かれているのは短編だけで、長編(『蜘蛛の家』)や中編(「学ぶべきこの地」)では不徹底に感じられる。

 今回は短編ばかり(ほんの数頁の掌編が多い)なので、その不徹底ぶりが気にかかることはなかった。
 気にかかったのは、越川氏の解釈、および越川氏が全面的に共感しているらしい、四方田犬彦氏による収録作品解題「モロッコ人の狡猾さについて」である(リーフレット掲載)。
 四方田氏によると「相手のすきを見つけては容赦なくそこに取り入って、卑小にして愚かしい悪事を働くモロッコ人の小像が、いくたびとなく描かれることになる。……この手のモロッコ人のトリックスターぶりはとうてい余人のかなうところではない。」

 本書収録作品の中で、四方田氏と越川氏の双方が、「モロッコ人の狡猾さ」を描いた代表として挙げているのが、「マダムとアハマド」である。
 庭師のアハマドは、西洋人のマダムに11年間も忠実に仕えていた。ある日、モロッコ人の詐欺師たちが彼を追い出し、マダムを食い物にしようと企む。そこでアハマドは、マダムに何も知らせないまま、連中を出し抜き、自らとマダムの安泰を保つのである。

 これが、四方田氏と越川氏に言わせると「狡猾」ということらしい。確かにアハマドが用いた策略は狡猾だが、その目的は自分の地位を守るためだけではない。マダムを守り、自分が丹精込めて作り上げた庭を守るためである。そして、彼女を欺いたり、草木を駄目にしてしまうことに罪悪感を覚えるのである。
 そういう「善良な」男が、善良な目的のため、罪悪感を抱えながらも手段を選ばない狡知を発揮することに、この作品のおもしろさがあると私は思うのだが、四方田氏と越川氏の目には「モロッコ人の狡猾さ」しか映らなかったようだ。

 アハマドの最後の台詞、「きょうび、だれもがひっかけようとしますからね」「だれひとり信じちゃいけませんよ」には、将来、アハマドが再び、今度は己の利益のためだけにマダムを欺くかもしれない、という仄めかしが読み取れないこともない。しかし、それはあくまで「可能性の仄めかし」に過ぎない。

 民族・地域を問わず、誰でも状況次第で狡猾にも姑息にもなるだろう。偶々、モロッコがそういう状況にある地域で、偶々、ポール・ボウルズがモロッコを選んだに過ぎない。
 私が気に喰わないのは、一つには「狡猾さ」が「モロッコ人」というものに先天的に刻みこまれた印であるかのように断定する言説である。もう一つは、ポール・ボウルズの「どちらの立場にも立たない」態度を賞賛しておきながら、自分たちをどこまでも欧米人の立場に置き続ける態度である。
 つまり「マダムとアハマド」では、騙されるマダムに同情し(彼女とて、詐欺師たちの甘言に乗せられて、アハマドを解雇するつもりでいたのだが)、「ブアヤドの執念」のようなモロッコ人同士の騙し合いには、あたかも動物か「未開人」の珍奇な生態を高みから観察するような、そういう態度である。

|

日本SF大会 TOKON10

8月7日(土)8日(日)に東京で開かれるSFコンに、ゲストとして参加させていただきます。


日時:8月8日(日) 9:30~11:00

場所:特別会議室(4F)

企画名:仁木稔と『ミカイールの階梯』を語る

出演者:仁木稔 (作家)
            伊東総 (SFセミナー2009合宿企画「仁木稔と『HISTORIA』シリーズを語る」司会者)
            岡和田晃 (RPGライター、文芸評論家、翻訳家)


 この後、サイン会もすることになりました。

日時:8月8日(日) 11:05~11:25

場所:展示ホール(1F)

 なお、時間・場所等が変更になる可能性もあります。

SF大会ウェブページ

 よろしければお越しください。

|

参考文献録

「初期イスラーム時代のメルヴ」 佐藤明美 (『イスラム世界』43 1994) (「中央アジア中世」)
 メルヴは現トルクメン共和国のマリイに当たる。メルヴは「マルウ」とも呼ばれたので、マルウ→マリイとなったと思われる。本稿は、中世の東方イスラーム世界で最も重要な都市だったメルヴについて、7世紀半ば~10世紀までを論じる。
 この時代のメルヴを扱った、おそらく唯一の日本語文献。かなり使える。

『サラディンとサラセン軍――十字軍の好敵手』 デヴィッド・ニコル 市川定春・訳 新紀元社 2000(1986)
Saladin and the Saracens
 8世紀以前のイスラムの軍事関係の文献があまりに少ないので、11~13世紀でも「ないよりはマシ」かもと読んでみる。
 情報量が少ない(本文50頁弱、図版多し)のは仕方ないにしても、多数に分裂したイスラム諸国の装備や部隊編成についての記述以上のものはない。戦術についての言及はごくわずか、戦略については皆無。ナフサ(焼夷兵器)がどのように使われたのかについても、一切言及なし。
 十字軍時代のイスラム軍について知りたくて読む人も、大した情報は得られないだろう。「ないよりはマシ」じゃなくて、「なくてもいい」。

|

アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち

 タンゴの巨匠たち(1910年代~30年代生まれ)の名演を集めたアルバム「café de los maestros」(2006年)の制作から、コロン劇場でのコンサート(2007年)までの記録……という企画であることは、作中では一切説明されてないんだけどね。

 映画館はほぼ満席だったが、年配の方々ばかりであった。30代より若い客は、たぶん私と友人だけ。マエストロたちと同年輩と思われる人たちが半数以上。
 私は90年代のピアソラ・ブームでタンゴを聴くようになった口だが、あのブームはやっぱり一過性だったのかな。タンゴ・コンサートに行っても、昭和30年代のブーム以来のファンと思しき年配の人が大半だし。

 構成は、マエストロたちへのインタビューと彼らの演奏というもので、明確なストーリーはない。演奏は素晴らしいし、短いインタビューにも溢れ出るマエストロたちの強烈な個性も素敵である。
 しかし御高齢の方々には少々つらかったのであろうか。爆睡するする。劇場内には高鼾が響き渡ったのであった。

 それでも最後のコロン劇場でのコンサートになると皆さん目を覚まし、帰り際にはたいへん満足した様子でしたので、私も安心しましたが。

 ピアソラは好きなんだが、ずっと聴いてると、奇を衒いすぎなのが鼻に衝いてくる。全体にアメリカナイズされすぎだし、特に70年代のシンセサイザーを多用した曲にはかなり辟易するというか。
 そうすると、もっとシンプルなタンゴが聴きたくる。20年代の曲はさすがにシンプルすぎるので、40年代~50年代の、ちょうど今回のマエストロたちの最盛期の曲を聴く。

