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SF乱学講座1

 去る2010年11月7日のSF乱学講座で、私が喋った分です(約1時間)。その後、岡和田晃氏が20分ほど総括をしてくださったのですが、それはここでは掲載しません。あしからず。

Ⅰ 『グアルディア』
 大学では東洋史を専攻していましたが、これは4、5歳の頃の恐竜好きが高じたものです。「昔のこと」ならなんでも好きで、古生物学や地質学、天文学から人間の歴史にまで興味を持つようになったわけです。その一環として、科学と社会の関わりの歴史についても、いろいろと調べるようになりました。
 そうした興味を盛り込んだのが、初めて書いたSF長編である『グアルディア』です。

『グアルディア』の舞台は、27世紀のラテンアメリカです。ラテンアメリカを舞台にしているのが珍しくておもしろい、という評をたくさんいただきました。指摘はほとんどされていませんが、ラテンアメリカに関連してもう一つ珍しい特徴だと私自身が思っているのが、「科学に寛容なカトリック」VS「科学に非寛容なプロテスタント」という図式です。

 現実の歴史では、ダーウィンはメンデルの実験を知ったにもかかわらず、メンデルの理論が自分の進化論にとってどういう意味を持つのかまでは気が付きませんでした。ダーウィニズムとメンデリズムが統合されたのは早くても1940年代以降で、リン・マーギュリスによれば、彼女が遺伝学を専門に研究し始めた60年代でも、なお進化学(当時は古生物学)と遺伝学との相互交流はまったくなかったそうです。学際的な研究どころか、専門分野同士の交流はほとんど行われておらず、遺伝学者は進化論を知らず、古生物学者はメンデルの法則すら知らないという有様だったそうです。

『グアルディア』の背景となるのは、ダーウィンが自分とメンデルの理論を結び付け、しかもメンデルが修道院長なのを利用してカトリックに取り入り、「神の意志による進化」という有神論的進化論を創り上げてしまった、という歴史改変です。
 現実では、ダーウィニズムは社会ダーウィニズムに変質しました。これは端的に言うと、ダーウィニズムにプロテスタンティズムを結び付けたものです。『グアルディア』の世界では、カトリックとダーウィニズム、そしてメンデリズムが融合したことになっています。
 この有神論的進化論はさらにカトリック以外の宗派・宗教にも適用され、生物学を中心とした科学が現実よりも発展したユートピア的世界が21世紀に実現します。しかし22世紀末にパンデミックが起こって文明が崩壊してしまう。そうすると、「神罰が下った」とファンダメンタリズム(聖書根本主義)が復活してくる、とここまでが『グアルディア』の前提となっています。

 カトリックは狂信的で科学に敵対的、というイメージは、プロテスタントや無神論者の反カトリック・プロパガンダで誇張されたものです。科学の発展はプロテスタント精神の賜物、というのもプロテスタントの宣伝です。メンデルは修道院長ですし、テイヤール・ド・シャルダンも司祭でした(彼が異端とされたのは有神論的進化論を唱えたためで、北京原人を発掘したためではない)。アメリカで進化論を認めていないのは、プロテスタントの聖書根本主義者です。狂信的なカトリック信者はもちろん無数に存在してきましたが、狂信的なプロテスタントや狂信的な無神論者も無数に存在してきました。
 カトリック教会は国家を超えた巨大な組織であり、その運営のためには柔軟さが必要です。しかも非常に大勢の人々の生活とも密接に結び付いているから、彼らの慣習や民間信仰と妥協せざるを得なかった。つまり狂信ではやっていけなかった、ということです。
その結果、妥協と馴れ合いでグダグダになっていたカトリックに対し、キリスト教の「純粋さ」を求めたのが、16世紀の宗教改革というわけです。そしてプロテスタントの中でもとりわけけ「純粋な」連中が、ヨーロッパにいられなくなって地の果てで築いた国家がアメリカ合衆国であり、その名残が「バイブル・ベルト」であり、ファンダメンタリズムであり創造論なのです。

 つまり「純粋さ」は排他性と表裏一体であり、狂信と紙一重なのです。これはいわゆる宗教に限らず、イデオロギー全般について言えることです。

『グアルディア』の前提となる設定では、高度に発達したバイオテクノロジーで生物全般の遺伝子をあれこれ弄った結果、異種の生物同士の遺伝子を混ぜ合わせてしまうウイルスが出現します。人間の遺伝子に異種生物の遺伝子が混ざって「純粋」でなくなってしまうことを恐れた人々が縋るのが、ファンダメンタリズムと優生学です。

 ファンダメンタリズムを作品に登場させたのは、科学の発達とその崩壊に対する反動という以上の意味はありません。現実のファンダメンタリズムも反動ですし。『グアルディア』で、悪のファンダメンタリズム国家は創造論を信奉しています。創造論が如何に馬鹿げているかについては述べるまでもないので述べませんが、一つ注意すべきなのは、現実の創造論者たちが、創造論は宗教ではなく科学だと主張していることです。「もう一つの科学」である、と。これについては後で述べます。

