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参考文献録

『ハディース――イスラーム伝承集成』 牧野信也・訳 中央公論社 1994
 ハディース(ムハンマドの言行録)は、クルアーンに次ぐ地位の聖典なわけだが、クルアーンがムハンマドの死後約20年後に集成され、唯一無二とされる(実はその後300年くらいは複数の異本があったのだが)のに対し、ハディース集の編纂が本格的に始まったのは、ムハンマドの死後100年以上経ってからで、それまでもそれ以後も、無数の捏造が行われた。
 信憑性の高いものから低いものまで、多数のハディース集が作られた中、本書の原本はスンナ派が真正と認める二つのハディース集のうちに一つで、ブハーリー(810-870)によって編纂された『サヒーフ(正伝集)』である。

 ハディースは、単にムハンマドや教友たちを偲ぶためのものではなく、彼らの言行を規範とするためのものである、とされている。しかし宗教的儀礼(礼拝、浄め、巡礼、犠牲など)の詳細な方法などは重大な問題だったと思われるが、大半は瑣末でどうでもいい問題についてである。興味を覚えるよりも呆れるのが先立つ。
 あと、単にムハンマドや教友たちの思い出話以上のものではないハディースも多い。それはそれで信者にはありがたいものであろうが、アリー(ムハンマドの従弟で、シーア派の初代イマーム)が早漏だったとか、そんなことは秘密にしておいてやれよ(シーア派のハディース集には収録されていないに違いない)。

「浄め」「月経」「礼拝」「葬礼」「遺言」「人頭税」「正しい身の処し方」といった項目が設けられ、それぞれに該当するハディースが列挙されている。だから一つのハディースが複数の項目に該当する場合は繰り返されることになるわけだが、それを除いても重複が多い。
 重複しているハディースは斜め読みしたのであまり問題はなかったが、上記のように瑣末でしょうもないハディースが大半なので、読み通すにはかなりの時間と忍耐を要した。何しろ、上中下巻で本文の総計が2000頁強である。

 なんでか知らんが、訳注がほとんどない。割注の形でちょっぴり付されているが、もっと付けるべき注釈はあるんじゃないかというものばかりで、基準が不明である。なぜ訳注がないのか、理由も述べられていない。
 いや、本文だけでも膨大なのに、訳注なんか付けたら収拾が付かなくなるのは明らかだが、お蔭で意味が解らないハディースもかなりの数に上った。
 例えば「蛇に二度咬まれてはならない」(類似のものに「同じ穴の蛇に二度咬まれてはならない」がある)。同じ失敗を繰り返すな、一度で学べ、ということではないかと思うが、違うかもしれない。
 索引はあるが、頁数が間違っているのんが少なくない。

 しかしまあ、それなりに得られるものはあり、特に興味深かったのが、ムハンマドの神格化が行われていることである。クルアーンではムハンマドは普通の人間であり、神の言葉を預かる(「預」言する)以外は一切奇跡を起こさず、したがって「予」言もしないことが強調されているが、ハディースでは彼は予言をするし、雨を降らせたり病人を癒したり月を裂いたりと、あれこれ奇跡を行っている。
 わずかな食料を増やして多数の人々の飢えを癒した奇跡譚は、露骨にキリスト教からの借用である(クルアーンではイエス=イーサーについて多く言及されているが、この逸話は採用されていない)。

 その一方で、教友(ムハンマドを直接知っていた信者)たちの中には、ムハンマドをあまり尊敬しない者もいた(しつこくねだったり、従順でなかったり)というハディースもかなりある。こちらのほうはおそらく事実を正確に伝えているのだろう。
 ほかにも彼ら教友の中には、モスクの中で小便をしたり痰を吐いたりと、およそ後世の常識からは考えられない振る舞いをする者がいたことも伝えられている。
 クルアーンでは、人間が天国もしくは地獄に行くのは世界の滅亡と最後の審判を経てからだが、ハディースでは死後直ちにとされている。そのほうが宗教としては素朴で解り易いよな。

 なお、歌舞音曲については、このハディース集では何も述べられていない。

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