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ライフ・イズ・ミラクル

 クストリッツァ監督作品。これまで観た彼の作品(『アンダーグラウンド』と『パパは出張中』だけだが)以上に、全編に流れる音楽(BGMばかりではなく、劇中で演奏されてたり、ラジオから流れてきたりする)が素晴らしい。動物も芸達者で素晴らしい。あれは専属のトレーナーが何人ついていたのであろうか。風景も素晴らしく美しい。
 これまでのクストリッツァ作品のテーマ(?)である「非常時であろうとなかろうと、人間はしょうもない」も、とことんまで追求されている。主人公の妻は、内戦が始まり息子が召集されたその日に怪しいハンガリー人の音楽家と手と手を取り合って逃げ、主人公は主人公で捕虜となったムスリム女性と恋に落ちる。もはや何も言うことはない。素晴らしい。

 ところで、『アンダーグラウンド』の時、なんでこの人たちはこんなに血の気が多いんだろうと訝ったものだが、今回、市長が公用車の中で朝食と称して脂でぎとぎとの大きな関節の骨(羊だろうか)からスプーンで直接骨髄を掬って食べているのを目にして納得した。そら血の気も多くなるわな。

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千と千尋の神隠し

 再鑑賞。劇場で観て以来だから、ほぼ10年振りか。
 これの前の宮崎作品が『もののけ姫』で、物語やテーマが非常にかっちりしていたのもあって、『千と千尋』を初めて観た時は、物語性が希薄なことにえらく戸惑った覚えがある。
 で、その後、宮崎作品はまず「絵と動き」ありで、物語は枠でしかないということを悟ったわけだが、こうして見直してみると、『千と千尋』は『ハウルの動く城』や『崖の上のポニョ』に比べれば、まだしも物語がきちんとあるのだな。

 まあ、物語というよりは、「民話」の決まり事に忠実、といったほうが正確か。民話は教訓付きであるものが多く、『千と千尋』にも教訓があるように見えるけど、実は教訓ではない。宮崎監督のインタビューなんかだと、教訓だということを言ってるけど、この人の発言はあんまり当てにしないほうがいい。
『千と千尋』は、「違う世界には違うルールがある」という話だ。実は民話の中でも不可思議な要素があるものは、本来はそういうものだったんじゃないかと思う。だから教訓的でない話、たとえば不条理だったり、主人公がずるをして得をするようなのも少なくない。一見、教訓的なものも、実は「ルール」の話だ。だからルールを破ってしまった者に対する罰は、「こちら側」の感覚からすると重すぎるほどに重い。

 千尋が入り込んでしまったのは、そういう「違うルール」に支配された世界だ。なぜそういうルールなのか、説明は一切ない。一見教訓的な要素もあるけど、実は教訓ではないので、すっきり割り切れず、ますますわけが解らないことになる。ま、カフカの世界だね。不条理なんじゃなくてルールが違っていて、主人公や我々にはそのルールが解らない、という。
 この「主人公(と我々)にはルールが解らない」という不安が、実によく表現されていると思う。わりあいとすぐに順応できる(湯屋で働き始めたあたり)んだけど、根本的なルールが「こちら側」と違っているから、次の瞬間何が起こるかわららない、という。いや、初回に観た時には「物語」ばかり追おうとしてしまって振り回されただけだったんだけどね。

「わりとすぐに順応できるけど、それは表面的なものに過ぎず、こちらが知っているルールとは根本的な部分で違っている」というところが非常にリアルだ。自分が属していない集団や共同体のルールって、大概そういうものである。
 ルールの違いを感じ取れないという人もいて、千尋の両親はそういう人々として描かれている。あの二人は「子供から見た大人」だ。大人のルールを、子供は理解できない。親というのは子供にあれこれ禁止したり強制したりするが、そのくせ自分たちは平気でルールを破ったりする(概ね人目のない場所でだが)。信号無視とか、立ち入り禁止の場所に入るとか、持ち出してはいけないものを持ち出すとか。あるいは、見るからにやばそうな場所に平気で入っていくとか。そういう時、子供は喜んで加担するよりもむしろ不安になり、親への信頼が揺らいだりするものだ。

『千と千尋』は、すべての宮崎作品(以後のものも含めて)の中で最も、そういう「言葉では説明しにくい漠然とした、しかし確かに存在する感覚」を絵と動きのみで表現できている。あと、ほかの宮崎作品の多くにも見られる「不潔さ」「乱雑さ」が最も際立ってもいるな。それらと関連するけど、またちょっと違う、ナウシカ、もののけ姫、ハウル等に見られる「ドロドロ感」も追及されている。

『アリエッティ』に欠けているのは、つまりこれら「言葉では説明しにくい感覚」なんだよな。

『借りぐらしのアリエッティ』感想

『崖の上のポニョ』感想

『ハウルの動く城』感想

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比較検証:『北人伝説』と『旅行記』

  マイケル・クライトンの隠れた傑作『北人伝説』を御存知だろうか。1976年刊行のこの作品は、十世紀初頭のアッバース朝使節イブン・ファドラーンの報告書の翻訳、という体裁を取る。いかにもアラビア語古写本の翻訳らしい堅苦しい本文に、クライトンの注釈が付く。

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 私がこれを読んだのは20代半ばだが、その時点では完全な創作なのか、それとも『報告書』は実在するのか、実在するとしたらクライトンはどの程度依拠したのか、皆目見当が付かなかった。
「まえがき」で述べられる手稿発見の経緯など如何にももっともらしいし、本文も注釈もどこまでも堅苦しい。それでいて展開される物語はヴァイキングと怪物との壮絶な戦いであり、「追記」では予想外すぎて馬鹿馬鹿しい落ちが、あくまで真面目腐って述べられる。駄目押しに巻末参考文献リストには、さりげなく『ネクロノミコン』――御丁寧にもH・P・ラブクラフトではなく――が紛れ込んでいる。そもそもEaters of the deadという原題からしてB級ホラー的だ。

 ひょっとしたら、というか、たぶんきっと、『北人伝説』の邦訳に関わった方々(邦訳者の乾氏、早川書房の編集諸氏、巻末解説の中村正軌氏)も御存知なかったのではないかという気がするのだが、実は『イブン・ファドラーンの報告書』は中世イスラムおよび東欧史研究者の間ではよく知られた史料なのであった。邦訳も出ている。
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 というわけで、『北人伝説』と『報告書』の邦訳を比較検証(単なる読み比べ)してみた。使用したテキストは、以下の三点である。

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 マイケル・クライトン 乾信一郎・訳 『北人伝説』 早川書房 1993
 イブン・ファドラーン 家島彦一・訳注 『ヴォルガ・ブルガール旅行記』 初版:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 1969/改訂版:平凡社 2009

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 家島氏による『ヴォルガ・ブルガール旅行記』(以下、『旅行記』と記す)は、1969年刊行の初版について言えば、訳注は非常に簡略なもので、訳文も解り易いとは言い難い。それに対し、2009年9月刊行の改訂版は、訳注、訳文は格段に充実し、巻末解説等も読者に親切なものとなっている。
 この比較検証は、2009年3月に一度行っているのだが、上述のとおり『旅行記』初版が不完全なもの(と言わざるを得ない)だったため、比較検証も不完全なものとならざるを得なかった。先日、改訂版を参考文献として読み、その後、時間に余裕ができたので(つまり一応脱稿したので)、比較検証も改訂してみようという気になった次第である。

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 なおアラビア語のカタカナ音写(固有名詞等)は、『旅行記』と『北人伝説』とでかなりの相違がある。『北人伝説』のほうは、アラビア語をラテン文字表記にしたものをクライトンが簡略にし、それをさらに邦訳者の乾氏(アラビア語をラテン文字やカタカナで音写する際の決まり事は御存知ではなかろう)が……という過程を経ているためである。本稿では、原則として『旅行記』の表記に従う。