さて、優生学といえば、ナチスの絶滅政策やアメリカ合衆国の断種法に代表される「純粋さ」を求める狂気です。
 実際のところ、優生学にはこうした「不適者断絶」型と勢力を二分する「形質改良」型とがありました。後者があまり知られていないのは、あまり研究されてこなかったためです(そもそも優生学は20世紀前半、30ヶ国以上で展開されていたというが、その歴史研究は英米とドイツについて以外は不充分)。

この「二つの優生学」を取り上げたのが、『グアルディア』と同じ世界のメキシコを舞台にした『ラ・イストリア』です。

Ⅱ 『ラ・イストリア』
「優生学eugenics」という語は「良き生まれ」という意味で、イギリス人フランシス・ゴールトン(ダーウィンの従弟)が1883年に、その概念とともに造り出しました。ゴールトンは、人間の性質は身体的特徴から性格に至るまで遺伝すると信じていました。ならば人類の進歩を決めているのはヒトの品種改良であり、優れた社会政策とはその構成員を品種改良することだと考えたのです。
「不適者廃絶」と「形質改良」という二つの優生学の違いとは、すなわち「人間の品種改良」へのアプローチの違いでした。

 社会ダーウィニズムとは、ハーバート・スペンサーが主張した理論です(ただし、この呼称は反対者たちによるもの)。倹約、勤勉、中庸という古いプロテスタントの徳目に「進化」の理論を都合良く当て嵌めたものであり、当然ながら、プロテスタントの多い国で優勢でした。
 社会ダーウィニズムの論法では、進化を決めるのは淘汰です。しかも淘汰によっては「退化」もあり得る。したがって「不適者(劣った者)」は積極的に排除しなければならない、ということになります。さらに20世紀に入ってからは、これらの国々ではメンデル遺伝学が優勢になっていったため「形質改良」には悲観的となり、ますます「不適者断絶」の傾向が強まりました。イギリスの優生学は階級差別的でしたが、ドイツとアメリカ合衆国では人種差別主義的で、混血への恐怖が根源にありました。ここでも純粋さの追求は、排他と表裏一体となっています。
 *断種法が施行された国は、アメリカ(27州。1907~1937)、ドイツ(1933)、スイス(1928)、  デンマーク(1929)、スウェーデンおよびノルウェー(1934)、フィンランド(1935)

 一方、フランス、中南米、ロシアなどでは、進化論は獲得形質説のほうが優勢でした。努力によって進化するという精神論的進化論がこれらの国々の社会状況(革命や改革)で歓迎されたためであり、社会ダーウィニズムほどは宗教的背景と直接結び付いていませんでした。当然、優生学も「形質改良」という方向に。といっても獲得形質説なのでバイオテクノロジーの興隆には結び付かず、教育や公衆衛生の改善が主な手段とされました。
 こちらの「陣営」にもう一つ共通していたのは、「アングロサクソン流優生学」に対する反発と独自性の主張でした。なお、土台になったのが獲得形質説的な思想ということであり、必ずしも彼らがラマルキズムを標榜したわけではありません。

『ラ・イストリア』では、ウイルスによる遺伝子変異という災厄を軸に、二つの優生学が対比されます。一つは変異した遺伝子(と見做すもの)を排除し、ヒト遺伝子の「純粋さ」を保とうとするイデオロギー。もう一つは、ホセ・バスコンセロスの「宇宙的人種」論です。

 中南米の学問はフランスの影響をもろに受けていて、優生学もフランスと同じく「形質改良」型が導入されました。1920年代のことです。当時、本家のフランスでは「形質改良」型優生学は曲がり角を迎え、「不適者廃絶」型へと向かっていたのですが、中南米はそのまま「形質改良」型が栄え続けました。
ブラジルでは貧困の原因を黒人と先住民という劣等人種と熱帯環境に求め、これを改善するため、公衆衛生やスポーツの実践による「形質改良」と白人移民受け入れによる「形質の嵩上げ」が図られました。「国民の白人化」のため、白人との混血も奨励されました。さらに、白人の血を引く混血同士が交配を続けていけば、いずれ完全な白人が生まれるであろう、という奇妙な論理も展開されました。
 要は「不適者廃絶」であろうと「形質改良」であろうと、優生学は白人至上主義が世界基準だったのですが、まったく独自の発展を遂げたのがメキシコの優生学でした。

 ホセ・バスコンセロスは、1910年の革命後の新体制で二度も文部大臣を務め、大統領候補にもなった人物です。1925年に発表された論文『宇宙的人種』(ラサ・コスミカ)のテーマは、「混血こそ進化の原動力」でした。混乱状態にあるメキシコを統一するため、人種混淆に対する従来のマイナス・イメージをプラスに転じ、「混血の国メキシコ」というアイデンティティを創り出した見事なレトリックです。
バスコンセロスは、これがレトリックに過ぎないこと、また背景にはアングロサクソンの優越とその優生学の冷酷さへの反発もあることを、きちんと自覚していました。にもかかわらず、『宇宙的人種』自体は、実にけったいなものです。

