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シャーロック・ホームズ

 ガイ・リッチー監督の。

 容姿はともかく、人格破綻者ぶりは原作どおりではないかと思う。さすがにコカイン常用の設定は、ワトソン博士所有の「医薬品」をくすねていることになってたが。ただの間抜けではなく、ほんのちょっと抜けてるところはあるものの概ねかっこいいワトソン像もよい。
 以下、ネタばれ注意。

 超常的な事件と見せかけて実は合理的(科学的)な仕掛けが、というプロットは、原作にも幾つかある。ざっと思い出せるものだけでも、バスカヴィル、まだらの紐、黄色い顔、それに「這う人」なんていう怪作もあった。
 合理的(科学的)といっても、まだらの紐の「インドの毒蛇」は架空のものだったりするし、この映画版に登場した薬物・毒物が(青酸カリ以外は)空想的というか制作者に都合のいい設定なのは、たぶん原作へのオマージュだろう。電気で遠隔操作する装置は、スチームパンク的だが。

 それにしても、「超常的な事件と見せかけて実は合理的(科学的)な仕掛けが」、というプロットは、コナン・ドイルが超常現象ネタに引っかかりやすい人だったという事実を皮肉っているような気もするんだけど、きっと気のせいだろう。

続編「シャドウゲーム」感想

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参考文献録

『ロシアのオリエンタリズム――民族迫害の思想と歴史』 カルパナ・サーヘニー 松井秀和・訳 柏書房 2000(1994) (「ロシア・ソ連近現代」)
crucifying the orient: Russian orientalism and the colonization of Caucasus and central asia
 著者は1946年生まれのインド人女性で、56年から60年にモスクワに滞在(父親はインド文学の大家。それでソ連に招かれていた?)、66年から71年までモスクワに留学という経歴の持ち主。
 再読。初読は『ミカイールの階梯』の時。第一部が帝政ロシア時代、第二部がソ連時代(およびソ連崩壊後)。第二部だけ読み返す。タイトルどおりの内容で、とてもとても気が滅入ってしまう本なので、できれば読み返したくなかった。前回かなり詳細なノートを取ってあるから、それだけで済ますこともできんこともなかったんだが、念のために再読しました。

『ソ連のイスラム教徒』 グレース・ハルセル 越智道雄・訳 朝日新聞社 1991(1991) (「ロシア・ソ連近現代」)
Islam: and the future of the soviet empire
 誰かと思えばグレース・ハルセルである。彼女の著書はこれまでに二冊読んだことがあって、どちらも『グアルディア』の参考文献としてであった。『核戦争を待望する人々』ではファンダメンタリストの「エルサレム・ツアー」に潜り込み、『黒い肌は知った』(しかし恥ずかしい邦題だな、いくら1970年刊行とはいえ)ではもっと凄くて、薬品で肌を黒く変え、黒人女性になりすまして文字どおり差別を体験していた。

 で、本書では1988年~1991年2月に掛けて、三度にわたってソ連の中央アジアおよびカフカスを訪れている。この時期からソ連のムスリムに注目し、しかも彼らの経済的不平等を原因とする反ソ運動をソ連が宗教問題に摩り替えていることまで看破しているのは、さすがと言うべきだろう。
 まあ、取り上げられているのは80年代以降の問題が中心で、それ以前のことには、ざっと触れられてるだけだったんで、あんまり参考にはならなかったんだけど。

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参考文献録

『幻想の古代史』 ケネス・フィーダー 福岡洋一・訳 楽工社 2009(1990/2008) (「その他科学」)
Frauds, myths, and mysteries: science and pseudoscience in archaeology
 上下巻。原著の初版は1990年で、2008年現在ですでに六版目らしい。日本語版の解説がないのでアメリカでの評価その他の状況は判らんのだが、六版目にして初めて邦訳されたのは、加筆パートに例の藤村「ゴッドハンド」新一の記事が含まれているからなのは間違いない。
 
 そういうわかりやすい事情が背景にあるにせよ、邦訳自体は誠実なもので、特に参考文献リストが原文ママとは別に邦訳参考文献リストが作成され、さらには本文中に挙げられた文献で参考文献リストに載っていないものにも、邦訳があるものはちゃんと記載しているのが素晴らしい。その辺いい加減な本が多いんだよ。
 しかし邦訳されてる参考文献の大半が、まともな研究書ではなく、偽史を「真」とするいかがわしいのんばっかりで嘆かわしい。

 本書を「参考文献」として読んだのは、偽書(偽の古文書)の制作について知りたかったからなんだが、残念ながらそれについてはほとんど触れられていなかった。まあ少しは言及されていたし、また本書によれば偽史をでっち上げる輩の中には、「それについての古文書を読んだけど、失われてしまった」と主張する奴が結構多いようだ。それでもビリーバーが付くんだから、人間ってほんと、信じたいものを信じるんだなあ(本書によると、捏造というのは需要があるから行われる)。