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1 原典について
 アフマド・ブン・ファドラーン(ファドラーンの息子アフマド)、通称イブン・ファドラーンは、西暦921年にバグダードからヴォルガ川中流域のサカーリバ王国へ使節として派遣された。帰国後、彼は報告書を作成し、カリフに提出した。
 この『イブン・ファドラーンの報告書』はその後失われたが、後代の地理書に引用されているため、研究者たちにその存在を知られていた。

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 1922年、イランのマシュハドにある図書館で、三種類のイスラム地理書を合綴したものが発見された。その中の三番目のものが、『イブン・ファドラーンの報告書』だったのである。
 ただし、この新発見の写本(「マシュハド写本」と呼ばれる)は、イブン・ファドラーンがカリフに提出した『報告書』そのものではない。その要約版か、もしくは別個に作成された版と考えられる。というのは、一つには後代の複数の地理書に見られる引用の中には、この「マシュハド写本」とかなりの異同が見られること、またこの「マシュハド写本」には随所に「イブン・ファドラーンは語った」という文が見られ、つまりはこのテキストが報告書ではなく聞き書きとして作成されたものであることを示しているからだ。
 いずれにせよ、イブン・ファドラーンのサカーリバ王国行の記録には複数のヴァージョンがあったのは確かである。

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 以上は、家島氏の『ヴォルガ・ブルガール旅行記』の「はしがき」と巻末の「解説」に拠った。
 一方、クライトンも『北人伝説』の「まえがき」で、原典について詳述している。「実」への「虚」の混入は、すでにこの時点で始まっている。正確なのは、原典が失われ、後代の地理書の中の引用として知られてきたこと、その一つがヤークートの「アラビア語の地理辞典」(『諸国事典』)であること、くらいである。
 最大の嘘、というか仕掛けは、「マシュハド写本」が発見されなかったことにしている点だ。その代わり、1934年に中世ラテン語で書かれた写本がギリシアのクサイモス修道院で発見されたことになっている。
『北人伝説』(Eaters of the dead)は、この「クサイモス稿本」をノルウェーのペール・フラウス‐ドルス教授なる人物が翻訳したものに、クライトンが注釈を付けたもの、という体裁を取っているのであった。「クサイモス稿本」に先立って「発見」されたという幾つかのテキストについての記述も、クライトンの創作である。

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 なお、クライトンはイブン・ファドラーンを「アラブ人」としているが、マシュハド写本やヤークートの『諸国事典』によれば、彼はマウラー(被護民)であった。10世紀に於けるマウラーというのは、有力者とパトロン‐クライアント関係を結んだ者を指すが、伝統的に非アラブ系であるケースがほとんどで、したがってイブン・ファドラーンもアラブ人ではなかった可能性が高い。

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2 『北人伝説』と『旅行記』、各本文の比較(クライトンによる省略部分)
『旅行記』は、「マシュハド写本」を底本とし、テキストの損傷によって欠けている部分はヤークートの『諸国事典』によって補っている。
『北人伝説』は、「マシュハド写本」を「なかったこと」にしているにも関わらず、冒頭と後半の創作部分(次項)以外は、部分的な省略はあるものの、「マシュハド写本」および『諸国事典』の引用部分そのままである。

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 では、どのような箇所が省略されているかというと、まず第一に、「マシュハド写本」の随所に見られる「イブン・ファドラーンは語った」という文である。これは、上述のとおり「マシュハド写本」が『イブン・ファドラーンの報告書』そのものではないのに対し、『北人伝説』の底本であるところの「クサイモス稿本」のほうは『報告書』そのもの(のラテン語訳)という「設定」だからであろう。

 第二は、展開を速くするための省略である。それについてクライトン自身は、「単に集落の名とその各地で過ごした日数とを挙げるだけである。この題材の大部分は削除した。」(第一章)、「多くの学者たちはこれらの章の真実性を疑問視している。原記述は主として出会った首長たちや身分の高い者たちの名簿から成り立っていて著しく不明確、退屈なものである。」(第二章)などと言い訳している。

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 実際のところ、これらの省略部分は、確かに地名等の列挙だけの部分もあるが、大半は通過した土地の習俗についての詳しい記録である。退屈どころか、見聞録として大変興味深い内容だ。
 特に、宗教について詳しく観察しているのは、中世のムスリムとしては稀なことではないかと思う。私がこれまで読んだ史料では、中世のムスリムは(近世以降は知らん)異国の文化や政治についてはよく観察しても、異教については、ごくおざなりな関心と理解しか示していないのである。
 
 いずれにせよ、クライトンは読者の忍耐力にあまり期待しなかったようだ。「はじめに」でわざわざ、「だが、イブン・ファドランは著述家であって、その主目的は娯楽などではない。(中略)その語り口は吟遊詩人ではなく、税監督官のようであり、劇作者ではなく人類学者の語調なのである。」と断っているが、この「冷静な観察者」振りは、第二章でオグズ・トルコ族の習俗についての記述を提示しておけば充分と判断したのであろう。この箇所はほとんど省略されていない。ただ、事項やエピソードの順序をかなり入れ替え、整理してある。

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 第三の省略は、クライトンの創作部分に不都合な箇所である。史実としてイブン・ファドラーンはサカーリバ王国へ赴き、王に伺候したのであるが、『北人伝説』では「実際にはその使命を果たすことができなかった。というのは途中で“北人”の一団と出会って、彼らとともに多くの数奇な出来事に遭遇したからであった。」ということになっている。
『旅行記』は、カリフに提出された『報告書』そのものではないため、復路に関する記述が存在しない。したがって「失われた後半部分」をでっち上げる余地があったわけである。
サカーリバ王国での使命を終えた後で冒険に巻き込まれた、ということにしたほうが、よりもっともらしかったわけだが、クライトンは一刻も早く原文の「退屈な」記述を切り上げて、「血沸き肉躍る伝奇ロマン」に突入したかったのであろう。

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 というわけで、『旅行記』の第三章「サカーリバ王国」と第五章「ハザル・ユダヤ王国」(サカーリバの隣国)はそっくり省略されている。『旅行記』では、イブン・ファドラーンはサカーリバ王国でルース人(ロシア人もしくはスカンディナビア人の祖先)の集団を目撃し、その記録が第四章「ルース人について」となっているのだが、これが『北人伝説』ではそのまま第三章「“北人”との最初の出会い」(北人=ルース人)となり、冒険の始まりとなるのであった。
『旅行記』では、カリフからサカーリバ王に贈られることになっていた金銭を巡っていざこざが起きている。この問題は、すでに第一章の時点で発生していたのだが、『北人伝説』ではサカーリバ王国には行かなかったことになっているので、この問題についても省略されている。

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 また、『旅行記』はイスラム古典作品にありがちな長々しい前置きがなく、「これはムクタディル(カリフ)がサカーリバの王のもとに遣わした使者、ムハンマド・ブン・スライマーンのマウラー、アフマド・ブン・ファドラーン(以下、本名は非常に長いので省略)の書である」という書き出しの後、すぐにイブン・ファドラーンの見聞録が始まっている。
 クライトンはここに、イブン・ファドラーンが使節に選ばれる羽目になったエピソードをでっち上げている。第一章での省略には、この創作部分に関連すると思われるものもある。次項で詳しく検討する。

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3 『北人伝説』と『旅行記』、各本文の比較(クライトンによる創作部分)
 第三章「“北人”との最初の出会い」より前の創作部分は、上述のとおり冒頭のエピソードのみである。イブン・ファドラーンが「イブン・カリン」なる強欲な老商人の若い妻に手を出し、バグダードにいられなくなったというエピソードがおもしろおかしく語られる。
 クライトンの意図が読者の興味を繋ぎ止めることにあったのは間違いない。カリフに提出された「公式報告書」であるはずのテキストで、カリフを揶揄する記述があるのは明らかにおかしいが、まあ細かいことには目を瞑ろう。
 
