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近況

 ちと忙しくてブログの更新ができませんが、とりあえずかなり元気です。

 それでは皆さま、よいお年をー。

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参考文献録

『真夜中の子供たち』 サルマン・ラシュディ 寺門泰彦・訳 早川書房 1989(1981)
Midnight’s children
 今回、参考文献として読んでいる小説の条件は、①「東アジア以外の作家による」、②「近代以前の中国北西部~中東が舞台の歴史小説」もしくは「近代以降の中国北西部~中東が舞台の幻想小説」もしくは「近似の異世界が舞台のファンタジーやSF」なので、いくら主人公がムスリムでもインド‐パキスタンは地理的条件から少々外れる。それ以上に、ラシュディ作品はなんというか読んでしまうのがもったいなかったので避けていたのである(『ハルーンとお話の海』は読んだけど)。

 しかし読むものがなくなってしまったので、とうとう読む。いや、もしかしたら上記の条件で読んだ本の中では一番おもしろかったかもしれん。けどやっぱり、インドはインド以外の何ものでもないな……
 イスラム的要素が占める割合はかなり大きいし、特に『千夜一夜』のイメージがしばしば持ち出されていて、もしかしたら欧米人にとってはインドも中東・中央アジアも一緒だということなのかもしらんが、一応東洋史研究者だった日本人にとっては、これらははっきり区別されるべきものである。

 イスラム的要素にしても、なんというかすっかりインド化している。そして本書で描かれるイスラムを包含したインドは、イスラムについて描かれないインドよりも一層混沌として豊かだ。
 印象としては、『スラムドッグ$ミリオネア』に非常に近かった。インドの凄まじい混沌や疾走感だけはなく、宗教の混淆が端的に描かれているところが。『スラムドッグ』の主人公はムスリムの少年で、母をヒンドゥー教徒たちに殺された直後、スラムの路地でシヴァ神を幻視する。『真夜中の子供たち』のインドも、そういうインドである。

『スラムドッグ$ミリオネア』感想

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マチェーテ

 映画鑑賞する精神的余裕が足りない状態なのだが、『プラネット・テラー』の嘘予告の時から楽しみにしていたこれは観ないわけにはいかないのである。一応ネタバレ注意。

 タランティーノは良くも悪くも映画オタクだが、ロバート・ロドリゲスは熱狂的な映画(B級)ファンではあるものの良くも悪くもオタクではない。タランティーノが他者からすればどうでもいいこだわりで作品全体の構成を損ないがちなのに対し、ロドリゲスはB級的な思い付きを盛り込むだけ盛り込んで追求はしないので、アイディア倒れに終わりがちである。
 本作も、その場限りの思い付き以外の何ものでもない嘘予告から始まった企画なのだが、にもかかわらず、すべての思い付き(の大部分)が最後まできちんと機能している。『プラネット・テラー』と同じく意図的にB級な作りにしてあるものの、『プラネット・テラー』と違ってやり過ぎ感はなく、脚本も実は結構先の読めない展開となっている上に破綻がない。そして何より、ダニー・トレホの魁偉にして特異な風貌を余すところなく活かしている。紛れもなくロドリゲスの最高傑作だ。やればできるんじゃん。

 わざわざ『プラネット・テラー』をレンタルして嘘予告を確認する気はないのでしないが、嘘予告と同じ構図の画が幾つもあったのには感心した。ダニー・トレホがプールで裸の白人女二人と戯れてたり(まさかそれをリンジー・ローハンにやらせるとは)、大勢のメキシコ人と共にマチェーテを振り上げて気勢を上げてたり。機関砲付きのバイクで爆発を背に大ジャンプ、もあった気がする。
「メキシコ人を舐めるな」の台詞も入っていたが、惜しむらくは嘘予告で一番ツボに嵌まった「メキシコ人不法労働者のくせに連邦主義者だと!?」という意味不明な台詞が削られていたことである。まあ意味不明すぎて使えなかったんだろうな。

 とにかく、これまでのロドリゲス作品と違って、無駄がないのが素晴らしい。例えば、罠に嵌められ負傷したマチェーテは、不法移民専門の闇医者の許に担ぎ込まれる。闇医者がお色気ナース相手に、腸は身長の何倍あるとか蘊蓄を傾けている。タランティーノ作品の如くその後の展開になんの関係のないただの蘊蓄かと思いきや、直後に追手との乱闘に突入し、驚くなかれ、マチェーテは悪党の一人の腹を搔っ捌いて腸を引き摺り出し、ロープ代わりにして窓から脱出するのである。
 あるいは、ジェシカ・アルバ演じる連邦捜査官が、現場なのにピンヒールを履いている。現場なのにピンヒールか、と思っていると、ちゃんとピンヒールを武器に使ったアクションシーンが用意されているのである(それ1回きりなんだけど)。

 ロバート・デ・ニーロが悪役なのは珍しくもなんともないが、大物に見せかけて実は小物というのは珍しい。追い詰められて馬脚を現しオロオロする場面を、実に嬉しそうに演じていた。
 真の黒幕は、悪役に初挑戦のスティーヴン・セガール。貫禄は充分だったが、デ・ニーロとの共演シーンはなく、もしあったらどうなっていただろうかと気になる。貫禄負けしてしまうか、あるいはデ・ニーロが小物演技に徹するか……
 メキシコの麻薬王役で、どうやらメキシコ人という設定のようだったが、「ファンサービス」で武器は日本刀というか長ドス。きっとこだわりがあって長ドスなんじゃなくて、なんにも考えてないからなんだろうな。ロドリゲスだし。なんか土産物屋で売ってそうなちゃちい奴だったし。
 それでも腐ってもセガール、堂に入ってました。ほんのちょっとだけだが合気道のアクションもあり、最後には切腹までしてくれる大サービスなのでした。スティーヴン・セガールを知らない観客にはまったく意味不明なのであるが。

 アメリカ人の友人を横浜観光に連れて行ったついでの鑑賞であったが、アングロサクソン系、一応プロテスタント、ロバート・ロドリゲスは名前しか知らない彼女も、なかなか喜んでいましたよ。

 今回も音楽は監督自身のバンドCHINGONであった。オクタビオ・パス(『孤独の迷宮』)によれば、この語はメキシコの国民性(マチスモ)を最も端的に表しており、意味するところは「強姦野郎」である。

『プラネット・テラー』感想

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