 というわけで、ノートを取ったのは次作とは関係なく、興味を覚えた記事から。とにかく広範な内容であり、ピルトダウン事件にティヤール・ド・シャルダン(北京原人の発掘者の一人)が関わっていたとか、初めて知る情報が多い。ヴァイキングの「アメリカ発見」についての記事で、ヴィンランドを「ワインの地」としてたりするけど(近年は「草原の地」説が有力)。

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参考文献録

『ドリナの橋』 イヴォ・アンドリッチ 松谷健二・訳 恒文社 1966(1945)
Na drine ćuprija
 ドイツ語からの重訳らしい。アンドリッチはこの作品で61年にノーベル文学賞を受賞した。
 ボスニアとセルビアの境界をなすドリナ川に唯一架かる橋と、橋のボスニア側の町ヴィシェグラードの年代記。1571年にトルコの大宰相ソコル・メフメド・パシャの命で建設された橋が、1914年、オーストリア軍の撤退の際に爆破されるまでの350年余の歴史が描かれるが、序盤に橋の建設について語られた後は、300年の歳月がかなりはしょって語られ、全体の四分の三が19世紀半ば以降の出来事になる。

 序盤に、橋の建設を妨害した農夫が串刺し刑に処される場面がある。私の読書は相当偏っているものの、こと歴史に関してはかなり広く深く読んでいるつもりだったんだが、「即死させない」串刺し刑の記述(しかも詳述)で出くわしたのは初めてであった……直腸から杭を刺し、心臓や肺、気道を避けて背中に抜けるようにする(それなりの技術を要する)。その後少なくとも数時間は息のある受刑者を晒しものにするのだそうな。

 序盤はこの場面のインパクトが強すぎて、ほかは全部吹っ飛んでもうた。19世紀半ば以降の記述になると、暴力はもっとさりげなく淡々と描かれる。
 トルコ人による反オーストリア抵抗運動の指導者たちが、町にやってくる。町のトルコ人名士のアリホジャは、抵抗しても殺されるだけだから諦めるよう説く。町のトルコ人たちもアリホジャに従うが、抵抗運動の指導者の目的は、抵抗を成功させることではなく、抵抗して死ぬことにある。しかも自分と仲間だけが死ぬのではなく、できるだけ多くの同胞とともに死ぬことを望んでいる。彼にとって、その熱狂を共有しないアリホジャは、オーストリア人その他の外国人全般以上の憎しみの対象になる。
 いよいよオーストリア軍が目の前まで迫ってきたので、抵抗軍は町の防衛を諦めて撤退していく。去り際、指導者は、アリホジャを杭に縛り付けて耳を釘で打ち付けろ、と捨て台詞を残していく。
 町の誰もが、ただの捨て台詞だと理解しているものの、「でもオーストリア軍がそこまで来てるし、言うとおりにしなきゃいけないのかな」という空気になんとなくなり、誰もかれもがその「なんとなく」の空気に反対できないまま、自分たちが尊敬するアリホジャを、戸惑いながらなんとなくで杭に縛り付けて耳を釘で打ち付け、そのまま放置して避難してしまうのである。
「普通の人々」が時として行う信じ難いほどの残虐行為の少なくとも一部は、こういった「なんとなく」の空気の中で行われるのではないだろうか。この後、アリホジャはオーストリア軍に救助されるが、そのまま家に帰り、その後も元どおり町の名士として暮らしていく。
 
 町にはホテルを営むユダヤ人の一家がおり、時代の推移とともに商売は次第に傾いていくのだが、まずまず裕福な暮らしをしてきた。それが1914年、町に砲弾が飛び交い、一家は避難せざるを得なくなる。荷物を積んでホテルを出て、町から出るために橋を渡る。それまでホテル経営者一家だった彼らは、「数歩橋を渡り出すと突然に貧乏ユダヤ人の姿となりはてた。あわれな難民である。」

 先日読んだ『呪われた中庭』でもそうだったが、アンドリッチの作品は、人種や民族、信仰等で「我々」と「彼ら」を分けない。この『ドリナの橋』でいえば、町の住民は人種、民族、信仰にかかわりなく共同体の成員とされる。余所者は余所者として区別されるが、そこに「我々」と「彼ら」の図式が明確にあるようには見えない。外来者は外からやって来る変化の象徴とされているが、町にある程度長く住む個人として描かれる時は、もはやなんらかの象徴性を負わされた記号ではない。

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日記

 先日は姪の七歳の誕生日でした。姪が生まれた日は、私が佐藤亜紀先生の創作講座を受講した(もぐりで)最後の日でした。なぜ最後だったのかというと、一年かけて書き上げた『グアルディア』を見ていただく最後の日だったからです。
 姪が生まれる予定日はもう少し先だったので、授業を受けに出かけたら、その間に(先生に「一年間ありがとうございました」とか言っている間に)生まれてしまっていたのでした。

