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トゥルー・グリッド

『シリアスマン』見損ねちゃったよ……

 コーエン兄弟は映画を心底愛し、深く敬意を払っているが、観客には鐚一文敬意を払っていないに違いない。彼らは観客を弄んでいる。彼らの作品を褒めようが貶そうが、すべて彼らの思う壺である。彼らの掌から一歩も出ていない。
 そのように確信し、且つ毎回弄ばれたと喜んでいる私は、きっとマゾなんだろう。

 観客への思惑が実際のところどうなのかはともかく、全作品に共通するのは「意地の悪さ」である。「悪意」だと陰湿で偏執的なルサンチマンといったところだが、彼らはあくまで明るく軽く意地が悪い。
 今回は、その意地の悪さがまったく感じられない。それでまず戸惑った。以下、一応ネタバレ注意。
 
 これまでのコーエン兄弟作品は既存ジャンルのパスティーシュが多いし、『マダムと泥棒』のリメイクもしている。それら先行作品への愛と敬意が感じられる一方、数少ない原作付き作品では原作に対する敬意があまり感じられない。
『ノーカントリー』では明らかに原作のテーマ(原作者いわく「純粋悪」)には微塵も関心がなく、映画史上稀に見るキモい殺人鬼ハビエル・バデムと変な武器と変な髪型、そしてジョシュ・ブローリンの不運振りを描くことだけに腐心している。『オー・ブラザー』の「原作」『オデュッセイア』に至っては、「コミックでしか読んだことがないけどね!」とほざく有様だ。『ファーゴ』でも「実話に基づく」とやっておいて、何年も経ってから「実は嘘」。

 今回の原作は時間がなくて未読だし(英文を読むのが遅い)、『勇気ある追跡』もレンタルできなかったので未見だが、どうも『勇気ある追跡』よりも原作小説に対して、コーエン兄弟の敬意が感じられる。
 少女マティは父の仇を取るが、その直後に蛇に咬まれて左腕を失う(その後の人生も孤独であることが示唆される)。可愛がっていた馬も死なせてしまう。復讐には代償が必要であるということが、明言はされないが明示されている。結末には割り切れない重苦しさが漂う。

 この重苦しさは賛否両論のようだが、しかしコーエン兄弟にしてみれば、単に原作に敬意を表して結末まで忠実に映画化しただけであって、「復讐には代償が必要」というテーマで映画を撮ったわけではなかろう。『ノーカントリー』の時と同じく、原作のテーマをなぞっているだけで、別段自分たちがそう主張したいわけではない(『ノーカントリー』の時よりは敬意を籠めてなぞっているとは思うが)。
 そもそも、これまでの彼らの映画にも、テーマなどあった試しがない。意地の悪さをテーマだと見る向きもあるが、あれは単に意地が悪いだけだと私は思う。

 そして一見、「コーエン兄弟らしくなく」意地の悪さがない『トゥルー・グリッド』は、もしかしたらこれまで以上に底意地が悪いのかもしれない。「感動するテーマ」を求める観客にも、一つの原作の再映画化と聞いて、「リメイク? じゃあ駄目に決まってる」と脊髄反射で判断する観客(批評家)にも、そしてコーエン兄弟に解り易い意地の悪さを期待するファンにも、等しく意地が悪いのではあるまいか。

 まあ今後も、付いて行けるところまでは付いて行こうと思う。

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