「人類史は今日にいたるまで、四つの支配的な人種の交代を経てきた。最初に黒人種が南方にレムリアと呼ばれる文明を築き、次いで、今日アメリカ原住民と呼ばれる赤い膚の人々がアトランティス文明を築き、次いで黄色人種が中華帝国を築き、そして今日、ヨーロッパから拡大した白人種が世界を牛耳っている。人類史に組み込まれた神の計画によって、第四の支配的人種である白人種は、第五の全世界的な人種、宇宙的人種に続く架け橋としての役割を負っている。そして、この宇宙的人種を生み出すために、ラテンアメリカは重大な使命を帯びた地域なのである。」

 のっけから、これです(ちなみに「アメリカ先住民=アトランティスの末裔」説は、1550年頃、スペインの歴史家デ・ゴマラが最初に提唱した)。
 この「第五の人種、宇宙的人種」は混血によって産み出される。過去の人種間交配は物質的な力によって強制されたものだったが、これからは混血は愛によって起こるのであり、愛によって生まれた子供たちは旧世代より進化するだろう、という理屈です。

「生物体の生命力は接ぎ木することによって更新されるものだし、魂そのものが自分の固有の内容の単調さをより賑やかにするため自分と似ていないものを求めるというのは確かなことだ。暴力によるものでなく、必要によるのでもなく、美がもたらす眩惑に基礎を持ち、愛のパトスによって確認される選択によって実現される混血がどういう結果をもたらすものであるか、将来長きにわたる経験だけが明らかにしてくれよう。」

 混血こそ是とする思想は他のラテンアメリカ諸国にも輸出され、ラテンアメリカ全土が「混血の大陸」と化しました。アルゼンチンとウルグアイは元々先住民が少なかった上に黒人奴隷もあまり使われなかったので、国民のほとんどは白人移民の子孫です。これらの国までも「混血の国」「混血の文化」を標榜するようになり、現在に至っているわけです。
 この美しい理想によって、混血や先住民の窮状が覆い隠されてしまったのは確かであり、過大評価は禁物です。バスコンセロス本人も、先住民や黒人の境遇や文化にはまったく無関心でした。彼が称揚した「混血の文化」にしても、実態はありませんでした。
 *「人種間の混血」も「文化の混血」も確かに存在しましたが、社会は「白人」と「先住民」に二分割され、混血の人々はそのどちらかに属するか、あぶれて都市の住民となるかであり、「混血」という階層もしくは共同体は存在せず、したがって彼ら独自の文化と呼べるものも存在しなかった。

 しかし、まやかしに過ぎなくても、「不適者廃絶」よりは遥かにマシなのは事実です。「混血の文化」と呼べるものが存在しなかったので、バスコンセロスはそれを創り出すことにしました。そうしてメキシコ壁画運動(リベラ、オロスコ、シケイロスら)が創始され、間接的にはフリーダ・カーロも誕生しました。

 ホセ・バスコンセロスという人物が興味深いのは、「混血の理論」の功罪によってではなく、本人がひたすら変な人だからです。メキシコ壁画運動を提唱した際、彼が想定していたのはパルテノン神殿とかゴシック教会とかルネサンスの大壁画などでした。出てきたのは、荒々しい原色の「革命芸術」です。しかしバスコンセロスの目には、それが自分の思い描いたとおりの芸術だと映っていたらしい。変な人です。
 あまりに変な人なので、『グアルディア』にはホセ・ルイス・バスコンセロスというキャラクターを登場させました。彼の説く理想が多数の人々に共有されることによって自己増殖的にどんどん変貌を遂げていくのですが、彼自身の目には変貌に見えず、己の理想がそのまま実現しつつあると映る、という人物です。文部大臣バスコンセロスをそのままモデルにしたわけではありませんが、彼への敬意から、非常に悲惨な最期を遂げさせました。

『ラ・イストリア』の終盤では、登場人物の一人が、ウイルスによる遺伝子の混淆を、新たなる進化、『宇宙的人種』の実現、と評します。ただしこのキャラクターは、人を人とも思っていない人でなしで嘘つきであり、己の発言などまったく信じていないのですが。私自身としても、何億もの人間が死ぬような状況を作り出しておいて、「新たなる進化への産みの苦しみ」などと御託を述べるようなメンタリティは持ち合せていません。

 なお、ホセ・バスコンセロスの論文「ラサ・コスミカ」の邦訳は二つ出ていますが、どちらも抄訳です。私が作品の参考にし、講座でも引用したのはこちらです。

「宇宙的人種」 高橋均・訳 (『現代思想臨時増刊 総特集 ラテンアメリカ 増殖するモニュメント』1988)

 こちらは抄訳といっても、優生学についての解説部分を省略しただけで、後は忠実に訳しているようです。一方、

「地球人」 (『現代ラテンアメリカ思想の先駆者たち』 レオポルド・セア篇 小林一宏/三橋利光・訳 刀水書房 2002)

 のほうは、「ラサ・コスミカ La raza cósmica」(razaはrace人種で、cósmicaはcosmic)というタイトルを「地球人」というふつーのタイトルにしていることから察せられるように、「ラサ・コスミカ」の「いかれた」部分をすべて削除または修正した「お行儀のよい」改訳です。

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