 そういうわけで、姪の誕生日が来るたびに、私は「ああ、『グアルディア』を脱稿してからもう○年になるんだなあ」と思うのです。別に感慨に浸ったりはしませんが。

 今年は誕生日プレゼントにこういうものを買ってあげました(今日渡す予定)。本人が書店で見つけて気に入っていたからです。彼女に変な大人への道を歩ませようとか、そういうことを目論んでなんかいませんよ。

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参考文献録

「ヤズデギルドの娘たち――シャフルバーヌー伝承の形成と初期イスラーム世界」 清水和祐 (『東洋史研究』67-2 2008) (「シーア派」)
「シャフルバーヌー伝説」(シーア派イマームがサーサーン朝皇帝の血を引いているという伝説)の成立過程を、史料を丹念に当たって詳細に分析している。理路整然として説得力のある論考。

「アッバース朝革命とホラーサーン」 余部福三 (『オリエント』26-1 1983)
「マームーンとムウタスィムの新軍団」余部福三 (『史林』66-6 1983)

 ノートは「中央アジア中世」に分類。
 アッバース革命とアッバース朝成立後の政府と中央アジアとの関係について、たぶん一番詳しい日本語文献。もっと早くに発見できていれば、後からいろいろ変更しなくて済んだんだけど。まあ重要な研究がまったく注目されないというのはよくあることだし、脱稿後に発見するよりは遥かにマシだけど。

 とりあえず、読むべき資料はあと少しを残すのみ。のはず。

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参考文献録

『イスラーム文化――その根底にあるもの』 井筒俊彦 岩波書店 1981
 民族とか文化というものは、確かに「ある傾向」を持つが、あくまで「傾向」であることを肝に銘じておくべきで、紋切り型に押し込めるのはいろいろと弊害が大きすぎる。
きょうびそう認識していない論者は見識を疑われて然るべきだが、それはそれとして糊塗されていない野放図な紋切り型すなわち偏見について知る必要もあったので、80年代に刊行された本を読みました。

「サマルカンド王グーラクとその行動――クタイバの征服後を中心に」 神郡仁志 (『東洋史苑』26・27合併号 1986)
 次作の時代設定は8世紀半ばで、これはその少し前の時代について。
 アラブに征服されたソグドの諸王がその後何度も叛乱を起こしたことは、いろんな資料で述べられているんだけど、叛乱を起こしていない時は何をしていたのかというのがこの論文。条約を結んで適当に折り合っていたらしい。
 

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参考文献録

「ソグド祆教美術の東伝における転化――ソグドから中国へ」 榮新江 西林孝浩・訳 (『美術研究』384 2004)
 ソグド美術(主にゾロアスター教美術)と中国美術(主に仏教美術)の融合について論じつつ、北斉で活躍したソグド人画家曹仲達は仏教画家として中国史料に記されているが実は彼が描いていた「仏像」はゾロアスター教の神像なのであった、という結論を出している。
 ソグド人の9割9分以上はゾロアスター教徒だったし、中国人はゾロアスター神像と仏像の区別がついていなかったのも確かなようだが、ごく少数とはいえソグド人仏教徒は存在したので、曹仲達が仏教徒ではなかったという結論にどうして達するのか理解不能。

 この論考自体を参考にしたわけではなく、ソグドとタリム盆地(および敦煌)のゾロアスター神像の図版がまとめて掲載されてるので、それなりに役に立ちました、と。

「ソグドの神々とイスラム・アラブの侵攻」 小谷仲男 (『西南アジア研究』46 1997)
 初期イスラムの征服活動について、最も詳しい史料はタバリー(923年没)の『預言者と諸王の歴史』、それに次ぐのはバラーズリー(892年没)の『諸国征服史』である。バラーズリーのほうは花田宇秋氏によって完訳がなされているが、刊行はされていない。『明治学院論叢総合科学研究』に22回に分けて掲載されており、結構な分量なのだが(一応目は通しましたよ)、タバリーのほうはその20倍もの長さだという。
 アラビア語を読めない小谷氏が、1985年から刊行の始まったタバリーの英訳を基に、「イスラム・アラブ人たちが中央アジアに侵攻した時、そこで出くわした人々の宗教、そしてアラブ人たちがそれらにどのような対処をしたか調べてみたい」とあるんだが、あんまりそういう内容じゃなかったなあ。7世紀から8世紀初めの征服活動について、一応、宗教関係の記事を中心に拾ってるんだけど、絞り込めてないっていうか。

