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SF乱学講座3

 Ⅳ なぜ、このようなことが起きるのか
 バスコンセロスやボグダーノフは「偉大なる奇人」であり、その奇説は是非を超えて興味深いものです。しかし大概の「科学」の名を冠した奇説は、提唱者や信奉者のコンプレックスに支えられた卑小なものに過ぎません。
「我々」はそうした科学の装いをした奇説を「疑似科学」と呼び、勢力が弱ければ無視するか、おもしろおかしく観察し、勢力が強まってくれば「正統科学」を阻害する有害なものと見做しがちです。しかし、何をもって「正統科学」とするのでしょうか。

 社会政策に「科学」が持ち出されると、たいがい碌な結果になりません。疑似科学と片付けてしまうのは簡単ですが、それでは問題の所在は明らかにされません。それらはその時代、その社会に於いて「正統」科学とされていただけではなく、現在まで続く「正統」科学の系譜上にあるものも少なくありません。優生学も、遺伝学との境界線は不明確です(近年、遺伝子操作技術の発達によって優生学は復活しつつある)。

 科学が体制に利用される例としては、技術のみの場合と知見や理論の場合があります。前者については、その是非は倫理の問題なので、今回は取り上げません。後者の場合、それは広い意味での生物学に限られます。
(広義の)生物学は、なぜ体制に利用されやすいのか。やはり人間の心理や生活に直接関わってくる分野だからでしょう。また、生物学的な用語はメタファーとして解りやすく、直接感情に訴え掛けます。「遺伝子(DNA)」(「ものづくり遺伝子」みたいな)、「進化」(新製品が出ると「○○は進化した」みたいな)、「弱肉強食」「生存闘争」など。大衆を最初に病原菌に喩えた人物は、かのパスツールだそうです(近代微生物学の創始者。フランス議会に立候補したこともある保守主義者だった)。自然科学のほかの分野の用語では、こうはいきません。

 人間の行動や心理を天体や素粒子や海流や鉱物に喩えた言説があっても、それが喩えだと解らない人はいませんが、生物学用語を使った喩えだと、多くの人があたかも「真実」であるかのように錯覚してしまいがちです。その比喩を使った本人ですら、比喩でなく「真実」を述べているつもりである場合も少なくないでしょう。
 たとえば、分子の振る舞いの法則を、これは「宇宙の法則」なのだから人間の行動にも当て嵌められる、などといって規則やら政策やらを考案する人がいても、敬服して従う人はいません。いわゆる学のない人でも、直観的に「それは変だ」と思います。
 ところが「身近」である生き物の話になると、こうした直観は働きにくくなります。動植物の生態を観察して「生存闘争」という法則を見出した人々が、「自然の法則」だからとかなんとか言って人間の行動に適用しても、疑いを抱く人はほとんどいませんでした(先に述べたとおり、ロシアやシベリアの環境を観察した人々は違う法則を見出したわけだが)。現在でさえ、その理屈に納得させられてしまう人は少なくないでしょう。

 また(広義の)生物学は、間接的な検証しかできない理論が少なくありません(最たるものは進化論)。実験も手法や結果の解釈が研究者次第である要素が大きい。研究者の予断が入り込み易く、しかもその予断は研究者の価値観を(自覚の有無にかかわらず)反映し易い。
 *米国のサミュエル・モートンが1830-40年代に行った頭蓋骨計測:計測や得られた数値自体にごまかしは行われなかったと思われる。明白なごまかしが行われたのは、サンプルや数値の選択。たとえば、公表された黒人の「平均値」はピグミーの女性たちから、コーカソイドの「平均値」はイギリス人男性たちから得たものだった。

 最新の実験報告などを読んでも、「それは本当に有意な結果なのか」と突っ込みたくなるものが少なくありません。
 *パーシンガーの「神の機械」(1980年代後半~):左側頭葉に起因する癲癇発作は神秘体験を伴うという古くからの知見から、健常者の左側頭葉を低出力の電磁波で刺激する実験。発表された論文によれば、被験者の40%が「ある存在」を感知したという。
『脳のなかの幽霊』の著者ラマチャンドランも、この論文を根拠の一つとして左側頭葉を神秘体験の基盤としている。しかしパーシンガーの助手によると、被験者たちが感知した「ある存在」とは、「なんとなく誰かに見られているような感じ」という曖昧なものであり、それが霊的な存在だと証言した人は一人もいなかったという(被験者たちは実際にパーシンガーらに「見張られていた」のだから、そういう感じがしたのも当然である)。

