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比較検証:『北人伝説』と『旅行記』

  マイケル・クライトンの隠れた傑作『北人伝説』を御存知だろうか。1976年刊行のこの作品は、十世紀初頭のアッバース朝使節イブン・ファドラーンの報告書の翻訳、という体裁を取る。いかにもアラビア語古写本の翻訳らしい堅苦しい本文に、クライトンの注釈が付く。

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 私がこれを読んだのは20代半ばだが、その時点では完全な創作なのか、それとも『報告書』は実在するのか、実在するとしたらクライトンはどの程度依拠したのか、皆目見当が付かなかった。
「まえがき」で述べられる手稿発見の経緯など如何にももっともらしいし、本文も注釈もどこまでも堅苦しい。それでいて展開される物語はヴァイキングと怪物との壮絶な戦いであり、「追記」では予想外すぎて馬鹿馬鹿しい落ちが、あくまで真面目腐って述べられる。駄目押しに巻末参考文献リストには、さりげなく『ネクロノミコン』――御丁寧にもH・P・ラブクラフトではなく――が紛れ込んでいる。そもそもEaters of the deadという原題からしてB級ホラー的だ。

 ひょっとしたら、というか、たぶんきっと、『北人伝説』の邦訳に関わった方々(邦訳者の乾氏、早川書房の編集諸氏、巻末解説の中村正軌氏)も御存知なかったのではないかという気がするのだが、実は『イブン・ファドラーンの報告書』は中世イスラムおよび東欧史研究者の間ではよく知られた史料なのであった。邦訳も出ている。
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 というわけで、『北人伝説』と『報告書』の邦訳を比較検証(単なる読み比べ)してみた。使用したテキストは、以下の三点である。

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 マイケル・クライトン 乾信一郎・訳 『北人伝説』 早川書房 1993
 イブン・ファドラーン 家島彦一・訳注 『ヴォルガ・ブルガール旅行記』 初版:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 1969/改訂版:平凡社 2009

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 家島氏による『ヴォルガ・ブルガール旅行記』(以下、『旅行記』と記す)は、1969年刊行の初版について言えば、訳注は非常に簡略なもので、訳文も解り易いとは言い難い。それに対し、2009年9月刊行の改訂版は、訳注、訳文は格段に充実し、巻末解説等も読者に親切なものとなっている。
 この比較検証は、2009年3月に一度行っているのだが、上述のとおり『旅行記』初版が不完全なもの(と言わざるを得ない)だったため、比較検証も不完全なものとならざるを得なかった。先日、改訂版を参考文献として読み、その後、時間に余裕ができたので(つまり一応脱稿したので)、比較検証も改訂してみようという気になった次第である。

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 なおアラビア語のカタカナ音写(固有名詞等)は、『旅行記』と『北人伝説』とでかなりの相違がある。『北人伝説』のほうは、アラビア語をラテン文字表記にしたものをクライトンが簡略にし、それをさらに邦訳者の乾氏(アラビア語をラテン文字やカタカナで音写する際の決まり事は御存知ではなかろう)が……という過程を経ているためである。本稿では、原則として『旅行記』の表記に従う。

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1 原典について
 アフマド・ブン・ファドラーン(ファドラーンの息子アフマド)、通称イブン・ファドラーンは、西暦921年にバグダードからヴォルガ川中流域のサカーリバ王国へ使節として派遣された。帰国後、彼は報告書を作成し、カリフに提出した。
 この『イブン・ファドラーンの報告書』はその後失われたが、後代の地理書に引用されているため、研究者たちにその存在を知られていた。

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 1922年、イランのマシュハドにある図書館で、三種類のイスラム地理書を合綴したものが発見された。その中の三番目のものが、『イブン・ファドラーンの報告書』だったのである。
 ただし、この新発見の写本(「マシュハド写本」と呼ばれる)は、イブン・ファドラーンがカリフに提出した『報告書』そのものではない。その要約版か、もしくは別個に作成された版と考えられる。というのは、一つには後代の複数の地理書に見られる引用の中には、この「マシュハド写本」とかなりの異同が見られること、またこの「マシュハド写本」には随所に「イブン・ファドラーンは語った」という文が見られ、つまりはこのテキストが報告書ではなく聞き書きとして作成されたものであることを示しているからだ。
 いずれにせよ、イブン・ファドラーンのサカーリバ王国行の記録には複数のヴァージョンがあったのは確かである。

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 以上は、家島氏の『ヴォルガ・ブルガール旅行記』の「はしがき」と巻末の「解説」に拠った。
 一方、クライトンも『北人伝説』の「まえがき」で、原典について詳述している。「実」への「虚」の混入は、すでにこの時点で始まっている。正確なのは、原典が失われ、後代の地理書の中の引用として知られてきたこと、その一つがヤークートの「アラビア語の地理辞典」(『諸国事典』)であること、くらいである。
 最大の嘘、というか仕掛けは、「マシュハド写本」が発見されなかったことにしている点だ。その代わり、1934年に中世ラテン語で書かれた写本がギリシアのクサイモス修道院で発見されたことになっている。
『北人伝説』(Eaters of the dead)は、この「クサイモス稿本」をノルウェーのペール・フラウス‐ドルス教授なる人物が翻訳したものに、クライトンが注釈を付けたもの、という体裁を取っているのであった。「クサイモス稿本」に先立って「発見」されたという幾つかのテキストについての記述も、クライトンの創作である。