『旅行記』第一章でクライトンが省略した部分に、イブン・ファドラーンがカスピ海南岸のダームガーンというところで、「ダーイーのイブン・カーリン」なる人物と偶然出会ってしまい、「われわれはキャラヴァン隊に身を隠して、ひたすら旅を続け」なければならなかった、という記述がある。ここでの「ダーイー」とは、スンナ派のアッバース朝と敵対していたシーア派の活動家たちのことで、その一人であるイブン・カーリンは当時、カスピ海南岸でかなりの勢力を有していた。アッバース朝の使節であるイブン・ファドラーン一行が遭遇するには不味い相手だったわけである。
 という史実にはクライトンは頓着せず、「イブン・カーリン」の名前だけ借りて冒頭のエピソードをでっち上げたようだ。

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 強欲な老商人の若く美しい妻との火遊び、というエピソード自体は、明らかに『千夜一夜』を参考にしたものである。後半の創作部分で、“北人”たち相手にイブン・ファドラーンが披露するアラブの笑い話二つのうち、スリッパの話はマルドリュス版『千夜一夜』にある。もう一つの、もっと下世話なほうは『マルドリュス版』にも東洋文庫の原典版にもないが、いかにも『千夜一夜』的であり、他の版に収録されているのかもしれない。

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『北人伝説』第三章「“北人”との最初の出会い」(『旅行記』第四章「ルース人について」)では、続く冒険に向けて創作部分が混じり始めるのだが、“北人”(ルース人)の葬儀については、『旅行記』そのままである。
 第四章以降は完全に『旅行記』から離れた創作になってしまうのだが、省略された『旅行記』第三章「サカーリバ王国」から、幾つかの要素が採られている。北国の夏の夜の短さやオーロラに対するイブン・ファドラーンの驚き、彼が蜂蜜酒を「飲んでもいいもの」と見做したことなどである。

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5 その他
『北人伝説』の巻末「典拠」に「一次資料」として挙げられているのは、上述のとおりヤークートの『諸国辞典』以外は実在しない。第一章から第三章までは、「マシュハド写本」から大幅に引用してきているのだが、『北人伝説』の中では「マシュハド写本」は「なかったこと」になっているので、一切触れられていない。
 なお、「マシュハド写本」はRichard N. Frye(『ブハラ史』の英訳者)によって2005年に英訳されている。タイトルはIbn Fadlan’s Journey to Russia(イブン・ファドラーンのロシアへの旅)。つまり『北人伝説』が書かれた時点では英訳は出ていなかった。先行するフランス語訳かドイツ語訳あたりをクライトン自身が英訳したんだろう。
 ちなみに、この「典拠」でヤークートの『諸国辞典』(『地理辞典』)の翻訳者の一人として「リチャード・フライ」の名が挙げられている。Richard N. Fryeだろうな。

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 また同「典拠」には「一般参考書」として七冊のヴァイキング研究書が挙げられている。ネットで調べた限りでは、これらはすべて実在し、J・ブレンステッズとG・ジョーンズの著作は邦訳が80年代に出ている。
 これらはクライトンが“北人”たちについての記述で、実際に参考にしたものだろう。ここに白々しく併記されているのが『ネクロノミコン』なのであるが、クライトンがこれのどの辺をどのように参考にしたというつもりだったのかは、浅学非才の身にはわかりかねる。

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『北人伝説』は1999年にアントニオ・バンデラス主演で映画化されている。映画タイトルは13th warriorで、イブン・ファドラーンが「13番目の戦士」として北人たちの冒険に無理やり付き合わされたことに因む(邦題は『13ウォーリアーズ』)。やっぱ「イーターズ・オブ・ザ・デッド」じゃ不味かったのか。
『北人伝説』からさらにいろいろ削ぎ落とした、捻りのない冒険物である。当時のムスリムは曲刀なんか使ってないよとかそういうことは言わないでおく。『北人伝説』『旅行記』が完全に一致しているのはただ一箇所、ヴァイキングたちの不潔な洗顔方法だけである。

比較検証(単なる読み比べ)シリーズ

 佐藤哲也氏の『熱帯』とホメロスの『イーリアス』

 
 佐藤亜紀氏の 「アナトーリとぼく」とトルストイの『戦争と平和』

 佐藤哲也氏の『サラミス』とヘロドトスの『歴史』

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参考文献録INDEX(海外)

 次作の参考資料として読んだ文献のうち、2009年12月下旬以降読了の記録(読んだけど参考にならなかったものも含む)。著者別。
 雑誌掲載論文、論文集、共著などの扱いは、まあ適宜、臨機応変に。ムスリムの姓の扱いも同様。

海外

ロバート・アーウィン
 『必携アラビアン・ナイト――物語の迷宮へ』 平凡社 1998(1994)
 『アラビアン・ナイトメア』 国書刊行会 1999(1983)

ワシントン・アーヴィング
 『アルハンブラ物語』 岩波文庫 1997(1832/1852)

サドリーディン・アイニ
 
『ブハラの死刑執行人』 米内哲雄・訳 日本図書刊行会 1997

アブー・ヌワース
 『アラブ飲酒詩選』 岩波文庫 1988

アフマド・Y・アルハサン
 
『イスラム技術の歴史』 (共著)  平凡社 1999(1992)

L・I・アリバウム
 
『古代サマルカンドの壁画』 文化出版局 1980(1975)

イヴォ・アンドリッチ
 『呪われた中庭』 恒文社 1983
 『ボスニア物語』 恒文社 1972(1945)
 『ドリナの橋』 恒文社 1966(1945)

イブン・アッティクタカー
 『アルファフリー――イスラームの君主論と諸王朝史』 平凡社 2004

ブズルク・イブン・シャフリヤール
 『インドの不思議』  関西大学出版・広報部 1978

イブン・ハズム
 『鳩の頸飾り――愛と愛する人々に関する論攷』 岩波書店 1978

イブン・ファドラーン
 
『ヴォルガ・ブルガール旅行記』 平凡社 2009/1969

イブヌ・ル・ムカッファイ
 『カリーラとディムナ――アラビアの寓話』 平凡社東洋文庫 1978

スーザン・ウィットフィールド
 『唐シルクロード十話』 白水社 2001(1999)

ヴォルテール
 『カンディード 他五篇』 岩波文庫 2005

ハンス・E・ヴルフ
 『ペルシアの伝統技術――風土・歴史・職人』 平凡社 2001(1966)

榮新江
 
「ソグド祆教美術の東伝における転化――ソグドから中国へ」 (『美術研究』384 2004)

ジョージ・アレック・エフィンジャー
 
『重力が衰えるとき』『太陽の炎』『電脳沙漠』 早川書房 1989(1987) 1991(1989) 1992(1991)

アンジェラ・カーター
 
「キス」 (『ブラック・ヴィーナス』 河出書房新社 2004(1985))

ラウラ・ガジェゴ・ガルシア
 『漂泊の王の伝説』 偕成社 2008(2002)

アントワーヌ・ガラン
 『千夜一夜物語 ガラン版』 国書刊行会 1990

イタロ・カルヴィーノ
 『マルコ・ポーロの見えない都市』 河出書房新社 1977(1972)

F・M・カロマトフ
 『人間と音楽の歴史 中央アジア』 音楽之友社 1993(1987)

ハミルトン・A・R・ギブ
 
『アラビア人文学』 講談社 1982/1990(1926)

ディミトリ・グダス
 
『ギリシア思想とアラビア文化――初期アッバース朝の翻訳運動』  勁草書房 2002(1998)

グレン・クック
 『忌わしき者の城』 早川書房 1992(1989)

グルガーニー
 『ヴィースとラーミーン――ペルシアの恋の物語』 平凡社 1990

F・マリオン・クロフォード
 『妖霊ハーリド』 早川書房 1980(1891)

ディディエ・ヴァン・コーヴラール
 
『片道切符』 早川書房 1995(1994)

パウロ・コエーリョ
 『愛蔵版 アルケミスト』  角川書店 2001(1988)

ナワル・エル・サーダウィ
 『イマームの転落』 草思社 1993(1988)

カルパナ・サーヘニー
 
ロシアのオリエンタリズム――民族迫害の思想と歴史』 柏書房 2000(1994)