 しかし本作はたいへん価値のある映画だとは思うんだけど、タンゴの新しい動きとは直接には結び付かんよね。タンゴの現状についてはほとんど触れられていないし(マエストロたちの一人が学生たちを教えている短い場面があるのみ)。
 出演したマエストロは22人に上るんだけど、撮影開始から現在までに、8人も亡くなっているそうである。

|

参考文献録

『蜘蛛の家』 ポール・ボウルズ 四方田犬彦・訳 白水社 1995(1982)
The spider’s house
 独立直前のモロッコを舞台とした長編。混沌の中で傍観者でい続けようとするアメリカ人男女の、それぞれの独善性が相対化されていておもしろい。
 しかしその相対化にもかかわらず、「アメリカ人」が他のどの国民・民族とも違う、特別な存在であることが「厳然たる事実」とされているのんが微妙。

 ポール・ボウルズ本人は当時、外国人排斥ムードに身の危険を感じてモロッコを離れているので、アメリカ人だけは不可侵、などと信じていたとも思えないのだが、少なくとも作品の中では、この不可侵性は相対化されることのない絶対的事実なのである。
「現地人」ばかりでなく、フランス人もイギリス人もすべて、混沌の中では「個」を失い、顔のない群衆の一部と化してしまう。もう一方の主人公である、モロッコ人少年アマールは「個人」として描かれるが、それは彼にスポットが当たっている場面に限られ、相対的に見れば彼も「顔のない群衆」の一部に過ぎない。
 ところが作家ステンハムと、彼と行動を共にする女リー・バロウズはアメリカ人なので、群衆の中にあっても常に不可侵のオーラに包まれているのである。

 一色伸幸・原作、山本直樹・画のコミック『僕らはみんな生きている』に、第三世界の某国で内戦に遭遇してしまった日本人たち(商社マンやバックパッカー)が、戦闘地帯を「わたしたちは日本人です」と宣言しながら通過しようとするシーンがある。
 まあ9割9分とまでは言わんが、9割8分の日本人は確実に、彼らと行動原理を共有しているであろう(実際にそう行動するかどうかはともかくとして)。私もその一人である自信がある。
「我々」だけは「彼ら」の中に在って不可侵のオーラに包まれていると信じる思い上がりを自嘲する。そのような視線が、『蜘蛛の家』には見当たらない。それに戸惑ってもうて、どうにも。

 あと、少年アマールは文盲なのだが、そのことを本人から告げられた作家ステンハムは、「つまり、きみは誰をも畏れることがないわけだ」と言う。
 短編「学ぶべきこの地」(『優雅な獲物』所収)のヒロインについてもそうだったが、文盲であることに、innocenceであるという象徴性を過剰に負わせすぎ、その図式がわかりやすすぎ、というきらいがある。

|

参考文献録

「マー・ワラー・アンナフルにおける突騎施勢力の伸長について」 目黒輝 (『菊池秀雄教授 山崎利男教授 古希記念アジア史論叢』 中央大学東洋史学研究室・編 刀水書房 2000) (「中央アジア中世」)
 タラス河畔の戦い(751年)というと、アラブ・イスラムと中国の史上唯一の合戦として教科書にも載っているが、これについて詳しく論じた日本語文献は、どうやら前嶋信次氏の「タラス戦考」(『東西文化交流の諸相』所収、1971)一本きりのようだ。

「タラス戦考」はかなり長い論文で、前半はタラス戦に至るまでの唐とアラブの中央アジア政策に重大な影響を及ぼす遊牧部族突騎施の可汗蘇禄を中心に論じている。目黒氏による論文は、この「タラス戦考」前半部の、いわば補足といったところ。

 ちなみに教科書や概説書では、タラス河畔での敗戦で唐の西域進出が挫折したということになっているが、唐の西域経営途絶の原因はその4年後に起きた安史の乱である。また「この戦いで捕虜になった唐の紙漉き工によって西側に製紙技術が」というのが定説だが、この説が最初に登場するのは、10世紀のアラビア語文献であり、ソグディアナ(西トルキスタン)では遅くとも8世紀初めには製紙が始まっていた。

 次作の設定は、上記を踏まえています。

|

参考文献録

『イスラームの原点――【コーラン】と【ハディース】』 牧野信也 中央公論社 1996 (「イスラム思想」)
 本文350頁中、最初の50頁がイスラム成立の社会的・時代的背景、次の130頁がクルアーンについて、その次の30頁がハディース(ムハンマドの言行の伝承)について、残りの140頁がハディースの抜粋。

 前イスラム期のアラブの徹底した部族主義に対し、イスラムの教説は「神の前には親も子も兄弟もなく、たった一人で立つことになる」という個人主義である。それは当時のアラビア半島では商業の発達によって個人主義が芽生え始めていたからだ、といった解説は興味深いが、アラブの「民族性」についてあまりにもその特殊性を強調しすぎ、断定しすぎている。

 各民族特有の心性というものは確かに見出すことはできるが、それらはせいぜい「傾向」に過ぎない。それを、強固な実体を備えたものとして捉えると碌でもないことになるのは、多くの先例が証明している。
 特に「アラブの民族性」に対しては、欧米に於いて長年、「無味乾燥で即物的な(等々、ほかにも諸々のマイナス要素)セム族」という、ユダヤ人と込みで語られてきた歴史がある(アラブの「悪い意味での現実主義」と対立するものとして称揚されてきたのが、「アーリア系のペルシア人の叙情性」である)。
 そして日本人も長年にわたって、欧米のアラブ人論をまったく無批判に受け入れ(尻馬に乗って)、嬉々として「アラブの異質さ」を論じてきた。

 まあイスラムやアラブの研究者ともなれば、文献を読むだけでなく、実際に中東に行って現地の人々と接し、日本人との違い、異質さを実感しているんだろうけど、だからってそれが「強固な実体」であるかのように論じるのは、研究者としてどうかと思うよ。ましてもっと昔ならいざ知らず、本書の刊行は90年代なんだし。

|

参考文献録

『グノーシス――古代キリスト教の「異端思想」』 筒井賢治 講談社選書メチエ 2004 (「ペルシア」)
 イスラムの異端についての論考で参考文献として挙げられたのが本書なんだが、副題にもあるとおり、あくまで「古代キリスト教」に関係したグノーシス思想を論じた本なので、イスラムとの関係にはこれっぽっちも触れていない。
 せめて、マニ教との関係についてだけでも知りたかったんだが、それについてもわずか3頁を割いているだけである。

