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SF乱学講座2

Ⅲ 『ミカイールの階梯』
 この作品で取り上げたのは、ソ連のルイセンコ学説とボグダーノフの『赤い星』です。しかしまずは、ソ連の優生学について。

 ソ連の優生学の興隆は、中南米と同じく1920年代です。帝政ロシア以来のまっとうな学問を受け継いだ研究者たちはメンデル遺伝学を支持していたのですが、新体制はすでに述べたように、「努力によって進化=進歩する」獲得形質説を歓迎しました。
 しかし「メンデル主義」の優生学者たちも、不適者廃絶ではなく形質改良を目指した点では、体制と足並みが揃っていました。なんといってもソ連は元々人口密度が低い上に革命と内戦で人口が激減しており、断種などもってのほかだったからです。その上、1927年、アメリカの遺伝学者でソ連びいきのハーマン・J・マラーがⅩ線照射によってショウジョウバエを突然変異させたことが、メンデル主義者たちにも「形質改良」の希望を与えました。
 もっともX線照射による変異は明らかに有害なものが多かったため、多くの研究者たちは懐疑的でした。代わって有望視されたのが、発展しつつあった人工授精技術によって、「優秀な男性」の子を多くの女性に産ませるという「適者増産」計画でした。

 しかし1930年代に入ると、旧体制の学問や技術への排撃が始まります。排撃の理由は、彼らとその知識が「ブルジョワ的」だから、というものでした。根底にあったのは、体制は覆ったのに前時代の学者やテクノクラートが相変わらず重用されていることに対する不満でした。
 従来の正統な科学も「ブルジョワ科学」とされ、新たな「プロレタリア科学」を創始しなければならない、ということになりました。他の分野ではこの風潮(「プロレタリア物理」や「プロレタリア化学」を創造する)は長続きしなかったものの、生物学ではルイセンコ主義がメンデル遺伝学も優生学もまとめて駆逐してしまいました。

 ルイセンコ主義(ルイセンコ学説。ソ連での名称は「ミチューリン主義」)というのは、素人同然の品種改良家トロフィム・ルイセンコが提唱した出鱈目な獲得形質説で、もちろん「形質改良」を目指していました。目的を同じくする優生学が駆逐されてしまった理由は、必ずしもそれが「西側」からの輸入学問だったからではないでしょう。この言い掛かりに対し、ソ連の優生学者たちは、ゴールトンが「優生学」を初めて提唱した1883年よりずっと早い1866年に「人類の品種改良」を唱えたフローリンスキーなる人物の論文を「再発見」し、「優生学はロシア独自の学問である」と主張することで乗り切っています。

 ソ連優生学が滅亡した主な原因は二つ。一つは当時台頭しつつあったナチスの優生学への反感、もう一つは前述のマラーの暴走です。
 1932年にソ連に渡ったマラーは、「赤い薔薇色の未来」に目を眩まされ、現実がまったく見えていませんでした。彼の弟子や友人であるソ連の優生学者たちがくどいほど忠告してもまったく耳を貸さず、36年には自らの優生学思想がいかに素晴らしいかを書き綴った手紙をスターリンに直接送り付け、その年の12月のソ連農業科学アカデミーの総会ではルイセンコ主義を似非科学と罵倒しました。
 友人たちはマラーをソ連から脱出させましたが、彼ら自身は逮捕され、銃殺や獄死の末路を迎えました。かくして、ソ連の優生学は滅亡したのでした。

 ルイセンコの主張は、「小麦の種を冷やしておくと、形質が変異して冷害に強くなる(そしてその変異は遺伝する)」とか「雑草は、穀物が不適切な環境によって変異したもの(その根拠は、収穫した穀物に雑草が混じっていたから)」といった妄言でした。まともな研究者は「反動的」「ブルジョワ的」として葬り去り、成果が上がらなければ農民が非協力的だからだとして彼らを収容所送りにしました。
 そうして大勢が犠牲になった上に、ソ連の生物学は大いに衰退しました。しかし、ルイセンコ主義が適用されるのは農作物が中心であり、人間を含む動物の「形質改良」はほとんど試みられなかったようです。少なくとも人体実験の犠牲者というのはいなかったことになります。
 もしマラーが暴走していなければ、優生学は息の根を止められるまでは至らず、ルイセンコ主義に同化吸収されていたでしょう。そうなったら、Ⅹ線照射による形質改良の人体実験や人工授精による「適者増産」が国家規模で行われていたかもしれず、想像するだに恐ろしいことです。

『ミカイールの階梯』では、ダーウィニズムとメンデル遺伝学に基づいたバイオテクノロジー帝国が滅亡した反動で、創造論だけでなくルイセンコ主義も復活しています。信奉者はもちろんロシア人で、荒廃したロシアから脱出し、中央アジアにルイセンコ主義の共和国を建国しました。ウイルスによって遺伝子がどんどん変異していってしまうので、「環境次第で遺伝形質は一代で変わる」という主張が説得力を持った、というわけです。
 しかし物語の開始時点で、そのイデオロギーはすでに破綻しており、夢も希望もなくなっている状態です。
 