E・W・サイード
 『オリエンタリズム』 平凡社 1986(1978)
 『文化と帝国主義』 みすず書房 1998-2001(1993)

エドワード・H・シェーファー
 『神女――唐代文学における龍女と雨女』 東海大学出版会 1978(1973)
 『サマルカンドの金の桃――唐代の異国文物の研究』 勉誠出版 2007(1963)

ダニエル・ジャカール
 『アラビア科学の歴史』 創元社 2006(2005)

グレアム・ジョイス
 『鎮魂歌 レクイエム』 早川書房 2004(1995)

徐松 
 『唐両京城坊攷――長安と洛陽』 平凡社東洋文庫 1994

アンネマリー・シンメル 
 「古典的スーフィズム――神秘思想とその象徴的表現」 (『イスラム思想2』岩波講座・東洋思想第4巻 1988)

N・セビン
 『中国の錬金術と医術』 思索社 1985

ハワード・R・ターナー
 『図説 科学で読むイスラム文化』 青土社 2001(1997)

モハンマド=ホセイン・タバータバーイー
 
『シーア派の自画像――歴史・思想・教義』 慶應義塾大学出版会 2007(1969)

ロード・ダンセイニ
 『ペガーナの神々』 早川書房 1979(1905/1906)
 『世界の涯の物語』 河出書房新社 2004
  『夢見る人の物語』 河出書房新社 2004(1908、1910)

トマス・M・ディッシュ
 「カサブランカ」「アジアの岸辺」 (『アジアの岸辺』 国書刊行会 2004)

オーウェン・デイビーズ
 
『世界で最も危険な書物――グリモワールの歴史』 柏書房 2010(2009)

ロバート・テンプル
 『図説 中国の科学と文明』 河出書房新社 1992/2008(1986/2006)

ジョゼフ・ニーダム
 『ニーダム・コレクション』 筑摩書房 2009
 『中国科学の流れ』 思索社 1984(1981) 

デヴィッド・ニコル
 
『サラディンとサラセン軍――十字軍の好敵手』 新紀元社 2000(1986)

ニザーミー
 『ホスローとシーリーン』 平凡社東洋文庫 1977
 『七王妃物語』 平凡社東洋文庫 1971

ジェラール・ド・ネルヴァル
 「カリフ・ハケムの物語」「暁の女王と精霊の王ソロモンの物語」 (『ネルヴァル全集Ⅱ』 筑摩書房 1975)

ジョン・バース
 
「ドニヤーザード物語」 (『キマイラ』 新潮社 1980(1973))

オマル・ハイヤーム
 『ルバイヤート』 岩波書店 1983

ヴィルヘルム・ハウフ
 『隊商――キヤラバン』 岩波書店 1977(1826)

ベシーム・S・ハキーム
 
『イスラームの都市――アラブのまちつくりの原理』 第三書館 1990(1988)

ミロラド・パヴィチ
 
『ハザール事典――夢の狩人たちの物語』 東京創元社 1993(1988)

オルハン・パムク
  
『白い城』 藤原書店 2009(1979)

アル・ハリーリー
 
『マカーマート』 平凡社東洋文庫 2008-2009

グレース・ハルセル
 
ソ連のイスラム教徒』 朝日新聞社 1991(1991)

ナーズム・ヒクメット
 『フェルハドとシリン』 慧文社 2002(1948)

フィリップ・K・ヒッティ
 『アラブの歴史』 講談社学術文庫 1983(1937/1970)

バリー・ヒューガート
 『鳥姫伝』 早川書房 2002(1984)
 『霊玉伝』 早川書房 2003(1988)
 『八妖伝』 早川書房 2003(1991)

ファン・ヒューリック
 『雷鳴の夜』 早川書房 2003(1961)
 『観月の宴』 早川書房 2003(1968)
 『紫雲の怪』 早川書房 2008(1966)
 『沙蘭の迷路』 早川書房 2009(1951)

ヘンリー・ジョージ・ファーマー
 『人間と音楽の歴史 イスラム』 音楽之友社 1986

ケネス・フィーダー
 
『幻想の古代史』 楽工社 2009(1990/2008)

アンヌ・フィリップ 
 『シルクロード・キャラバン』 晶文社 1988(1955)

ジョゼ・フレーシュ
 『遥かなる野望』 ランダムハウス講談社 2005(2003)

サーデク・ヘダーヤト
 『サーデグ・ヘダーヤト短篇集』 慧文社 2007
 『生埋め――ある狂人の手記より』 国書刊行会 2000
 『盲目の梟』 白水社 1983

ウィリアム・ベックフォード
 「ヴァテック」 1932(1782) (『ゴシック名訳集成 暴夜アラビア幻想譚』 学習研究社 2005)

ターハル・ベン・ジェルーン
 『砂の子ども』『聖なる夜』 紀伊國屋書店 1996(1985) 1996(1987)
 『あやまちの夜』 紀伊國屋書店 2000(1997)

メアリー・ボイス
 『ゾロアスター教――三五〇〇年の歴史』 講談社 1983/2010(1979/2001)

E・J・ホームヤード
 『錬金術の歴史――近代化学の起源』 朝倉書店 1996(1957)

ジクリト・ホイク
 『砂漠の宝――あるいはサイードの物語』 福武書店 1990(1987)

ポール・ボウルズ
 
『優雅な獲物』 新潮社 1989
 『蜘蛛の家』 白水社 1995(1982)
 『真夜中のミサ』 白水社 1994

J・ポトツキ
 
『サラゴサ手稿』 国書刊行会 1980(1805)

ホルヘ・ルイス・ボルヘス
 
『伝奇集』 集英社 1984

アミン・マアルーフ
 『レオ・アフリカヌスの生涯――地中海世界の偉大な旅人』 リブロポート 1989(1986)
 『アラブが見た十字軍』 ちくま学芸文庫 1986/2001(1983)

カール・マイ
 『シャマー カール・マイ冒険小説集』 金森誠也・訳 荒地出版社 1992

C・R・マチューリン
 『放浪者メルモス』 国書刊行会 1977(1820)

ジョン・M・マッケンジー
 『大英帝国のオリエンタリズム――歴史・理論・諸芸術』 ミネルヴァ書房 2001(1995)

ナギーブ・マフマーズ
 『シェヘラザードの憂愁――アラビアン・ナイト後日譚』 河出書房新社 2009(1982)

スティーヴン・ミルハウザー
 「シンドバッド第八の航海」 (『バーナム博物館』 白水社 2002(1990))

ジョージ・メレディス
 「シャグバットの毛剃り」 1927(1855)(『ゴシック名訳集成 暴夜アラビア幻想譚』 学習研究社 2005)

J・モーリア
 『ハジババの冒険』 平凡社東洋文庫 1984(1824)

モンテルラン
 『沙漠のバラの戀物語』 新潮社 1955(1953)

A・Y・ヤクボーフスキー
 「古代ピャンジケント」 (『西域の秘宝を求めて――埋もれていたシルクロード』 新時代社 1969)

マルグリット・ユルスナール
 『東方奇譚』 白水社 1984(1938/1976)

サルマン・ラシュディ
 『ハルーンとお話の海』 国書刊行会 2002(1990)
 『悪魔の詩』 プロモーションズ・ジャンニ 1990(1988)
 『真夜中の子供たち』 早川書房 1989(1981)

ランスデル
 『西トルキスタンへの旅』 白水社 1967(1887)

劉昫
 
『旧唐書』巻198 西域伝「波斯伝」「大食伝」 945 (『二十五史舊唐書』 台北 二十五史編刊館 1956) 

ダニエル・J・レヴィティン
 
音楽好きな脳――人はなぜ音楽に夢中になるのか』 白楊社 2010(2006)

ピエール・ロチ(ロティ)
 『倦怠の華』 水声社 2009
 『アジヤデ』 新書館 2000(1879)

Jalaluddin Rumi
 “Selected poems from the Divan-e Shams-e Tabrizi”  IBEX Publishers 2001
 “The Mathnawi the Spiritual Couplets” Watkins Publishing 2002

Al-Narshakhi
 
“The History of Bukhara”  Markus Wiener Publisher 2007

.