 *多くの研究者に「人間の物真似能力の証拠」として引用されている実験:生後数分の新生児は、大人が口を開けたり舌を突き出したりするのを真似る(アンドリュー・メルツォフとキース・ムーア、1997)。
 検証実験では、幼児が確実に大人の真似をするのは舌の突き出しだけだった。実のところ、幼児は誰かの真似ではなく自発的に舌を突き出したり口を開けたりするのである。幼児は口に対象物を入れて調べようとし、対象物を摑んで口に持っていくという行動ができるようになるまでは、舌を突き出して舐めようとする。そして、大人が舌を突き出す行動にも興味を示す。手を伸ばしてものに触れることができるようになる生後数ヵ月には、舌を突き出す行動そのものが消える。

「新しい理論が受け入れられるのは、それが優れているからではない。時代の通念にどれだけ合致しているかだ。」 (ピーター・J・ボウラー)

 ダーウィンと同時代のフランス人植物学者サポルタは、顕花植物と昆虫が「共に進化」(共進化)したという説を提唱しました。ダーウィンは一度はこの説に賛同したものの、結局は退けました。「共に進化する」という概念が、「生存闘争」のドグマにそぐわなかったためです。
 サポルタの説は忘れ去られ、20世紀初頭にアメリカの古生物学者ワートマンが再発見しましたが、彼もまた学界から無視されました。

 先に述べたように、「共生」の概念は1873年にドイツで、「共生発生」は19世紀末か20世紀初頭頃にロシアで提唱されましたが、1960年代にリン・マーギュリスが「再発見」するまで、共生発生はもとより、共生そのものの研究が停滞していました。
 これは、微生物とは共存するものではなく駆逐するものであるという考えが支配的であったこと、「共生」という概念は「みんなで仲良く助け合う」観念論として「共産主義的」もしくは「女性的」と見做され忌避されてきたことによります。

「正統」科学が時代の通念に左右された近年の例としては、「閾下知覚」もあります。
 1957年のサブリミナル広告の衝撃によって、「西側諸国」では閾下知覚の存在を認めない風潮が、一般人だけでなく研究者の間にまで広がりました。そんなものは存在しないから他人を操ることなどできません、という理屈です。その結果、意識に関する研究自体が、1960年代を通して下火になりました。

 科学の理論や実験結果は、検証可能なものでなければなりません。直接の検証が不可能であっても、間接的に検証できるものでなければなりません。「事実」と呼ばれるものには二種類あって、一つは解釈次第で、すなわち個々人の主観によって変わり得るもの。もう一つは解釈次第で変わり得ないもの。科学(自然科学)が提示するのは、後者の「事実」です。
 しかし人間の認識能力というのは、とことん主観的にできています。時間や距離が主観によって伸び縮みするように、体験は主観と切り離せません。たとえば、情動と結び付いた経験、すなわち主観的な経験のほうが記憶に残りやすい。
 あるいは、「娘か老婆か?」の絵を若い女性と見るのは若い人に多い。年配の人はその逆。こうした錯視は無意識によるものですが、その人のバックグラウンドと結び付いています。知識とそれを知る主体を切り離すことはできません。
つまり、人間が客観的になることは非常に難しい、ひょっとしたら不可能だとも言える、ということです。
 
