マチェーテ
映画鑑賞する精神的余裕が足りない状態なのだが、『プラネット・テラー』の嘘予告の時から楽しみにしていたこれは観ないわけにはいかないのである。一応ネタバレ注意。
タランティーノは良くも悪くも映画オタクだが、ロバート・ロドリゲスは熱狂的な映画(B級)ファンではあるものの良くも悪くもオタクではない。タランティーノが他者からすればどうでもいいこだわりで作品全体の構成を損ないがちなのに対し、ロドリゲスはB級的な思い付きを盛り込むだけ盛り込んで追求はしないので、アイディア倒れに終わりがちである。
本作も、その場限りの思い付き以外の何ものでもない嘘予告から始まった企画なのだが、にもかかわらず、すべての思い付き(の大部分)が最後まできちんと機能している。『プラネット・テラー』と同じく意図的にB級な作りにしてあるものの、『プラネット・テラー』と違ってやり過ぎ感はなく、脚本も実は結構先の読めない展開となっている上に破綻がない。そして何より、ダニー・トレホの魁偉にして特異な風貌を余すところなく活かしている。紛れもなくロドリゲスの最高傑作だ。やればできるんじゃん。
わざわざ『プラネット・テラー』をレンタルして嘘予告を確認する気はないのでしないが、嘘予告と同じ構図の画が幾つもあったのには感心した。ダニー・トレホがプールで裸の白人女二人と戯れてたり(まさかそれをリンジー・ローハンにやらせるとは)、大勢のメキシコ人と共にマチェーテを振り上げて気勢を上げてたり。機関砲付きのバイクで爆発を背に大ジャンプ、もあった気がする。
「メキシコ人を舐めるな」の台詞も入っていたが、惜しむらくは嘘予告で一番ツボに嵌まった「メキシコ人不法労働者のくせに連邦主義者だと!?」という意味不明な台詞が削られていたことである。まあ意味不明すぎて使えなかったんだろうな。
とにかく、これまでのロドリゲス作品と違って、無駄がないのが素晴らしい。例えば、罠に嵌められ負傷したマチェーテは、不法移民専門の闇医者の許に担ぎ込まれる。闇医者がお色気ナース相手に、腸は身長の何倍あるとか蘊蓄を傾けている。タランティーノ作品の如くその後の展開になんの関係のないただの蘊蓄かと思いきや、直後に追手との乱闘に突入し、驚くなかれ、マチェーテは悪党の一人の腹を搔っ捌いて腸を引き摺り出し、ロープ代わりにして窓から脱出するのである。
あるいは、ジェシカ・アルバ演じる連邦捜査官が、現場なのにピンヒールを履いている。現場なのにピンヒールか、と思っていると、ちゃんとピンヒールを武器に使ったアクションシーンが用意されているのである(それ1回きりなんだけど)。
ロバート・デ・ニーロが悪役なのは珍しくもなんともないが、大物に見せかけて実は小物というのは珍しい。追い詰められて馬脚を現しオロオロする場面を、実に嬉しそうに演じていた。
真の黒幕は、悪役に初挑戦のスティーヴン・セガール。貫禄は充分だったが、デ・ニーロとの共演シーンはなく、もしあったらどうなっていただろうかと気になる。貫禄負けしてしまうか、あるいはデ・ニーロが小物演技に徹するか……
メキシコの麻薬王役で、どうやらメキシコ人という設定のようだったが、「ファンサービス」で武器は日本刀というか長ドス。きっとこだわりがあって長ドスなんじゃなくて、なんにも考えてないからなんだろうな。ロドリゲスだし。なんか土産物屋で売ってそうなちゃちい奴だったし。
それでも腐ってもセガール、堂に入ってました。ほんのちょっとだけだが合気道のアクションもあり、最後には切腹までしてくれる大サービスなのでした。スティーヴン・セガールを知らない観客にはまったく意味不明なのであるが。
アメリカ人の友人を横浜観光に連れて行ったついでの鑑賞であったが、アングロサクソン系、一応プロテスタント、ロバート・ロドリゲスは名前しか知らない彼女も、なかなか喜んでいましたよ。
今回も音楽は監督自身のバンドCHINGONであった。オクタビオ・パス(『孤独の迷宮』)によれば、この語はメキシコの国民性(マチスモ)を最も端的に表しており、意味するところは「強姦野郎」である。
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