「アヴェスター」 (『ヴェーダ アヴェスター』 筑摩書房 1967

『教坊記・北里志』 平凡社東洋文庫 1992

『黒魔術――上エジプト小説集』 第三書館 1994

『コーラン』 中央公論社新社 2002

『シナ・インド物語』 関西大学出版広報部 1976

『中国とインドの諸情報』 平凡社 2007

『唐代伝奇集』 平凡社東洋文庫 1963-64

『ハディース――イスラーム伝承集成』 中央公論社 1994

『マルドリュス版 完訳千夜一夜』 岩波書店 (1899-1904)

tranlated & introduced by R.A. Nicholson  IBEX Publishers 2001

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参考文献録INDEX(国内)

 次作の参考資料として読んだ文献のうち、2009年12月下旬以降読了の記録(参考にならなかったものも含む)。著者別。
 雑誌掲載論文、論文集、共著などの扱いは、まあ適宜、臨機応変に。

国内

荒川正晴
 「ソグド人の移住聚落と東方交易活動」 (『岩波講座世界歴史15 商人と市場――ネットワークの中の国家』 岩波書店 1999)
 『オアシス国家とキャラヴァン交易』 山川出版社 2003
 「魏晋南北朝隋唐期の通過公證制度と商人の移動」「唐代前半の胡漢商人と帛練の流通」 (『中国の歴史世界――統合のシステムと多元的発展』 東京都立大学出版会 2002)(『唐代史研究』7号 2004)
 「唐帝国とソグド人の交易活動」 (『東洋史研究』56-3 1999)

足立信彦
 
『〈悪しき〉文化について――ヨーロッパとその他者』 東京大学出版会 2006

余部福三
 『イスラーム全史』 勁草書房 1991
 「アッバース朝革命とホラーサーン」 (『オリエント』26-1 1983)「マームーンとムウタスィムの新軍団」 (『史林』66-6 1983)

池田温
 「敦煌の流通経済」 (『講座敦煌3 敦煌の社会』 岩波書店 1980)

池田修
 「アラブ人とイラン人の関係――両者のイメージ」 (『中東世界』 世界思想社 1992) 

石田幹之助
 『増訂 長安の春』 平凡社東洋文庫 1967

井筒俊彦
 
『イスラーム文化――その根底にあるもの』 岩波書店 1981

伊藤義教
 『古代ペルシア――碑文と文学』 岩波書店 1974

稲葉穣
 
「アラブ・ムスリムの東方進出」 (『世界に広がるイスラーム』 文化研究所 1995)

彌永信美
 『幻想の東洋――オリエンタリズムの系譜』 青土社 1987

梅村坦 「住民の種族構成――敦煌をめぐる諸民族の動向」 (『講座敦煌3 敦煌の社会』 岩波書店 1980)

太田敬子
 『ジハードの町タルスース――イスラーム世界とキリスト教世界の狭間』 刀水書房 2009

小笠原良治
 『ジャーヒリーヤ詩の世界――イスラーム以前のアラビア』 至文堂 1983

岡崎正孝
 
『カナート イランの地下水路』 論創社 1988

岡田明憲
 『ゾロアスター教――神々への讃歌』『ゾロアスター教の悪魔払い』 平河出版社 1982
1984

岡田恵美子
 『イランを知るための65章』(共著) 明石書店 2004

岡田登
 『中国火薬史――黒色火薬の発明と爆竹の変遷』 汲古書院 2006

岡本孝
 「ソグド王統攷――オ=イ=スミルノワ説批判を中心として」 (『東洋学報』65-3、4 1984)

愛宕元 
 『中国の城郭都市――殷周から明清まで』 中公新書 1991

加藤九祚
 『熱砂の中央アジア』 (共著) 日本放送テレビ網株式会社 1981

加藤定子
 『中央ユーラシア古代衣服の研究――立体構成の起源について』 源流社 2002

神郡仁志
 「サマルカンド王グーラクとその行動――クタイバの征服後を中心に」 (『東洋史苑』26・27合併号 1986)

菊地達也
 『イスマーイール派の神話と哲学――イスラーム少数派の思想史的研究』 岩波書店 2005

岸邊成雄
 『唐代音楽の歴史的研究 楽制篇』  東京大学出版会 1960
 『唐代音楽の歴史的研究 続巻』 和泉書院 2005

桑原隲蔵
 『桑原隲蔵全集』第二巻、第三巻 岩波書店 1968
 『蒲寿康の事蹟』 平凡社東洋文庫 1989

工藤庸子
 『ヨーロッパ文明批判序説――植民地・共和国・オリエンタリズム』 東京大学出版会 2003

小谷仲男
 「ソグドの神々とイスラム・アラブの侵攻」 (『西南アジア研究』46 1997)

小林一枝
 『『アラビアン・ナイト』の国の美術史――イスラーム美術入門』 八坂書房 2004

斉藤茂
 『妓女と中国文人』 東方書店 2000

坂井弘紀
 『中央アジアの英雄叙事詩――語り伝わる歴史』 東洋書店 2002

佐藤明美
 
「初期イスラーム時代のメルヴ」 (『イスラム世界』43 1994)

佐藤圭四郎
 『イスラーム商業史の研究』 同朋舎 1981

佐藤次高
 『イスラームの生活と技術』 山川出版社 1999
  『イスラム社会のヤクザ――歴史を生きる任侠と無頼』 (共著) 第三書館 1994

蔀勇造
 「イスラム以前のインド洋世界――ソコトラ島から垣間見る」 (『海のアジア② モンスーン文化圏』 岩波書店 2000)

嶋崎昌
 『隋唐時代の東トゥルキスタン研究』 東京大学出版会 1977

嶋田襄平
 『イスラム教史』 山川出版社 1978
 『イスラムの国家と社会』 岩波書店 1977
 『初期イスラーム国家の研究』 中央大学出版部 1996

清水和裕 
 「裏切るクーファ市民――ウマイヤ朝アリー家反乱者のリーダーシップと民衆の政治意識」 (『軍事奴隷・官僚・民衆 アッバース朝解体期のイラク社会』  山川出版社 2005)
 「ヤズデギルドの娘たち――シャフルバーヌー伝承の形成と初期イスラーム世界」 (『東洋史研究』67-2 2008)

陣内秀信
 『イスラーム世界の都市空間』 (共著) 法政大学出版局 2002

杉田英明
 『事物の声 絵画の詩――アラブ・ペルシア文学とイスラム美術』 平凡社 1993

杉村棟
 
『世界美術大全集 東洋編17 イスラーム』 (責任編集) 小学館 1999

關尾史郎 
 『西域文書からみた中国史』 山川出版社 1998

妹尾達彦
 『長安の都市計画』 講談社選書メチエ 2001 
 「世界都市長安における西域人の暮らし」 (『シルクロード学研究叢書』9 2004) 

高橋徹
 『三蔵法師のシルクロード』 (共著) 朝日新聞社 1999

田坂興道
 『中国における回教の傳來とその弘通』 東洋文庫 1964

田辺勝美
 『世界美術大全集 東洋編15 中央アジア』 (共著) 小学館 1999

種村季弘
 
『偽書作家列伝』 学習研究社 1992/2001

柘植元一
 『シルクロードの響き――ペルシア・敦煌・正倉院』 山川出版社 2002

筒井紘一
 「飲茶の世界――茶以前から煎茶・点茶へ」  (『長安――絢爛たる唐の都』 角川書店 1996)