「まえがき」によると、筆者は「グノーシス」の基準モデルを2世紀のキリスト教グノーシスとし、プトレマイオス、ウァレンティノス派、バシレイデース、マルキオンの教説についての解説に紙幅の大半を費やしている。
 こういうアプローチももちろん重要なんだろうけどね。やっぱ私は思想それ自体には興味がないんだな。その思想が成立した背景や、及ぼした影響については大いに興味があるが、思想自体の内容には大して興味がない、かなりどうでもいい。その詳細とか解釈の問題になると、まったく興味がない、本当にどうでもいい。
 というわけでこの本はあまり使えなかった。

 とりあえず先日の『ギリシア思想とアラビア文化』によると、8世紀後半から10世紀にかけて、イスラム知識人(特にペルシア系)の間で猛威を振るった異端思想として挙げられてるのがマニ教とマルキオン派グノーシス主義なのだが、本書によるとマニ教はキリスト教グノーシスのうちでも特にマルキオン派を引き継いでいるのだそうである。
 マニ教関係は「ペルシア」のファイルに分類しているので、ノートはそこに放り込んでおく。

|

参考文献録

「アヴェスター」 伊藤義教・訳 (『ヴェーダ アヴェスター』 筑摩書房 1967)
 抄訳。初版当時はゾロアスター教の概説書なんて碌に出てなかっただろうし、訳者の伊藤氏による巻末解説も註も初心者に優しいとは言い難いものなので、「世界古典文学全集」だからってだけで買って読んだ当時の読者はさっぱり理解できなかっただろうな。
 とりあえず、「アヴェスター」の引用は本書ではなく岡田明憲氏の抄訳からにする。

『『アラビアン・ナイト』の国の美術史――イスラーム美術入門』 小林一枝 八坂書房 2004
 タイトルやネット等での紹介では、どんな内容なのか今一つがわからなかったんだが、通読してみても今一つ切り口が不明なままだ。

 とりあえず「『アラビアン・ナイト』の国」=中東のアラブ諸国、ということらしい。で、イスラム美術(主に13世紀以前)を①建築、②写本、③ガラス工芸、④金属工芸、⑤陶器、⑥絨毯、⑦イスラーム文様、⑧満月と三日月の表象、に分け、それぞれ章立てして紹介している。
 本文わずか150頁でこれだけ細分している上に、各章に「黒檀の馬」、「アラジンと不思議なランプ」、「シンドバードの冒険」など『アラビアン・ナイト』からのエピソードを附会して頁を割いている。

 まさに「附会」としか言いようがないんだな。『アラビアン・ナイト』翻訳300周年ということで、「中東イスラーム世界の美術といえば、アラベスクとモスク建築しか思い描けない日本人に」(原文ママ)も馴染みのある『アラビアン・ナイト』を絡めて、わかりやすく紹介しましょう、ということらしいんだが。
「本物」のイスラム美術の図版に交じって、西洋人による『アラビアン・ナイト』の挿絵(エドマンド・デュラックとか)が相当数挟み込まれている。なのに、「本書では、アラビアン・ナイト・イメージそのものについて詳しく扱わないが、それは多分にトルコおよびマグリブの美術の影響を受けており、遥か東方のイスラーム諸国、「アラビアン・ナイトの国」とは無縁である。(中略)この話はまた別の機会に述べることにしよう。」

 いや、その話をこそすべきだったんじゃないの?

|

近況

 書いてます。

 今回は、『ラ・イストリア』の時のように400枚書いて全部書き直して560枚脱稿、とか、『ミカイールの階梯』の時のように600枚書いて600枚書き直して、さらにもう600枚も散々行きつ戻りつ、ということがなく、ひたすら真っ直ぐ書き進んでいます。
 なのでこのままゴールまで真っ直ぐ突き進めると思いますが、道は大変険しいです。途中に落とし穴もあるかもしれません。いつものことですが、最後まで気は抜けません。

 そしていつものことですが、終わりが近付いてきたので、次の作品が書きたくて書きたくてしょうがなくなってきました。だからって、今書いてるのを放り出そうという気にはならないのは幸いですが。
 次は短編を何本か書きたいです(HISTORIAシリーズの)。

 8月7日(土)、8日(日)に開催されるSF大会TOKON10に出席します。「仁木稔と『ミカイールの階梯』を語る」というパネルで、昨年のSFセミナーのパネルで御一緒してくださった岡和田晃氏と伊東総氏が出席してくださいます。

 時間等、詳しいことがわかりましたら、改めてお知らせします。

 SF大会ウェブサイト(トップページ

 仁木稔パネル紹介ページ

|

参考文献録

『ブハラの死刑執行人』 サドリーディン・アイニ 米内哲雄・訳 日本図書刊行会 1997
 アイニ(1878-1954)はブハラ汗国(現ウズベキスタン)出身で近代タジク文学の開祖とされるが、本書はロシア語からの重訳のようだ。中編「ブハラの死刑執行人」(1920)とその倍の長さの「高利貸しの死」(1939)を収録。

「開祖」と呼ばれるのは、つまり彼以前はタジク語で小説を書く形式が確立されていなかったということであり、初期の「ブハラの死刑執行人」はそのことがありありと判る作品。
 死刑執行人たちが仕事の合間にさまざまな逸話を語り、その逸話の中でさらに別の逸話が語られたりもする、いわゆる「枠物語」の形式になっている。
 現代の作家が『アラビアンナイト』を意識して「枠物語」の形式を採用するのとは違い、アイニの場合はそれが彼にとって馴染みのある「文学」の形式だったからではないかと思われる。そこへ西洋式の「リアリズム」を取り入れようとしたからなのか、「枠」の中の物語の途中で、聞き手たちがしばしばツッコミを入れる。

 そしてこれは邦訳者の責任でもあるのだろうけど、「」や『』、“”の使い分けに一貫性がなく、そのうえ‘「’で誰かが語り始めても、その台詞が‘」’で閉じられることなく別の人物の台詞が始まったり地の文に戻ったりするのである。もう何がなんだか。
「高利貸しの死」のほうには、そうしたカギカッコの問題はなかったので、まるで原著の技術レベルに邦訳者も合わせているかのようである。いや、そんなはずないんだろうけど。なんなんだ。
 末期のブハラ汗国を批判・風刺する作品なわけだけど、その矛先がエミール(支配者)の暴虐なのか、官憲や宗教人たちなのかはっきりしない。まあこれも技術的な問題だろう。