 実際、ルイセンコ主義はただのつまらない似非科学です。ルイセンコ自身も、頭が悪い上に教養もないコンプレックスの塊という卑小な人物。ルイセンコ主義がソ連の指導層や、一時的にでも大衆に受け入れられた理由の一つに、「専門家」に対して彼らが共有していた反感があります。そういうつまらないものが甚大な犠牲を生み出したから恐ろしい話ですが、とにかくルイセンコ本人とルイセンコ主義そのものはつまらない。
 しかしロシア・ソ連の科学史をもう少し遡ってみると、いろいろおもしろいことが見つかります。まず、ロシア人はダーウィンが大好きでした。
『種の起源』が出版された翌年、1860年には早くもその理論が紹介され、64年にロシア語版が出ると、たちまちベストセラーになりました。ダーウィニズムは実証主義、唯物主義、そして当然ながら進歩主義に合致しました。ロシアに創造論の伝統はなかったので、信心深い人々にとっても、それほど抵抗感はありませんでした(つまり、進化論とキリスト教は必ずしも併存できないものではない)。

 しかしロシアの進化主義者にとって、ダーウィンが用いた「生存闘争」「種内闘争」の概念は、非常に受け入れ難いものでした。これらは「狭い場所で多すぎる個体が限られた資源を奪い合う」という状況を前提としたもので、当時の西欧人は社会や自然をこのように見做していたから、共感をもって受け入れたのでした。
 一方ロシア人にとって、「人や動物がひしめく世界」というのは想像の限界を超えていました。ロシアやシベリアの、だだっ広くて人もほかの生物もほとんどいない平原を想像してみてください。
 また彼らは保守派だろうと急進派だろうと、ロシアの共同体を讃美していたから、「生存闘争」「種内闘争」から導き出される個人主義の冷酷さに、感情的に反発しました。
 そこで彼らは「種内闘争」は、ダーウィン自身の思想ではなく、社会ダーウィニズムによる歪曲だと思うことにしました。「生存闘争」については、闘う相手は環境だということになりました。進化とは、同じ種同士、さらには異なる種とも協力し合って過酷な環境と戦うことによってもたらされるものだという論を展開し、それこそが真のダーウィニズムだと主張しました。
 このロシア・ダーウィニズムの粋と言えるのが、ピョートル・クロポトキンの『相互扶助論』(1902 邦訳は大杉栄による訳のほか、その現代語訳もあり)です。クロポトキンはロシア帝室の一員でありながら無政府主義者で、「アナーキストの貴公子」と呼ばれ、「相互扶助論」も共産主義・集団主義思想の産物と見做されています。しかし彼は博物学者として優れた実績を残しており、「相互扶助論」も若い頃に参加したシベリア探検での自然観察と、当時のロシア・ダーウィニズムの潮流に根ざしたものでした。

 それにしても、なぜロシア人たちがダーウィニズムそのものを見捨てなかったのかは不明。欧米の学問や思想がことごとく否定された1930年代~50年代ですら、ダーウィニズムは正統なものとされ、権威とされました。ルイセンコも自らを真のダーウィニストと称していました。これは大いなる謎です。

 相互扶助という概念から、「共生」の研究も発展しました。「共生」とは、ドイツの植物学者アントン・ド・バリが1873年に創出した用語で、異種の生物同士が一緒に生活することを示す。リン・マーギュリス以前の共生の研究史については、資料がほとんど見つからなかったので、詳しいことはわからないのですが、共生発生すなわち共生による新しい器官や新種の誕生を最初に提唱したのは、コンスタンティン・メレシコフスキー(1855-1921)です。
 また、乳酸菌を腸内で増やせば老化を防げると説き、「ヨーグルトの伝道者」と呼ばれたイリア・メチニコフ(1845-1916)も、共生研究の代表者の一人と言っていいでしょう。

 環境との闘争、相互扶助や共生による進化、という概念は、イデオロギーである集団主義と同じく、ロシア・シベリアの自然から生まれたものです。これらを統合したのが、レーニンのライバルであったボグダーノフという人物でした。
 ボグダーノフは1917年の革命以前に政争に敗れ、政治の表舞台からは退いてしまうのですが、その後も研究や著述を続けていました。小説も二つ書いています。1908年の『赤い星』と13年の続編『技師メンニ』です(「技師メンニ」のほうは1979年に出版された創元推理文庫『ロシア・ソビエトSF傑作集 上』に所収。『赤い星』のほうは1926年に新潮社から大宅荘一の訳が出ていて、国会図書館で読める)。

『赤い星』は、地球人より進化した火星人が、地球人を啓蒙すべく、「最も進歩した国家」であるロシアの社会主義革命家レオニードを火星に連れていく、という筋。火星人は地球人より進化しているので、当然ながら完全な集団主義社会が実現しています。しかも火星人たちは互いに血液交換を行うことで、「生命の更新」を行い、不老長寿をも実現しています(生殖を「原形質の融合による生命の更新」と定義し、それを血液交換によって行おう、という理屈らしい)。これによって、人間の形質の均質化も行われている、というわけです。
 しかし火星は完全なユートピア社会ではありません。なぜなら、科学と社会の進歩によって人口が増えすぎ、資源が枯渇し、環境破壊も進んでいるからです。しかし産児制限も環境保護も省エネも、自然に屈することになるので選択し得ない。むしろ、資源枯渇や環境破壊という苦難は、人間の進化を促進させる自然との闘争である、ということらしいです。

 ソ連が環境破壊にまったく無頓着だったのは、この「環境破壊は自然との闘争の一環であり、進化・進歩の証」という考えが根底にあったからだと思われます。
 なおボグダーノフは、「血液交換による生命の更新」を本気で実現可能だと考えており、輸血研究所を建てて血液交換実験に没頭し、ついには自ら実験台となり、1928年に血液型不適合によって死んでしまいます。

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