 人間が一度に把握できるのは7±2個までだそうで、それ以上たくさんのものは、まとまりとして捉えます。それよって人間は膨大な数量の事物を把握できるのですが、まとまりとして捉えるには、なんらかの法則性を見出す必要があります。
 法則性の発見、そして情報を重要度によって取捨選択することは、人間の認知能力の基盤です。人間の脳に入ってくる情報は、意識に上る情報の100万倍かそれ以上で、それだけの情報が無意識のうちに捨てられていることになります。この情報の取捨選択や法則性の追求は、意識的にも行われています。
 対象に法則性を見出そうとすることは、単純化することでもあります。人間は事象に対し、「単純すなわち解り易い意味」を求めるのです。なんらかの事件を、「解り易いお話」として理解したがるのもその一環です。意味のあるものとして説明が付けば、それだけで安心できるのです。

 生物学が社会政策に適用されがちである根本的な原因は、進化=進歩という誤解に求められるでしょう。進化の法則とは進歩の法則であるから、社会の進歩にも適用できるはずだ、となるわけです。そして極言すれば、進化=進歩という誤解は、何事にも意味や目的を見出そうとする人間の認知能力に根ざしているということになります。

 進化の本質は、「進化に目的はない」。生物は偶々生き残り、偶々子孫を残します。主たる要因となるのが環境なので、結果的に環境に適応した種となっていくのであって、「環境に適応しよう」と努力しているわけではない。「目的がない」というのはそういうことです。しかし人間は意味のないもの、目的のないものに、生得的に耐えられないのです。

 つまり人間の認知能力は科学にとことん向かない、ということになります。真の客観性というものを獲得できないし、意味のないものに意味を見出そうとする。あるいは、「客観的であらねばならない、意味のないものに意味を見出してはならない」と思い込むあまり、生体の機能を見落とすこともあります。
 *白血球の食作用。当初、「目的論的」として相手にされなかった。提唱者のメチニコフが後進国ロシアの出身で病理学の専門家でなかったことへの偏見もあった。

 また、事象に対して「簡潔な法則」を見出そうとする性向から、「真理」というのは一言でずばりと言い表わせるものだと本能的に思っているので、煩雑な検証の必要もなかなか理解できない。すなわち、人間は生得的に「科学」に向かない、と言えます。
 もちろん、生得的だからといって、それが正しいということにはならないのは、言うまでもありませんが。

 ところで、ここまで「科学」というのは、検証可能なもの、解釈次第で変化するようなものではない事実であることを前提として話してきました。しかし、現実の社会に於ける「科学」という語は、もっと曖昧な使われ方をしています。

「科学が客観的営みであり「正しい科学者」というのは偏見のない心でデータに向かうことができる、というのは神話である。
 科学は人間が行わなければならない営みであり、それゆえ深く社会に根ざした活動である。科学は予感や直感、洞察力によって進歩する。科学が時代とともに変化するのは大部分が絶対的真理へ近づくからではなく、科学に大きな影響を及ぼす文化的脈絡が変化するからである。事実とは純粋で無垢な情報の部分ではない。文化もまた、我々が何を見るか、どのように見るかに影響を与える。さらに、理論というのは事実からの冷厳な帰納ではない。最も創造的な理論は、しばしば事実の上に創造的直感が付け加わったものであり、その想像力の源もまた強く文化的なものである。」
 (スティーヴン・J・グールド)

「自然科学」だけに絞っても、社会に於ける在り方はグールドが述べるとおりのものです。
「科学」というものの定義はさておき、一方の極には「科学とは純粋に客観的なもの」とする人たちがいて、もう一方の極には「科学とは相対的なものであり、主義や信念の一種でしかない」という人たちがいて、その間に、科学についてそこまで確固たる考えを持っていない人たちが大勢いる、というのが現代の状況であると思います。
 私自身は、科学すなわち自然科学には客観性と検証が必要だと思っています。真の客観性がなくても重要な発見や発明は可能ですが、長期的には、信念に固執することで新たな発見や発明が阻害されてしまいます。