「高利貸しの死」は、小説として遥かに技術が向上している。十月革命前夜のブハラの金銭にまつわる腐敗ぶりをおもしろおかしく描き出すことに成功している。
 小説(別の分野でも)の最も標準的な物差しに当て嵌まる作品だけを評価し、それに当て嵌まらない作品はすべて、別の物差しによって作られている作品も、単なる下手くそも一緒くたにして否定する。或いは単なる下手くそを、斬新だとかなんとか言ってやたらと持ち上げる。
 そういう真似はしたくないのだが、アイニが書こうとしていたのはあくまで「小説」、それもソ連で標準的と認められる小説だったと思われる。何しろ彼はソ連最高会議代議員を務め、晩年には初代タジク科学アカデミー総裁にまでなっている。
 というわけで、少なくとも本書収録の二作品はそういう物差ししか必要としておらず、それで測れば「ブハラの死刑執行人」は単なる未熟、「高利貸しの死」は、物差しに忠実に作られたそこそこ巧い作品(物差しからはみ出している部分は単なる失敗)、ということになる。

|

参考文献録

『シャマー カール・マイ冒険小説集』 カール・マイ 金森誠也・訳 荒地出版社 1992
 イスラム圏の作家(ムスリム限定ではないが)によるイスラム圏を舞台にした歴史小説もしくは幻想小説を探す一方で、欧米人作家によるオリエンタリズム小説を探しているのである。なぜかというたら、彼らのオリエント観を知るためである。
 ところがこれが、以前にも書いたが非常に困難なのであった。なぜなら日本人作家の小説なら、内容によってかなり細かい分類(ジャンル分け)がなされているので、分類ごとに探すことができるが、海外の作家の小説はそこまで細かく分類されていないからである。文学を含むオリエンタリズム芸術について論じた日本語文献はそこそこ出ているのに、具体例(作家や作品)がほとんど紹介されてないんだよー。
あと、イスラム圏の作家でも英語やフランス語で書いてる人は、英文学や仏文学に分類されてたりするしな。

 そんなわけで、今頃になって見つけたカール・マイという作家。邦訳者あとがきによると、生没年は1842-1912、19世紀末から20世紀初めに人気を博したドイツの大衆作家(ママ)で、1980年代末の時点でドイツではなおも読み継がれているそうな。
 作品はというと、ドイツ人男性が北アメリカ西部や中東で悪人をやっつけ美女を助ける大冒険をするシリーズ物が代表作である。アメリカでは現地のインディアン(訳者あとがきママ)や白人たちに「オールド・シャッターハンド」の名で、中東でベドウィンたちに「カラ・ベン・ネムジ」の名で知れ渡り、尊敬されている、という無邪気な願望充足型小説だが、加えて、作者は主人公と自分が同一人物であり、冒険も本当に体験したものだと主張していたそうである。で、実際には作者が初めて中東および北米を訪れたのは、そのシリーズ物が完結した後、晩年になってからだったという。

 ま、そういう時代だったんだろうな。ただし、本書を読む限りでは、それなりに舞台となる場所のことを調べて書いているようである。そんで、その蘊蓄をいちいち披露する、と。そういうのんも読者に求められていたんだろう。

「我々」の一人が異国に行って、現地人が解決できないことを解決してやって彼らの尊敬を大いに得る(「我々」に連なる者たちを救ってやればなお素晴らしい)、という紋切り型は未だに生産が続いているわけだが、カール・マイ作品はその古典ですらない、呆れるほど凡庸なヴァリエーションの一つに過ぎない。19世紀末~20世紀初頭のドイツに於けるヴァリエーションである(「へー、こういうの流行ってたんだー」)、という以上の価値を見出すことはできなかった。

 本書に収録されているのは、シリーズ物の番外編で、作者の「分身」カラ・ベン・ネムジが中東で粗暴なベドウィンから美しいユダヤ娘(実はフランス人でキリスト教徒の娘)を救い出す中編「ラケル」、作者の(初めての)中東旅行後に書かれた「シャマー」と「メルハメー」。
 まあ、「ラケル」は良い意味で馬鹿馬鹿しい冒険物だし、「シャマー」と「メルメハメー」は語り手が傍観者に徹するという変化に中東体験が如実に表れている点が興味深いと言えなくもなかったんだが、訳文がねー……
 具体例を挙げるような真似はしないが、全編にわたって直訳的な回りくどく生硬な文章が続くのである。地の文はまだしも、台詞に至っては語学テキストの例文さながらである(子供から大人まで、ほとんどの登場人物がですます調で喋る)。いや、どちらかいうたら「翻訳調」の文章が好きで、そのほうが読みやすいという私でも、これは無理でした。
 
 あとがきを見る限り、本書の出版は訳者の金森氏の尽力で実現したようである。氏はカール・マイ作品に非常に思い入れがあるらしく、「快男児や美女の運命を雄大に描いた作品」と紹介している。作者が中東にも北米にも行っていないのに、そこで超人的な活躍をする主人公を「自分自身」と主張していたことにも、山師じみているといった感想は別段抱いていないようである。
 どうやら短編と中編を収録した本書を皮切りに、全作品(大長編揃いらしい)刊行したかったようだが、残念ながら後が続かなかったようである。カール・マイ作品は1970年代にも8冊ほど邦訳が出ているが、これも全20巻予定のところを全巻刊行はならなかったようだ(2003年に筑摩書房から山口四郎氏の訳で『ヴィネトゥの冒険』が出ているが)。

|

参考文献録

『ギリシア思想とアラビア文化――初期アッバース朝の翻訳運動』 ディミトリ・グダス 山本啓二・訳 勁草書房 2002(1998) (「イスラム文化」)
Greek thought, Arabic culture: the graeco-arabic translation movement in Baghdad and early ‘abbasid society[2nd-4th/8th-10th centuries](長音記号は省略しました)
 著者はカイロ生まれのギリシア人。邦訳刊行時にはイェール大学中東言語・文明学科の学科長。