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 なお、クライトンはイブン・ファドラーンを「アラブ人」としているが、マシュハド写本やヤークートの『諸国事典』によれば、彼はマウラー(被護民)であった。10世紀に於けるマウラーというのは、有力者とパトロン‐クライアント関係を結んだ者を指すが、伝統的に非アラブ系であるケースがほとんどで、したがってイブン・ファドラーンもアラブ人ではなかった可能性が高い。

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2 『北人伝説』と『旅行記』、各本文の比較(クライトンによる省略部分)
『旅行記』は、「マシュハド写本」を底本とし、テキストの損傷によって欠けている部分はヤークートの『諸国事典』によって補っている。
『北人伝説』は、「マシュハド写本」を「なかったこと」にしているにも関わらず、冒頭と後半の創作部分(次項)以外は、部分的な省略はあるものの、「マシュハド写本」および『諸国事典』の引用部分そのままである。

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 では、どのような箇所が省略されているかというと、まず第一に、「マシュハド写本」の随所に見られる「イブン・ファドラーンは語った」という文である。これは、上述のとおり「マシュハド写本」が『イブン・ファドラーンの報告書』そのものではないのに対し、『北人伝説』の底本であるところの「クサイモス稿本」のほうは『報告書』そのもの(のラテン語訳)という「設定」だからであろう。

 第二は、展開を速くするための省略である。それについてクライトン自身は、「単に集落の名とその各地で過ごした日数とを挙げるだけである。この題材の大部分は削除した。」(第一章)、「多くの学者たちはこれらの章の真実性を疑問視している。原記述は主として出会った首長たちや身分の高い者たちの名簿から成り立っていて著しく不明確、退屈なものである。」(第二章)などと言い訳している。

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 実際のところ、これらの省略部分は、確かに地名等の列挙だけの部分もあるが、大半は通過した土地の習俗についての詳しい記録である。退屈どころか、見聞録として大変興味深い内容だ。
 特に、宗教について詳しく観察しているのは、中世のムスリムとしては稀なことではないかと思う。私がこれまで読んだ史料では、中世のムスリムは(近世以降は知らん)異国の文化や政治についてはよく観察しても、異教については、ごくおざなりな関心と理解しか示していないのである。
 
 いずれにせよ、クライトンは読者の忍耐力にあまり期待しなかったようだ。「はじめに」でわざわざ、「だが、イブン・ファドランは著述家であって、その主目的は娯楽などではない。(中略)その語り口は吟遊詩人ではなく、税監督官のようであり、劇作者ではなく人類学者の語調なのである。」と断っているが、この「冷静な観察者」振りは、第二章でオグズ・トルコ族の習俗についての記述を提示しておけば充分と判断したのであろう。この箇所はほとんど省略されていない。ただ、事項やエピソードの順序をかなり入れ替え、整理してある。

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 第三の省略は、クライトンの創作部分に不都合な箇所である。史実としてイブン・ファドラーンはサカーリバ王国へ赴き、王に伺候したのであるが、『北人伝説』では「実際にはその使命を果たすことができなかった。というのは途中で“北人”の一団と出会って、彼らとともに多くの数奇な出来事に遭遇したからであった。」ということになっている。
『旅行記』は、カリフに提出された『報告書』そのものではないため、復路に関する記述が存在しない。したがって「失われた後半部分」をでっち上げる余地があったわけである。
サカーリバ王国での使命を終えた後で冒険に巻き込まれた、ということにしたほうが、よりもっともらしかったわけだが、クライトンは一刻も早く原文の「退屈な」記述を切り上げて、「血沸き肉躍る伝奇ロマン」に突入したかったのであろう。

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 というわけで、『旅行記』の第三章「サカーリバ王国」と第五章「ハザル・ユダヤ王国」(サカーリバの隣国)はそっくり省略されている。『旅行記』では、イブン・ファドラーンはサカーリバ王国でルース人(ロシア人もしくはスカンディナビア人の祖先)の集団を目撃し、その記録が第四章「ルース人について」となっているのだが、これが『北人伝説』ではそのまま第三章「“北人”との最初の出会い」(北人=ルース人)となり、冒険の始まりとなるのであった。
『旅行記』では、カリフからサカーリバ王に贈られることになっていた金銭を巡っていざこざが起きている。この問題は、すでに第一章の時点で発生していたのだが、『北人伝説』ではサカーリバ王国には行かなかったことになっているので、この問題についても省略されている。

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 また、『旅行記』はイスラム古典作品にありがちな長々しい前置きがなく、「これはムクタディル(カリフ)がサカーリバの王のもとに遣わした使者、ムハンマド・ブン・スライマーンのマウラー、アフマド・ブン・ファドラーン(以下、本名は非常に長いので省略)の書である」という書き出しの後、すぐにイブン・ファドラーンの見聞録が始まっている。
 クライトンはここに、イブン・ファドラーンが使節に選ばれる羽目になったエピソードをでっち上げている。第一章での省略には、この創作部分に関連すると思われるものもある。次項で詳しく検討する。