 しかし、この客観性と検証を必要とする科学という営みは、人間には生得的に向かないものだということを念頭に置いておかないと、「自分は真に客観的である」という思い込みに陥りかねません。さらには、科学に検証が必要だということを理解していない人たちとの断絶も大きくなるばかりです。
 そういう人たちにとって、「科学的に証明された」という表現は「自分が信じたいもの」へのお墨付きとして有効であるに過ぎません。証拠を挙げたり検証らしきことをするのは、そのほうが恰好がつくからというだけです。そういう人たちに、「科学的に間違っている」「効果がないことが科学的に証明された」と指摘しても通じません。どう間違っているかの説明も無意味です。本気で反証したいなら、まず科学は信念ではないことや検証の意味を理解させるところから始めるべきでしょう。
 創造論が「正統科学」と並立する「もう一つの科学」だという主張が罷り通るのも、科学が主義や信念の一種であり、他と並立または順位づけできるものだと多くの人(創造論支持者でなくても)が見做しているからです。

 こうした状況を、私は大いに憂慮しています。なぜかといえば、科学が衰退したり、「自然の法則」が社会政策に適用されて弱者が切り捨てられるようなことになるのも心配ですが、それ以前の問題として、科学が主義や信念の一つに過ぎず、検証は必要ない、ということになってしまえば、坑道のカナリアではありませんが、まず真っ先にSFが衰退してしまうだろうと思っているからです。
 SFは考証が命です。よい意味での荒唐無稽さは大切だし、「正統科学」に忠実でいる必要もない。裾野は大いに広げるべきです。しかし考証に支えられた強固な土台がなければ、支離滅裂だったりスカスカの薄っぺらだったりする作品ばかりになってしまいます。SFはSFではなくなってしまいます。そういう事態を、私は大いに憂慮しております。

余談
 現在進行形の「政治と科学の癒合」例。

・人類の起源
 聖書に基づけば人類は単一の起源を持つことになる。この場合、有色人種は完全な人間であるアダムとイヴの段階から「退化」したのだとされる。これに対し、すでに18世紀から、人種はそれぞれ別個に創造されたという多起源説も唱えられていた。有色人種は、白人種より劣った「異種生物」というわけである。進化論登場以降は、それぞれの人種はホモ・エレクトスあたりの段階から、別個に進化してきたとされる。単一起源にしても多起源にしても、白人至上主義に基づいていたのには変わりない。
 現在、単起源説は「人類みな兄弟」的なノリになっているし、多起源説も各地の集団間で遺伝子の移動が頻繁にあったことを前提としており、各人種が原人の段階から別個に進化してきた「異種生物」だなどと唱える者はいない……はずだったのだが、昨今の中国では、中国人は北京原人から独自に進化した特別な人種だと主張する人々がいるそうである。
 *なお、北京原人は現生人類のモンゴロイドと同じく、「裏側がシャベル状に凹んだ門歯」を持っており、古くから多起源説の根拠とされてきた。

・最初のアメリカ人
近年、一部のアメリカ先住民が、自分たちの先祖は神話で述べられたとおりアメリカ大陸で誕生したのであって、ベーリング海峡を渡ってきたのではないと主張している。彼らはそう主張せざるを得ないほど追い込まれているわけだが、馬鹿馬鹿しいことに、それに同調した白人が「先住民の意思を尊重するために」移住説を否定している。

・幻想大陸
「レムリア」というのは、マダガスカルのキツネザルの近縁種が距離の近いアフリカではなく遠いインドにいるという謎の説明として、スクレーターという生物学者が1864年に想定した仮想の大陸。キツネザルの学名レムリアというのは、ローマ人が崇拝していた祖先の霊の名に基づく(命名者はリンネ)。キツネザルがマダガスカルの伝説で祖先の霊とされていたことに因む。この神秘的な名前が、ブラヴァツキー夫人ら神秘主義者に好まれた理由の一つかもしれない。
 それはともかく、早くも1873年、レムリアはインドに紹介された。1890年代末、レムリアはタミル人(ドラヴィダ語族の一つタミル語を話す人々)によって彼らの伝説の故国クワリッカンタムとされた。クワリッカンタムはインド洋にあった広大な国だったが、大洪水によって沈んだとされる。伝説が「西洋科学」によって裏付けられたわけである。
そして現在、タミル人5600万人が暮らすインド南端のタミルナードゥ州の公立学校の教科書には、クワリッカンタムすなわちレムリアは人類誕生の地であり、タミル人こそは人類の起源であり、その文明は人類文明の祖であるとタミル語で書かれている。

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