 タイトルから想像される内容(単なる一時代の文化事業について)よりも、実際は遥かに興味深い内容だった。
 751年にアッバース朝が興るのとほぼ同時に始まった、ギリシア語古典のアラビア語翻訳ブームは、西洋にとっては「暗黒の中世」の間、輝かしい古典文化を保存してくれたことになるので、日本に於けるよりはずっとよく知られているらしい。
 しかし著者によると、なぜこのような運動が起こり、2世紀間も継続したのか、或いは言い換えれば、なぜアッバース朝の前にほぼ100年間続いたウマイヤ朝では翻訳運動が起こらなかったのかについてはほとんど研究されてこなかった。

「アラブ人のためのアラブ帝国」だったウマイヤ朝と違い、アッバース朝の基盤は異民族と非アラブ化したアラブ人が圧倒的多数を占めるイラン・イラクにあったこと、彼らの支持を得るために、アッバース朝支配者は自らをバビロンやペルシアといった古代帝国の後継者と位置付けた、と著者は主張する。
 なぜそう位置付けることが、翻訳を介してギリシア古典文化を取り入れることになるのかというと、サーサーン朝ペルシアには、この世のあらゆる知識、特にギリシアの学問は、もともとはペルシアのものだったのがアレクサンドロス大王に奪われて散逸してしまった、という伝説が信じられており、支配者およびエリートたちはこれを収集して継承・保護しなければならないという使命感を持っていたという。
 そこでアッバース朝は、ペルシア人からギリシア古典の収集・継承という使命を受け継いだのである。一方、イラクのアラム人たちはギリシア文化を愛好していたが、自分たちがメソポタミア人の子孫だという自覚を持っていた。アッバース朝は彼らに対しては、ギリシア文化を保護・継承していたのはペルシア人だが、その起源はバビロンにあると主張してやったのだった。

 ギリシアの叡智はペルシアからアレクサンドロスによってもたらされたという伝説は、ムスリムの間に広く流布し、15世紀の時点でもまだ信じられていたそうである。
 第三者から見ると馬鹿げた妄言がイデオロギーにまで高められ、実際に国家をも動かすのだから、歴史はおもしろい。

 ただし、日本語訳文が少々意味が取りにくい。ある一文だけ取り上げれば、訳は正確なんだろうけど、もう少し前後の文脈を考えた訳にしてくれ、みたいな。
 例えば、「アッバース朝の支配者が、学問の起源がバビロンにあったという見解をとったとしても、アラム人の支持を得ただけだっただろう」(49頁)という一文だけだと、「アラム人の支持を得るだけ」という否定的な結果が予測できたのでアッバース朝支配者は「学問の起源がバビロンにあったという見解」をとらなかった、という展開が予想される。
 しかし実際には(前後の文章によれば)、アッバース朝の支配者は「学問の起源がバビロンにあったという見解」をとっている。それがどのような結果をもたらしたかは史料が残っていないが、著者は、アラム人(アッバース朝が首都を置いたイラクの土着民)は自分たちが古代バビロニア人の子孫であると自覚していたので、「それを歓迎したに違いない」と続けている。さらに、アッバース朝支配下の他の人々は、支配者が「学問の起源がバビロンにあったという見解」を取っても大して気にしなかった、とある。

 つまり、「アッバース朝の支配者が、学問の起源がバビロンにあったという見解をとったとしても、アラム人の支持を得ただけだっただろう」というのは、前後の文脈を考慮すると、「アッバース朝の支配者が、学問の起源がバビロンにあったという見解をとったことは、アラム人の支持という利益だけをもたらしただろう」ということになる。

 こんな感じの、文意を摑みにくい文章が頻出するのである。あと、アッバース革命そのものについての著者の見解が微妙に間違っているというか、少なくとも日本人研究者が一般的に取っている見解と微妙にずれてるような気がするんだが、これも邦訳の問題なんだろうか。

|

参考文献録

『イスラムの戦争――アラブ帝国からコンスタンティノープルの陥落まで 世界の戦争3』 牟田口義郎・編 講談社 1985
「イスラム帝国の出現」牟田口義郎、「ムハンマドの戦争」後藤晃、「コルドバの栄光、アルハンブラの落日」花田宇秋、「歴史紀行、アラブの古戦場を訪ねて」佐藤次高、「反十字軍の英雄たち」牟田口義郎、「草原の英雄、ティムール」加藤和秀、「史上最強、オスマン帝国」鈴木董

 読んだのは、とりあえず初期イスラームを扱った「イスラム帝国の出現」、「ムハンマドの戦争」、「コルドバの栄光、アルハンブラの落日」。
 前の二編は内容が被ってて、どういう編集方針だったのか謎である。しかもどちらもタバリーの『預言者と諸王の歴史』(10世紀)を中心としたアラブ側の史料にある記事を、まったく史料批判を行わずに読み物風にまとめただけのもの(特に牟田口氏の文章は講談調?で読みづらい)。
 いや、「だけ」って言っても、執筆当時は『預言者と諸王の歴史』は英訳の刊行も始まってなかったはずなので(刊行開始は1985年だそうである)、アラビア語原典で読むしかなかったんだろうけどさ。

 しかしその割には、タバリーが記しているという投石機(アラビア語で「マンジャニーク」というそうだ)には一切言及していないし(イスラム軍の投石機については、中国側の史料にも見える)。知りたかったのは、この投石機についてなんだけどな。とにかく何もかも半端な本。

|

参考文献録

『世界の涯の物語』 ロード・ダンセイニ 中野善夫/中村融/安野玲/吉村満美子・訳 河出書房新社 2004
 短編集というか掌編集。「驚異の書」The book of wonder 1912には14篇、「驚異の物語」Tales of wonder 1916には19篇が収録されている。
 どの作品も、ロンドンにいる語り手によって語られているという趣向らしい。個々の話は独立しているが、中には微妙に他の話と繋がっているものもある。