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3 『北人伝説』と『旅行記』、各本文の比較(クライトンによる創作部分)
 第三章「“北人”との最初の出会い」より前の創作部分は、上述のとおり冒頭のエピソードのみである。イブン・ファドラーンが「イブン・カリン」なる強欲な老商人の若い妻に手を出し、バグダードにいられなくなったというエピソードがおもしろおかしく語られる。
 クライトンの意図が読者の興味を繋ぎ止めることにあったのは間違いない。カリフに提出された「公式報告書」であるはずのテキストで、カリフを揶揄する記述があるのは明らかにおかしいが、まあ細かいことには目を瞑ろう。
 
『旅行記』第一章でクライトンが省略した部分に、イブン・ファドラーンがカスピ海南岸のダームガーンというところで、「ダーイーのイブン・カーリン」なる人物と偶然出会ってしまい、「われわれはキャラヴァン隊に身を隠して、ひたすら旅を続け」なければならなかった、という記述がある。ここでの「ダーイー」とは、スンナ派のアッバース朝と敵対していたシーア派の活動家たちのことで、その一人であるイブン・カーリンは当時、カスピ海南岸でかなりの勢力を有していた。アッバース朝の使節であるイブン・ファドラーン一行が遭遇するには不味い相手だったわけである。
 という史実にはクライトンは頓着せず、「イブン・カーリン」の名前だけ借りて冒頭のエピソードをでっち上げたようだ。

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 強欲な老商人の若く美しい妻との火遊び、というエピソード自体は、明らかに『千夜一夜』を参考にしたものである。後半の創作部分で、“北人”たち相手にイブン・ファドラーンが披露するアラブの笑い話二つのうち、スリッパの話はマルドリュス版『千夜一夜』にある。もう一つの、もっと下世話なほうは『マルドリュス版』にも東洋文庫の原典版にもないが、いかにも『千夜一夜』的であり、他の版に収録されているのかもしれない。

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『北人伝説』第三章「“北人”との最初の出会い」(『旅行記』第四章「ルース人について」)では、続く冒険に向けて創作部分が混じり始めるのだが、“北人”(ルース人)の葬儀については、『旅行記』そのままである。
 第四章以降は完全に『旅行記』から離れた創作になってしまうのだが、省略された『旅行記』第三章「サカーリバ王国」から、幾つかの要素が採られている。北国の夏の夜の短さやオーロラに対するイブン・ファドラーンの驚き、彼が蜂蜜酒を「飲んでもいいもの」と見做したことなどである。

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5 その他
『北人伝説』の巻末「典拠」に「一次資料」として挙げられているのは、上述のとおりヤークートの『諸国辞典』以外は実在しない。第一章から第三章までは、「マシュハド写本」から大幅に引用してきているのだが、『北人伝説』の中では「マシュハド写本」は「なかったこと」になっているので、一切触れられていない。
 なお、「マシュハド写本」はRichard N. Frye(『ブハラ史』の英訳者)によって2005年に英訳されている。タイトルはIbn Fadlan’s Journey to Russia(イブン・ファドラーンのロシアへの旅)。つまり『北人伝説』が書かれた時点では英訳は出ていなかった。先行するフランス語訳かドイツ語訳あたりをクライトン自身が英訳したんだろう。
 ちなみに、この「典拠」でヤークートの『諸国辞典』(『地理辞典』)の翻訳者の一人として「リチャード・フライ」の名が挙げられている。Richard N. Fryeだろうな。

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 また同「典拠」には「一般参考書」として七冊のヴァイキング研究書が挙げられている。ネットで調べた限りでは、これらはすべて実在し、J・ブレンステッズとG・ジョーンズの著作は邦訳が80年代に出ている。
 これらはクライトンが“北人”たちについての記述で、実際に参考にしたものだろう。ここに白々しく併記されているのが『ネクロノミコン』なのであるが、クライトンがこれのどの辺をどのように参考にしたというつもりだったのかは、浅学非才の身にはわかりかねる。

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『北人伝説』は1999年にアントニオ・バンデラス主演で映画化されている。映画タイトルは13th warriorで、イブン・ファドラーンが「13番目の戦士」として北人たちの冒険に無理やり付き合わされたことに因む(邦題は『13ウォーリアーズ』)。やっぱ「イーターズ・オブ・ザ・デッド」じゃ不味かったのか。
『北人伝説』からさらにいろいろ削ぎ落とした、捻りのない冒険物である。当時のムスリムは曲刀なんか使ってないよとかそういうことは言わないでおく。『北人伝説』『旅行記』が完全に一致しているのはただ一箇所、ヴァイキングたちの不潔な洗顔方法だけである。

比較検証(単なる読み比べ)シリーズ

 佐藤哲也氏の『熱帯』とホメロスの『イーリアス』

 
 佐藤亜紀氏の 「アナトーリとぼく」とトルストイの『戦争と平和』

 佐藤哲也氏の『サラミス』とヘロドトスの『歴史』

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