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キングダム・オブ・ヘヴン

 再鑑賞。一応、資料としてである。何が見たかったのかというと、戦闘場面(特に攻城戦)である。舞台は12世紀末のエルサレム。私が必要としているのは8世紀半ばの中央アジアの資料なんだが、無いんだよ、ほとんど。

 登場する武器兵器の描写は、それなりの考証と、映画的な見映えの兼ね合いといったところ。イスラムというと「半月刀」だが、これがイスラム圏に登場するのは早くても14世紀らしい。本作でも、唯一の例外を除き、ほかはすべて先端だけがわずかに湾曲した刀剣を使っているようである(動体視力がないんで、混戦シーンではきちんと確認できなかったが)。
 唯一の例外とは、一番最初に登場するイスラム戦士が使っていたものである。たぶん、最初の登場ということで、観客の「イスラム戦士=半月刀」という思い込みに迎合したんだろうな。一対一(または少数対少数)のイスラム戦士の戦闘場面はここだけで、後はほとんど混戦ばっかりだから刀剣の形に注目する客も少ないだろうし。

 弓は長弓じゃなくて合成弓(ケンタウロスが持ってるようなん)を使ってるのも正しい。弩は当時のイスラムでは個人携帯用のんは使われず、架台付きの大型のんだけ。映画ではどっちも使ってなかった(フランク側は架台付きの弩を使っていた。個人用のはどうだったけか)。
 攻城城とか衝車の屋根とかには、ちゃんと防火用の皮革が貼ってあった。細かいなあ。攻城塔をこけさせる戦法は、十字軍時代の別の戦闘で実際に行われている(ただし、やったのはイスラム側)。

 登場した投石機(トレブシェットではなくバリスタと呼んでおった)は、イスラム側も十字軍側も錘式だった。この型の投石機はイスラム起源らしく、使用開始は12世紀後半なので、これは正しい。
 それ以前の牽引式(人がロープで引っ張る)投石機で飛ばせるのは最大重量50キロ、最大射程50メートル程度なのに対し、錘式の投石機は最大重量230キロ、最大射程300メートルである。
 しかしこの映画だと、エルサレムを攻撃したサラディン軍の投石機は、弾丸こそ230キロより軽そうだったが、どう少なく見積もっても500メートルは離れてそうな場所から飛ばしてて、しかも城壁のすぐ内側だけじゃなくて市街地にも落ちてたな。まあ、遠くから飛ばしたのは軽そうな弾丸(火炎弾)だけで、重そうな弾丸(岩塊)はもっと近付いてからしか飛ばさなかったけど。『ロード・オブ・ザ・リング』(三作目)では、1トンくらいありそうな岩塊をえらく遠くから投げ込んでたような記憶が(ファンタジーだからありなのか?)。
 何はともあれ、細部まで丁寧に作ってあって、しかもそれが作動するところが丁寧に取られていて素敵でした。ガラガラ回る巻き上げ機とか、ズンと下がる錘とか、ブンと跳ね上がるアームとか。
 
 十字軍時代の中東の焼夷兵器は、「ギリシア火」の名で知られている。イスラム諸国だけでなくビザンツ帝国も使用したので、こう呼ばれた。これは石油を精製したりほかの物質(硫黄や硝石など)を混ぜたりした焼夷剤をポンプで噴射したり、小さな壺に入れて投げたり、大きな壺に入れて投石機で飛ばしたりした。『キングダム・オブ・ヘヴン』に登場したの三番目のもの(火炎噴射器は、TVシリーズの『クルセイダー』でやってた)。
 当時のこうした大小の「火炎壺」には、すでに火薬が使われていた。といっても、まだ爆発するほどの威力はなく、一緒に壺に入った焼夷剤の燃焼促進剤として使われてたようだ。導火線で点火されてから投擲され、落下して壺が割れると、激しく炎が噴き上がる。
 だから映画の中で、着弾した火炎弾が非常に勢いよく炎を噴き上げはしても、爆発と呼べるほどの激しさではなかったのは正しい。

 でも、導火線で点火してたはずだから、炎に包まれた状態で投擲されるのは変なんだけどね。「轟音を上げ、昼間の空のような光を放って」飛んできた、という十字軍側の記録に基づいてこの場面を作ったのは間違いない(夜襲だし、飛行中の音もすごいし)。でも導火線使ってたんだよ? この記録は、飛んでいる途中で炎が噴き出したということなのだと思う。
 まあ、導火線付きのでかい壺が飛んでって、途中で炎を噴き出すとか、着弾して初めて燃え上がるとかよりも、炎に包まれた状態で飛んだほうが見映えがいいのは確かだ。「飛んでる途中で炎を噴き出す」って、特殊効果でもめんどくさそうだし。
 しかし、火薬も焼夷剤も壺の中だから、外側に点火してもその場で大炎上したりはしないんだろうけど、でもあんな炎に包まれてる弾丸をセットしたりして、投石機に燃え移っちゃわないか?と観てて気になって仕方なかった。

 歴史ものなのに、あまりにも考証が蔑ろにされてるのんは腹が立つが(だって、そんなんやったら歴史ものにする意味ないやん)、厳密にすればいいというものでもないと思っている。その点、『キングダム・オブ・ヘヴン』は、かなりきちんと考証した上で、その知識を適度に活かすと同時に適度に無視して、見映えのいい画面を作れているんじゃないでしょうか。

 以下、一応ネタバレ注意。
 史実に基づいた叙事詩は、数世代にわたる戦争や移住の歴史を一人または何人かの英雄の偉業に圧縮してまうものだが、史劇映画(特に中世以前)もまた尺の問題で、長期間にわたる出来事を短期間の出来事に短縮しがちである。トロイア戦争の伝説は、数世代にわたる抗争をわずか9年間の戦争に圧縮しているが、ブラピの『トロイ』はさらに短縮されて、せいぜい数か月の出来事にしか見えん。
『キングダム・オブ・ヘヴン』でもこの手の短縮はあるが、まあせいぜいオーランド・ブルーム演じるバリアンがあっという間に王に信頼されて、あっという間に王の妹と恋に落ちるくらいで、全体としては史実に忠実。

 バリアンの「だって主人公だから」的改変は別にして、一番改変されたキャラクターは、王の妹(エヴァ・グリーン)だろうな。映画では強いられて16歳で結婚した夫ギー・ド・リュジニャンを嫌っているが、史実では兄王の死後、顔がいいだけの無能なギーに一目惚れして結婚し、王位を与えてしまったんだそうな。
 たぶん全登場人物のうち最も史実どおりなのが、ブレンダン・グリーソン演じるルノー・ド・シャティヨンで、暴力と財宝が大好きで、強い者には媚び諂う、絵に描いたような悪人だった。ギーは映画で描かれたような血に飢えた暴君ではなく単なる無能で、ルノーの言いなりだったという。
 ああも紋切り型(史実には忠実なんだが)の悪人だと、あんまりおもんない。いっそギーも史実どおりの無能な操り人形にしたほうがおもしろかったんじゃないか。映画だと似た者同士でキャラ被ってるし。野心剥き出しの悪人より単なる無能なほうが、ボードワン王(エドワード・ノートン)に「ギーを王にするわけにはいかないから、そなたが妹と結婚せよ。ギーは処刑する」と言われたオーランド・ブルームが、「良心が咎めます」と断る展開に説得力も出るし。

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