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千と千尋の神隠し

 再鑑賞。劇場で観て以来だから、ほぼ10年振りか。
 これの前の宮崎作品が『もののけ姫』で、物語やテーマが非常にかっちりしていたのもあって、『千と千尋』を初めて観た時は、物語性が希薄なことにえらく戸惑った覚えがある。
 で、その後、宮崎作品はまず「絵と動き」ありで、物語は枠でしかないということを悟ったわけだが、こうして見直してみると、『千と千尋』は『ハウルの動く城』や『崖の上のポニョ』に比べれば、まだしも物語がきちんとあるのだな。

 まあ、物語というよりは、「民話」の決まり事に忠実、といったほうが正確か。民話は教訓付きであるものが多く、『千と千尋』にも教訓があるように見えるけど、実は教訓ではない。宮崎監督のインタビューなんかだと、教訓だということを言ってるけど、この人の発言はあんまり当てにしないほうがいい。
『千と千尋』は、「違う世界には違うルールがある」という話だ。実は民話の中でも不可思議な要素があるものは、本来はそういうものだったんじゃないかと思う。だから教訓的でない話、たとえば不条理だったり、主人公がずるをして得をするようなのも少なくない。一見、教訓的なものも、実は「ルール」の話だ。だからルールを破ってしまった者に対する罰は、「こちら側」の感覚からすると重すぎるほどに重い。

 千尋が入り込んでしまったのは、そういう「違うルール」に支配された世界だ。なぜそういうルールなのか、説明は一切ない。一見教訓的な要素もあるけど、実は教訓ではないので、すっきり割り切れず、ますますわけが解らないことになる。ま、カフカの世界だね。不条理なんじゃなくてルールが違っていて、主人公や我々にはそのルールが解らない、という。
 この「主人公(と我々)にはルールが解らない」という不安が、実によく表現されていると思う。わりあいとすぐに順応できる(湯屋で働き始めたあたり)んだけど、根本的なルールが「こちら側」と違っているから、次の瞬間何が起こるかわららない、という。いや、初回に観た時には「物語」ばかり追おうとしてしまって振り回されただけだったんだけどね。

「わりとすぐに順応できるけど、それは表面的なものに過ぎず、こちらが知っているルールとは根本的な部分で違っている」というところが非常にリアルだ。自分が属していない集団や共同体のルールって、大概そういうものである。
 ルールの違いを感じ取れないという人もいて、千尋の両親はそういう人々として描かれている。あの二人は「子供から見た大人」だ。大人のルールを、子供は理解できない。親というのは子供にあれこれ禁止したり強制したりするが、そのくせ自分たちは平気でルールを破ったりする(概ね人目のない場所でだが)。信号無視とか、立ち入り禁止の場所に入るとか、持ち出してはいけないものを持ち出すとか。あるいは、見るからにやばそうな場所に平気で入っていくとか。そういう時、子供は喜んで加担するよりもむしろ不安になり、親への信頼が揺らいだりするものだ。

『千と千尋』は、すべての宮崎作品(以後のものも含めて)の中で最も、そういう「言葉では説明しにくい漠然とした、しかし確かに存在する感覚」を絵と動きのみで表現できている。あと、ほかの宮崎作品の多くにも見られる「不潔さ」「乱雑さ」が最も際立ってもいるな。それらと関連するけど、またちょっと違う、ナウシカ、もののけ姫、ハウル等に見られる「ドロドロ感」も追及されている。

『アリエッティ』に欠けているのは、つまりこれら「言葉では説明しにくい感覚」なんだよな。

『借りぐらしのアリエッティ』感想

『崖の上のポニョ』感想

『ハウルの動く城』感想

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