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借りぐらしのアリエッティ

 メアリー・ノートンの原作は、「床下の小人たち」と「野に出た小人たち」までしか読んでいない。生活必需品を「借りる」という形で人間に依存しながらも、人間から身を隠し続けなければならない小人たちの生き方が、当時小学生の私には少々シビアすぎたのだ。

 アニメは、原作のシビアさを残しつつも相当和らげ、「人間の道具を利用した小人たちの生活」という人形遊び的な楽しさを最大限に活かしている。日本の古い洋館(疑似西洋建築)で暮らすイギリスの小人たち、という設定は、むしろ「木かげの家の小人たち」(いぬいとみこ)を思わせる。
 原作との対比はこのくらいにして(何しろ読んだのは四半世紀以上前のことだから)、以下は単体のアニメ映画としての感想。

 とにかく丁寧に丁寧に作られた、精巧な作品である。宮崎駿の脚本も、非常にバランスが取れている。近年の宮崎作品は、彼の関心の比重が「絵」と「動き」(特に後者)に置かれているようで、脚本はそれらを見せることを目的に書かれており、「物語」はごく表層的で、取ってつけたようなものとすら化していた。しかし今回は自らが監督するわけではなかったので(すなわち、少なくとも「動き」に関しては自ら監督するほど見せたいものがなかったので)、物語はごくオーソドックスでバランスの取れたものになっている。
 宮崎駿自身が見せたい「動き」がなかった(と思われる)ため、本作は宮崎印であるところのダイナミズムに欠けている(「飛行」も「落下」もない)。とはいえ、それゆえキャラクターたちのアクションが現実離れした超人的なものではなくなり、充分に「ありえそうな」ものになっている。
 もっとも、小人たちのアクションを人間の尺度に置き換えてみると、充分に「超人的」なんだけど。まあ、ぎりぎりのところで「ありえそうな」に納まっているリアリティというか(もちろん、そもそも小人は非現実だという突っ込みは無しである)。

「絵」に関して言うと、「小人の目から見た世界」というのは宮崎駿がやりたかったことではあるんだろうけど、ここまで精緻な、偏執的ですらある作り込みは、おそらく米村宏昌監督個人の作風だ。
 絵の描き込みや丁寧さは宮崎作品の特徴ではあるのだが、それは宮崎監督が興味のある(と思われる)画に関してだけであり、手を抜いてあるところは抜いてあるし。今回のように、全編通して万遍無く、隅から隅まで、というのんとは違う。それに宮崎作品では描き込まれた画でも、無骨さ(特に機械)、或いは引っ繰り返したおもちゃ箱かガラクタの山的な印象であって、精緻さ・精巧さとは違うのである。
 まあ本作品では、この箱庭的な精緻さが「小人の目から見た世界」とこの上なくマッチして、一軒の家という極めて狭い舞台ながら、閉塞感に陥ることなく仕上がっている。

 あくまで、精緻なのである。舞台となる家は古くて庭は草ぼうぼうだし、すべての画面にわたって物がごちゃごちゃと描き込まれているにもかかわらず、宮崎作品的な「ガラクタ」感とは無縁である。どこか整然としているのだ。
 不潔さがない点も、宮崎作品とは違う。必ずしも不潔さが描写されていない宮崎作品もあるが、手入れの行き届いていない古い屋敷が舞台で、「小人の視点」であるにもかかわらず、ゴミも埃もカビも存在しない。
 小人の目から見た人間の身体の汚さが描かれているのは『ガリバー旅行記』である。小人の少女と人間の少年の恋が主題である以上、『ガリバー旅行記』のようなリアルな汚さを描くわけにはいかないのは当然だが、まったく描かないというのも不自然だ。

 しかしまあ、それらは監督の個性であるし、特に精緻さと、閉塞感に陥ることのないバランスの良さは得難い資質と言うべきなのだろう。
 もっとも、「小人から見た世界」の作り込みも、実はかなりムラがあるんだけどね。不潔さの排除は措くにしても、布や紙の厚みがまったく無視されてるのが特に気になった。人間(巨人)が作った布が小人(人間)にとって重くてゴツゴツして不快、ってのも、『ガリバー旅行記』である。布や紙の質感を出すのは、セルアニメじゃ無理だろうけど、厚みくらいはなんとかならんかったんかいな。水の表面張力まで表現してんのにな。
 私はアニメ声優の画一的なメソッドは好きではないが、だからって素人(声優として)のぎこちない演技や発声・滑舌の悪さは充分弊害だと思う。特に『ポニョ』の時はそれが顕著だった。今回は申し分なし。特に樹木希林が素晴らしかった。

 それにしても宮崎駿監督作品以外のジブリ作品は、付き合いで観た『思ひ出ぽろぽろ』しか知らんのだが、やはり宮崎作品のあの「曰く言い難い不穏さ」は他人には表現不可能なのだろうな。
 あの不穏さ、あるいは不気味さは、あまり言及されていないが、宮崎作品を宮崎作品たらしめる最大の特徴である。あれがあるから、宮崎作品は単なる良作に納まらない。『トトロ』が可愛くて楽しいだけのお話だったら、夜の森の闇をあんなに深くする必要はないし、『ラピュタ』が少年少女の冒険とエコをテーマとするだけの優等生的作品だったら、ムスカに「見ろ、人がゴミのようだ」などと言わせる必要はないのである。

『アリエッティ』は、宮崎駿が脚本を担当しているにもかかわらず、そういった不穏さはまったくない。「影(翳り、不安)」はあるが、闇はないのである。
 あの曰く言い難い不穏さが誰にも継承されることなく絶えてしまうのは、実に残念なことである。

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