筒井賢治
 
『グノーシス――古代キリスト教の「異端思想」』 講談社選書メチエ 2004

都留信也
 『中央アジアの生活環境――ユーラシア=新世紀の自然の宝庫』 東洋書店 2003

礪波護
 『唐の行政機構と官僚』 中公文庫 1998

百橋明穂
 『世界美術大全集 東洋編4 隋・唐』 (責任編集) 小学館 1997 

内藤みどり
 『西突厥史の研究』 早稲田大学出版部 1988

長澤和俊
 『大谷探検隊 シルクロード探検』(編者) 白水社 1998
 『新考 玄奘三蔵の旅』 佼成出版社 1987

西尾哲夫
 『アラビアンナイト博物館』 東方出版 2004
 『図説 アラビアンナイト』 河出書房新社 2004

羽田正
 『イスラーム世界の創造』 東京大学出版会 2005
 「サファヴィー朝の時代」 (『世界の歴史15 成熟のイスラーム世界』 中央公論社 1998)

濱田正美
 
「天山の岩と泉と聖者の墓と」 (『ユーラシア草原からのメッセージ――遊牧研究の最前線』 平凡社 2005)

原田実
 
『トンデモ偽史の世界』 楽工社 2008

日野開三郎
 『唐代邸店の研究』『続 唐代邸店の研究』 日野開三郎東洋史学論集 第17・18巻 三一書房 1992

藤井守男
 「イラン人のアラブ観」 (『中東世界』 世界思想社 1992)

藤本勝次
 「製紙法の西伝」 (『シルクロードの文化交流――その虚像と実像』 同朋舎 1981)

藤善真澄
 『安禄山と楊貴妃――安史の乱始末記』 清水書院 1984
 『安禄山――皇帝の座をうかがった男』 中央公論新社 2000

堀内勝
 
『ラクダの文化誌――アラブ家畜文化考』 リブロポート 1986

前嶋信次
 「タラス戦考」 (『東西文化交流の諸相 民族・戦争』 誠文堂新光社 1982)
 『イスラムの蔭に』 河出書房新社 1975
 「杜環とアル・クーファ――中国古文献に現れた西アジア事情の研究」 (『シルクロード史上の群像』 誠文堂新光社 1982)
 『文化の東西交流』 誠文堂新光社 1982
 『シルクロードの秘密国――ブハラ』 芙蓉書房 1972
 「テリアカ考――文化交流史上から見た一薬品の伝播について」 1966 (『東西物産の交流――東西文化交流の諸相』 誠文堂新光社 1982)
 『アラビアの医術』 中公新書 1965

牧野信也
 『イスラームの原点――【コーラン】と【ハディース】』 中央公論社 1996 

三浦徹
 
『イスラームの都市世界』 山川出版社 1997

水谷令子
 『女たちが究めたシルクロード――その国々の生活文化誌』 (共著) 東洋書店 2005

宮崎正勝
 『イスラム・ネットワーク――アッバース朝がつなげた世界』 講談社選書メチエ 1994

牟田口義郎
 『イスラムの戦争――アラブ帝国からコンスタンティノープルの陥落まで 世界の戦争3』 (共著) 講談社 1985

村上由美子
 『ハリウッド100年のアラブ 魔法のランプからテロリストまで』 朝日新聞社 2007

目黒輝
 
「マー・ワラー・アンナフルにおける突騎施勢力の伸長について」 (『菊池秀雄教授 山崎利男教授 古希記念アジア史論叢』 中央大学東洋史学研究室・編 刀水書房 2000)

森本一夫
 
『聖なる家族――ムハンマド一族』 山川出版社 2010 

矢島洋
 「ペルシア語文化圏におけるスーフィー文献著述言語の変遷とその意義」  (『ペルシア語が結んだ世界――もうひとつのユーラシア史』 北海道大学出版会 2009) 

家島彦一
 『イスラム世界の成立と国際商業――国際商業ネットワークの変動を中心に』  岩波書店 1991
 『海が創る文明――インド洋海域世界の歴史』 朝日新聞社 1993

安田暎胤
 
『玄奘三蔵のシルクロード 中央アジア編』 東方出版 1999

矢吹慶輝
 『マニ教と東洋の諸宗教――比較宗教学論選』 佼成出版社 1988

山田憲太郎
 『南海香薬譜――スパイス・ルートの研究』  法政大学出版局 1982

山本由美子
 『マニ教とゾロアスター教』 世界史リブレット4 山川出版社 1998

吉田豊
 「中央アジアオアシス定住民の社会と文化」 (『アジアの歴史と文化8 中央アジア史』 竺沙雅章・監修 間野英二・責任編集 同朋舎/角川書店 1999)
 『NHKスペシャル文明の道3 海と陸のシルクロード』(共著) NHK出版 2003
 「ソグド語資料から見たソグド人の活動」 (『岩波講座世界歴史11 中央ユーラシアの統合』 1997)
 「ソグド語の人名を再構する」 (『三省堂ぶっくれっと』78 1989)

NHK取材班
 
『シルクロード 絲綢之路 第一巻 長安から河西回廊へ』 日本放送出版協会 1980
 『シルクロード 絲綢之路 第五巻 天山南路の旅――トルファンからクチャへ』 日本放送出版協会 1981
 『シルクロード キジル大紀行』 日本放送出版協会 2000
 『大草原をゆく ソビエト(1) シルクロード ローマへの道 第九巻』 日本放送出版協会 1983
 『アジア最深部 ソビエト(2) シルクロード ローマへの道 第十巻』 日本放送出版協会 1984
 
 

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美醜について

 テッド・チャンとは関係ありません。

 一部で誤解があるようだが、私は「綺麗な男」が好きではない。そもそも、世間で美しいと言われる男を見ても、どこが? と思うことが多いのだ。ああ確かに綺麗な顔してるね、と思うこともあるので、美的感覚がまるきりずれてるというわけでもないようだが、その場合でも、だから何? てなもんである。
 綺麗な女は好きである。例えば頭もしくは性格の悪い美女がいて、その中身によってこちらが害を被ったとしても、彼女の容姿の美しさへの称賛は変わらない(実際、今までにそういうことは複数回あった)。
 まあつまり、私にとって綺麗な女は鑑賞対象だが綺麗な男はそうではない、ということなのである。

 この嗜好は自作にも如実に表れていて、美女や美少女の容姿を描写するのは非常に楽しいが、いわゆる美形キャラの容姿を書き綴るのは楽しくもなんともない。
 だいたい、容姿の美しさというのは文化によって異なるものだし。全人類共通の美の条件といったら、骨格の左右対称性と髪や肌の色艶の良さくらいなもんであろう。これは配偶者の選択に関わる最も根源的な条件で、『グアルディア』と『ラ・イストリア』の端々でも述べているが、病気と飢餓が蔓延している世界では、この条件さえ満たしていれば、相当に美しいと見做されるのである。

 そういうわけで、『グアルディア』中、ある程度出番のあるキャラで、美少女はカルラのみ、美女はモニーク・マルタンのみである。モニークは美女といっても、気さくで親しみ易いイメージだしね(終盤で本性現すまでは)。アンヘルは「条件付き美女」。
 一方、美形キャラは……白人至上主義の屑野郎で相応の最期を遂げるポール・ロバーツしかおらんよ? しかも自己申告だし。客観的に見ても美形の部類には入るんだろうけど、金髪緑眼白皙のアングロサクソン系で、四半世紀前までの日本人が「外人男性」というと思い浮かべたに違いないタイプであろう。ちなみに私は性別に関わりなく金髪が嫌いである。12歳以下の美少女は例外。

 JDは美形というほどじゃないと思う。他人からの評価も「そこそこハンサム」程度だし。カルラだけは「すごく綺麗」と言っているが、それは欲目というものです。上述のとおり、顔や身体の均整が取れてて髪・肌・歯等の状態がいいだけで、それなりに美しいと見做される世界ですから。
 不老長生の一族であるホアキン、ラウル、クリストフォロたちも、遺伝子の自己修復能力が優れているので、上の条件を満たしているものと思われます。でも現代で言うところの美形にはならんと思う。ラウルの顔立ちについては「端整」と表現しているけど、端整だけど地味な顔ってのもあるしね。