『ペガーナの神々』に比べると、全体に法螺話的要素が強い。それはそれで悪くないが、幾つかの話は似通っていたり、ありきたりに感じられるものもある。まあ割合としてはそう多くないんだけど。
「驚異の書」のほうがおもしろい話が多かった。登場する異界の住人も、より凶悪で底意地の悪いのんが多いし。

|

参考文献録

『古代サマルカンドの壁画』 L・I・アリバウム 加藤九祚・訳 文化出版局 1980(1975) (「中央アジア中世」)
ЖИВОПИСЬ АФРАСИАБА
 原題は「アフラシアブの絵画」。サマルカンドのアフラシアブ遺跡から発掘された壁画の研究報告。
 再読。卒論以来だから、16年振りだ。当時、大学図書館の書庫をうろついていて偶々発見したんだが、「古代」というタイトルに、私の専門(中世)とは関係ねーやと素通りするところであった。取り上げている壁画は6-8世紀のもので、本文にも「中世」と書いてあるのに、この邦題である。
 厳密な時代区分を云々する気はないし、本書に限ったことじゃないけど、単純に語感の問題として「古代=大昔」とするなら、たかだか1500年足らず前は「大昔」じゃないだろ。多少は時代区分を云々したとしても、この時代のソグド地方は封建社会だったわけだし。
 ひょっとしたら「中世」よりも「古代」のほうが世間一般的にはイメージがいいのか、一般向けの言説はもとより、そこそこ専門的な本でも、中世に区分されるべき時代・社会を平気で「古代」と呼んでいる例を頻繁に見掛ける。そのたびに微妙な気分になる。
 いや、ほんまに厳密な時代区分法を云々する気はまったくなくて、ただ単に、「あんたらそんなに中世が嫌いか」と。

 それはともかく、前イスラム期のソグド遺跡の発掘調査報告のまとまった形の邦訳は、本書の前には『西域の秘宝を求めて―埋もれていたシルクロード』(訳者は同じく加藤九祚氏)などが出ているが、本書以降は刊行されていないのは残念なことである。
 先日の『世界美術大全集 中央アジア』等で紹介されている概要を見る限り、新たな発見も解釈も着実に行われているようである。本書当時の図像の解釈はかなり無理あったりして、新解釈のほうが適切に思えるものが多いしな。

「調べてから書く」じゃなくて「書きながら調べる」泥縄方式は、卒論以来変わってないなー。書き進むことによって初めて必要な知識が判ってくるものだと、今ではもう開き直ってるけどさ。

|

参考文献録

『世界美術大全集 東洋編15 中央アジア』 田辺勝美/前田耕作・責任編集 小学館 1999 (「中央アジア中世」)
 扱っている地域は、いわゆる西トルキスタン(旧ソ連中央アジア)と東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)を中心に、アフガニスタン、パキスタン北東部(ガンダーラ)。出土地はロシアや中国(新疆以外)などでも、明らかに上記の地域で製作されたと判定された物も含む。
 時代は先史時代から8世紀末まで。以降の時代は第17巻の「イスラーム」で扱うそうである。
 第1章「先史時代と草原遊牧民の造形」、第2章「ギリシア美術の伝播と変容」、第3章「ササン朝美術の浸透と変貌」、第4章「西域南道と西域北道」、およびテーマ特集として「トロイアの木馬」、「毘沙門天像の変遷」など。

 次作には直接関係のない部分(先史時代~4、5世紀以前)も含めて全部目を通す。とにかく図版が豊富で鮮明(これは重要)なのが素晴らしい。
 各論や個々の図版の解説については、こうした「世界美術全集」の類の、マイナー地域の巻のものとしては相当に詳細だと思う。特に第3章のソグド美術については、これまでまとまった日本語文献が出ていないので大変ありがたい。
 第1章と第2章についても、スキタイやヘレニズムの美術を個々に扱った日本語文献は多いが、ギリシアやペルシアからの影響ばかりを強調するのではなく、中央アジア独自の美術として論じている。
 第4章については、まあこの地域を扱った日本語文献は山ほどあるからなあ。
 テーマ特集では、ガンダーラ出土の石板について論じた「トロイアの木馬」がおもしろかった。図像の解釈というのが人によってどれだけ変わり得るか、という点に於いて。

 広域の地図だけで、遺跡等の位置等を記した詳しいものはないのが瑕。

|

参考文献録

『イマームの転落』 ナワル・エル・サーダウィ 鳥居千代香・訳 草思社 1993(1988)
The fall of the imam
 原著はアラビア語だが、英訳(著者の夫シェリフ・ヘタタによる)からの重訳。
 北アフリカに位置すると思しき架空のイスラム国家を舞台に、独裁者イマーム(イスラム指導者)とその取り巻きたち、妻たちの物語と、イマームの私生児と思しき少女ビント・アッラー(神の娘)の物語が交錯する。

「マジックリアリズム」という語には、「わけのわからない物語(小説その他)」を味噌も糞も一緒に放り込める便利なゴミ箱という意味合いが確かにある。敢えて「わけのわからない物語」を「いいマジックリアリズム」と「だめなマジックリアリズム」に分類してみると、前者は、独自の法則を持っている作品である。
 その作品内の理屈や出来事が、世間の法則からするとどれほど滅茶苦茶でも、ある一定の法則に従っているのである。その法則が、作者が元から持っているもの(意図してこしらえたのではないもの)であれば、「真正」のマジックリアリズムと言えようが、まあそういうものは多くないし、多くなられても困る。

 独自の法則を意図してこしらえようとして、成功している作品もまた「いいマジックリアリズム」だが、失敗した作品は「だめなマジックリアリズム」である。
 作者がそもそも独自の法則を持ってもいないし、作ろうという気もなく、単に奇を衒っただけの作品は、却って陳腐になるか、または文字どおりの支離滅裂になるだけで、当然ながら「だめなマジックリアリズム」である。

 で、『イマームの転落』は、イマームのパートは中南米の独裁者ものに匹敵するほど出来が良い。つまり独自の法則に従って展開する「いいマジックリアリズム」になっているが、私生児の少女のパートは、奇を衒った表現をしようとして失敗した、陳腐でぎこちない「だめなマジックリアリズム」である。
 全体としては、「いいマジックリアリズム」のイマームのパートに、「だめなマジックリアリズム」の少女のパートを無理やり接ぎ合わせたような印象になっている。

 著者はイスラムのフェミニスト活動家であり、序にも本書をイスラム体制の批判、とりわけ女性差別への批判として書いたことを明言している。しかし本書はルポルタージュやドキュメンタリーではなく小説として書かれたのだから、小説として読むべきである。
 巻末で訳者の鳥居氏は、著者の活動(小説家ではなくフェミニスト活動家としての)とイスラムの女性差別批判にのみ紙幅を割き、小説の内容には一切言及していない。
 こういう「箱書き」をされた小説を読もうとする読者が、マジックリアリズムを期待しているとは到底思えない。マジックリアリズムを探している読者であれば、この箱書きを見て中身がマジックリアリズムだとは思うまい。

