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参考文献録

『シャマー カール・マイ冒険小説集』 カール・マイ 金森誠也・訳 荒地出版社 1992
 イスラム圏の作家(ムスリム限定ではないが)によるイスラム圏を舞台にした歴史小説もしくは幻想小説を探す一方で、欧米人作家によるオリエンタリズム小説を探しているのである。なぜかというたら、彼らのオリエント観を知るためである。
 ところがこれが、以前にも書いたが非常に困難なのであった。なぜなら日本人作家の小説なら、内容によってかなり細かい分類(ジャンル分け)がなされているので、分類ごとに探すことができるが、海外の作家の小説はそこまで細かく分類されていないからである。文学を含むオリエンタリズム芸術について論じた日本語文献はそこそこ出ているのに、具体例(作家や作品)がほとんど紹介されてないんだよー。
あと、イスラム圏の作家でも英語やフランス語で書いてる人は、英文学や仏文学に分類されてたりするしな。

 そんなわけで、今頃になって見つけたカール・マイという作家。邦訳者あとがきによると、生没年は1842-1912、19世紀末から20世紀初めに人気を博したドイツの大衆作家(ママ)で、1980年代末の時点でドイツではなおも読み継がれているそうな。
 作品はというと、ドイツ人男性が北アメリカ西部や中東で悪人をやっつけ美女を助ける大冒険をするシリーズ物が代表作である。アメリカでは現地のインディアン(訳者あとがきママ)や白人たちに「オールド・シャッターハンド」の名で、中東でベドウィンたちに「カラ・ベン・ネムジ」の名で知れ渡り、尊敬されている、という無邪気な願望充足型小説だが、加えて、作者は主人公と自分が同一人物であり、冒険も本当に体験したものだと主張していたそうである。で、実際には作者が初めて中東および北米を訪れたのは、そのシリーズ物が完結した後、晩年になってからだったという。

 ま、そういう時代だったんだろうな。ただし、本書を読む限りでは、それなりに舞台となる場所のことを調べて書いているようである。そんで、その蘊蓄をいちいち披露する、と。そういうのんも読者に求められていたんだろう。

「我々」の一人が異国に行って、現地人が解決できないことを解決してやって彼らの尊敬を大いに得る(「我々」に連なる者たちを救ってやればなお素晴らしい)、という紋切り型は未だに生産が続いているわけだが、カール・マイ作品はその古典ですらない、呆れるほど凡庸なヴァリエーションの一つに過ぎない。19世紀末~20世紀初頭のドイツに於けるヴァリエーションである(「へー、こういうの流行ってたんだー」)、という以上の価値を見出すことはできなかった。

 本書に収録されているのは、シリーズ物の番外編で、作者の「分身」カラ・ベン・ネムジが中東で粗暴なベドウィンから美しいユダヤ娘(実はフランス人でキリスト教徒の娘)を救い出す中編「ラケル」、作者の(初めての)中東旅行後に書かれた「シャマー」と「メルハメー」。
 まあ、「ラケル」は良い意味で馬鹿馬鹿しい冒険物だし、「シャマー」と「メルメハメー」は語り手が傍観者に徹するという変化に中東体験が如実に表れている点が興味深いと言えなくもなかったんだが、訳文がねー……
 具体例を挙げるような真似はしないが、全編にわたって直訳的な回りくどく生硬な文章が続くのである。地の文はまだしも、台詞に至っては語学テキストの例文さながらである(子供から大人まで、ほとんどの登場人物がですます調で喋る)。いや、どちらかいうたら「翻訳調」の文章が好きで、そのほうが読みやすいという私でも、これは無理でした。
 
 あとがきを見る限り、本書の出版は訳者の金森氏の尽力で実現したようである。氏はカール・マイ作品に非常に思い入れがあるらしく、「快男児や美女の運命を雄大に描いた作品」と紹介している。作者が中東にも北米にも行っていないのに、そこで超人的な活躍をする主人公を「自分自身」と主張していたことにも、山師じみているといった感想は別段抱いていないようである。
 どうやら短編と中編を収録した本書を皮切りに、全作品(大長編揃いらしい)刊行したかったようだが、残念ながら後が続かなかったようである。カール・マイ作品は1970年代にも8冊ほど邦訳が出ているが、これも全20巻予定のところを全巻刊行はならなかったようだ(2003年に筑摩書房から山口四郎氏の訳で『ヴィネトゥの冒険』が出ているが)。

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