 まあ英訳からとはいえ、『預言者と諸王の歴史』の記事をまとめて紹介してくれてるのはありがたい。

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参考文献録

「ソグド語の人名を再構する」 吉田豊 (『三省堂ぶっくれっと』78 1989)
 中国の史料に見られる漢字で音写されたソグド人の名前を、古代イラン人名や西方の文字(ソグド文字、マニ文字、シリア文字)で記録されたソグド語人名と比較し、再構成するという地道な研究の一端を紹介。
 吉田氏はこの研究について、「およそエキサイティングなものとは言い難い。しかしこの作業が完成した暁には、その成果は次の段階の研究が拠って立つ一次資料となる。その意味で、たとえ些細なものであれ、イラン語研究者の共通の財産となり得るこの研究を、できるだけ早く完成させたいと思っている」と述べている。

 いや、こうした研究のお蔭で、小説に登場させるソグド人に適当にでっち上げた名前を付けなくて済むわけです。本当にありがたい。

「ソグド王統攷――オ=イ=スミルノワ説批判を中心として」 岡本孝 (『東洋学報』65-3、4 1984)
 中央アジアの古銭研究の権威O・I・スミルノワ(どうも少し昔の日本には、ロシア人の頭文字をカタカナ表記する慣行が一部であったらしい)の説のうち、「ソグド王」に関する二点を漢文史料と比較して批判。
 ソグドは小国が分立していたが、一応緩い連合体みたいなものは形成されていて、その盟主は「ソグド王」と呼ばれた。で、「ソグド王」はほぼ必ずサマルカンド国王がなっていたから、「ソグド王統攷」とは要するに「サマルカンド王統攷」なのであった。
 タイトルからはてっきりソグドのいろんな国の王様たちの名前が載ってるかと思ったんだけど。まあいいけど。とりあえず他の資料じゃ判らなかった康国王「咄曷」の読みが「トゥルガル」だって判ったし。

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参考文献録

『中国科学の流れ』 ジョゼフ・ニーダム 牛山輝代・訳 思索社 1984(1981) (「前近代科学・錬金術」)
Science in traditional china
 1979年の講演録。典拠の提示がいい加減。その他の注も不充分。序章を含め全五章のうち、「火薬と火器の叙事詩――錬金術からの発展」から、ちょこっとメモを取る。
「長生法について」の章は、錬金(煉丹)術のうち、不老不死の霊薬の方面について述べている。アラブの錬金術との関連にも言及して、ジャービルとゲーベルが別人だと述べてるんだが、何を根拠にしているのか不明(ゲーベルの著作とされるラテン語文献はすべて偽書だということは、1970年代よりずっと前から判っていたことである)。

「イスラム以前のインド洋世界――ソコトラ島から垣間見る」 蔀勇造 (『海のアジア② モンスーン文化圏』 岩波書店 2000) (「東西交渉」)
 イスラム以前の、ペルシア商人によるインド洋交易について知りたかったんだが、誇張抜きでたった一言しか言及していなかった。後はギリシア商人についてだけ。次作とはなんの関係もない、聖トマスのインド布教伝説についてメモを取る。

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参考文献録

『呪われた中庭』 イヴォ・アンドリッチ 栗原成郎・訳 恒文社 1983
 著者は1961年にノーベル文学賞を受賞したボスニア人(ユーゴスラヴィア人)。
「呪われた中庭」(1954年)、「胴体」(1937年)、「サムサラの旅籠屋の茶番劇」(1946年)、「さかずき」(1940年)、「水車小屋のなかで」(1941年)の5編は、19世紀のボスニアの神父が晩年に昔語りをする連作。舞台はボスニアおよびトルコ。
 
 東欧および近東のキリスト教徒とムスリムの間に、「彼ら」「我々」の図式がまったく見られない。ボスニアに於いては、そのような区別など存在しないということなのかもしれない。語り手はカトリックの神父で、著者自身もカトリックだそうだが、キリスト教徒もムスリムも完全に相対的に描かれている。
 著者は1975年に82歳で亡くなっているが、「サムサラの旅籠屋の茶番劇」で語り手が述べる「いろいろな災難がボスニア全土とわたしたちの修道院のうえに振りかかりました。わたしたちは、止むを得ず、多くの事柄を笑劇に転化して、その笑劇によって自分自身を防御し、身を保ってきたのです。それ以外に生き延びる方法はありませんでした」という言葉は、その後のボスニアの歴史を思うと非常に重い。

 後のほうに収められている「囲い者マーラ」(1926)と「オルヤツィ村」(1934)は、初期作品だけあってか、暗さと土俗性の異様さが強調され、あまりいいとは言えない。西欧人作家によるゴシック小説で描かれる東欧の描写に、変に影響されてるような気もする。

 それにしても『呪われた中庭』って、日本人受けしないタイトルだよな。なぜこういうタイトルだと、おもんなさそうに感じるのであろうか。

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