 テーマがどれほど立派だろうと、作品の出来とは無関係である。こういう箱書きは、本書のような「わけのわからない」小説に付けるべきではない。小説を小説として扱わないのは、作者に対する侮辱である。作者が侮辱だと感じなくても、小説というもの全体に対する侮辱である。まあ本書に限らず「第三世界」作家のフィクションは、そういう扱いを受けがちなんだけど。

|

参考文献録

『優雅な獲物』 ポール・ボウルズ 四方田犬彦・訳 新潮社 1989
『シェルダリング・スカイ』の原作の人。本書は日本で独自に編集された短編集。おもしろかった。

「遠い挿話」a distant episode, 1945では、北アフリカに言語調査に出かけた白人の学者が、現地人に捕まって舌を抜かれ、見世物にされる。
 まあ要するに「某国のブティックの試着室に日本人女性客が入ったきり姿を消し、数年後、某国でダルマにされて見世物になっている彼女の目撃情報が」というお話。たぶんこの手の伝説は悠久の昔から流布していたんでしょう。
 いくら著者がタンジールに移住する前の最初期の作品とはいえ、シチュエーションに乗っかっただけの悪趣味なSM話。被害者が若い女もしくは男ではなく、上品な老教授というあたりが余計に悪趣味である(この場合の「悪趣味」は、もちろん悪い意味である)。
 シチュエーションをパロディ化しているとはいえ、そのシチュエーションのオリエンタリズムにはまったく無自覚であり、著者に対して不信を抱かざるを得ない。

 これが3年後の「優雅な獲物」the delicate prey, 1948になると、「余所の土地で余所者から受ける理不尽な暴力」というシチュエーションは不変であるにもかかわらず、「サディスティックなオリエント人」と「オリエント人の暴力と性欲の犠牲となる白人の一員」(実際には、サドマゾ的な欲望を満たしているのは「我ら」白人)という構図は消えている。
 つまり、著者が好きなSMシチュエーションは「余所の土地で余所者から受ける理不尽な暴力」であって、オリエンタリズム的シチュエーションにはそれほどこだわりがなかった、ということだな。

「昨夜思いついた話――アハメッド・ヤクービ/聞書ポール・ボウルズ」 the night before thinking, 1956は、副題どおり、著者の若い友人の語りを録音して起こしたもの。
 訳者解説によると、語り手アハマッドはキフ(麻薬の一種)を吸いながら、即興でこの物語を作り上げたそうである。私は麻薬の力による創作能力の増大や、この手の「著者以外の人物が即興で語った作品を忠実に書き留めた」という触れ込みは信用していない。なので、この「昨夜思いついた話」が荒唐無稽だが支離滅裂ではない、ちゃんとした作品になっているのは、語り手アハマッドが素で優れた才能の持ち主だからなのだと思う。
 会話の部分のタンジール方言は大阪弁に訳されている。ネイティヴ(邦訳者の四方田氏は西宮出身)の関西人が書く全国区向けに和らげられていない(言い方を換えれば記号化されていない)関西弁って、耳で聞くのとはまた違う濃さがあるんだよなあ。

「ハイエナ」 the hyena
「庭」 the garden
 解説には「60年代に書かれた」とあるだけ。どちらも寓話風。でも「理不尽な暴力」という主題は共通。

「学ぶべきこの地」 here to learn, 1980は、因習的で未開の北アフリカの町を出た美しい少女が、「西側世界」で幸福を摑むシンデレラストーリーかつ彼女の「素朴な」目を通した欧米文明批判、というありがちな枠組みを取りつつ、最後には彼女の故郷喪失という皮肉な結末を迎える。
 ただし、「学ぶこと」に意欲を燃やす少女マリカは、スペイン語や英語の会話、金銭の計算法などを次々と学ぶうちに、当然のごとく読み書きの学習を望むのだが、偶々の巡り合わせでその機会は先延ばしにされる。
 とうとう最後まで彼女は読み書きを学ばなかった、というところに、少々解り易すぎる象徴性、および絶望的な結末にも「読み書きを学んで(それによってもっと啓発されて)いれば、彼女はもう少し違った結末を迎えることができたかもしれない」、「この後、彼女が読み書きを学べば(それによってもっと啓発されれば)、多少は救われるかもしれない」という解釈の余地を与えたのんが、ちょっと簡単すぎるような気がしないでもない。

 ほか、短編の「過ぎ去ったもの、まだここにあるもの」 things gone and things still here, 1975と中編の「時に穿つ」points in time, 1982を収録。

|

アリス・イン・ワンダーランド

 世間でのヒットにも関わらず、私の周囲では至って評判がよろしくないのだが、桜木町の県立図書館まで行ったついでに観てまいりました…………だってジョニー・デップが好きなんですもの……
 クリスピン・グローヴァーも好きです。すみませんわかりやすくて。

『アリス』の映画版を観るのは、ディズニーアニメも含めてこれが初めて。『ドリーム・チャイルド』なら観ている。ワンダーランドのシーンはわずかだが、三月兎やドードー鳥等、動物キャラクターがみんなボロボロの剥製みたいで気持ち悪く、意図してやってるなら素晴らしい。あと、イアン・ホルムの演技はよかったが、やはりルイス・キャロルは美形役者が演じるべきであろう。ああいう嗜好のくせにそこそこ美形だというところが、ルイス・キャロルの真骨頂なわけだから。
 なお、ここで「美形」というのは、「世間一般の感覚からすると美形であろう」という意味です。世間で美形と言われる男を見ても、私はいまいちピンと来ないのです。

 単におもしろかった、あるいはつまらなかった映画の感想は、ブログには書かない。映画の感想を書くのは、どうおもしろかったのか、あるいはどうつまらなかったのか、自分で考えをまとめたい時である。
 で、バートン版『アリス』の感想を一言で言うと、びっくりするほとつまんなかった。マジびっくり。
 よくもまあここまで『アリス』をつまんなくできるもんだという意味では、おもしろかったですよ。
 以下、どうつまんなかったかを述べる。

 小説と映画という表現形態の違いによって同じ作品がどのように変わるのか興味があるので、読んだことのある小説が映画化されたのを観たり、観た映画の原作小説を読んだりすることもある。今回は、そういう動機で観たわけではないんだが。
 原作(小説のほかにも漫画とか演劇とか)を映画化するには、いろいろと変更が必要である。単に尺の問題とか、単に実写では不可能な表現だとか(技術の進歩で解消されつつあるが)、原作ではおもしろかった表現や展開でも映画には向かないとか、あるいはもう一歩進んで映画にしかできない表現・展開に変えるとか。

