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参考文献録

『イマームの転落』 ナワル・エル・サーダウィ 鳥居千代香・訳 草思社 1993(1988)
The fall of the imam
 原著はアラビア語だが、英訳(著者の夫シェリフ・ヘタタによる)からの重訳。
 北アフリカに位置すると思しき架空のイスラム国家を舞台に、独裁者イマーム(イスラム指導者)とその取り巻きたち、妻たちの物語と、イマームの私生児と思しき少女ビント・アッラー(神の娘)の物語が交錯する。

「マジックリアリズム」という語には、「わけのわからない物語(小説その他)」を味噌も糞も一緒に放り込める便利なゴミ箱という意味合いが確かにある。敢えて「わけのわからない物語」を「いいマジックリアリズム」と「だめなマジックリアリズム」に分類してみると、前者は、独自の法則を持っている作品である。
 その作品内の理屈や出来事が、世間の法則からするとどれほど滅茶苦茶でも、ある一定の法則に従っているのである。その法則が、作者が元から持っているもの(意図してこしらえたのではないもの)であれば、「真正」のマジックリアリズムと言えようが、まあそういうものは多くないし、多くなられても困る。

 独自の法則を意図してこしらえようとして、成功している作品もまた「いいマジックリアリズム」だが、失敗した作品は「だめなマジックリアリズム」である。
 作者がそもそも独自の法則を持ってもいないし、作ろうという気もなく、単に奇を衒っただけの作品は、却って陳腐になるか、または文字どおりの支離滅裂になるだけで、当然ながら「だめなマジックリアリズム」である。

 で、『イマームの転落』は、イマームのパートは中南米の独裁者ものに匹敵するほど出来が良い。つまり独自の法則に従って展開する「いいマジックリアリズム」になっているが、私生児の少女のパートは、奇を衒った表現をしようとして失敗した、陳腐でぎこちない「だめなマジックリアリズム」である。
 全体としては、「いいマジックリアリズム」のイマームのパートに、「だめなマジックリアリズム」の少女のパートを無理やり接ぎ合わせたような印象になっている。

 著者はイスラムのフェミニスト活動家であり、序にも本書をイスラム体制の批判、とりわけ女性差別への批判として書いたことを明言している。しかし本書はルポルタージュやドキュメンタリーではなく小説として書かれたのだから、小説として読むべきである。
 巻末で訳者の鳥居氏は、著者の活動(小説家ではなくフェミニスト活動家としての)とイスラムの女性差別批判にのみ紙幅を割き、小説の内容には一切言及していない。
 こういう「箱書き」をされた小説を読もうとする読者が、マジックリアリズムを期待しているとは到底思えない。マジックリアリズムを探している読者であれば、この箱書きを見て中身がマジックリアリズムだとは思うまい。

 テーマがどれほど立派だろうと、作品の出来とは無関係である。こういう箱書きは、本書のような「わけのわからない」小説に付けるべきではない。小説を小説として扱わないのは、作者に対する侮辱である。作者が侮辱だと感じなくても、小説というもの全体に対する侮辱である。まあ本書に限らず「第三世界」作家のフィクションは、そういう扱いを受けがちなんだけど。

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