 いや、それにしても美女や美少女について書くのは本当に楽しいのに、容姿がそこそこ以上の男について書くのは全然楽しくないです。ユベールみたいに容貌魁夷なかっこいい男とか、カルラの実の父親みたいに屑人間振りが外見にも現れてるような男を書くのは非常に楽しいんですが。
 とはいえ、冒頭で述べたとおり、私の美的感覚は世間と多少ずれているので、美形であることを作中ではっきり否定されていないキャラについては、美形だと想像して読むのは皆様の自由ですよ。

『グアルディア』の次にはアニメのノベライズを担当したわけだが、もしキラキラした美形ばっかりのアニメだったら間違いなく断っていましたね(いや、そういうアニメだったら、そもそも早川書房さんにノベライズの企画が行くことはなかったか?)。
 しかしキラキラこそしてはいないものの、コザキユースケ氏デザインによる容姿端麗な男性キャラクターは何名か登場するわけである。頑張って描写しようとしたんだけどね……「端麗」とか書くのでいっぱいいっぱいで……申し訳ありませんでした。

 そういうことがあったから、というわけでもないんだが、次の『ラ・イストリア』では美形を大放出してみました(つっても数人か)。シリーズ随一の人格破綻者クラウディオを「美青年のなれの果て」として描きたかったので、回想では超絶美形にしたわけです。クラウディオと彼の過去の仲間たちは全員、遺伝子改造された超絶美男美女なのですが、そういう「人工的で安っぽい美しさ」を書くのは、わりと楽しかったです。
 もちろん、その後のクラウディオの「なれの果て」振りのほうが、遥かに楽しかったわけですが。
 ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』でいえば、タッジオ少年ではなく、あんな安っぽい美少年に永遠の美を見出して死んでいくダーク・ボガードの老醜(汗で流れ出す白髪染めと化粧、薄くなった後頭部)を取る。

 なお、生体甲冑の着用者となった後のフアニートは、アロンソによって「美しい」と表現されていますが、これは再三繰り返すように、作品世界に於いては栄養状態がよくて均整が取れているだけで……ということですよ。

『ミカイールの階梯』でも、美女美少女の描写はわりとしてるけど、美形はなあ……? わかりやすく美男なのは、脇役で「女を騙す係」のジャファルだが、美形というのとはちょっと違うだろうし。政治将校のセルゲイは、ユスフから「男振りがいい」と一回言われるだけだ。
レズヴァーンも、美しいとは書いたが、それは「一種異様な美」であって美形とは違うと思う。地顔は、美女美少女のマルヤム・フェレシュテ母娘とよく似ているというからには、整っているのは確かだけど(同じことはミルザにも言える)、開き直って女装を始める前は、覇気のない地味なにーちゃんだったわけだし。
 ともかく『ミカイール』では全体に、男性陣の容姿の描写は曖昧にしてあります。一番詳しく書いたのは、ずんぐりして目の細いおっさんであるユスフだったりして。あとは皆様の想像にお任せします、ということで。

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参考文献録

『音楽好きな脳――人はなぜ音楽に夢中になるのか』 ダニエル・J・レヴィティン 西田美緒子・訳 白楊社 2010(2006) (「脳・神経科学」)
This is your brain on music
 著者は元レコード・プロデューサーの心理学・行動神経科学教授。
 今回書いたのはSFじゃないけど、一応こういう本も読んでおこうと思って。副題の「人はなぜ音楽に夢中になるのか」に期待して読んでみたんだが、音楽が脳の快楽・報酬系に関わってる、ということ以外は推論ばっかで、大して参考にもならんかったな。まあこの副題は勝手邦題なわけだけど。
 音楽の知識がない読者にも解るように書いた、ということだけど、楽器を全然やってない人には、やっぱ少々敷居が高いんじゃないかという気がする。

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参考文献録

『悪魔の詩』 サルマン・ラシュディ 五十嵐一・訳 プロモーションズ・ジャンニ 1990(1988)
The satanic verses
 一言で言って、『真夜中の子供たち』のほうが、ずっとおもしろかった。
 理由はいろいろと考えられる。まず、『真夜中の子供たち』のほうは、如何に混沌としていようと、対象がインド‐パキスタンの内部のものだけに絞られていたため、作品は完全にラシュディの制御下にあった。その手際はまさに魔術的である。
一方、『悪魔の詩』はインド‐パキスタンより遥かに巨大かつ複雑な事物を扱おうとして、結局扱い切れなかったように思える。
 失敗作というわけではないし、作品というのは綺麗にまとまってりゃいいというものでもないけどさ。「巨大かつ複雑な事物」というのは、具体的には「イスラムそのもの」と「インド亜大陸出身で欧化されたムスリムであること」だが、前者は明らかに手に余っているし、後者は後者で痛々しすぎる。
『真夜中の子供たち』で描かれたイスラム(およびムスリム)は、あくまでインド‐パキスタン内部のイスラムだったから、巧く扱えてたと思うんだけど。

 言っても詮無いことだけど、邦訳文もな……。イスラムおよび西洋文化(20世紀前半以前)への造詣の深さは申し分ないと思うんだけど、五十嵐氏の文章は上巻末で自ら言うところの「言語のサラダ」ではまったくないところがな……
 まったくもって言ってもしょうがないことなんだけど、ラシュディが耽溺している現代ポップカルチャーがことごとく取り零されていて、「博士の奇妙な愛情」が「奇妙な愛情先生」なんて訳されてるのを見ると泣けてくる。

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参考文献録

“Selected poems from the Divan-e Shams-e Tabrizi”  Jalaluddin Rumi tranlated & introduced by R.A. Nicholson  IBEX Publishers 2001
 邦訳の出ていないジャラールッディーン・ルーミー(1207-1273)の二冊の詩集のうち最初のほうの『シャムセ・タブリーズ詩集』の英訳。全訳ではなく選集で、48篇の詩を原文と英訳を併記し、巻末にかなり詳細な注釈を付ける。
復刊だそうだが(英訳者のニコルソンは1945年没)、初版の刊行がいつだか書いてない。しかし、こういう本がペーパーバックで出るアメリカが羨ましい。

 現代ペルシア語を齧っただけの私には、13世紀のペルシア語韻文なんぞほとんど歯が立たないが、歯が立つ部分も多少はあるので、原文付きなのはかなりありがたかった。英訳だけだと、いまいち解釈がはっきりしなくて。ペルシア語が日本語と語順が同じ(主語-目的語-動詞)なのは、結構大きいかもしれん。

“The Mathnawi the Spiritual Couplets” Maulana Jalalu-‘D-Din Muhammad I Rumi selected & translated by E.H. Whinfield  Watkins Publishing 2002
 ルーミーの後期詩集。未邦訳。日本語では『精神的マスナヴィー』というタイトルで紹介されている。イランではこちらのほうが評価が高く、「ペルシア語のコーラン」とまで言われてるそうな。
 これも全訳ではなく選集。原文無し。注釈はごく簡単なもののみ。解説も無し。つーか、英訳者のプロフィールとか刊行の経緯とか、一切記載がないんだけど。出版社の所在地はロンドン。一応検索してみたけどデータが出てこない。

 散文の短い物語の後に1~3篇の詩が付くという形式で、80組余りの物語+詩を収録。日本人研究者による紹介から判断する限り、物語の部分は抄訳のようだ。ルーミーの創作ではなく、伝承等を再話・再解釈したもの。仏教説話の「群盲象を撫ず」が、ほぼそのままの形で採録されてたりする(盲人が象を撫でるのではなく、暗闇の中に象がいるのであるが)。

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参考文献録

“The History of Bukhara”  Al-Narshakhi translated by Richard Frye Markus Wiener Publisher 2007
 ナルシャヒー(899-960)が943年にアラビア語で書いた『ブハラの歴史』を、1128年にクバヴィーという人がペルシア語に翻訳し、かつ別の史料から増補したものを、R・フライが英訳したもの(なお、アラビア語原典はすでに散逸している)。
 R・フライは中世イスラム史の専門家で、邦訳は出ていないようだが、日本人研究者の論文ではちょくちょく参考文献として挙げられている。

 英語は一応読める言語なのである。中国語も一応読める言語に数えられるが、中国語のイスラム史文献なんて、命に関わりでもしない限り御免蒙る(非中国語の音写が恐ろしいことになっているからである)。
 8世紀半ばのイスラムについて資料がない資料がない、と散々言ってきたが、実は一次史料は質量ともにそれなりに存在するのである。もちろんアラビア語原典は読む努力をする気もないが、最も充実した史料であるタバリー(923没)の『預言者と諸王の歴史』は英訳が出ているのである。が、私が必要とする範囲だけでも10巻分くらいはあると思われ(全38巻)、つまり充実しすぎてるのでよう読まん。

 中央アジアだけに限定すると、二番目に充実した史料がこの『ブハラの歴史』であり、こちらは巻頭・巻末の解説も含めて180頁ほどしかないので、言い訳が利かない。読むしかねーじゃん、めんどくせー。
 と不平たらたらで読んだわけだが、いやまあ、非常に役に立ちましたよ。重要な史料だけあって、多数の日本語文献で引用や内容紹介されてるのにお目に掛かってきてるんだけど、初めて知る情報も多く、しかも興味深い。130頁ほどの本文中、8世紀末以前の記事は100頁ほどだけなんだけどね。

 英文はかなり平易。しかし訳注が全然ない。本文中に多少、()付きで補足してある程度。こういう類の文献の翻訳で訳注なしって、日本じゃ考えられないんだけど。フライは『イブン・ファドラーンのヴォルガ・ブルガール旅行記』も英訳しているが、やっぱり訳注なしだそうな。
 巻頭・巻末に解説はあるが、まったく不充分。英文自体は平易だから読めはするが、解釈に苦しむ記述が少なくなかった。
 例えば27章、「白衣の人々」と呼ばれる集団の叛乱についての記事。バグダードから派遣された宰相ジブライール・イブン・ヤフヤーは彼らを打ち破り、指導者のハーキムを捕らえる。
「白衣の人々は、ハーキムを返してくれなければ撤退しないと告げるべく、ハーキムの腹心キシュウィーを派遣した。キシュウィーは新しいブーツを履いていた。彼が要求を述べていた時、ジブライールの息子アッバースが戻ってきて、ハーキムを殺したと告げた。ジブライールは直ちに、キシュウィーを馬から引き摺り下ろして殺すよう命じた。白衣の人々は(これを知って)叫びを上げ、武器を取り出し、戦闘を開始した。」

 ……えーと、この「Kishwi was wearing new boots.」って一文にはどういう意味が? 何か慣用句的なもののような気がするが、何しろ注釈がないので……

 あるいは25章、738年に殺害されたブハラの王についての記事。彼は隣国サマルカンドの王宮で殺されたので、家臣らが彼の遺体を引き取りにきた。彼ら(his servants)はremoved his flesh and brought his bones to Bukhara.
 これを「ブハラへと彼(王)の肉を運び去り、骨を持ち去った」と訳すと、別段問題はない。こういうくどい言い回しは、イスラム古典には特に多い。
 しかし同じ章には、このブハラ王は改宗者だったが実は背教者だった、と書かれているのだ。この場合、背教者とは、隠れゾロアスター教徒のことである。彼が背教者だったという根拠は述べられていない。だが上の文中、removed his fleshは、「彼の肉を取り除いた」とも読める。ゾロアスター教では、死体から肉を取り除き(聖なる動物である鳥や犬に食べさせる)、骨だけにして埋葬するのである。
 ブハラ王の家臣たちが、王の死体から「肉を取り除き、骨だけを国に持ち帰って」埋葬したのだとしたら、王がゾロアスター教徒であった動かぬ証拠だ。
でも、注釈がないから判断もできない。

 中国の「城」は、日本の「おしろ」と違って城郭都市のことだが、中央アジアでも町は皆、城郭を持っている。で、ブハラの首都をはじめ、ある程度大きな都市は城郭が二重になっていた。支配者の宮殿や貴族の邸宅、官庁舎などを囲む「内城」と、その外に広がる平民の町を囲む「外城」だ。
 本書では城格都市をcity、外城をwall、内城部分をcitadel(城砦)としている。二重城壁構造だという説明はない。欧米人読者はどうなのか知らんが(ヨーロッパの城郭都市のことはよく知らん)、日本人は説明がなければ混乱するよな。

 あとは誤字脱字が多いねー。アラビア語・ペルシア語その他の人名地名、用語等もひどいが、普通の英単語も結構間違ってる。正しいスペリングが推測できればいいが、できなくてまるっと意味がわかんなかったりする文も。

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参考文献録

『旧唐書』巻198 西域伝「波斯伝」「大食伝」 劉昫 945 (『二十五史舊唐書』 台北 二十五史編刊館 1956) 

「ぺるしあ」で変換すると、ちゃんと「波斯」と出るが(東洋史の人間以外、誰が使うのであろうか)、さすがに「たーじく」で「大食」は出ないな。ちなみにアラブのことですよ。
 標点本(訓点なし句読点付き)ですらない、まったくの白文。修士論文執筆時、つまり漢文読解力のピーク時でさえ、白文は苦手だったんだよ……訓点なんざ邪魔だし読点も別に要らんが、句点がないだけで、なぜこうも難解になるんだろうなあ。
 まあ念のための内容確認をしたいだけだったんで白文でも用は足りたし、白文でも県内の図書館に入ってるだけマシというものです。

「波斯伝」は卒論でも修論でも読んだけど、「大食伝」は初めて読む。
 中国の正史を読んでると、時々まったく脈絡なく変な一文に遭遇することがある。確か『隋書』か『北史』のどれかだったと思うが、「背中に鳥の足が生えた子供が生まれた」とか「頭が二つある子供が生まれた」とか。いや、まじで前後の脈絡と関係ないの。何が原因だとか、何かの予兆だとか、その後どうなったとか、一切なし。執筆者は何考えてたんだろ。
 そういうのんとはまた違うが、「大食伝」にも変なことが書いてある。イスラムの勃興について、というかムハンマド伝が、神ならぬ「人語を話す獅子」から啓示を受けたという怪異譚として記録されているのである。これと並んで、それなりに正確な情報(隋の開皇年間、大食の部族の中にクライシュ族があり云々)も記されている。

 アラブ(ウマイヤ朝)の使節は、651年以降、数年~十数年置きに唐を訪れ続けている。情報源は確保できていたわけだから、わざわざ人から人へと伝えられてきた不確かな話を採る必要はない。つまり上のどちらの話も、アラブの使節自らが唐朝政府に伝えたということになる。

 7、8世紀の段階では、通訳もしくは使節自身がペルシア人だったと思われる(中国語のできるアラブ人がまだいなかったから)。怪異譚のほうは、明らかにイスラムに対する無知じゃなくて悪意による歪曲だよな。人語を話す獅子云々の話は、当時、イスラムの知識が乏しいペルシア人たちの間に流布してた可能性はあるが、正式な使節団に加えられるくらいのペルシア人が、ムハンマドについてそこまで無知だったとも思えないし。
 この歪んだムハンマド伝が、ペルシア人の無知によるものだったにせよ悪意によるものだったにせよ、西側の史料には一切残らず、こうして中国側の史料にだけ残っているわけだ。

 人語を話す獅子の怪異譚に続いて、もう一つ奇妙な話も記されている。「大食の西の海には四角い石があり、六、七寸の小児が生る木が立っている。小児の実は人を見ると手足と頭を動かして笑う。摘み取るとすぐに死んでしまう」
 つまり「ワークワーク」についての記事である。情報提供者は、タラス河畔の戦いで捕虜になり、12年後に帰国した杜環らしい。誰も、まさかこれが日本のことだとは思わずに、繰り返し引用されていくうちに、「大食国は西の海の中にあり、人の頭の実がなる」という話になって、江戸時代には日本にも伝えられる、と。

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