 そういう必然性のある変更のほかにも、必然性がまったくないとしか思えない変更もある。それが改善なのか改悪なのかは、鑑賞者によっても判断が分かれるところであろうが、私は根性がねじけているので、それが改善だろうと改悪だろうと、「おまえ、こう変えたほうが原作よりよくなるとか思ったんだろ? 自分のほうが原作者より巧いとか思ってんだろ!?」と邪推してしまうのであった。
 まあ上に挙げた「必然性のある変更」も認めない原作至上主義者というのんもいるんだけどね。

 ティム・バートンはインタビューで、映画版『アリス』で行った変更について、次のように述べている。
「(原作の)小さな女の子が奇妙なキャラクターの言いなりになって彷徨い歩くだけのストーリーにはあまりに魅力を感じない」
「僕は、『アリス』の世界に、もっと深さを与えたかった」

 芬々たる「俺のほうがルイス・キャロルより上」臭がします。原作が嫌いだったら、そもそも映画化なんかするなよ。

 具体的にどのような「魅力」「深さ」を与えたのかというと、「敵がいて倒す」、「それを通じて主人公が成長する」話に変えたのである。
 摑みどころのないワンダーランドには、「赤の女王対白の女王」という「原作にはない明確な対立構造」(パンフレット解説より)が持ち込まれ、
「『オズの魔法使い』をはじめ、おとぎ話ではいつも、主人公は冒険を通じて、自分が抱える問題を解決する。この物語でも、彼女は冒険を通じて強くなるんだ。それは大きな旅ではあるが、同時にとてもプライベートな旅だ」(インタビューより)

 だったら最初から、『オズの魔法使い』でええやん。悪い女王(魔女)対善い女王(魔女)の構図なんかまんまやし。
『アリス』は当初、父と妹たちと一緒に観に行くつもりだったのだが、予告を観た父が、「『オズの魔法使い』みたいで怖いから観たくない」と言い出して取り止めになったのであった。父は就学前にジュディ・ガーランド主演の『オズの魔法使い』を観て大層怖い思いをし、還暦を過ぎた今でもトラウマとなっているんだそうな。父曰く、「ああいうアメリカのファンタジーはデザインが気持ち悪くてやだ」。

 父の危惧というか直観は的中していたわけで、バートン版『アリス』はデザインも含めて何から何まで悪い意味で『オズの魔法使い』化、悪い意味でアメリカナイズされていたのであった。
 バートン指揮下のスタッフたちが、プロットのみならずデザインについてまで「原作より俺らのほうが上」と考えていたのは明らかで、ジョン・テニエルのデザインはことごとく悪い意味でアメリカナイズされている。それ以外のオリジナルのデザインも、人間が演じたキャラクターのデザインはまあいいとして、風景や小道具に関しては、基本的にはいつものバートン映画のデザインと同じ路線にあるにもかかわらず、呆れるほど凡庸で、悪い意味で安っぽい。
 アメリカ的大味デザインでも、『オズの魔法使い』のほうが素朴(良い意味で)でプリミティヴ(良い意味で)だっただけ、遥かにマシである。

 予告やスチールでは「呆れるほど凡庸」とまでは思わなかったのだが、兎穴での超高速落下(原作ではのんびりと落ちていく)ですでに顰蹙し、最初の部屋から出た庭園のデザインを目にして最初に思ったことは、「これがギジェルモ・デル・トロ監督だったら……!」であった。その思いは終幕まで続く。ギジェルモ・デル・トロの『アリス』だったら……!
 別に私はそれほど『アリス』に思い入れがあるわけではないが、ジョン・テニエルの挿絵込みでなら、かなり思い入れがある(あの挿絵を気に入らなかったルイス・キャロル当人については、嗜好を昇華することのできた変態だと思っている)。

 プロットについて話を戻すと、つまりアメリカ人は例外もあるが大半は、無意味なものに耐えられない、明確な対立構造のない作品に耐えられない、主人公が成長しない作品に耐えられない、明確な教訓またはメッセージがない作品に耐えられない。それらがない作品は、それらがある作品よりも劣っているので、自分たちがそれらを与えてやることで「ダイナミックで深みのある魅力的な作品」になったと得意満面、というわけだ。
 おまえらなんか『オズ』がお似合いなんだよ。『アリス』に触んなや。

 ティム・バートンはそういうアメリカ人に於ける例外のはずだったんだけどねえ。徐々に作品に「意味」や「明確な対立構造」や「成長」を与えるようになってきているのは判ってたんだけど、ここまで堕ちていたとは……

 まあ『アリス』の映画化・『アリス』の改悪ではなく、オリジナルの「敵がいて倒す」「それを通じて主人公が成長する」、ジャリ向けファンタジー映画としては、かなりよくできているんじゃないですか? そもそも私は「敵がいて倒す」「それを通じて主人公が成長する」映画をおもしろいとは思わないんだが。『アリス』映画としてはゴミ。
 バートン映画としては最低ランク。最底辺の『猿の惑星』よりは遥かにマシ、と言えるが、『猿の惑星』はバートン映画としてはゴミ以下なので、あんまりフォローになりませんね。

 もう一点だけフォローをすると、上記のとおり凡庸なりにプロットや演出はそれなりの水準にあり、その中で役者(人間のキャラクター)はいい仕事をしていました。とにかくデザインはよかったし。
 ヒロインのミナ・ワシコウスカは例外。本人の責任というよりは、例によって凡庸で無個性なヒロインしか作れないバートンの責任。主人公としてのヒロインでさえ、そうなんだからなあ。
 それは措いて、ヘレナ・ボナム・カーター、ジョニー・デップ、クリスピン・グローヴァーと、狂気役者揃いである。アン・ハサウェイが、狂気役者の素質を持っているのは意外だった。この調子で頑張れば、『チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル』のキャメロン・ディアスの狂気を孕んだ笑顔を越えられるでしょう。
 トウィードルダムとトウィードルディーのマット・ルーカスも良かった。

 しかし所詮、「意味のない狂気」を理解できないアメリカ人が造形したキャラクターなので、せっかく醸し出された狂気は活かされていない、もしくは余計な理由づけをされて台なしになっているのであった。あ、フォローになってない。いや、とにかくあまりのつまらなさが逆に興味深かったというのは措いても、人間のキャラクターのデザインはよかったですよ。

|

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »