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参考文献録

『放浪者メルモス』 C・R・マチューリン 富山太佳夫・訳 国書刊行会 1977
Melmoth, the wander
 アラビアンナイトからの影響が強い作品の一つに挙げられていたから読んでみたのである。作中でアラビアンナイトにほんのちょっと言及されているので、著者が読んでるのは間違いないが、はっきり類似点と呼べるのは、「枠物語」であるという一点のみ。ほかは、間接的にでも影響を受けていると言えそうな点は皆無である。枠物語だったら全部アラビアンナイトかい。
 まあ、ベックフォードの『ヴァテック』以来、欧米の「アラビアンナイトもの」はゴシック小説の興隆と結び付いているのだそうな。だとすれば、少なくとも19世紀後半に「アラビアンナイトもの」が廃れるまでのゴシック小説は、多かれ少なかれアラビアンナイトの影響を受けている、と言えるのかもしれない。

 アイルランドの牧師マチューリン(1780-1824)が1820年に発表した長大な小説。何しろ上下巻合わせて1000頁弱である。
 ちなみにマチューリンはオスカー・ワイルドの母方の大叔父だそうだ。
 17世紀、悪魔と契約した男メルモスは、魂と引き換えに150年の若さと超能力を授けられた。契約が切れた時、魂を悪魔に渡さずに済む方法はただ一つ、誰か別の人間の魂を差し出すことである。しかしそれは誰の魂であろうと合意の上でなければならない。かくて、メルモスは誘惑者として世界を放浪することになる。
 こういう設定上、誘惑が一度で成功してしまえば、そこで話が終わってしまうので、枠物語形式で語られるのは、自ずとメルモスの「失敗談」の数々ということになるのである。
 
 序盤、ダブリンの苦学生ジョン・メルモスが伯父の遺産を受け継ぎ、同時に自らの祖先に奇怪な力を持った人物がいたことを知る。
 そこまではおもしろかった。訳者解説によると、1800年の英国による併合以降、アイルランドの「郷土文学」が書かれるようになり、『メルモス』の序盤もこの流れを意識している、と。確かに一人の人間の臨終場面に於ける各人(臨終を迎える本人も含めて)のしょうもなさの描写などはジョイスっぽい。

 しかし残りの900頁以上は、カトリックと異国(スペインとインド)への偏見を土台にした、陳腐で俗悪なゴシック小説が延々と続いてげっそりさせられる。
 上巻巻末に収録された野島秀勝氏の解説によると、プロテスタントの作者によるゴシック小説というのは、すなわち反カトリシズム小説なのだそうで(へー、そうか、だから私はゴシック小説が嫌いなのか)、しかしマチューリン自身の弁明によれば、修道院や異端審問の恐怖というネタ(当時すでに陳腐なものになっていたらしい)を用いたのは、「なにも恐怖ロマンスにお馴染みの恐ろしい冒険」に「由来する」のではなく、それらが一般的な「人生の悲惨」の一つの典型だから、だそうである。

 確かに本篇中でも、カトリックが「真のキリスト教」ではないことが繰り返し繰り返ししつこく仄めかされる一方、プロテスタントこそが「真のキリスト教」なのだ、とは仄めかされてすらいないし、作者がそう考えていた様子も窺われない。
 また、カトリックの「悪」がげんなりするほど大量に積み上げられているのに比べればごくわずかとはいえ、清教徒の狂信にも言及されているので、その辺の公正さは認めてやるべきであろう(何様)。
 しかし描こうとしたのが普遍的な「人生の悲惨」であろうと、「恐怖ロマンスにお馴染みの恐ろしい冒険」であろうと、プロテスタントの読者がカトリックに対して抱いている偏見を大いに利用し、それを覆す気など毛頭ないのは明らかである。

 同様な偏見の利用が異国趣味で、スペインへの偏見(因習とか激情とか)はカトリックへの偏見に結び付けられてあまり目立たないが、インド人の「邪教徒」振りも「修道院と異端審問の恐怖」に負けず劣らず辟易させられる。
 とにかく、私にとっては一つのサンプルという以上の意味をまったく持たない作品だった。サンプルとしてでなければ、到底読み通せなかっただろう。

 思わぬ収穫が唯一つ。
「伯父にとっての国家はいつの間にか(中略)、信者たちが喜んで我が子を車輪の下に投げ込むインドの女神の山車のようなものに化けていたのだ。」(佐藤亜紀『ミノタウロス』Ⅰ章より)
 この「信者たちが喜んで我が子を車輪の下に投げ込むインドの女神の山車」を実際に描いた場面に巡り会えたことである(『放浪者メルモス』下巻93-95頁)。いやはや。
 まあたぶん、『メルモス』が書かれた当時すでに、かなり人口に膾炙していたネタだと思われるから、『ミノタウロス』の主人公が読んだと想定されている作品は『メルモス』ではないんだろうけど。

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